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14. 僅かな希望

「それにしてもウルシュなのねぇ…」


 院の扉を開ける彼女の顔はどこか懐かしそうだった。開かれた中は広い食堂だった。


「意外でしたか?」


「ええ。どこから嗅ぎつけたのか、聖女様のお話を聞きたいとここへやってくる方は多いんだけどね。あの子のことを聞かれたのは初めてなのよ」


「そうなんですか」


「ええ」


 院長はヴァイオレットを最前の席に案内した。高い位置から光を差し込むガラス窓の下に純粋に白い象が立っている。ベールを纏い、慈しみの表情を浮かべるその女性は、確かにカルサにそっくりだった。ヴァイオレットは冷ややかに見上げた。


「座ってね。今子供たちはみんな出ているから」


「ありがとうございます」


「えっと、ウルシュの話だったわね?彼女の事ならよく覚えているわ…」


「ウルシュは友人なのですが、最近様子がおかしくて。それで何か心当たりがないかと思ってここへ来たんです」


「そうなの…あの子のことは私も気になっていたんだけどね…あっあれかもしれないわ。今度聖女様の誕生日でしょう?それを気にしているのかもしれないわ」


「聖女様?どうしてそれが?ウルシュは聖女様と仲が良かったはずじゃないですか?」


「そうよ。とっても仲が良かったの。本当の姉妹、いいえそれ以上ね。でもねぇ…」


「何が…あったんですか?…」


「…あなたなら良いかしら。…まだ孤児院が貧しかったころの話よ。あの子たちにラベンダーを摘んでくるよう仕事を頼んだの。でも失敗だったわね、あの子たち、森の奥に入りすぎて、結局カルサが怪我を負ってしまった。大きな怪我ではなかったけど、私はとても後悔しているわ。そしてそれを境に、なぜだか分からないけど、カルサがウルシュを避けるようになったの。それは最後まで変わらなかった。カルサが聖女の力を証明した時も侯爵に引き取られることが決定した時もあの子が馬車に乗った時も。二人の間に何があったのかは分からないけど、そのことであの子はカルサのことを憎んだままなのかもしれないわね…」


「そんなことが…でも憎んでるというのは言いすぎなんじゃないでしょうか…」


「私だってそんな風に思いたくはないわ。でもあの子ここを出るときに言っていたのよ、小さな声で、『あの子は聖女にふさわしくない。裏切者だ』ってね…」


「それは…確かにそうですね…聖女様の方は何か言ってなかったんですか?ウルシュのことについて何か…」


 院長は考えた末に言った。


「‥‥‥っ!そういえばカルサ…侯爵が来られる前の日に一度、あの子のベッドまで行って言っていたわ、思いつめた顔で『ごめんね』って…でもあれはどういう意味だったのかしら…」


「やっぱり何かあったんですね…とにかく、このことはウルシュに伝えますね。何か勘違いがあったのかもしれないですし」


「‥‥ええ、お願い。それから、元気でって伝えてくれるかしら」


 彼女はどこか寂しげに言った。ウルシュとカルサが最後まで仲違いしたままだったのを後悔しているようだ。


「はいもちろん。あの、最後にもう一つ、聞いてもいいですか?」


「何かしら?」


 彼女の顔が元の柔らかな表情に戻った。


「あの像は寄贈されたものなんですか?とても神聖な感じがして」


「あぁあれはね、聖女様が送ってくださったものなのよ、この孤児院を立て直してくださったときにね。以前飾っていたタペストリーも良かったんだけど、やっぱりこっちの方が素敵よね?」


「そうみたいですね」


「そうだ、ここへ来たついでに中を案内しましょうか」


 院長は席を立った。


「いえ、大丈夫ですよ。それにこれからまだ用事があって…」


「あらそうなの?残念ねえ…まあまたいつでもいらっしゃいね」


「ふふっありがとうございます」


 扉まで来たところで子供たちの笑い声が聞こえてきた。


——ガチャッ——


 思ったとおり、扉を開ける三人の子供たちが並んでいた。

 ここへ来た時出迎えてくれた子達のようだったが、院長を呼びに行った子供だけがいなかった。タンと呼ばれた男の子は何かを気にしているようだったが、ライムと呼ばれていた女の子と彼女と手をつないでいる幼い子は花を握っていた。


