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12. 復讐心

「ふぅ…」


―カランカランー


 夕陽が立ち込める店内には一つ影が座っていた。当たり前のようにその前にティーカップを添えて。


「…人の店に勝手に入り込むなんて、失礼なんじゃないかしら?」


「っすまない。なかなか君が帰ってこないから、つい」


 ヴァイオレットの声に驚いて、ジェイドはすぐに起立した。


「ついってねぇ…デイジーに入れてもらったの?」


「ああ、中を覗いていたら声をかけられてな。ついでにハーブティーも出してもらったんだが、これがまた美味いんだ」


「デイジーは?また値切りに行ったの?」


「詳しくは知らないが、『今日はタルトの日』だと言っていたな」


「甘いものの話をするなんて、随分仲良くなったじゃない?」


 そう言いながらヴァイオレットは新しく紅茶を入れなおした。


「そうでもない。俺にハーブティーを出すなんて勿体無いと言われたくらいだからな」


「あらあら、じゃあやっぱりまだ根に持っているのね」


 ティーセットを運び、ジェイドの前に座った。陶器の音が鈴のように鳴る。


「それじゃあ、不法侵入者さん?どうしてここへ来たのかちゃんと教えてもらいましょうか?」


 ヴァイオレットは冗談交じりに言った。


「侵入したのでは——いや、君に聞きたいことがあふんだ。前から聞きたかったんだが、この前も聞きそびれてしまって…」


 なかなか話し出せない様子をじっと見つめながら、ヴァイオレットはカップをセットする。


「君は一体何をするつもりなんだ?」


 ヴァイオレットの手が一瞬止まった。


「もう知られていると思ってたわ」


「…復讐」


 目の前に置かれたハーブティーに深刻な表情かおのジェイドが映った。


「なんだか物騒ね」


「違うのか」


「だいたい正解よ。騎士団、いや情報屋を使って調べたの?」


「君にそんなことはしない。辿り着いた答えだ。…その相手は第二皇子か?」


「…そうね。でも彼だけじゃないわ、許すことができない人は彼だけじゃないの」


 ヴァイオレットはティーカップの中の自分を見つめている。


「もし本当に奴らに復讐するつもりなら、今すぐに止めるべきだ。相手はいずれもこの国の()()なんだ。君も分かっているだろう?」


「えぇそうよ。だけどそれでも私の意思は変わらない。これはね、私のすべきことで、やらなくちゃいけないことだから」


 ヴァイオレットはいつもより強い口調で返した。


「…だが身分的にも——」


「——分かっているわ、貴族や皇家のように他人が命令を聞くような地位や力がなければ、まともに戦うことはできない。だけど、誰にも認識されない小さな存在であることには、それを補える別の利点がある。そうは思わない?」


「できるかできないか、可能性の話ではないだろう。こんなことに足を踏み入れること自体が危険過ぎると言っているんだ」


「私は準備をしてきた。7年は長かったわ。だけどあの16年を忘れたことはなかった。私はずっと、ずっとこの思いと共に生きている。だからね、信じて欲しいとは言わないけど、せめて私の敵にだけはならないで」


 ヴァイオレットはいつものように笑ってそう言う。本心が透けて見えるように、切ない何かがその笑顔に潜んでいる。

 ジェイドの脳裏に7年前の()()の場面が横切った。


「…君の敵にはなりたくない」


 カップの中の自分が揺れた。彼は膨らんでいる感情の正体がはっきりする前に、ハーブティーに角砂糖を入れた。


「ありがとう。でも安心して、この道には誰とも行く気はないから」


 隙のない安定した声と崩れる余地のない笑顔。それは覚悟と自信を意味するが、同時に自然さの失われた仮面(マスク)のようでもあった。

 またジェイドの胸がざわめいた。


「俺に手伝えることはあるか?…君の計画を」


 その問いに、ヴァイオレットはじっと顔を見つめた。緊張感が張り詰めていく。


「自分が何を言ってるのか分かってるの?」


 彼女は眉一つ動かさなかった。真剣な表情だった。ただ、声色だけが徐々に重くなっていった。


「ああ、もちろんだ」


「分かっていないじゃない。一騎士が、副団長ともあろう人が、主人を裏切ろうとしているのよ?」


「その通りだ。確かに騎士は主君に忠誠を誓うものだが、弱い立場の人々を守り不正を憎むのも騎士道の一つだ」


 ジェイドは真っ直ぐに答えた。


「第三騎士団は二つ目の騎士道を重んじる」


 何の曇りもない声と揺らがない目に、確固とした意志が現れた。

 ヴァイオレットが先に視線を外した。


「‥‥‥分かったわ。それじゃあ、手紙を届けてもらっても良いかしら」


「手紙?」


「ええ。運命を変える手紙よ。だから必ず渡してちょうだい」


 彼女は慎重に鞄から手紙を出した。ジェイドは何も言わずしっかりと受け取った。


「…<聖女カルサへ>」


 手触りの良い手紙にはその文字だけが綺麗に並んでいた。


「送る相手を間違ってるわけじゃないんだな?」


「信じられない?」


 その可憐な笑みにはまた何か意味があるのだろうか。


「いや…戻ったら渡しておく」


「ありがとう」


 店の明かりが消え、夜の光だけがヴァイオレットの部屋に差し込んだ。彼女は机に並べられたメモを確認するように凝視している。そばには冷めた紅茶が置かれていた。


「ふう…」


 深呼吸をするように息を吐くと、ヴァイオレットの手が自然とティ―カップに伸びた。それに触れた時、ヴァイオレットははっとしたように手を引っ込めた。


「‥‥覚悟が足りなかったかしら」


 そう呟くヴァイオレットの眼に揺らぎはなかった。


「今更よね。早く使える子を見つけないと」


 静かになった町の中でヴァイオレットの机の明かりだけが長く灯り続けた。




——カランカラン——


「いらっしゃい」


 扉を開けたのは神秘的な女性だった。丸く纏まった白い髪が太陽の光で輝いている。彼女は目を赤く光らせながら言った。


「あの、依頼があるんです」


 ヴァイオレットはガラス細工でできたオルゴールの蓋をそっと閉じた。


「いらっしゃいませ、ハーブティーはお好きですか?よければゆっくりお話を聞きますよ」


 片手を広げるスマートな所作で奥のテーブルを案内した。しかし、彼女は立ち止まったままヴァイオレットを見つめていた。明らかに様子がおかしかった。そして固くなった口を開いた。


「…私を…聖女にしてください!!」


 彼女は一層瞳を紅くしてそう言い放った。

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