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3つの嘘で返り咲く  作者: 水皐 鏡
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4. 移り気は裏切りの合図

 カランカラン———


 太陽の昇る随分前、まだ人通りも確実に少ないこの時間に一人の客がやってきた。

 客は非常にゆっくりとした足取りで一歩ずつ店の中へ入っていった。


「ごきげんよう」


 奥には店主らしい女性が座っていた。丸いテーブルの上には、ガラス細工の美しいランタンの中に小さなキャンドルが灯っている。

 彼女は穏やかで落ち着いた声で続けた。


「朝早いですね。お気に召す物はございました?」


「あぁいえ。少し相談に…」


「あら、でしたらこちらへどうぞ?」


 ヴァイオレットはマントをかぶったままの男に何の詮索もせず、紅茶を出した。男はそれを受け取ろうとしなかった。そのため彼女は挨拶を抜きに本題に入った。


「相談とは一体何でしょう?」


「変わってしまった彼女を出会った頃のように戻してほしい、という恥ずかしい話なんだがね‥‥友人に勧められたんだ。ここなら信用できる、安心して私の頼みを聞いてくれると」


「変わってしまった、とは?」


「以前はよく笑う楽しい人だったんだよ。しかし、三ヶ月程前から様子がおかしくなった。夜遅くまで外出するようになり、理由を聞いても適当な嘘で誤魔化されてしまってね…次第に屋敷の中ですら会話をすることも会うこともなくなってしまった」


「浮気、ですか」


「さあね、だがそうであったとしても、もう良いんだ。今の彼女は何と言うか苦しそうで…その原因が私の方なら別れを切り出してもいい。彼女がまた笑うようになれればそれで…」


 客人の声が弱々しくなっていく。


「…なるほど。その決意をする前に、何が彼女を苦しめるのか、確証が欲しいということですね」


「その通りだ。恥ずかしながら、私にはとても調べられないからね…」


「そうですか。では、その頼み引き受けさせていただきますわ」


 ヴァイオレットははっきりとした声でやさしくそう言うと、客人が最後まで一口も手をつけなかった紅茶を下げた。その手元から、声から、客人はずっと丁寧で優しさに満ちた(かお)りを感じていた。

 食器の触れ合う涼やかな音が聞こえてくる度、心の鎖が一つ外れるのを感じた。


 ヴァイオレットが戻ってきた。椅子に腰かけた途端、客人はフードを取り立ち上がった。

 そして彼は淹れ立てのカモミールティーのような温かい眼差しを向けた。


「……ありがとう」


 そう一言ささやくと、スターチス伯爵は扉の方に歩いていった。



 カランカラン———


 扉の前から人の影が消えると、ヴァイオレットは蠟燭の火を消した。

 夜空に漏れた朝日の光が扉と窓のガラスから侵入してきた。清澄な空気に促され、ヴァイオレットは深く呼吸した。 


(やっぱり浮気なのね。でも早く方が付きそうだから良いわ。‥‥と言うか、“純愛”って本当にあるのね)


「…あぁ、()()()()もそうだったかしら」


 天井を見上げたその顔に笑みは少しも残っておらず、ただ冷たく沈黙していた。


 スターチス伯爵がこの町を離れるまであと二日。それまでに調査を終えなければならない。

 ヴァイオレットは寝る暇もなくなることを予感し、日が昇るまでの間しばし目を閉じた。




「よし」


 長い髪を束ねてマントを羽織り、準備を整えた。


 カランカラン———


 店の外はいつもと特に変わったことは無く、平穏に人が行き交っていた。


「そろそろ賑わいだす頃かしら」


 ヴァイオレットが向かったのは港の酒場だ。

 ここ“カラガナ”は立地や規模の大きさも相まって、交易に関わる者、市場に従事している者、商談を営む者など、様々な職を持つ人々が特に訪れる。

 町を練り歩いて聞き込みをするよりも、情報収集にもってこいの場所だ。


 重たい木の扉を開けると、思った通り酒場はすでに賑わっていた。日はまだ沈んでいないというのに、ほとんどの席が埋まり酒の匂いが充満している。


 ヴァイオレットは入口から少し離れたところに一人分スペースの空いたテーブルを見つけた。五人の男達が何やら楽しそうにビールを飲んでいる。ヴァイオレットは迷わず彼らのもとへ行った。


「すみません、スターチス夫人の事で聞きたいことが———」

 

