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3つの嘘で返り咲く  作者: 水皐 鏡
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8. 蹄の響き

 港に着くと、そこに人の気配はなく静寂に蹄の足取りだけが響いた。貿易船の船首に忘れられていたランタンの火が、陰の山からはみ出た陽光に吹き消された。


「降りられますか?」


 息を切らすマルベリーにヴァイオレットが手を伸ばした。ジェイドに支えられながらマルベリーはその手を取ろうとしたが、鐙に足をかけ損ね、宙に放り出されてしまった。ヴァイオレットは咄嗟にその手を引いて彼女を抱え、ゆっくりと地上に降ろした。


「商人は俺が避難させよう」


「待って、思ったより船が多いわ。全員を避難させる時間はないわよ。それより早く夫人を連れて行って」


 マルベリーは呼吸に集中してヴァイオレットの支えに身を預けている。


「いや、君が行くべきだ。俺は賊を制圧するために残らなければならないだろう?」


「今すぐ行けば戻ってきても間に合うわ。それに私は別に確かめたいことがあるのよ」


「何をするつもりなんだ?」


 ヴァイオレットは予想外のことを言われたとでも言うようにジェイドの顔をじっと見た。彼はいつもと変わらない真剣な表情だ。ヴァイオレットは緊張が解けたようにくすりと笑った。


