3. ある貴族の不祥事
「ところで、ジェイド。こんなに離れていて良いの?」
「離れて?」
ヴァイオレットは広場の中央を指差した。
「ほら、あそこで踊っているのって聖女様でしょう?彼女の護衛ならもっと近くにいなきゃいけないんじゃない?」
「——!?」
その言葉によほど驚いたのか、彼は勢いよく立ち上がった。
「ど、どうして知ってるんだ?」
「ふふっそんなの、新聞とあなたのその制服ですぐに分かっちゃうわよ」
「そっそうか…」
思わず狼狽えてしまった自分に恥ずかしさを覚えたのか、今度は静かに座り直した。
「護衛の仕事は交代制なんだ。俺は今日の昼までで今は別の者が付いている」
「じゃあ今は休みなのね?」
「ああ」
ジェイドの返事はどこか歯切れが悪い。ヴァイオレットは気づかぬふりをした。
「そういえば、ジェイドって第三騎士団の副団長だったような気がするのだけど、今は護衛騎士なの?あの聖女様の」
彼女は冗談っぽく言ってみたが、ジェイドが思いの外テンパってしまった。
「それはっ、志願したわけではなくて…聖女様本人から指名があったんだ。あの例の事件で…毒を盛られる前に対処できなかった前の護衛は信用ならないと言って‥‥‥それでなぜ俺を選んだのかは教えてはもらえなかったが。それと護衛職は副団長職と一応兼業だ。まあ最近は、俺が護衛する日は減ってきていて実際のところ副業のようになっているんだが」
「………なるほどね」
彼女は何もかも見透かしたようにそう言った。ジェイドがその言葉の意味を聞く前にヴァイオレットが軽い口調で始めた。
「そうだわ、これも聞いておかないと。ジェイド、一週間ほど前に大通りのお花屋さんを訪ねなかったかしら?」
「花屋?確かに行きはしたが…」
「そこでポピーの花を見つけたわね?」
「ああ…そうだ、あの小さな店主があまりにも堂々と違法な花を勧めてきて——」
「待って!ジェイド、やっぱりあなた勘違いしているわよ」
「勘違い?」
「ええ。彼女は何も悪いことはしていないわ」
「どういうことだ?」
「確かにポピーの中には麻薬になるものもあるのだけど、それは一部の物だけよ。麻薬になるポピーがあるということを知っている人の方が少ないのに、まさかあの子が違法な商売をしていると勘違いするなんて…」
ヴァイオレットは少し呆れたように笑って言った。
「本当か?…それは、知らなかった…」
ジェイドは純粋に驚いている。
くすくすとヴァイオレットが笑うと、恥ずかし気に言った。
「悪いことをしたな…祭りが終わり次第すぐに元通りにしよう」
「ええ。‥‥正しい選択ね」
霊迎祭が終わりを迎えようとしていた。
中央で踊っていたはずの聖女のペアの姿はいつの間にか見えなくなっていたが、ジェイドはそんなこともう気にも留めなかった。彼はただこの時間が永遠に続いてほしいと思いながらも夜が明けるのを待っていた。
だんだんと屋台の明かりが消えていき、人々の声も静かになっていった。そして、二人の長い夜が明けた。
カランカランカランカランッ———
ドアのベルが激しく揺れた。
「ヴァイオレットさん!」
扉が開いて花屋の少女が勢いよく飛び込んできた。
「あらお久しぶり――」
「――お店が戻ってきました!」
彼女は息を切らしながらも満面の笑みで言った。
「ふふっ、それは良かったわ」
「ヴァイオレットさんが何とかしてくれたんでしょ?ありがとう‼︎」
「私にとっても大事なことだったからね、でも一番に、あなたがまたそんなふうに笑ってくれて私も嬉しいわ」
「ホントにホントありがとう!それでね、あの騎士様、何か勘違いをしていたんだって、わざわざ頭を下げて謝ってくださったの。だけど最後に『まさか成人女性だったとは…』ってまたおかしなこと言ってきて!そんなに私の見た目って幼いですか?あれがなかったら完全に許してたんだけどなあ」
