その新しい命に祝福を
この作品は丘の上食堂の看板娘(「N3572HH」)の二次創作作品です。作者の小池ともか様より、掲載の許可を頂いています。
https://ncode.syosetu.com/n3572hh/
なお、時系列は本編終了からおよそ2年後、番外編となる短編その2「その温もりをこの身へと請い」と同じ時系列となります。
一応単独でも読める作品となるようにしたつもりですが
本編の盛大なネタバレを含みますので、本編未読の方はご注意願います。
最低でも53話「ダリューン・セルヴァ/英雄ジェット・エルフィン」あたりまで読んで頂けると、本当に最低限ではありますが、本作がより楽しめると思います。
おすすめはやはり本編読了後です。
ぶ厚い雲が空一面を覆い、まるで滝のように激しい雨が降り注いでいた。
日頃から鬱蒼とした木々によって日が当たらない山道は、まるで夜道のように薄暗く、その上、激しい雨で、視界はほとんどない。
少し気を抜けば、歩いていてさえ、道を踏み外しそうな、そんな天気だった。
「定期便の馬車が定刻を大幅に過ぎているのに到着しない」
馬車を運行する商人からの訴えで、警邏隊が動き始めたのが昼過ぎ。
通常であれば、こうした近隣の人的トラブルは警邏隊の管轄であったが、天候の悪さから、捜索は難航する上に、最悪人命に危険が及んでいることも予測されたことから、通常は未開拓地の調査や魔物に関するトラブルを管轄するギルドに対しても、早々に協力の要請を行うことが決定された。
ギルドへの協力要請は、警邏隊が捜索隊を組み始めるのと並行して行われたようで、ギルドから捜索隊の支援要員を派遣するのと、警邏隊が部隊を編成し終えるのはほとんど同じ時刻だった。
ギルドからの捜索要員はニースとラウル、「英雄」ジェットと相棒のダンの4名。
荒天の中での捜索になることから、それなりの危険が予測されるため、中堅以上のメンバーですぐに参集可能な者たちが急ぎ集められた。
他は近隣からの依頼や、遠方の調査で出払っていた。
山道で何らかの事故が起きた可能性と、この悪天候によって途中で道を誤った可能性を考慮し、部隊は2つに分けることとなった。
道を誤った可能性を考慮し、近隣の支道の捜索をニースとラウルが。
捜索により危険性を伴う山道の捜索には、ギルドで最も身体能力の高い、ダンとジェットが向かうこととなった。
警邏隊も同様に、部隊を複数に分けられた。
山道の麓から周辺を捜索する部隊。
中腹から脇道に誤って侵入してしまいやすい経路を捜索する部隊。
峠を越えて隣町に向かい、途中がけ崩れなどで足止めになっていないかを確認する部隊。
そんな、より人数が必要となる場所、連絡要員を要する場所に人員を配置することとなった。
街道が整備されている山の麓までは各自馬で移動し、万が一輸送が必要となった場合を考え、後続として各方面に馬車も手配された。
叩きつけるように降り続く雨の中、なるべく視界が塞がれぬように雨除けマントについたフードを目深に被りながら、ジェットとダンは馬を走らせていた。
普段ならば、今後の行動について意識合わせを行うため、移動しながら会話する二人だったが、叩きつける雨音、蹄が地面を抉るたびに飛び散る水たまりの水音、それから目深に被ったフードが音の伝達を邪魔することから、ただ無言でひたすら現場を目指していた。
「やっぱり、思い出しちまうな」
と、ジェットは独り言ちる。
ダンと会話でもすれば、紛らわせるかもしれなかったが、こんな雨の日に、山道に向かうともなれば、ジェットにとってはどうしても思い出してしまう出来事があった。
クライヴとシリル、兄夫婦の死。
あの日はここまで酷い雨ではなかったが、やはり雨の日の山道で視界が悪く、道を外した馬車と共にその命の灯は霧の向こうに消えてしまった。
