25. 嘘の真実
“ジア・ノーリス”
昨朝、新聞はこの男を次期教会支部長だと報道した。
だが男は本来ジャッジ・クリソンという名前のはずだった。アドゥール伯爵から裏金を受け取り、イステリッジ伯爵に内部の情報を垂れ流した裏切り者のはずだった。
だがそれは彼らを欺くための偽りの姿だったのだ。
そして金銭の受け渡しを記録されたその裏帳簿が何者かによって盗まれた。
「止まれ」
時計塔の前に装飾のない馬車が止まった。老いた御者が扉を開け、重厚感のある黒いコートに身を包んだ男が降りた。
一連の出来事が教会側の策略と踏んだアドゥールは二人の“影”を本部に送り込み、裏帳簿を回収しようとした。しかし“影”は捕まり、原因不明の火災が起こった。
男がドアノブに手をかけると簡単に下まで降りた。男は緊張の面持ちで中へと入った。壁にかかったランタンに火を灯し、長い階段を登って行く。上を見上げても歯車の噛み合う音以外暗闇だけだ。
アドゥールは教会に弱みを握られた上、侵入と放火の罪に問われるだろう。それもこれも裏帳簿を回収し損ねたせいだ。
(だがそれは私にとっては都合が良い。裏帳簿にはアドゥールとジャッジ・クリソンの金銭受け渡しの記録しか残っていない。それに私の場合、情報の受け渡しには代理人を立てていた。その人物がイステリッジの名を勝手に使ったと丸め込めれば、私に火の粉は降りかからない。イステリッジは汚れない!)
階段が果てた。どこからか月明かりが差し込んでいるそこは、ジャッジとの取引場所だ。
「マティアス・イステリッジだ。話をしようではないか!」
男はランタンを掲げて辺りを見回す。
それに答えるように外套を被った人影が目の前に降り立った。
「おや?随分と大きな態度ですねぇ。あなたは釈明をしに来たのだと思いましたが?」
その女は丁寧な言葉遣いに皮肉的に話す。
「女…?ジャッジは来ていないのか!」
「教会支部の代表は忙しいんですよ。用済みの相手のためにこんな所に来てくれると本気で思ったんですか?伯爵、私だって本当は忙しいんですよ?無駄に時間を浪費させるのなら、今すぐにここを去っても構わないのですよ」
女の嘲笑うかのような口調にイステリッジは言葉を詰まらせた。
「いえ…。無礼なことを申し上げました。せっかく機会を与えてくださったのです、この件に関して誤解を解かせていただきたい」
「誤解?この取引場所に当然のように現れておきながら、何も知らなかったと言い張るつもりですか?」
「全くその通りです。私が一連の取引について知ったのは本当につい今し方なのです。『伯爵の為に情報収集をするつもりが墓穴を掘ったってしまった。助けてくれ」とアドゥール伯爵が私に助けを求めてきたのです」
決して機嫌を損ねないよう慎重に、しかし立場を上に取られ過ぎないように下手に出過ぎず、また自らの関与を否定するため力強く、イステリッジはそんなことを考えながら間違いのない言葉を選ぶ。
「ほう?つまりアドゥール伯爵一人が教会を欺く計画を立て本部に侵入までしたと、あなたや派閥の責任ではないと言いたいのですか?」
「ええ...まあ。ですから、私や皇子殿下まで泥を被る訳にいきませんのでどうにか誤解を解こうとこうして赴いたわけでして」
「本当にそうでしょうか?今の言葉、私には、"部下の失態で教会の頼を無くすわけにはいかないから、とにかく取り繕おう”と言い訳にしか聞こえないですがね?こうなってしまって必要なのは、価値のない建前ではなくて、誠意ではありませんか?伯爵」
「承知しております...こちらを晧神官様方にお渡し下さい」
イステリッジは懐に忍ばせていた蛇腹折りの紙を手渡した。
「本日の長臣議会にてこの書類を提出するつもりです」
「“教会への予算の増加とロンブール地方への支部拡大計画の支援要請”?」
長々と連なった文章の内容はこの表題の一文にまとめられる。
「前回同様、シュミッツさえ抑えれば過半数が賛成し必ずこの事案は通るはずです!これは初めの一つに過ぎません。今後も我々はあなた方と共にあることをお約束致します」
教会は慈善事業の団体ではない。この帝国で自分たちが大きい顔をできるチャンスを棒に振るような聖者達ではない。
(ジャッジからの情報によれば、教会とリビウス殿下の間でロンブールに教幕を置く話があった。それを忠臣である私が先に手を打っておけば、実質的には変わらないが、彼らに利益を感じさせることができる!)
