5. 海賊と伯爵夫人
「そろそろ出てきたらどう?ジェイド」
建物の陰から外套に身を包んだジェイドが出てきた。彼はフードを取ると申し訳なさそうに言った。
「すまない…気づかれていないと思ったんだが…」
「どうして私をつけていたのか教えてくれる?」
「君が酒場から出てきたのが見えて、その…気になって…」
「そう。まあ良いわ、その代わり少し付き合ってくれない?」
「?この時間からまだどこかに行くのか?」
「ええ、港に野暮用があってね。事情は歩きながら話すから」
まだ何が何だか分からないというような表情をしているジェイドの手を引きながら、再び目的の地へ歩き始めた。
「着いた」
そこは港の端にそびえる、高台の崖下に空いた洞窟の入り口だった。
「‥‥港に用があると聞いたんだが」
「続きにあるんだからほとんど港でしょう?」
洞窟内を見回しているジェイドを置いて速足で奥とへ進んでいった。中はさらに暗く、ランタンの明かりでは足場の悪い足元ぐらいしか照らせなかった。
「さっきの話だが、何故ここへ来たんだ?連中のアジトになりそうな場所なら他にもあるだろう?」
「昔、多くの人がここで亡くなっているのが発見されてから‘霊地の境界’と呼ばれていてね、そのおかげで誰もここへは近寄りたがらないのよ。呪いだ!ってね?だから港で活動する怪しい人達が拠点にするにはもってこいでしょう…」
前方に微かな明かりがちらついているのに気付いた。
音を立てないよう慎重に前へ進むと、今までより開けた場所に差し掛かった。そしてその中央には簡易に作られた小さな小屋があった。
二人は人がいないのを確認し、剣や食料が適当に置かれている小屋の裏手に走った。中からはギシギシという不快な音とともに数人の男たちの声が聞こえた。
「——こうも好きに動けないんじゃ、やる気も失せるってもんだよなぁ」
「あと五日の辛抱だ。我慢しろ」
「しかしこんなに上手くいくなんて思わなかったぜ、伯爵も落ちたものだな!」
「元々素質がなかったという事だろう?それに、伯爵家の情報はあの女のおかげで全て筒抜けだったんだ、当然の結果だ」
「ああ、マルベリーお嬢サマだったか?あれはイイ女だったなぁ?」
(マルベリー…?)
「まさかスターチス夫人が奴らに協力しているのか?」
「どうかしら、私も初耳だから」
「…君の知人の件は簡単に片付きそうにないな」
洞窟路の奥に橙色の光が写った。灯りは乱暴な足跡とともに急速に近づいてくる。
足音の主は息を切らして小屋の扉を叩いた。
「おい!そろそろだ」
薄い壁の板越しにバタバタと急ぐ足音が聞こえた。ヴァイオレットは外套のフードを深く被って言う。
「あなたがついて来てくれて良かったわ」
その時、立て付けの悪い扉が一気に開いた。
そして二人は荷物を取りに来た彼らと顔を合わせてしまった。
「ヴァイオレット、後ろへ」
「ええ」
ジェイドは焦りもせず、雑に放置されていた剣を手に取り前に出た。
「何だ!奴の差し金か?」
「邪魔だろ、さっさと殺すぞ」
四人の男たちは一斉に走りだした。そしてジェイドたった一人に、微かな光源が滑る鋭い剣を振りかざす。
しかし、その攻撃はジェイドには全く通用しなかった。それどころか、刃こぼれした鈍い剣で瞬く間に返り討ちにされてしまった。
「さすが副団長、一瞬ね」
「こういう奴らの相手は散々してきたからな。それよりこいつらはどうする。気絶させただけだが」
「もちろん色々と聞かせてもらうわよ。また、お願いね?」
ジェイドの少々手荒な追求のおかげで、彼らの目的が判明した。それはスターチス伯爵からこの領地を奪うことだった。
それはつまり、伯爵を、酷い場合は伯爵家の者を全員殺してでも領地を支配するということなのだろう。しかし結局のところ誰が首謀者であるのかは吐かせることができなかった。
「奴らの情報が確かならここから北に本部があるようが、行くのか?」
ジェイドは錆びた剣を腰に巻き付けている。
「ええ、今のところ真相は何一つ掴めていないんだもの」
「君がそう言うなら」
「あっ少し待って」
ヴァイオレットは急に何かを思い立ったように小屋の裏に戻ると、無造作に置かれていた袋の中を調べた。だが彼女はすぐに、何でもなかったように戻って来た。