偽りの、張りぼての英雄とはいえ、張りぼてなりに認められるように努力を続け、ダンを始め、周りの人々に支えられながら、ようやく恰好がついたと思えるようになっていた頃、そんな自分の驕りをあざ笑うかのように、自分の無力さを思い知らされた。
イルヴィナの悪夢、その根から死した命に残された生命力を吸い取り、新たな魔物を生み出す神樹の討伐。
当時調査に向かったギルドの調査隊30人は、意図的に隠されたその特性により、絶望の中戦い抜き、その命と引き換えに討伐を果たした。
その戦いの中で無力であった自分、
無力であったからこそ最後まで皆に守られた自分、
何も出来なかったからこそ、死んでいった皆のために「英雄」と偽らざるを得なくなった自分。
そんな自分が、少しぐらいは皆のために何かが出来るようになっただろうか。
そう思っていたのに……、結局自分は無力であったと思い知らされた。
それどころか、最も傷つき、最も辛いはずの兄夫婦の娘、クゥにも守られる始末だった。
この子だけは守りたいと、たった一人の肉親だから、とそう決意したのに。
彼女はずっと強く、そしてずっと周りから愛されていた。
何もできなかったとは言わない。
だが、それ以上に、自分のために、このジェット・エルフィンのために、「英雄」が「自分」でいられる場所を守ってくれていた。
そして、彼女の夫となるテオと共に自分の還る場所であろうとしてくれた。
まったく、これではどちらが大人なのかわからないな。
ジェットはそう、自嘲する。
こんな雨の日は、この曇天のように暗くなっていけない。
気を引き締めるように、ジェットは手綱を握りなおした。
ジェットとダンは麓で先に到着していた警邏隊に馬を預けると、山道を徒歩で登り始めた。
峠まではさほどの距離ではないが、山肌を削りだすようにして作られた道だ。
これだけの雨の中ではどこでがけ崩れが起きるかもわからず、急ぎながらも慎重に進む必要があった。
そうして進むこと幾ばくか、峠の手前、隣町からであれば
ちょうど道が下り道に差し掛かろうとする場所で、二人は、山道を削り取るかのように深く抉った轍の痕跡を見つけた。
「ジェット」
ダンの声にジェットは小さく頷くと、轍の消えた先に視線を移す。
だが、ただでさえ太陽の光は遮られた薄暗い山道の中、雨はますます視界を遮り、馬車の姿を捉えることは出来なかった。
「ダン、戻って警邏隊を呼んできてくれ。俺はここから降りて先に馬車を捜す」
この天候の中、ジェットを一人だけにする不安はあったが、ここで二人とも馬車を捜したところで、発見後、引き上げるには必ず人手が必要になる。
その時、そこから人を呼びに向かっては手遅れになる可能性は十分に考えられた。
一抹の不安はあるが、そんなことはこれまでも経験してきた。
ダンは小さく頷くと、ジェットをその場に残し、今来た道を下り始め、その後姿は、あっという間に激しい雨のカーテンの向こう側に消え去った。
「さて」
ジェットは、気を取り直すように小さく呟くと、轍の先を見据えた。
轍の深さから、馬車は減速する間もなく、道を踏み外したように見える。
とすると、ここから真下に下るのではなく、進行方向側に向かって斜めに下るように追ったほうがいいだろう。
途中、斜面に生えた樹の枝の折れ具合を確認するようにしながら、ジェットは慎重に斜面を下っていった。
雨が降り始めてから時間が経過しているためか、斜面はかなりぬかるんでおり、足を踏ん張りながら斜面を下っていても、時折、地面が激しく滑り、足を取られそうになる。
山肌には何本もの木々が幾重にも根を張っており、これまでも大きな災害などなかった山道だ。
万が一にも地滑りなどが起こるとは思わなかったが、それでも、突然足元が崩れるといった危険が考えられないわけではない。
なるべく樹の幹から幹へと、体を預け、いざというときには幹の硬さを使ってその場から跳躍して逃げることを意識しながら動いていく。
