20. 緊急会議
「好きよ」
「え…」
ジェイドの視線はまつげに透けた紫色の目にすい寄せられた。
「私、お菓子に好き嫌いとかないもの」
ヴァイオレットはデイジーに言った。
ジェイドは気付かれないようにそっと元の冷静な表情をつくった。
「話が脱線してるぞ」
咳払いをして言った。
「自分が入れないからって水差すんですねー」
「デイジー、意地悪しないの」
笑い声の混ざった仲裁の両端でデイジーとジェイドはまた火花を散らしている。ジェイドが先に目を逸らして言った。
「証拠となる物の手配はできているのか?」
ヴァイオレットは疑いの眼差しを向けた。
「誓って誰にも報告はしない」
ジェイドは真剣に両手を上げた。
「信じましょう?とは言え、実際まだ何を証拠とするかも決まってないのよね。まさかこんなに早く成果を上げてくれるなんて思っていなかったから」
ヴァイオレットは肘をついて重ねた手の甲に清澄なとぼけた顔を乗せた。
「えっとでも今日の夜12時までに用意しないといけないんだよね?」
「そうね」
「あっあと半日しかないよ!?」
「そうなの。だから少し急がないとね」
「少しで良いの!?」
首を少し傾げるだけのヴァイオレットの態度に、デイジーは身を乗り出して訴えた。だが、ヴァイオレットはいつものように笑ってこう答えた。
「一人でやるわけじゃないから、大丈夫な気がするの」
「そうなっちゃうか」
デイジーはチョロい。ヴァイオレットの優しい笑顔か焼きたてのクッキーがあれば、疑問も疑念もすぐにどこかへ飛んでいってしまう。
「案はいくつかあるんだろう?」
「二つだけよ。一つ目はアドゥール、または彼の“影”の物と分かる何かを残す。二つ目は直接”影”を捕らえて教会に引き渡す。だけど私は存在を知られる訳にはいかないから気乗りしないのよね。となると、一つ目でいくべきなのだけど」
「物がないか」
「そういうこと」
「うーん‥手っ取り早く紋章とかは?ほら、この人も紋章の入った剣とかマントとか身に付けてるでしょ?」
「だけどアドゥールの紋章をわざわざ”影”に持たせてはいないんじゃない?」
「だがあれはあるんじゃないのか?仲間だということを証明する印のようなものが」
「あるにはあるけど、彼らの場合は入れ墨なのよ。だからそれを残すとなると…ね」
ヴァイオレットは苦笑した。
「「あぁ‥‥。」」
二人も思い浮かべたその有様に若干引いてしまった。デイジーは鮮明に想像してしまったようで身震いしている。その間にジェイドは閃いた。
「…命令書はどうだ?」
ヴァイオレットは目を光らせた。
「なるほど?直筆なら十分だわ」
デイジーだけは顔に大きなハテナを浮かべている。
「どういうこと?」
「大抵の場合、ボスと部下って直接じゃなく、わざわざ伝達のための特殊な道を作って手紙でやり取りをするものだから。アドゥールが”影"に書くその命令書をミスを装って教会のどこかに残せれば、筆跡や内容から彼に疑いをかけられるということよ」
「へぇ…指示出すだけなのに大変なんだね」
「くだらないと思うかもしれないけれど、それが彼らの生き方。貴族の世界では、物事は複雑でなければ機能しないのよ」
「だったら私花屋の娘でほんとによかったよぉ」
デイジーは頭を押さえてのけ反った。
「同感だ。こちら側では生き残れそうにないからな」
ジェイドがひとり言のようにそう言うと、デイジーは勢い付いてもどり、テーブルを押さえつけた。
「どういう意味ですか!聞き捨てならないですよ!」
「問題は、奴らがその命令書を燃やしてしまう前に盗めるかどうかだな。内容を覚えるくらい3秒もかからないだろう」
ジェイドはデイジーが吠えるのを何食わぬ顔で無視して続けた。
「ちょっとぉ!」
デイジーは頬を膨らまして子供のように拗ねてしまった。ヴァイオレットに優しく撫でられても、彼女はジェイドを子犬のような目で睨んでいる。
「いえ、手に入れるために使える時間なら結構あるのよ。アドゥール伯爵は自己保身が過ぎるのよ。だから彼と“影”の間に二人も仲介者を挟んでいるわ」
「仲介者ってその“影”とは違うってこと?」
「違うわね。彼らは普通の町民として存在しているはずだから。だけど誰がその仲介者なのかは私にも分からないわ」
「君の友人も知らないのか?」
「彼女には目立たないようにそこまでのことは頼んでいなかったから。それに、今から探っても遅いわ。人目を盗んで送られてくる彼女からの報告を待っている間に、命令書は塵になってしまうわよ」
ヴァイオレットは首を横に振った。
「ジェイドさんが確かめに行くとかはできないの?…」
デイジーがクッキーをかじりながら呟いた。
「え?」
彼女はサッと姿勢を正し、隣を指差す。
「この人ならどうにかすればその伯爵さまのお屋敷に入れるでしょ?貴族なうえに騎士だし。だから直接仲介者って人を確かめて、追いかけられるんじゃないの?ジェイドさんなら」
「だめよ。アドゥール伯爵は彼の顔を知っているの。彼が訪問して、すぐ後に事件が起これば、真っ先に疑われてしまうわ」
