『お兄ちゃん』って呼ばれるチャンスだったのに!
「迅!どうだった?」
「いける。たぶん。陽菜は?」
「まあ、たぶん、いけるかな」
2月1日。星林大学の試験が終わり、迅と陽菜は合格を確信できるくらいの手応えを感じていた。
「ていうか、アレでたじゃん、日本史で」
「建仁寺の風神雷神でしょ!」
「そうそう!実物見たもんな!」
「いや、私たち見たのって、レプリカだけどね」
「え?そうなん?」
「確か、そうだったと思う」
「んまあ、いいや、たぶんあそこ正解だったし!」
修学旅行。自由行動で一緒に訪れた建仁寺。二人の思い出の地が第一志望の入試で出たことに、迅も陽菜も運命的な何かを感じずにはいられなかった。
「それじゃあ・・・・・・、ホテル帰るか・・・・・・」
少しぎこちなく迅はつぶやく。
第一志望の星林大学の受験がうまく行ったことで、受験生としての二人の関係はこの瞬間に終わり。
それはすなわち、棚上げしていたこれからの二人の関係に向き合わなければならないことを意味している。
「よーし、帰ろー!」
元気がない迅のつぶやきをかき消すかのように、陽菜は声を張り上げた。
「うわっ!びっくりしたあ!いきなり、大きな声出すなよー」
「そっちこそ、何元気なくなってんだよー」
陽菜は迅のわき腹をツンツンしながら、問いかける。
「おい!や、めろ、よおお・・・」
悶える迅。
「迅くんは、せっかく受験が終わったのに、なーんで楽しそうじゃないのかなー?お姉ちゃんにお話しできるかな?」
「うるせー。こっちも気持ちの切り替えとか、いろいろあるんじゃい!」
「そっかぁ。お姉さんには、教えてくれないのねぇ、困ったわぁ」
陽菜は、迅が今晩、自分に告白してくるだろうことは、何となく察している。しかし、その告白よりも前に、ある提案をしなければならないことに、陽菜は罪悪感を感じていた。
迅をおちょくるのは、迅のテンションを上げるため、そして、自分の罪悪感を緩和させるためでもあったのだ。
*
——ホテルへ戻る地下鉄の車内。陽菜は覚悟を決めて、迅に提案をした。
「迅、明日だけどさぁ・・・・・・、新潟に帰る前に寄りたいところあるんだけど・・・・・・」
「お、おう。どこ行きたいんだ?」
「えっと、・・・・・・、イーストファーム」
「・・・・・・え?」
迅は陽菜の唐突な提案に狼狽える。そもそも、迅にとっては、今日の告白が上手くいって、帰宅前の半日だけでも東京でデートできれば嬉しいと、期待していたのだった。というか、そのためにテスト後にすぐ帰路につくのではなく、一泊させて欲しいと自分の母親にお願いしたのだった。
「それは・・・・・・、いいけど。俺が一緒に行ってもいいのか?」
「うん。一緒に、来て欲しいんだ」
デートできたらラッキー、そんな浮ついた考えは吹っ飛び、迅の体に緊張が走った。陽菜の精神的な支えにならなきゃいけないプレッシャー、そして、陽菜のファーム行きを食い止めるためのチャンスであるというプレッシャー。この二つの責務が、迅の鳩尾を刺激する。
「わかった。・・・・・・けど、部外者の俺が入れるのか?」
「それは大丈夫。向こうの人に話は通してるから、付き添いってことで入れるよ」
「付き添いか・・・・・・」
本来、これは保護者と一緒に行くべき話だろう。陽菜が、自分と一緒に東京にいるシチュエーションはこのタイミングしかなく、それを見越してファーム側にアポをとり、わざわざ受験が終わった今になって提案している。その周到さは、陽菜がどうしても自分と行きたいというメッセージであることが、多少鈍感な迅でも読み取れた。
「よし!じゃあ、俺は陽菜のお兄ちゃんになればいいんだな!」
「・・・・・・ふふ。残念でした。向こうに家族構成は提出済みだから、ウソってことがバレちゃうよ」
「えー、そうなんだ。せっかく陽菜に、『お兄ちゃん』って呼ばれるチャンスだったのに!」
本気で悔しがってみせる迅。いつも面倒をみている陽菜にしてみれば、どちらかというと弟っぽく感じていたので、この反応はちょっと意外だった。
「迅って、私に『お兄ちゃん』って呼ばれたいんだ・・・・・・」
「いや、冗談・・・・・・」
ふざけて言ったつもりだったが、陽菜から上目遣いで「お兄ちゃん」と呼ばれるシーンを想像すると、何かが自分の中で目覚める気がした。
「今度言ってあげようか?お兄ちゃん?」
「おい!こんなところでやめろぉ!」
小声とはいえ、地下鉄の中で、自分の性癖が披露されているようで、迅はものすごく恥ずかしくなった。
「じゃあ、あとでね、お兄ちゃん」
そう耳打ちする陽菜。迅は——これ以上何か言うのは逆効果と悟り——もはやひたすら沈黙するしかないのであった。
つづく