たった一人、話し相手もないまま、捜索を続けていたが、馬で移動していた時とは違い、移動には細心の注意を払い続ける必要があったため、今度は余計なことを考える暇などなかった。
そうしてどれぐらい下っただろうか。
一本の大木に引っ掛かるような形になっている馬車の姿を見つけることが出来た。
斜面に対して、その幹を空に向けて斜めに立つ大木が、ちょうど窪みのようになっており、馬車はその窪みにはまり込む様にして、その車体は幹にもたれかかるように斜めに倒れこんでいた。
斜面を下り落ちていく中で、木々に車体をぶつけたためだろう。馬車を包む幌も車体も、外から見てかなり傷ついているように見え、幌の中から人の声は聞こえなかった。
最悪のことも想定しながら、ジェットは、幌の内側に片足を踏み込んだ。
幾ばくかの裂け目があったとはいえ、光の差し込まない幌の中は、闇夜のように暗く、様子を伺い知ることは出来ない。
「誰か!無事か!」
気を失っている可能性もある。
そう考え、大声で何度か呼びかけたが、返事は返ってこなかった。
分からない以上、一人一人の様子を確認したいが、傾いている幌馬車の中に、これ以上踏み込むことは躊躇われた。
この段階ででも「要救助者発見」を知らせる笛を鳴らすか。
それとも、「ランタン」を…。
その瞬間、燃え盛る火の光景が過ぎる。克服したはずのものは、未だ心を苛ませる。
だか、いづれを選択するにしても、幌の外に出る必要がある。
そう考え、ジェットが一度、幌から出ようとしたその時、
背後から小さな声が聞こえた。
それは、か細く弱弱しい赤ん坊の声だった。
思わず、振り返りその声の出所を捜す。
わずかに音がくぐもっていることから、おそらく母親の腕の中に抱きしめられているのであろう。
慎重に歩を進め幌の中を進む内に、ようやく声の出所を探りあてる。
やはり母親が抱きしめていたようだった。
「だいじょう……」
抱いている母親の声をかけようと、肩に手をかけようとして、返答を望むべくもない状態であることを悟る。
他にも人の姿の影は薄く見えるものの、幌の中に長居できる状態ではない。
せめて、まずはこの赤ん坊だけでも、と手に抱き上げる。
外に連れ出せば雨ざらしになる、と、着ていた雨除けのマントを外し、赤ん坊を包む布の上に被せるように覆う。
二重にも巻けば、ある程度は熱も保てるはずだった。
こんなところで、クゥの赤ちゃんを抱いた経験が活きるなんてな。
不謹慎であることは分かっていたが、それでも思わず笑みがこぼれる。
そうして幌の外に出るために、出口に足をかけようとしたその時、背後で、馬のいななきが聞こえた。
「……っ!」
幌が激しく動く。その勢いに任せ、外に向けて飛び出すことは出来たがそれだけだった。
幌馬車に繋がれていた馬の一頭が辛うじて生きていたのか
意識を取り戻し、その瞬間パニックを起こし、暴れるように体を捩る。
その反動で幌馬車は窪みから外れ、大きく跳ねるようにして、斜面を落ちるように下っていく。
幌が跳ねた反動で、ジェットは大きく外に跳ね飛ばされるような形で宙を舞った。
そんな余裕はないはずなのに、やけにはっきりと抱えた赤ん坊の表情が見える。
目を開き、ぎゅっと手を握り、ただ無垢にこちらを見つめるその顔が、先月生まれたばかりのクゥの娘と重なる。
この命だけはとその身に抱え込んだ次の瞬間、背中に強い衝撃を感じ、肺の中に息が一気に吐き出される。
「がっ……」
そして、わずかに遅れて、脇腹に焼けた鉄杭を当てられたかのような、肉が焼けつくような熱さが襲った。
実際に燃えたわけじゃないことぐらい、経験上、すぐに分かった。
そこに視線をやる余裕はなかったが、何かが脇腹を貫いた、その事実だけは理解した。
幸い、抱きかかえた赤ん坊は幾重もの布に包まれていたからか、そこまで衝撃は伝わらなかったようだ。
