エピローグ
人間が複雑だと気付かせてくれたのは、間違いなく彼だった。中学生の頃、告白してくれた男の子。恋愛に興味があって、好きかどうかもわからないまま付き合ってしまったあの男の子だ。
あれは体育祭の日。たしか私たちは負けたと思う。わからない。違うかも。でも、校庭から戻した椅子の足につけたガムテープをはがしながら、結局床はこんなにも砂まみれになるのにな、先生は全員新米なのかもと思った記憶が鮮明に残ってるから、きっと負けたんだと思う。だって、勝ってたらそんなこと思わないから。
そうだ。負けた。絶対だ。だって、彼が私を待ってるって飛び跳ねながら伝えてきた恵美に、すごく腹がたったんだから。彼にもすごく腹が立った。負けたのに、恋愛ですべてを帳消しにできるほど、私は本能で動いてないと思ったんだ。でも、競争もすごく本能的だと気付いて、どっちを優先すべきか迷ったんだ。
ともかく私は付き合った。私は普段、通りかかると露骨に大きな声でふざけるから、彼のことを可愛らしいと思っていた。でも、付き合ってみたらラインはしつこいし、すぐ手をつなぎたがる。それに、付き合ったことを隠さなかった。その子供っぽさは、いつからか可愛らしいとは映らなくなっていた。
でも、付き合って一カ月でフラれたときには驚いた。
「好きって一度も言ってくれないじゃん。夜にラインしても、返ってくるのは早くて翌朝。友達と何が変わるんだよ。」
彼の失望しきった目。諦観しかこもってない声。それらに見合うことのない私。それらすべてが鮮明に思い出せる。私の表情はきょとんとしていて、思考は疑問で埋め尽くされていた。中学生同士の恋人なんて友達と変わらないでしょ?好きかどうかもわからないのに、好きっていうのこそ残酷じゃないの?
私の顔を見たときの、彼の浮かべた苦笑いが忘れられない。何か糸が切れたような瞬間だったと思う。彼は優しく諭すように、言葉を放った。
「どちらが告白したにせよ、付き合ったんだから、良い関係になれるように、お互いに頑張るんだよ。そうする気がないなら、最初に振るべきだったんだ。」
それ以降、彼は私と話すことはなかった。成人式でさえ、彼は私を一瞥もしなかった。後で恵美に聞いたら、彼の大学の専攻は法律らしい。きっと民法か国際法が得意なんだと思う。