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11. 可憐な黒猫

 家の中は、窓があるにも関わらず薄暗く、いくつかのオレンジ色のランタンがそこに置かれた希少で奇妙な物たちを照らしていた。

 七色に光る石,ある国の王城内庭園でしか見られない花,伝説の獣を模した置き物。外観よりさらに不思議さを増した内装にデイジーは目を丸くしていた。


「今お茶を入れるので少し待って下さいねぇ」


 ネラは丸テーブルの前に二人分の椅子を置いて、嬉しい様子で奥にあるキッチンに向かった。ヴァイオレットはそんな彼女をじっと見つめていた。


 しばらくしてラベンダーの芳醇な香りがしてくると、不揃いのティーカップが運ばれてきた。白く重厚なカップは艶やかな茶紫のハーブティーを受け止め、その波は興味津々なデイジーの像を揺らした。


 髪留めを解いたネラはさっと席についた。真っ直ぐ降りた黒髪がミステリアスに広がった。


「ラベンダーは私のお気に入りでお客さんには毎回出しているんですけど、ちょっと苦いのでお菓子もいっぱい食べてくださいねぇー!」


 そう言われると、デイジーはさっそくクッキーを頬張った。ザクッとした食感の生地はバターの香りと素朴な甘さがラベンダーの苦味を優しく包み込んだ。


「それでご用件は何でしたっけ?やっぱりあなたもお悩み相談ですか?」


「あっいや私というより——」


「私たちの悩みなんです」


 ヴァイオレットの突然の遮りにもデイジーは驚かなかった。


「噂には聞いてると思いますけど、ある騎士にこの子のお店が違法だと判断されて奪われてしまったんです。何とか釈明をして取り返したは良いんですが、権利書はその騎士に渡ったままで、それをどうにかならないものかと…」


「それは大変です!その方の階級や役職なんかはわかります?お手伝いがしたいのですが、そっちの方の知り合いも多いわけではないので」


 ヴァイオレットが隣を見ると、デイジーは台所に釘付けになっていた。


「デイジー」


「あえっと何かの副団長だとは聞きました。他のことは…でも!背はすっごく高くて緑っぽい目でしたよ!」


「緑ですかぁ髪の色はどんなでしたか?」


「えっと…何だっけ明るめだったと思います」


 3秒ほど間が空いて、思い出したように言った。


「あぁジェイドさんですね!」


 デイジーは難しい顔をした。彼女はその騎士に名前を聞いていなかったのだ。


「ちょっと頑固で、対応の仕方が丁寧なのか雑なのか分からなくて、目が鋭い感じの人で——」


「そうです!その人ですよ!」


 テーブルに身を乗り出した振動で彼女のティーカップが投げ出された。しかし澄んだ砕ける音がする前に、ヴァイオレットの手によって元の位置に戻された。彼女は何事もなかったかのように話を続けた。


「あの方を知っていらっしゃるなら、あなたから何とか言ってもらえたりは…」


「いいえー直接知っているわけじゃないんです。共通の知り合いがいるだけなのでどう話しをしていいのかぁ…なのでまずはその方についてもっと知りたいですね」


「私たちも良く知らないんです。お話ができる感じでもなくて」


「でもそれから何度も店を訪れられていると噂で聞きましたし、それは何か理由があるんでしょう?」


「それも分からなくて、だから余計に困ってるんですよぉ」


 そう言うと、デイジーは三枚目のクッキーを口に運んだ。


「何か目的があるのかもしれませんよ?それこそぉ、あなたに会うためだとか!」


「いやそれは絶対にありえないです!!」


 真面目な顔で言ったのに、膨らんだ頬っぺたのおかげで締まりのない空気になってしまった。


「どうしてですかぁ?」


「ありえないからです!」


「そう思うってことは何か言われたんじゃないですか?」


「何も言われてないと思いますけど…そもそも、こっちから何回も聞いてるのにひとっつも教えてくれないんですよ!」


 今度はしかめ面をしているつもりのようだが、お菓子を取られて拗ねている子供ようにしか見えない。


「ということは目的は監視とか調査かもしれませんね?」


「うーんそれも違うような気が…」


「でもその方から何も言われないんですよね?」


「はい、あっでも花言葉とかの話しならしますけどね!」


「えっ待ってください、あなたたちどういう関係なんですか?」


「だから何にも悪いことしてないのに店を取られそうになった人と()()()な取り立て屋です」


 動き回るデイジーの手にネラは手を伸ばした。


「えっとつまり知り合いではあるって——」


 手が届く前にその進路は遮られた。


「はいそこまで。面白かったけれど、もうこれ以上続けても余計意味が分からなくなるだけだわ。そう思いませんか、ネラさん?」


 その確信に満ちた目と滑らかな声が空気を紫に変えた。


「急にどうされたんですか?何か様子がおかしいですよ」


 ネラは猫背になってその目を覗いた。しかしその純粋な眼差しは本質ではないとヴァイオレットは見抜いていた。


「そう通されるならはっきり言わせてもらいます。私たちはあなたが簡単に転がせられる客ではないし、あなたの狙いも見破られたんです。何なら説明、しましょうか?」


 デイジーはお互いに目を離さないその空気に飲まれて、また一枚クッキーを口にした。

 そしてヴァイオレットはネラの思惑を推論として語った。ネラの言動にはおかしい点がいくつもあった。


 第一にデイジーの困りごとについて相談しているはずなのに『騎士』のことをやたら深掘りしようとしたこと。事の要点や核心ではなく、それに付属する特定のことについて深掘りしようとするのは、その情報を欲しているからだ。