女は僅かな月光に紙を透かしている。偽物かを見定めているのだろう。
「フッ…」
(笑った…!)
イステリッジはここぞとばかりにさらに説得にかかる。
「長臣議会で決定された事項は絶対的な拘束力を持ち、それは教会にとっても一」
「今、何時かしら?」
しかし女の回答は望んでいた言葉ではない。イステリッジは調子を取られないよう正確に返答する。
「4時3分ですが」
「そうよね。つまり事件の連絡を受けてこの書類を作成し、最悪の事態を避ける為私の元へ来るのに掛かった時間は約一時間半。ということは、やはりいつもの代筆を呼ぶ時間はなかったのね」
女は口元に渇いた笑みを浮かべている。イステリッジの心がざわめき、何か不穏な緊張が体を侵食してくる。
「何か不都合な項目がございましたか…?」
「不都合?いいえ私には好都合よ。どうして私がこんなことを聞いたのか、あなたに分かるかしら?」
イステリッジは口を閉した。形勢が逆転したと、そもそも最初からこの女の掌の上だったのではないかと、長年培ってきた直感の叫びが今になって聞こえてくる。
「イステリッジ伯爵。私は、ジャッジ・クリソンの代理だと言った覚えはないわよ」
「な…にっ…!」
焦燥どころではない、頭から一気に血の気が引く。
「そもそも、そのジャッジ・クリソンと言う名の男はは実際には存在しないわ。あなた達にとって公になると都合が悪い取引をするために、私のお友達がなりすました架空の人物よ。だけど一つ予想外だったのが、"影”と呼ばれていた二人組がアドゥールの手先ではなく、第二皇子の駒だったということだけ」
この女のはどこまで知っているのかとイステリッジは動揺した。咄嗟に誤魔化す言葉が思いつかなかった。
「そんな反応をするのなら、やはりそうなのね。さて、あなた今戸惑っているわよね?そして一安心したいのよ。明かされた事件の真相によれば、その全貌に教会の関与は無かったのだから、教会と第二皇子派閥の関係が悪化することはない、その上自分が処理すべき事案も消えた!って。だけど、だったらこの全てを仕組んだにこの女の目的は何なんだ。まだ何か隠しているのか。そう顔に書いてあるわよ」
女は膝の蝋燭の火を吹き消した。一瞬見えた口元が妖しく笑っていた。
「そして無駄に考えを巡らす。この女の目的が何であれ、アドゥールが奪うべき帳簿は教会にはないし、捕まった"影”は絶対に口を割らない。つまりアドゥールが疑われる理由はない。彼が疑われなければ、自分には火の粉は飛んでこない。私もそう考えたわ。だから、証拠を残しておいたの。彼が正当な理由無く本部への侵入を命令したという、真っ黒な証拠をね」
「…それが本当ならお前がこうやって脅迫するべきなのはアドゥールだろう。私には何の関係もとばっちりを受ける理由もない!」
「関係ない?言い訳が品性に欠けてきたわね。ほら目線、泳いでいるわよ?」
唯一の灯りは足元をだけを照らしているのに、暗がりの中の些細な目の動きなど分かるはずもない。それなのに女は全てを見透かしているようだ。
「アドゥールは放っておいても教会に容疑者と認定されるわ。それより問題なのはあなたでしょう。アドゥールのせいで第二皇子派閥までもが理由を問われる羽目になったら、その力の均衡の乱れの中でこの文書が派閥の目に入ったら、今度はあなたが、教会側に寝返ったのかと、アドゥールを売って何をするつもりだったのかと、派閥に疑われることになるんじゃない?」