「——おーなんだぁ姉ちゃん一緒に飲むかぁ?」


「あんたカワイー顔してんなぁ、付き合ってくれよ」


「何言ってんだぁおめーみてーな汚ねぇ野郎にそんなチャンスあるわけねぇだろぉ!」


「何だとぉ?」


 男たちは話を聞く気がないのか、酒を掲げて大声でしゃべり続ける。


(何杯飲んだらこんなに酔えるのかしら。こんな風に調子を合わせるのって得意じゃないのだけど、仕方ないわね)


 ヴァイオレットがそう考えていた矢先、酔っぱらいの一人が彼女の肩を触りながら言ってきた。


「ネーチャンこのあと予定ある?俺んちすぐ近くなんだよぉ良かったらさぁ——」


 ダンッ——


 その言葉を裂くように、テーブルに木製のフォークが突き立てられた。


 ヴァイオレットは口元にだけ笑みを浮かべて、酔っぱらいの目を捉えた。


「えぇもちろん。酒に脳を焼かれた妄想男にモラルを教えるくらいなら、喜んで。でも、私の()()は受け付けないみたいだから、別の方法を試しましょうか?」


 あまりの気迫に男たちは口を(つぐ)んで高速に首を横に振った。


「いっいや‥スミマセンデシタッ」


 男は体格に似合わないか細い声を出した。


「全く」


 ヴァイオレットは不快そうに髪を払って、酒を一杯頼んだ。そして男達の隣に座った。


「もう一度聞くわね。ここ三ヶ月の間にこの町でスターチス夫人を見かけなかったかしら?もしくは変な噂を聞いたとか」


 指示を出すような砕けた口調で話し始めると、男達にゆとりが戻った。だがさっきの一幕がよっぽど効いたらしく、酒場の客にしては行儀よく酒を飲んでいる。


「いや…視察んとき以外はべつに見てないっすね。ウワサも近々離婚するかもしれねえってことぐらいしか」


「同じく」


「だったら“三ヶ月前”で思い当たることはない?夫人と関係がなくて良いから」


 男たちは機敏に働かない頭をフル回転させて考え込んだ。眉間に皺を寄せてぶつぶつ呟いたり、目を閉じて天井を仰いだり、テーブルを囲んで五人の男がそんなことをしていて、まるであやしい神を信仰する集会のように見えてヴァイオレットは笑いそうになった。

 一人が閃いたように目を見開いた。


「三ヶ月前っていやぁ!ちょうど()()が出始めた頃じゃねぇか?」


「海賊って?」


「たまに港に現れる気味悪い集団っすよ。まあ今のところ、船から使えねぇ地図とか手紙が盗まれたぐらいで特に問題にはなってねぇけど。でもまあほんとに気味わりぃんで俺らは()()って呼んでんすよ」