彼女は表情をころころと変えながら、息継ぎも忘れて一気に話した。
「まあまあ、良いじゃない。ほらあなたっていつも元気でフレンドリーだから、若々しく感じただけなのかもしれないでしょう?」
「そうかなあ……あっそういえば自己紹介もまだでしたよね、私の名前は——」
「——デイジー・メイズ。知っているわ。覚えていないかも知れないけれど私は以前、あなたに会ったことがあるのよ?」
——この国にはないどこかの港で、気持ちの良い空を空虚な瞳で見つめていた一人の少女がいた。彼女は寂しく小さな一輪の花だけを握っていた——
デイジーはその脳裏に遠い記憶がよぎった気がしたが、やはり何のことだか思い当たらなかった。
「お店に来てくれたことがあるんですか?」
「そうじゃないんだけど…まあそんなところね」
「そうなんだ…そうだ!さっきここへ走ってくるときに聞いたんですけど、今この町に領主様が来てるんですって!」
「領主様が?」
「今日から3日間視察するって言ってましたよ!」
「あら、いつもは2日じゃなかったかしら?」
「そうですけど今回は、夫人がいないから見るところが多くなるんじゃないですかね?」
「ちょっと待って!夫人は一緒ではないの?」
「そうなんですよぉ。聞いたことないですか?この頃お二人の関係が悪くなってるって!最近港でうわさされてるんですよ…」
この町を治める現領主、サルファ—・スターチス伯爵とマルベリー伯爵夫人は、領民の間でも有名な仲の良い夫婦でありそんな二人を領民は皆慕っていた。
夫妻は特にこの町の港が好きで、お忍びでもよく訪れていた。それが最近では、二人で一緒に出掛けている姿は全く見られなくなり、視察以外ではあまりこの町へ来ることもなくなっていった。領民の間では夫妻への心配とともに良くない噂が出回っている。
「昨日のお祭り、いつもより気合が入っているように見えたのはやっぱり気のせいじゃなかったのね」
「うん、特に港の人はお忍びでも視察でも万が一来られることがあったら、絶対仲直りさせてみせるぞって盛り上がってました!」
「貴族相手によくそこまでやろうとしたわね…」
「仕方ないですよ!私達だって領主様夫妻のことすごく心配なんですから」
「つまりあなたも参加していたのね」
「もちろんです!あの時はお金も店もなかったから、他のお店を手伝ってただけですけど…」
「どうりで見かけなかったはずね。まぁ結局、昨日は来られなかったみたいで残念だったけど、あなたたちの頑張りがお二人に届くと良いわね」
「はい!今日は港の方を視察されてるって聞いたから、多分明日はこの辺りに来られると思うし、そうだったら私たちにもまだチャンスはありますよね!」
デイジーはいつもよりひと際元気に言い放った。彼女の目の奥には炎が揺れていた。
「そうね、丁度良い‥‥チャンスね」
何か含みのある言い方にデイジーは首を傾げた。
「ヴァイオレットさんも何かするんですか?」
ヴァイオレットは意味でもあるようにゆっくりと答える。
「ええ、人の悩みを解決するのは得意だから。と言うかデイジー、仕事がまだ終わっていないんじゃない?」
「あっすっかり忘れてました!長居しちゃってすいませんもうお店に戻ります!それじゃほんとに色々ありがとうヴァイオレットさん—!」
彼女は片手を大きく挙げながら来た時と同じように慌ただしく帰っていった。
「まるでちいさな嵐ね」
ヴァイオレットは入れっぱなしだった紅茶を飲んで一息ついた後、二階の自室へ戻った。
「こういうのは、本人に聞くのが一番よね」
小さな机の前に座ると、左の引き出しから上質な紙とペンを取り出し、スラスラと書き進めた。
<——親愛なるサルファ—伯爵へ——>
「スターチスは中立派の重要人物。第二皇子と聖女にはあげないわ」」
ヴァイオレットの口元に笑みが浮かんだ。