「あら、もしかして待っていてくれたの?」


「そうだよ!」


「ふふふ、どうやら私のこと気に入ってくれたみたいね」


「ほらほら道を開けてお姉さんはもう帰るそうだから」


「ええーもう行っちゃうの?」


「私たちとあそんでいきましょうよ」


「ごめんなさいね、私これから行かなきゃいけないところがあって」


「どこにいくの?」


「それは教えられないわ、ごめんなさいね」


「こら、失礼でしょう?」


 院長は優しく注意した。


「ごめんなさぁい」


 小さな門に着いたところでヴァイオレットは後ろの子供たちの方に向き直った。院長はその後ろで見守っている。


「ふふっいいのよ。それじゃあね」


「待って!」


 タンがヴァイオレットの袖を掴んで引き留めた。


「これ、あげるよ」


 タンは女の子達の持っていた花束を渡した。


「‥‥いいの?きれいなお花ね、ありがとう。それじゃ、今度こそさよなら。また来るわね」


「…またね!」


 タンは嬉しそうな声で言ったが、何か言葉を飲み込んだような、歳に合わない複雑な顔をしていた。

 ヴァイオレットは四人の子供達の不自然さに引っかかっていた。


「やっぱり、変わってないか…」


 子供たちを中へ誘導する院長の温かい背中を見て、そう呟いた。




 孤児院が見えなくなったのを確認してヴァイオレットは花束のリボンを解いた。リボンの裏にはこの通りにある店の名前が反対向きに書かれていた。


「ここへ行けってこと…」


 人と通りの少ない通りに錆びた看板が揺れていた。


「<アナガリス>…ここね」


 店の裏にまわるとそこには少年がいた。最初に孤児院で会った幼い方の少年だ。


「さっきいなかったのはそういうこと、私に何の用かしら?」


「あっあの…助けてほしいんだ…」


 少年は震える両手で服の裾を握り締めている。


「なにを?」


「だからその…」


 少年の口は動いているものの、肝心の声が出せていなかった。


「‥‥‥用事があるの。帰っても良いかしら」


「いっいやっ…だめだ!‥‥あの…」


 少年は咄嗟にヴァイオレットの長いスカートにしがみついた。ヴァイオレットは抵抗せず、何も言わずに少年が本題を伝えるのを待った。

 気が落ち着いてきたのか、少年はゆっくりと話し始めた。


「‥ボクの友だちが病気なんだけど…みてほしいんだ」


「私が診ても医者じゃないから分からないわよ」


「…でもタンが…あんたならわかるって言ったんだ!」


 少年が初めてヴァイオレットの目を見て訴えた。すぐに泣いてしまいそうな表情でも、声だけは何のブレもなく力強かった。


「タン?へえ‥‥いいわ、連れて行ってちょうだい」


 ヴァイオレットは少年に手を伸ばした。彼は幼い顔には似合わない難しい顔をしてその手を握った。

 ヴァイオレットの手を引く少年は一度も彼女の方を振り向かなかった。二人の歩く道はどんどん入り組み、町の活気は遠のいていった。


「右へ曲がるの?」


 これまでより一段と淀んだ道に入る前にヴァイオレットが手を引いて止まった。


「うん‥‥」


 少年はやはり曲がり角の先を見つめたまま答えた。そしてそれ以上何も話すことなく、ただ握った手に力を込めてヴァイオレットを中へ連れて行った。


 奥へ進むにつれて空気さえ暗く沈んでいた。幸いなのは目に付く場所に誰もいないことだけだろう。しかし立ち込める悪臭はしっかりと彼らの存在を主張していた。


 少年が立ち止まった。前に在るのは壁だ。これまでと同じようにレンガのようなもので積み上げられたボロボロの壁。花屋の店主がこれを見ても、きっとここが入り口なのだと理解できないだろう。

 少年は下の方にだけ積まれていた薄汚い大きめの欠片を取り除いた。


「…賢いわね」


 ヴァイオレットの言葉にも反応せず、少年は手際良く欠けらを取り続けた。


「‥‥‥‥ここから入るんだ」


 手を止めた少年の前に、這った大人がギリギリは入れるぐらいの隙間が空いていた。

 中は薄暗く狭かったが真っ暗ではなかった。天井のように並べられたくすんだ板の間からまばらに光が差し込んでいる。おかげでヴァイオレットは部屋に一人横たわっている少年の存在に気付いた。

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