 デイジーが言っていたネラの発言と重ねると、彼女はここで採れたものを売ったり相談を受けた報酬で生計を立てているようだが、多額の相談料をふんだくれない客の場合は価値のある情報を出させていたようだ。そして今回はデイジーをその標的に選んび、ここへ招いた。


 第二に最初に会った時にヴァイオレットの素性を聞かなかったこと。猛獣のいる森を通り抜けて来たマントを被った二人組が家の前に立っていたら、咄嗟に攻撃されることはない、彼らの警戒を強めてしまうことにはならないという確信がなければ、無防備に声をかけたりはしない。


 そして第三にその騎士がデイジーの店を再び訪れたことは知っているのに彼がどんな見た目をしていたか知らなかったこと。その騎士ジェイドは確かにデイジーの店を何度も訪れたが、その際は制服ではなく“お忍びの装い”だった。つまり“騎士が何度もデイジーの店に来ていた”などという噂は立つはずもなく、それを耳にすることもできない。ネラは嘘をついた。


 しかしそれを知っていたということは、本当に彼と顔見知りで、直接聞いたか店に入るのを見ていたとも考えられる。だがもしそうなら、ジェイドが仕事で店を調査しに行っていると勘違いするわけがないからそれはない。ならば、ジェイドの存在、行動、そして名前を知っていたのはなぜか。


「心を読んだからよ」


 確言したのは、まるで少女が信じるような突飛な結論だった。


「読んだって…魔法みたいに!?」


「そうなんじゃない?ある北の国には、そんな魔法のような能力を持った人たちが実際にいたわ。だから彼女が特別な力を持っていてもおかしくはないでしょう。だって、この国には“聖女”がいるんだもの」


 夢想的だった主張がたちまち現実のものに変わっていく。事実を述べたことがその要因なのではない。その視線、顔の角度、間の取り方、一字の発声の仕方にまで注意を払った緻密な調整によって、瞬く間にヴァイオレットが空気を支配したからだ。


「どこか間違ってるかしら?ネラさん?」


 ネラは“我が家”が味方から外されたように感じ、背中に寂しさを覚えた。

 沈黙が続くほど、逃げ道が見つからなくなっていく。ネラは胸に溜まった敗北感を押し出すように息を吐いた。


 そして乱暴に梳かれた黒髪の中から不貞腐れた目が現れた。それは今度こそモヤのかかっていない澄んだ目だ。


「これ以上しらばっくれても面倒よね。今回は諦めるわ」


 彼女は悔しげに言った。


「待って?話しはまだ終わりじゃないのよ」


「これ以上何を言いたいわけ?」


 ネラは背もたれに体を預けた。


「私たちにメリットがないと分かっていて、ここに止まっている理由を知りたくないかしら」


「私に何かさせようってこと?」


「そう正解。私、上流階級の人たちにちょっと一矢報いようとしていて、そのために情報収集してくれる仲間が欲しいのよ。あなたなら適任でしょう?」


 ヴァイオレットは問いかけというよりも断言に近い言い方をした。


「何を言い出すかと思えば!そもそも一般市民の私が適任とは思えないわ。そんなの情報屋に頼みなさいよ」


 ネラはこの部屋に招待した時とは正反対の顔をしている。

 デイジーはまだこの状況を飲み込めず、無心でクッキーを食べていた。


「あなたが良いの。誰にも知られず情報を集められて、裏社会にも貴族らの秘密にも片足を入れている。私に一番必要な人材なのよ」


「悪いけど、貴族の相談を聞いてるっていうのはその子を引っかかるために言っただけで、そっちの方面のことは何にも知らないの」


「嘘ね。それがあなたの本業でしょう」


「どうしてそう言い切れるの」


「このハーブティーがその証拠だからよ」


 カップの中の波紋を見つめるネラの表情が、初めて強張った。


「ラベンダーティーは庶民の定番から貴族向けの高級品まであるけれど、これはどう見ても高級品。そんなお金のかかるものをお客さんのために何度も淹れているなら、その人は舌の肥えた貴族だと思ったのよ。まあ、勿体無いのになぜ私たちにも出したのかは知らないけれど」