「はっ、くだらん計画だ。アドゥールのせいで関係が悪化したならば、その文書は関係修復のために私が率先して譲歩を提案したのだものだと主張すれば何の問題もない。そんな脆い計画では私は脅せんよ」
「あらあら、今度は知性が欠けているわよ。まさか、第二皇子がそんなに情け深い人物だと本気で信じているわけないでしょうし」
イステリッジは押し黙った。女の話が何を指しているのか分からなかったのだ。彼は唾を飲み何を言うべきか迷った。すると女は嘲笑うかのように言った。
「あら?本当に気づいていないのね。ここにあなたが書いたのよ?ほら早く思い出さないと」
「何を…私は正当に教会の予算増加とロンブール地方への支部拡大を——…!」
頭の中が急速に整理され、違和感が一気に解けていく。そこに現れたたった一つの真実に、イステリッジは言葉を失った。
「そう、あなたは確かに書いてしまったわ。“ロンブール地方に教会を立てよう”なんて滑稽な提案を。ロンブールが第二皇子ひいては皇后陛下の故郷であることは、帝国民ならば誰でも知っていること。そしてそんな場所に勝手に教会の支部を置こうとすることは、彼らを裏切るも同然の行為。周知の事実でしょう」
イステリッジは傲慢な過信と視野の狭さに自分自身を恥じたが、その大きな誤解に気づくのが遅すぎた。
「それなのにあなたは、この文書によってその暗黙の了解を無意味に破ってしまった。そこに幕教会を置く第二皇子主導の計画があるのだと、そんなジャッジの情報を信じてしまったから。今まではそうやって彼に上手く取り入ってこれたようだけど、残念ね。裏切り者を彼がどう処理するか、卑怯で傲慢な臣下であるあなたはよく知っているんじゃない?」
含みのある言い方だ。まるで彼の悔しさを増長させるために煽っているようだ。
だが彼が盤を返そうにも、既に首がかかった手綱を握られてしまった後だ。暴れても首が締まるだけだろうと全身が感じている。
「そんな萎れた顔をしている暇ないわよ、伯爵。私がここまで話した理由を、大臣まで上り詰めたあなたなら分かるわよね?」
「…何が望みだ」
「今朝の長臣議会でスターチス伯爵領の貿易負担について資金の補助を申し出ることよ」
「それはできない。そんなことをすればお前の脅しと同じ、殿下に背を向けるようなものだ」
「スターチス伯爵の脅迫による懐柔が上手くいっていない現状では、彼ら夫妻の信念を尊重した新たな策を試すのは自然な流れじゃないかしら?」
女の様子は打って変わって高圧的になった。心臓に爪を立てて掌握するように、恐怖という檻に引きずり込み支配しようとする。
「それに、この期に及んであなたに選択権があると思う?金銭補助の提案なら言い訳の余地はありそうなものだけれど、この文書が見つかった時には、貴族名簿からイステリッジの名が消え、顔の潰れた亡骸が独り海底に沈むことになるでしょうね。あなたがしてきたように」
「お前は何者だ…」
苦し紛れに問うた。だが女は答えない。答えてやらない。その悔しさに、その苦しさにもがけとじっと見つめるのみだ。だが本当に彼女が見ているのは、そんなマティアスに重なる彼の息子の姿だろう。
女は答えないままマティアスの横を通り過ぎた。
階段の手前で女は立ち止まった。そして口を開いた。
「愛息子に宜しくね。」
その声からは、怒りを秘めているのか、苦しみを想起しているのか、憂いを感じているのか、一つ重荷を降ろし軽やかな気分なのか、何も伝わってこない。
心の中を映そうとしないヴァイオレットの声は時を刻む音と交わり、余計マティアスの首を締めていった。
「クソッ…」
遠くなっていくヴァイオレットの靴音が、決断を急くように響いた。