「検務署に行けば馬が借りられる。すまないが少し待っていてくれ」
「それって職権濫用。しかも副団長様が?」
ジェイドには顔はよく見えないが、その声からヴァイオレットは笑っているようだと感じた。
「それは分かっているが…馬でないと間に合わないだろう」
「その通りよ、でも大丈夫。この近くに馬車を出している知り合いがいるの。その人に頼めばきっと貸してくれるから」
ジェイドはランタンを足元に向けて言った。
「それを最初に言ってくれ」
洞窟の入り口には穏やかな波が寄せていた。静寂の深淵へ誘うような暗い海に星々が何かを囁くように宿っている。そんな魅惑的な夜はヴァイオレットの目には映らなかった。
彼女は思考に更けながら足早に港を去ろうとしていた。彼女は一点を見据えるような鋭い眼差しをしていた。その集中を切れさせないために、ジェイドは何も聞かなかった。そして密かにはにかんでいた。
足場が一層悪くなると、ジェイドが前を歩き始めた。差し伸べられた手をとり、彼の影を歩くヴァイオレットには、その銀髪が月明かりに反射して波のように輝いて見えた。
随分歩いて、また人気のない場所に入った。振り返ると下の方に海が見える。傾斜のある坂を曲がると久々に明かりが見えた。
その灯りは厩舎への道標だった。厩舎に背を預けて若い女が座っていた。短くうねった髪が紅く照らされている。
「久しぶりね、ガーネット」
彼女は突然話しかけてきた女をじっと見つめ、女がフードを取るとハッとして言った。
「…なんだヴァイオレットじゃないか!久しぶりだねえ!てっきりもう来ないのかと思ってたよ!」
相手が分かると力いっぱいにヴァイオレットを抱きしめた。あまりの勢いにジェイドは止めるべきかを迷った。
「来ないわけないでしょ、あなたとの約束だし。でも残念だけど今日は再会を喜んでいる暇はないの」
「急ぎなのかい?」
ガーネットはやっと腕を解いた。
「えぇ本当に悪いんだけど、馬を二頭貸してくれない?」
「二頭?」
彼女はようやくヴァイオレットの後ろのジェイドの存在に気付いた。
「なんだ?彼氏かい!」
「ふふっ違うわよ、古い友人なの」
「残念、あんたの男ならからかいようがあったのに…おっとすまない急ぎだったね、ちょっと待ってな」
彼女はそう言って厩舎に戻ると、馬を二頭連れて戻ってきた。
「コイツでいいかい?一番速いのだよ」
茶色の馬と黒い馬の二匹の馬は息を揃えて立ち止まった。
「ええとても良い子達ね、ありがとう」
ヴァイオレットは手綱を受け取った黒い馬を、心を通わすように優しく撫でている。
「良いんだよ、約束を守ってるだけさ。ま、こんなんじゃ恩を返せてるとは思ってないけどね」
「“恩”とは何のことだ?」
ガーネットはそう聞かれるのを待っていたかのように笑った。
「気になるかい?兄ちゃん」
「あ、いや」
すぐにジェイドは目を逸らすも、ガーネットは張り切って話し始める。
「私がここを継ぐ前の話なんだけどね、ヘリオトロープで——」
ガーネットの口が塞がれた。革手袋の主はむっとして彼女を見下ろしている。
「そこまでよ。それは言わないっていうのも約束じゃなかった?」
「ごめんごめん!ついさ、この兄ちゃん驚かせたくなっちまって!」
「言ってどうなっても知らないからね」
ヴァイオレットはガーネットの肩に手を置いて言い聞かせるように言った。だが当の本人は快活な性格のために真剣に受け止めているような様子ではない。
「分かってるよ!」
親指を立てて陽気に言うので、ヴァイオレットも何となく安心してしまう。
「なら良いんだけど、もう行くわ」
ヴァイオレットとジェイドは手際良く馬に乗った。
そして勢い良く走らせると、ヴァイオレットが後ろに向かって右手をあげた。
「気い付けていくんだよ!!」
二人の後方から微かにガーネットの威勢の良い声が聞こえた。
北の森は傘のような背の高い木が多い。明かりもなしに馬を走らせるのは危険な森だが、ヴァイオレットとジェイドは迷うことなく風を切った。
突然複数の明かりを捉え、ヴァイオレットは停止の合図を出した。
馬を降り、警戒しながら明かりを追うと、海賊の“本部”らしき建物が見えてきた。洞窟にあった小屋よりもしっかりした造りで、複数の部屋に三十人程度が余裕を持って入りそうな大きさだった。