「その手紙が何か重要な文書だったわけじゃないの?」


「そんなもんじゃなかったなぁ、大事なのつったら領主様にもらったのしかねーけど、別に見られてまずいこたぁ書いてなかったよな?」


「あぁ確か俺たち港の人間で花束を送ったときのお礼だったか」


 話を聞く限り、時期や関係者が被るとはいえ夫人の“浮気”と通ずるところはない。二つの事は関係のない別件のようだ。

 だがヴァイオレットは釈然としなかった。同じ三カ月前ということにどうにも引っかかっていた。


「何なら他の奴にも聞いてみな、あそこの3人は警備の奴らだからよ」


 揺れた肩越しに、“先輩”にからかわれる“後輩”達の図が見えた。


「必要ないわ。“町百聴は酒場の五聴”って言うでしょう?もう5人に聞いたからね。それにもう良いことを教えてもらったし」


 ヴァイオレットは不敵な笑みを浮かべた。


「良いことって海賊の話か?嬢ちゃんさては偶然ってもんを信じねぇタイプだろ」


「あら私だって偶然や奇跡は存在すると思ってるわよ。でも、何の理由もない偶然というのは存在しないでしょう」


「あー?同じことじゃねぇか」


「違うわよ。思いがけない事が起こったとして、その偶然が起こるまでの軌跡、つまり“偶然のコト”が起こる理由はあるでしょう?」


 男はタンクの酒を飲み干そうとしている。うるさい声が減ったかと思えば、他の2人は既に潰れてしまっている。


「ぉおなるほど。でそれが何だってんだ?」


「その“理由”を突き詰めると、真実が見えてくるのよ。本当は誰かの操作によるものだったのか、何かのおかげで意図なく起ったのか、とかね」


「えーと、つまりは夫人の件と海賊の件は繋がってるってことっすか?」


「それを今から調べるのよ」


「あぁそうっすよね」


 若い男は火照りを抑え込むように武骨な手に顔を(うず)めた。


「ってか嬢ちゃんは何でそんなこと調べてんだぁ?新聞社か何かか?」


「ハズレ。私はただの一般市民よ」


「じゃあ何で」


 ヴァイオレットの手が止まった。飲みかけたタンクの酒を揺らして、波紋を見つめた。


「第二皇子が皇太子になってほしくないのよね」


 まさかの答えに、男達はぎょっとして彼女を見た。一方ヴァイオレットの調子は変わりはしなかった。まるで夕飯の話をするかのように簡単に言葉をつないでいく。


「ほら、スターチス伯爵は中立派と呼ばれる後継者候補の誰も支援しない貴族でしょう?皇太子になろうと画策する第二皇子は今、彼を派閥に引き入れようとしているの。それを阻止したい私が今できることといったら、この事変を解決して活用することしかないのよ」


「おいおぃんな危ねぇ話して大丈夫かよぉ」


 酒場の人間は冗談だと主張するように危険な話からは逃げる。そうでなくても隣に座ったただの娘の話だ、信じてはいないだろう。


「そぉっすよさすがに冗談キツいっすよ!」


「そぉだ!コイツなんて口軽ぃって有名なんだぞぉ!危機かん理はしねーとだめだぜぇ」


 ヴァイオレットがまた笑った。今度は皮肉ったその笑みを隠そうともしていない。


「大丈夫よ、最初からあなた達のこと信用なんてしていないから」


 当然男達は眉をひそめ首を傾げる。不快からというよりは、霞む焦点を合わせようとするような表情だ。


「あー?言ってることがメチャクチャだぁ…」

 

 男はうつらうつらしている。(はた)から見ても瞼が重そうだ。


「意味分かんないっす…それって‥あの‥‥」


 若い男の方は最後まで言い切ることも出来ずに眠りに落ちた。 


「分からなくて良いのよ。どうせ忘れてしまうんだから」


 そう囁くと、ヴァイオレットは一気に酒を飲み干した。だが盛り上がる声は一切なかった。

 彼女が空になったタンクを戻したとき、既に同卓の5人は皆酔い潰れたように眠っていたのだ。

 

 ヴァイオレットは紐を解き、目を隠すように髪を乱した。そして一つ息を吐くと、周りに負けないくらいの大声で笑い出した。

 

「何よもぅ!あたしのこと舐めてたくせにぃみーんな寝ちゃうとかぁ!弱いでしょぉ!」


 ガタイの良い男が通りがかりに足を止めた。


「おっ飲み比べか?すげーな姉ーちゃん」


「そうでしょ!でも皆んな強くってさぁ」


 男は卓に倒れ込んだ男達のまじまじと見た。


「おわっボルドーじゃねぇか!ゼクとフェイソンまで潰れてやがる…何(もん)だ?姉ちゃん」


「いやぁあたしが来たときはもうベロベロだったからほぼズルみたいなもんよ」


 ヴァイオレットは豪快に笑い飛ばした。


「あっお姉さーん!この人たち起きたらお水あげてくれる?」


「はいよっあらボルドーに勝ったの?すごいねぇ!」 

 ヴァイオレットはお盆に銅貨を5枚積んで、バランスを取りながら緩慢(かんまん)な動きで立ち上がろうとする。


「ズルしたんだけどね!じゃ、ありがとねー!」


 彼女は歩幅が安定せずよろけながら入り口へ歩き出した。


「おう気ぃ付けろよー!」


「また来てねぇ!」


 大きく腕を上げて2人の見送りに返事をした。

 

 外に出ると少し肌寒く、人通りは少なくなっていた。その静けさと対照的に、酒場の騒しい音が扉越しにもまだ聞こえた。

 ヴァイオレットは肌を冷やす月明かりの下を歩き始めた。


「海賊か」


 “浮気調査”で済むはずが、もっと複雑な“事件”の可能性が出てきた。時間がない上に解明の難易度が上がることは彼女の思惑を阻む障害でしかない。しかし彼女は焦りも憂鬱も纏っていなかった。


「運が向いてきたみたい」


 快活なその足音は港へと向かっている。

 

 今夜は月が煌々と照っている。おかげで飾りのランタンがなくとも、月光の中に船の姿が見える。海もその光を受け止め、波が星々のように輝いている。


「そろそろ出てきたらどう?」


 ヴァイオレットは突然に立ち止まって言った。

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