ジェイドが微量に頷いて言った。
「いや、娘の言う通りだ」
「えっ」
「それが最前策であるなら俺は伯爵邸へ行く。今こそ、俺を活用するべき時だろう」
「ねえいま私のこと『娘』って言いましたよね?」
デイジーは露骨に嫌な顔をしている。
「言ったが」
「『娘』はちょっとおじさん過ぎるわね」
ヴァイオレットはクスクスと笑った。ジェイドは赤くなってまた柄にもなく表情を乱した。
「おっおじっ…ともかく、上手くやる。だから行かせてくれ」
「あなたがそう言うなら、お願いするわ」
恥ずかしがったのを隠しているジェイドの顔を見てヴァイオレットはまた笑っている。
「具体的にはどうするつもりなんですか?」
そう言いながら視線はジェイドの方を向いている。ここぞとばかりにデイジーはニヤニヤと口を尖らせて遊んでいる。
「そうね…命令書をすり替えるから…」
手を口元にしばらく考え込み、ヴァイオレットは詰まることなく言った。
「まず、命令書を持ち出す人物は私の友人にお願いするわ。彼女にはそれをあなたに知らせてもらうから、ジェイドは邸宅内に入って。そして一人目の仲介者を追って影の手に渡る前、少なくとも二人目の仲介者の間に命令書をすり替えてもらうわ」
「でも心配なのはすり替え方だよねぇ。ほら、私のときみたいに大胆に荒らしまくったら台無しじゃない?」
「大丈夫よ、すり替えるときはジェイド一人じゃないから。まだ協力者がいるの」
「協力者?」
「ええ、あなたも知っている人よ」
ヴァイオレットは悪戯でも考えているような顔で笑った。
「分かった」
ジェイドは何の疑念も持たずに素直に了承した。
「それから、この方法手間がかかるからね、手分けして準備をしなきゃならないの」
「承知の上だ」
ジェイドは深く頷いた。
「ええここからは離れていて…地図を用意するわね」
ヴァイオレットは足早に二階の自室に向かった。
取り残された二人の間には冷たくはないが居心地の良くない空気が流れた。
「ねえ、さっきの‘娘’ってもう絶対呼ばないでくださいね?恥ずかしいから」
「ではメイヅさんと——」
「デイジーって呼んでくださいよ!堅っ苦しいのはダメです!」
純真な目で怒るのを見て、ジェイドは驚きを隠せなかった。
「…てっきり嫌われていると思っていたが」
「さっきのですか?冗談に決まってるじゃないですか、全然怒ってませんよ!」
「それは‥良かった。だが貴族社会でやっていけないというのは侮辱をしたわけではなく一種の誉め言葉だと団員の——」
デイジーはジェイドの口を力任せに塞いだ。
「それ以上言うとヴィオさんに告げ口しますよ!」
彼女が手を離すとぎこちなく答えた。
「わっ悪かった」
「ふんっ」
デイジーはそっぽを向いてクッキーにかぶりついた。
デイジーが怒っているにもかかわらず、先程とは違う空気だ。三種の紅茶の混ざった香りを感じられるほど緩やかな雰囲気に押されて、ジェイドが言った。
「俺のことも名前で呼んでくれ」
「…良いんですか?私後で怒られたくないですよ?」
デイジーは遠慮がちに言った。
「ああ。騎士に二言は無い」
ジェイドの言葉の端には微笑みが見えた。デイジーもそれに応え、ヴァイオレットに見せていたような元気な笑顔を向けた。
「だったらジェイドさんって呼ばせてもらいますね!きっとヴィオさん喜ぶなぁ」
「呼び方を変えただけだろう?」
「もう分かってないですねぇ。何でそういうところは鈍いんですか!名前で呼ぶって特別でしょ?ヴィオさんだって元貴族なんですよ?」
「…!知っていたのか」
驚くジェイドの顔を見て、デイジーはにやりと笑った。
「もちろん!多分大体のことは直接聞きましたねぇ。今までどんな経験をしてきたのか、とかも。でもでも、ジェイドさんは知らないんですか?」
ここぞとばかりに煽り始めた。
「知っていることもある…!それに、そういうことはこれから話していくつもりだ」
明らかに焦るジェイドをさらに煽った。
「ふーんこれからなんですねぇー。私の方が一歩リードですかぁ」
「リードはしていないだろう…!君の知らないことも山ほどあるんだ」
「それはどーですかねぇー」
慌てるジェイドとそれをまるで遊んでいるデイジーの声を聞きながら、ヴァイオレットが階段を降りてきた。肩に鞄を掛けている。
「随分楽しそうじゃない?」
「違うよ!この人が突っかかってくるんだもん!」
「君が始めたんじゃないか」
「ふふっ仲良くなったみたいで良かったわ」
またも睨み合う二人に険悪な様子はなかった。
肩に掛けていた鞄もテーブルに置いて座った。
「これにはアドゥールの筆跡の書類や着替え諸々入っているから」
「着替えって何だ」
デイジーは鞄の開けて覗いている。
「屋敷の周りをその格好で歩いていたらおかしいでしょう」
「なるほど」
「私は連絡と教会に乗り込む準備を整えておくから、また、本部の周辺で落ち合いましょう」
ジェイドはデイジーの前を遮って鞄を閉めた。
「ああ」
「それじゃあ、気をつけてね」
ジェイドは鞄を肩に掛けて頷いた。
「君もな」