見張りが二人立っているのを確認し、物陰に馬を隠してから慎重に近づいていった。
「どうする?二人くらいならすぐに片付けられるが」
「いいえ、あまり騒ぎを起こしたくはないわ。焦って人質でも取られたら困るでしょう?」
「君は必ず俺が——」
突風で見張りの松明の火が揺らいだ。
「——今よ」
ヴァイオレットはジェイドの腕を引いて走った。
幸い見張りは慢心し切った様子で、裏口に回るのは容易かった。
「…杜撰だな」
(これって…)
裏扉の前に何か模様の入った足跡が数個あった。
ヴァイオレットは音のしないように慣れた手つきで南京錠を開けた。
た。
「…犯罪の匂いがするな」
「こんなのメイドだってできるでしょう?」
「少なくとも皇宮のメイドはできないだろうな」
「ふふっやっぱりジェイドって冗談が下手よね」
「そうだな、君には到底敵わないさ」
中へ入ると一本の廊下がありその左手に二つのドアがあった。一つ目の方からは何の音も聞こえなかった。奥の方からは十人程度の声が聞こえた。
ヴァイオレットは一つ目のドアの鍵を開けた。そこは物置らしかった。詳細に何があるのかは判別できないが、地図や港で盗まれたと思われる品々が積まれている。
「一つでも手掛かりがあると良いんだがな」
ジェイドは手探りでランタンを見つけ、マッチで明かりを灯した。
「どうかしら、そういうのはないと思うわよ」
「?それならどうして——」
「しーっ」
ジェイドの言葉を遮り、ヴァイオレットは奥の壁に手を触れた。ジェイドは放置されていたランタンに火をつけて、扉を閉めた。
「壁…いや隠し部屋か」
「あら、帝国騎士の副団長様でもこういう隠し部屋にはやっぱりワクワクしちゃうの?」
「っ隠されたものに興味を抱くのは自然な心理だ」
「それを好奇心と言うのよ、可愛いとこあるのね」
「探究心だ…そんなことより、一体どこでそんな情報を仕入れたんだ?」
「そんなって隠し部屋のこと?そんなのだだの想像よ」
「想像…」
板張りの壁を、ヴァイオレットは隅から隅まで触っている。
「今朝スターチス伯爵から依頼があったの。最近愛する人の様子がおかしいから調べてくれってね。だから——」
「待ってくれ、伯爵から直接依頼を受けたのか?」
ヴァイオレットは少し困ったような笑顔で振り向いた。
「まだ導入なんだけど?」
「…すまない、続けてくれ」
「だから夫人のことを聞き回ったけれど、有力な情報は得られず、その代わり海賊というおかしな連中の話を聞いたのよ。そしてこの二つの件が繋がっているとみて港の潜伏場所へ向かった。それで私が引っかかったのは次の三つ。一つ目は伯爵が夫人の様子を苦しそうと言ったこと。二つ目は海賊の行動が落ち着いたのと夫人の様子が変わったのが同じ一ヶ月前であること。そして三つ目は、小屋裏の荷物。」
「伯爵が言った夫人の様子は罪悪感か…?ならば夫人は望んで賊に協力していないことが予想できるが、三つ目はどう関係する?」
「あの袋の中にはパン二つしか入っていなかったの。それをわざわざ本部への出発前に取りに来たなら、彼らの食事用ではなく本部にいる誰かに食べさせるためのものと考えられるでしょう?食事用には少なすぎるし保存も雑だから、その誰かは仲間ではない。それにその二つだけ分けているということは、何かが混ぜられた可能性もある。そんなものを食べさせる相手は大抵自分達より立場が下の、従属者か監禁被害者でしょう」
「つまり、夫人は海賊の仲間ではなく利用されている立場で、ここに捕えられている可能性があると」
「待ってくれ、パンの数が二つなら今日の朝の分と昼の分。足りないな」
「えぇそれが問題。この推理が杞憂ならそれで良いけど、もし当たっていたとしたら、彼女に明日はないかもしれない」
ヴァイオレットの伸ばした手に一枚の板の角が引っかかった。それを押すと板は半回転し掴めるようになった。
「洞窟にいた彼らの仲間が時間だとか言っていたし、本当に今日何か起こすつもりなのかもしれないわね」
ヴァイオレットが懸命に引っ張っても壁には全く動きがない。
「代わろう」
ジェイドはランタンを彼女に渡し、それを両手で引くとまるでドアのように壁の一部が開いた。