「何で高級って分かるんですか?」


 デイジーはなぜか目を細めている。どうやらネラについてよく考えることを諦めたらしい。


「味と香りね。でも、確信を持ったのはあのラベンダーティーのお茶箱。ラベンダーティー以外の茶葉は手作りのかごに入っているから何度もなくなる前に買い足しているのでしょうけど、ラベンダーティーの茶箱は新品なんでしょうね、角が取れていなくて綺麗なまま。あれだけそうして置いてあるなら、他とは違って箱でしか売っていないか、すぐにもう一度買う予定がないってこと。つまり高級品の可能性が高いというわけね」


 デイジーの無垢な感嘆の声がネラには不服だった。


「だからってあなたの手駒になる理由はないわ。そんなに私が欲しいなら脅迫でもしてみるのね」


 冗談のような軽い挑発であったのに、ヴァイオレットは何も返さなかった。それどころかじっと目を見たまま黙ってしまった。


「やっぱり。さっきは勢いにやられたけど、手札がなくなった途端急に失速するなんて。詰めが甘いの—」


「この森に火をつけるわ」


 凛とした声が静寂を生み出した。だがネラもまた空気に飲まれる気はなかった。


「そんなことで説得するつもりなの?」


「分からない?今、あなたが言ったんでしょう、脅迫してみろって」


 その言葉にはさっきのような勢いも根拠もないはずなのに、何かが彼女を焦らせる。


「手下にならなきゃ殺すって言いたいんでしょうけど、そんなの何の意味もないわ」


 いつもの調子を取り戻そうと心の動きも沸き立つ思考も閉じ込めて、泰然とした態度をとった。しかし、目の前の相手は自分を勝者と信じて疑わないように笑みを浮かべていた。


 ネラは唐突に気づいた。

 デイジーの心の声は止まることなく聞こえてくるのに、ヴァイオレットの声がしていないことを。ずっと感じていた焦燥感の理由が、考えを読めないことだと。だから彼女はもう一度仕掛け直そうとした。

 だがその前にヴァイオレットが口を開いた。


「権利書を持っていないわね?」


 ネラは唾を飲んだ。彼女が感じた視線には鉄格子で囲むような圧迫感があった。


「土地の所有権や建築許可を得ていないならそれは無断占拠。バレたらどうなってしまうかしら?」


「持ってるわよ。鍵かけてしまってあるわ」


「それならどうして、この家の存在を在処を気づかせないようにしているの?」


 悠然とした声は空間に響いてネラの耳に届いた。


「柱の具合からしてもこの家は建てられてから約10年というところね。10年もここから森や町に行っていたら道ができているはず。なのにそれがないということはそうならないようにわざわざ地面の同じ間場所に負荷をかけないようにしているということよね。客を招待するのに曖昧な情報しか与えないのもそうよ。まっすぐ辿り着けたてしまったら、ここまでの来方を覚えられてしまうものね?」


 ポーカーフェイスが役目を果たさない。四方を囲まれて身動きが取れない。ラベンダーの香りはもう消えていた。


「さぁ答えて、そんなに必死になって何から隠れているの?まさか、人付き合いが苦手なだけだなんて言わないわよね」


 ネラは思わず目線を上げた。

 一瞬で僅かにも動かないその眼に視線を奪われた。目とは本来感情を映すものだが、そこにはネラの虚像しかなかった。真夜中の湖に映るように静寂と暗闇を携えて、吸い込まれるほどの深い紫がネラの心臓に触れようと延びてくる。


 一度目の対戦はほんのつかみでしかなく、これがヴァイオレットの本気だと彼女は思い知らされた。

 反撃や防御の機会はもうなかった。唯一出来ることは流れを決める権利を手放すことだけだった。

 ネラは舌打ちをしたが、口元には笑みが溢れていた。


「分かったわよ!アンタの言う通りにすれば良いんでしょ!」


「ええ、ありがとう」


 ヴァイオレットは勝利に酔いしれることはなく、ただ満足げな顔をしている。


「何だかよく分からないけど、ヴァイオレットさんの勝ちってことだよね…!」


 デイジーが『やったー!』と祝う声がネラには聞こえた。だが今度は悪い気はしなかった。いつものように優位を守れなかったことよりも、ヴァイオレットの勝ち方に心を奪われていたのだ。


「それで、最初の仕事はどうしたら良いわけ?」


「まあ詳細は今度ね。それより、あげられる時間は三ヶ月しかないけれど、もちろん引き受けてくれるわよね?」


 ネラは差し出された右手を握った。

 5秒、10秒、20秒が過ぎても二人は手を離さなかった。そしてデイジーが困惑して声をかけようとしたときに、手を解いてネラが言った。


「仰せのままに、女王様」


「バカにしているでしょう」


「当たり前じゃない」


 本人たちが何だか楽しそうなので、デイジーは詮索しないことにした。そんなことよりも、ネラがもうすぐ焼きあがると言ったケーキの方が重要だったのだ。

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