「言わなきゃいけない?」


「教えてくれ、危険か判断できないだろう」


「あら、私はあなたの部下じゃないのよ副団長さん。あなたに確認してもらう必要はないんじゃなくて?」


 ヴァイオレットは目に見えない扇を突きつけて揶揄(からか)った。


「それは…そうだが。タイミングが悪くなる可能性もあるじゃないか」


「信じてくれるんじゃなかったかしら?」


 剣を携えた大柄な男が覇気なく困った顔をしているのが面白かったのか、ヴァイオレットはまた笑った。


「警備塔に行くのよ。取り敢えず捕えてもらわないといけないでしょう?」


「どの塔に行くつもりだ?」


「人数が多いから中央警備塔に行こうかと。何?まずいの?」


 ジェイドは顎に手を当て一点を見つめている。


「いや、まずいという訳ではないんだが…連行した容疑者を一人逃したことがあっただろう?」


 昨年の9月に起きた事件だ。中央警備塔は元々住民からの信頼が厚かったこともあり、多くの驚きの声が上がった。脱走した容疑者がただのスリだったことも反響を呼んだ。

 容疑者は未だ見つかっておらず、対処として、第三騎士団が警備兵の人事異動をし事件は幕を閉じた。


「それは私も考えたけれど、他を探してもどのみち遠いわ」


「ああ、だが灯台警備塔ならすぐそこだ」


 ジェイドの後ろにぼやけた円筒形の塔が見える。

 灯台警備塔は別称で正式には海港捜査局。第三騎士団所属の警備塔の警備隊とは違い、皇帝直属の組織だ。


「あそこは少数精鋭でしょう?この時間なら5人くらいしかいないんじゃない?」


「通常ならそうだが今日は…例外だ。元々海賊の件で灯台警備塔も動いていたんだが、視察に合わせて応援が来ていると聞いた」


「そうなの?知らなかったわ。というかそんなに内情に詳しいなんて、特別な伝手でも持ってるの?」


「伝手という程ではないがな」


「信憑性はないってこと?それなら中央に行ったほうが良いじゃない」


「知り合いがいるんだ。仕事として話した内容だから罠ではないことは保証する」


 ジェイドは眉をひそめて訴えかける。若葉のような真っ直ぐな眼差しは、“心配”を映していた。ヴァイオレットは何かを言おうとした。


「お二人とも!時間がないのでは?」


 マルベリーが声をかけた。彼女はすっかり姿勢を正している。


「そうでした。ガーネットに会ったら温かい飲み物と毛布を頼んでくださいね」


 ヴァイオレットは笑顔を浮かべ、手を差し伸べた。

 マルベリーはその自然なエスコートに手を預けた。


「ほらジェイドも」


 何を言うつもりだったのか、聞けない答えに心晴れないまま、ジェイドは馬に乗った。

 彼はマルベリーを鞍に引き上げて、手綱をまわした。


「灯台だぞ」


 肯定の返事を聞くまでここを離れないと言うように、真剣な表情をして言う。


「分かってるから、そんなに心配しないで」


 ヴァイオレットは曇りなく答えた。ジェイドはやっと頷いて、行先を見据えた。二人を乗せた馬は駆け出した。

 建物の陰に後ろ姿が消えると、ヴァイオレットは出番を待っていた黒鹿毛(くろかげ)に跨った。そして港は再び静まり返った。




 夜の空が沈んだ。

 冷たい膜に覆われているような薄い青色の空が早朝を予感させる。人の気配はまだしないが、空と海は目を覚ましている。


 波の音だけが存在を現す静かな港で、貿易船を背に立つ男の姿がある。その手には()()の物置で見つけた剣が見事に馴染んでいる。


「…三分」


 ジェイドは目を瞑り、()()の揺れを感じていた。その振動が海賊の接近を知らせているのだ。


「流石。姿が見えなくても計算できるのね」


 潮風によく通る声が乗ってきた。

 ジェイドが目をやった先にはやはりヴァイオレットがいた。


「…何故ここにいるんだ」


「“間に合わない筈なのに”、でしょ?」


 何もかも見透かしたようなその目は凛々しい。


「分かっていたんだな」


「下手な嘘で私を灯台に向かわせ無駄足を踏んでいる間に、あなた一人で海賊と対峙しようという考えのことを言っているなら、えぇそうね、分かってた」


「それなら何故知らないふりをしたんだ?」


「時間がなかったし、あなたもどうにか私に認めさせようとしていたから抵抗しても無駄かなと思って」


 ひんやりとした風が吹いた。妖精が遊んでいるみたいに、風はヴァイオレットの髪をふわふわと浮かせた。


「それに…私を止めるんじゃなくて、守ろうとしてくれたのが嬉しかったから」


 振り返った彼女の表情は、まるで春の花が咲くように頬が色付き目元は緩んでいる。初めて見せた本物の笑顔だ。ジェイドは言葉を忘れてしまった。


「ほら、いくら止めようとしてもここに戻るという意思を私は変えそうになかったから、嘘をついてくれたんじゃないの?」


 彼女は呆然として声を出さないジェイドを不思議そうに覗き込んだ。


「いやただ、何だろうな…君の目を見れないんだ」


 ジェイドは口元を抑え顔を隠すようにそっぽを向いた。


「えっちょっとどうしたの?あっもしかして外れ?だったら本当に——」


「——いや当たりだ!君の言ったことがあまりにも的を得ていたからその、()()暴かれたようで…恥ずかしかったんだ」


 ジェイドの顔は真っ赤だった。彼は魔法にかかったように目を合わせられないでいる。

 ヴァイオレットには思ってもみないことだった。驚きのあまり、不慣れに慌ててしまう。


「あっごめんね、ちゃんと言った方が良いと思ったのよ」


「謝らないでくれ、俺はその…嬉しいんだ」


 彼の頭の中には出会った頃の“アイリス”の笑顔が蘇っていた。ヴァイオレットの本物の笑顔を見た瞬間、あの頃、初めて見た彼女の可憐で温かい笑顔に心臓が大きく跳ねた感覚が呼び起こされたのだ。


 彼は心が波立ち顔が火照るこの感覚に“初恋”という名前があることを知らない。だからこそヴァイオレットに情けないところを見せまいと抑え込もうとしている。


「ところで」


 ヴァイオレットは背を向けて言った。彼女は彼女で音を立てないように深呼吸して、落ち着きを取り戻そうとしていた。


「今更だけど今日は戻らなくていいの?毎日忙しいんでしょう?」


「あぁ市街捜査局との情報会議あるんだが、こちらが片付いてからで問題ない」


「本当に?ここから皇城までは遠いわよ?」


「城では開かないんだ。それにこの件には最後付き合うと決めたからな」


「ありがとう、副団長様が仲間なら百人力ね」


 ヴァイオレットが振り返った。桃色の頬の温度はすっかり落ち着いている。


「じゃあ、一つ注文しても良いかしら?」


「喜んで」


「海賊達を一人も殺さないで。もちろん、致命傷もダメよ」


 その言葉に重く鋭い感情は乗っていない。


「君は優しいな」


 ジェイドは剣の柄頭を握って彼にしては堅さの抜けた声で言った。


「本当にそう思う?」


 ヴァイオレットは笑った。ジェイドは迷いなく頷いた。


「俺も聞いて良いか?先程の…森での会話のことだ。君は、夫人に怒っていたのか?」


「怒ってなんかないわ、あのままじゃ彼女達一生出世できないから」


「本当にそれだけか?俺の見方の問題かもしれないが、別の思いがあるように見えた」


 引き止めるように言った。

 ヴァイオレットの目に消えかかった最後の星が映った。


「すぐに、後悔することになると思ったのよ。でもちょっと、言いすぎたわね」


「君の後悔なのか?」


「私のじゃない。でも、それよりもっと悪いことよ」


 ヴァイオレットは笑顔を引き攣らせていた。それはもはや笑みというより、涙を堪えるような苦しげな表情だった。


「君の言葉は俺の心にも響いた。君のお陰で夫人は冴えた目をした。君の想いが籠ったとても良い助言だったと、俺は思う」


 純粋で真っ直ぐで真剣な眼差し。共感ができなくても向き合ってくれる真面目な志。そんな心に触れているだけで、ヴァイオレットは何となく笑顔になれる気がした。


「遠回しだけど褒めてくれるのね、詩的なのも似合うじゃない」


「詩的?そうか…?」


「そういうとこが才能なの!ふふっありがとう、何だか元気になっちゃった」


 無垢に笑う彼女を見てジェイドはまたらしくなくうっとりと微笑んだ。

 淡い緊張感の中にほんのり甘い雰囲気が、波のざわめきも潮の香りも忘れさせた。


 束の間、港の空気が冴え切った。  


「‥‥‥時間だな」


 波音とは違う蹄が地面を叩く微かな振動が近づいている。


「じゃあね。健闘を祈ってる」


 ヴァイオレットは足音の先を見つめてそう言い、港を去った。

 

「ああ」


 胸を張り敵を待ち構えるその立ち姿は、まさしく高潔な騎士である。

 遠く離れて、自分の靴の音だけが鮮明に聞こえる。


「分かってないのね」


 風が囁くようにヴァイオレットは呟いた。


(後悔したのは本当に私じゃない。彼女達と同じような“檻”に閉じ込められていた、あの人の後悔よ)


 温度のない風が彼女を包み、何かを語りかける。


(その傷は例え聖女でも癒すことはできないから、この思いが浄化されることも、きっとないのよ。でもそれで良いの。その方がマシだから…だからどうか)


「…知らないままでいて。ジェイド」


 ジェイドは彼女の影を見届けた後、船の前に無造作に並べられた荷物の中に身を隠した。


 海賊達がリーダーを先頭に駆けてきた。

 蹄の音が大きくなっていく。しかし人々が目を覚ますにはその音は速く小さかった。


 賊が遂に港へ入った。

 その時ジェイドにははっきり全員の姿が見えていた。彼らは貿易船の目の前で次々と馬を降り、船に近づいて来た。


 全員が馬から十分に距離を取った時、彼らの前に、ジェイドが姿を現した。

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