ゴーンゴーン‥
小鳥が羽ばたく晴天に、時計塔の鐘の音が溶け込んだ。
定刻の合図で港が開き、街は動き出す。商売日和に評判の花屋が休業の看板を出している。
中ではデイジーが一人、机に向かっている。
「あれ?」
ふと後ろを振り返ると、時計の時刻は9時を指していた。
「うそっ!遅れちゃうじゃん!」
干したてのタオルにコットンブラウスやダスティーブルーのワンピース、革製の手帳と思いついたもの全部を鞄に放り込んでいく。
(ヴィオさん、教会本部がアドゥール伯爵様と第二皇子様を疑うように仕向けるって言ってたけど…成功したのかなぁ)
目線をやった手鏡に、心配に揺れて芯のない顔が映った。
「いや!もちろんヴィオさんは信じてるよ!でも大火事があったらしいし…えっヴィオさん死んでないよね!いやそれは大丈夫だろうけどさ‥あそうだ新聞!」
一目散に部屋を飛び出た。店の玄関扉を開け閉めし、新聞を手にするとそのまま扉を背にして読み始めた。
「やっぱり燃えたのはグルセイル・ヒアトなんだ。えっと…“死傷者なし”!良かったぁ!…えっ!聖女様も中にいらっしゃったんだ、無事で良かったですぅ」
デイジーは満面の笑みを浮かべた。裏も含みもない笑顔は純真そのものだ。
「続き‥えーっと、“侵入者と見られる二人組が確保され、これについて教会は首謀者を”——えっうそ…」
デイジーはその先に目を見開いた。
すぐに店を飛び出し坂を下った。人混みをすり抜けある店の前で急ブレーキをかける。ガラス反射の美しい扉を勢いのままに引いた。
「ヴィオさん!」
ヴァイオレットは地図を広げていた。小さな鉱石を転がしている。
「今朝の新聞見た?」
「今日はまだね」
「じゃあ早く見て!ほらこれ!」
大雑把に新聞を開いて一点を示した。
「ここ!」
「“侵入者と見られる二人組が確保され、これについて教会は首謀者を教会を狙う謎の勢力だと明言した”?」
「これって教会の人達はアドゥール伯爵様も皇子様も疑ってないってことでしょ!伯爵様が侵入を命令したんだって思わせられなかったんだよ…」
ヴァイオレットは驚いた表情さえしない。
「いいえ、彼らはそのことに気づいているはずよ。おそらく、そのことを公表しようとした晧神官らを聖女が説得したのでしょうね。だけどまさか、彼女が教締程の力を持っていたとは思わなかったわ」
「“教締”って教会の一番偉い人?」
「そうよ。いくら特別な力や爵位を持っていたからって教締や晧神官のへ礼は絶対的。聖女だろうとその縛りに例外はないはず。だから利益を求める晧神官の決定に彼女が手を入れるとは流石に予想できなかったわ」
彼女は丁寧に新聞を折り畳んだ。
「じゃあ計画は失敗ってことだよね…」
「失敗か。結果、教会と第二皇子派閥の関係は揺らがせはしたけれど、聖女のおかげで亀裂が生じたわけではないものね」
ヴァイオレットな様子は妙に落ち着いている。無理に作った笑顔ではなく、ただ自然に軽やかな表情だ。
「でもなんか、失敗って顔じゃないような?」
「ええ、計画が失敗するのはそんな作戦しか用意しないからよ。だから私はどんな計画にも代替策を付随させるの」
「代替策って?もう一つの計画?」
「というより、失敗を成功に変える罠よ」
ヴァイオレットは店を出た。簡易に鍵をかけた扉には休暇の札がかかっている。
「今頃首都の貴族達は号外に釘付けになっているはず」
右手にはトランク、左手ではデイジーの手を引いている。
「それにはアドゥールの裏帳簿から当時大きな話題を呼んだものや大物相手の記録を厳選して載せてあるわ」