それでも、この雨の中、野ざらしでいては命が危なくなることは考えなくても分かる。
驚くほどに重く、意思通りに動かなくなった右腕を必死で胸元に寄せると、そこから笛を取り出す。
笛を吹くために先ほど吐き出した息を吸いなおそうと、息をしようとするが、どこかから空気が漏れていくかのように息が上手くできなくなっていた。
……それでも
笛を口に当て、持てるだけの力で笛を吹く。
1度、2度、3度。
弱弱しいそれは、それでも何とか音として形を為し、山向こうに響いていく。
それからどれくらいの時間が経過したのか。
もしかすると幾ばくかは意識を失っていた瞬間もあったかもしれない。
それでもなんとか、赤ん坊は離さずに済んだようだった。
気張れよ、英雄。
歯を食いしばり、口の内側を噛み切るようにして、必死で意識を保つ。
そのうち、近くで葉が擦れる音と、土を削るようにして滑り降りてくる音が聞こえた。
ジェットが音のする方に視線を移すと、そこにはダンがいた。
さすが、ダンだ。
俺の相棒、俺の半身。見つけてくれるならダンしかいない、そう思っていたが、正にその通りであったことが嬉しく、誇らしい。
ジェットは、もう音にならない程度の音しか出せない笛を口から離した。
ダンだと分かっているのに、雨のせいなのか辛うじてシルエットしか見えなくなっている。
なんとか、その姿を見ようと、目を細めるが、雨が邪魔をして姿はぼやけたままだった。
呆れているだろうか、それとも悲しんでくれているだろうか。
「…ごめんな、ダン…。…ちょっと…しくじった……」
ダンの意識が、ジェットの脇腹を貫く枝に奪われる。
流れ落ちる血はこれだけの雨の中であるにも関わらず、ジェットの下に血だまりを作っていた。
薄く笑うようにして、ダンに話しかけたジェットの腕の中には、大事そうに丸めた雨除けのマントが抱えられていた。
「ジェットっ!!!」
時が止まっていたかのように立ち尽くしていたダンの、時がようやく動き出す。
駆け寄ったダンはジェットに対し何か手当を、と思い、だがそれにしても容易ではないことを悟ると、まずはジェットを運ぶために人手を呼ぶ必要がある、と、首から下げていた笛を吹き、「要救助者発見」の合図を鳴らす。
この雨の中だ。一度では空耳と思われる可能性もあると、
3度ほど、繰り返し、力の限りに吹いた。
そうしている内に最初の焦りも落ち着いたのか、ダンは改めてジェットの姿を見る。
今までにも危険な任務はあった。
魔物との戦闘で深手を負うことも。
だが、しかし、ここまでの傷を負ったジェットを見たのは初めてのことだった。
その姿はまるで…
ダンはそう思いかけて、その光景を思考から追い出すように頭を振った。
「…頼む……」
ジェットはそんなダンの様子を気にすることもなく、気にする余裕もなく、そろりと、塊のように丸められた雨除けのマントを差し出す。
この状況で何を、と思いながら、雨除けのマントの中身を覗くと、そこにはぐったりとした赤ん坊の姿を見つけ、ダンは思わず息を呑む。
「…このままじゃ持たない…。先にその子を…」
「何を…」
「…リゼルと…被って……だから頼む…」
何を言うんだ、とダンが言いかけたその言葉を遮るように、ジェットが懇願する。
リゼル。ジェットの姪のククルの娘。
ククルの住むライナスまで祝いのためにジェットと訪問したのはつい先日のことだった。
そのリゼルと同じくらいの小さな赤ん坊。
もはや泣くこともしないその子が一刻を争う状況だということはダンにも分かった。
だが、一刻を争うという点であれば、ジェットもまた同じ状況だった。
「置いていけない」
ジェットの答えは分かっていても、ダンはそう言わずにはいられない。
「…俺まで行くと…間に合わない」
足手まといになる、と、ジェットは言う。
「だがっ」
「頼む」