ヴァイオレットが用意した号外新聞は、彼女の予想通り、首都に滞在中の貴族達に動揺をもたらしていた。
『これは…!ドロシス男爵家が手を出して没落した商団…やはりこの件もアドゥール伯が操っていたのか』
ある邸宅では当主が疑い、
『私の宝飾密輸入の記録…三年も前のことだというのに何故今更漏れたのかしら…』
またある貴族邸では令嬢が焦り、
『裏帳簿をまだ残していたか…大した記事ではないが発信元を探らねば…!』
そしてある屋敷では、先代貴族が危惧している。
当然取引相手らは、この醜聞を裁判沙汰にはしたがらないが、この内容が事実と知る者達は、この記事によって自らにかかるであろう疑いを払拭する為に、アドゥールとの関わりを完全に遮絶せざるを得ない。
「せっかく聖女が庇ってくれたのに、これじゃあ台無しどころか、アドゥールひいては第二皇子の肩を持った彼女の行動が間違いだったと周知するようなものよ。だけど今回一番大事なのはここからよ」
ヴァイオレットがこんな記事を作った目的は、単に騒ぎを起こすことではない。
当事者達は内密にしたがるだろう。しかしそれは、この記事が真実を語っているということでもある。
そうであれば、彼らにとって信憑性の極めて高いこの記事の中に、根拠のない記録があったとして、誰がそれを偽物と思うだろうか。
“<マティアス・イステリッジ> 譲渡(20G): 孤児院運営状況 <ベルツ・イステリッジ> 譲渡(34G): 孤児院軍事訓練施設案”
これが追加された記録だ。
このたった二文が、貴族達の想像を掻き立てる。
『イステリッジ伯爵家は孤児院の訓練施設化を計画していたのか』
『教会の管轄に手を出そうなどとはなんたる不敬な』
『グルセイル・ヒアトはお認めになったのか』
『第二皇子殿下は知っておられるのか?』
『そうだとすれば、教会は第二皇子派を許してはおかないだろう』
噂は疑念を抱かせ、疑惑が不信感を確信させる。そして人為的に作られた説悪の印象が、大衆にとっての真実となる。
この上、教会は二度も疑惑を見逃してやる程寛容ではない。こうなれば、橋渡し役の聖女が力を行使しようと、今度はそう簡単には収められない。
端的に結果をまとめるならば、最初にヴァイオレットが言った目標通り、第二皇子派と教会の間には確実に亀裂が入ったということだ。
そして皇城にもその波紋は広がっている。
“号外”の内容を報告された高貴な血たちの反応は三者三様。最も殺伐としているのは立金花宮だ。
「殿下、パルスリス公爵がお見えです。」
「直ぐに向かう。」
緊張の面持ちで従者が出ていくと、音も無く男の“影”が姿を現した。
「イステリッジを切る。通達を回せ。」
第二皇子の声は凍てついた湖のように冷たい。
「アドゥール伯爵の処遇は如何されますか。」
「私の庇護から外す。伯爵が担っていた仕事はダストに継がせろ。」
「伯爵に見張りを付けなくて宜しいのですか。」
「…全く度胸のない男だ。それが唯一の取り柄だったんだがな。」
書斎を後にするリビウスの目は荒々しく研がれたように鋭く怒りを秘めている。
「…承知致しました。」
リビウス の思惑は用意されたたった一つの逃げ道だ。それは事態の収集の為にされるべきこと、足を引っ張る者を処分してしまうことだ。
ヴァイオレットの思惑の通りに彼らが二転三転上手く転がされていることに笑いが込み上げる。
「これでまず2つ。彼らの大事な駒は私の手の中へ消えたわ」
彼女にはまるで彼らの動きが見えているようだ。
「2つって、問題のアドゥール伯爵様とイステリッジ伯爵様?」
「ええ。そして私の想定通りなら、派閥への信頼を取り戻す為、聖女は教締の元に一時的に帰り、暫く教会に身を置く羽目になる。そして第二皇子派は動力源の半分である聖女と教会の支援を失い、迂闊に身動きが取れなくなる」
「?えっと‥ちょっと待って!聖女様って教会の象徴的な偉いお方で、だから教会のために色々するものじゃないの?“教会側の人”って言うかさ」
「それが、そう単純じゃないのよ。彼女は孤児院で育ち、パルスリス公爵に養女として迎えられ、その後アノマリー・グルセイル教会に奇跡の力を認められて、皇帝承認の後、聖女の称号を与えられた。だけど彼女は籍を教会に移すことなく、あくまでもパルスリスの娘として教会に高位で所属しているわけね」
「それって良いの?特に聖女様みたいに神々に近い人たちって、個人家と切り離して教会の中で人生を捧げなきゃいけないってイメージだったんだけど」
「ええ普通はそうよ。何故この状態がまかり通っているのかは公表されていないの。だけど聖女が存在しているだけで奇跡みたいなものだから、誰も深刻に思っていないのよ。まぁその理由は大体予想がついているけれど」
ヴァイオレットは懐中時計を開いた。磨かれた蓋がぴかりと照る。
「え!分かるの?教えてー!ヴィオさんお願いっ!」
「分かりやすく言うと、教会はより大きくなるため、第二皇子が皇太子になる支援を受けるために、聖女を橋渡しにして手を組んだということよ」
「それはぁ…聖女様が第二皇子様の恋人だから?」
デイジーは一生懸命空を指でなぞって関係図を描いている。
「それは後付け。パルスリス公爵が第二皇子派の実権者だったからよ。だけど今回の一連の事件のせいで彼らの関係がアンバランスになってしまい——」
「ギクシャクしてるんだ!だから今がチャンスってことだね!じゃあ次はどうするの?また大仕掛けするの?」
「記事をばら撒いたのは誰か、大事な部下を罠にかけたのは誰か、皇家も教会も、その記事の被害に遭った貴族達もこぞってその正体を国中に探しに来るでしょうから、息を潜めていなければ捕まってしまうわね」
「じゃあ何もしないの?」
「そんなわけないじゃない」
ヴァイオレットは硬券を手渡した。ざらりとした紙には“ハーデンベルア行き: G7”の文字が入っている。
「この荷造りってまさか…!」
レンガ造りの小道を抜けた先には大型船が停泊していた。潮の香りと大勢が勤しむ活気が入り乱れている。
「疑いの目を逃れるにはやっぱり、海の向こうへ行くのが一番でしょう?」
「いや普通そうはならないよ!」
デイジーはそう威勢よく言ったものの、何を気にしているのか遠慮がちにもじもじとしている。
「意外な反応ね?てっきりワクワクしてくれると思ったわ」
「ドキドキはしてるんだけど、でもてっきり隠れ家的なところに行くんだと思ってたからさ…あと普通に緊張するよね、こんな立派な船にホントに乗って良いの?」
「あら、私の招待を受けてはくれないつもりかしら?このチケット割と高かったんだから、しっかり楽しんでくれないとね?」
ヴァイオレットは楽しそうに笑って、デイジーにオフホワイトのショールをかけた。
「割と高いって‥ヴィオさんホントに何者なの!」
「さあ、何なのかしら」
清々しい潮風を受け、ヴァイオレットはライム色のリボンの上に淡い色の花が装飾された帽子を被った。
皆が見物に来るような立派な船に乗り込もうとするその姿はあまりにも堂々としていて、王族の風格さえ感じられた。