絞り出すようなダンの声を押さえつけるかのように、ジェットは重ねて懇願する。
その身体に、笛を吹くことすらままならなかったその身体のどこにそんな力があるのか。
ああ…
やっぱりお前は英雄なんだな
こんな時でも
何よりも己の無力を知るジェットが、その手で助けられる命があるのなら、決して引くはずがないであろうことは、何よりも俺が分かっているだろうに。
そうは思っても、今ここでジェットを置いていくことがどういう結果になり得るのかなど、ダンにとっては、いや、ダンではなくとも、考えるまでもないことで。
逡巡するダンの目前に、まるで拝むようにして、ジェットは赤ん坊を包んだマントを掲げる。
その赤ん坊を受取ることにまだ躊躇いを見せるダンを見て
ジェットはもう一度、薄く笑みを浮かべた。
「…前後、切ってくれたら…自力で行くから…」
だから、頼む、とでも言うように、俺は大丈夫だから、と見せつけるように、ジェットが微笑むのを見て、ダンは強く唇を噛みながら、赤ん坊を受取った。
ダンは赤ん坊を受取ると、赤ん坊がこれ以上冷えないようにと、濡れた服を剥いだ上で自分の服の中にいれ、雨除けで固定する。
ダンの肌に触れた体温は、改めてその猶予の無さを教えるが、一方で、ジェットの救難信号を聞いてから、これまでの時間の間でこの程度で済んでいたことに驚きを感じる。
あの状態にあっても、赤ん坊の身体が冷えないよう最大限の注意を払ってその命を守っていたのかと思うと、その思いに応えなければならなかった。
「斬るぞ」
そう言ったダンは、剣を構えると、枝を切断した際の衝撃で傷口がこれ以上広がらぬよう、血濡れた枝を掴み、固定する。
貫いた枝を抜けば、余計に出血をしてしまうため、長過ぎる枝は、今は断ち切るに留めることにする。
息を吸い、吐き出すとともに、脇腹を貫いた先端側、次いで背中側を瞬きの内に断ち切った。
そうして、すぐさまジェットの肩に手を回そうとしたが間に合わず、ジェットがその場に膝を着く。
「ジェット!」
「すぐ追うから…早く…」
青ざめたジェットの顔を見て、ジェットもまた、やはり一刻の猶予もない状態であることを知るが、それでも、先に行け、とジェットは望むであろうこともまた、ダンは知っていた。
「救助要請はしている。動かなくていい」
両肩に手を置き、なるべく衝撃が少なくなるように、ジェットをその場に座らせると、ダンは、自分の雨除けを外し、肩からジェットに被せる。
「この子を預けたら俺もすぐ戻る。だから、無理するな」
「…ダン」
ジェットはダンを見つめると、うっすらと笑う。
「ありがとな」
「礼ならあとでいくらでも聞く」
最早こうなってしまったら、少しでも早く。
ダンは剣をしまうと、掌に爪が食い込みそうなほど、強くその手を握りしめた。
雨は未だ強く降り続いていた。
滝のように降り続く雨は、あっという間にダンの後姿を隠してしまい、それを見届けたジェットは、幹に手を当てて立ち上がろうとして、そのまま倒れた。
「はは…」
どうやら血を流しすぎたらしい。最早立ち上がる力すらないようだった。
神樹によって次々生み出される魔物。
殺しても殺しても、死んだ魔物を神樹の根が貫き、その生命力を糧にして、新たな魔物を生む。
そのうち、力尽きた仲間の身体さえ貫いて…
果てない戦いかと思っていた時、リーダーであり、ジェットの師匠でもあったレトラスさんが樹を焼き、燃え尽きるまで戦い続け、途中で力尽きた俺を、アッシェ兄さんが守ってくれて…。
そうして俺は一人生き残り、そうして俺は偽りの英雄になった。死んだみんなの誇りを守るために。
そんな俺が、これから新たに生きようとする小さな命を守って、樹に貫かれて力尽きるなんて、偶然にしても出来すぎだよな。
あの日、あの時、皆と共に死にきれなかった。
ただ一人生き残ってしまった。
その悔いを胸に、皆のためにずっと英雄を演じてきた。
そうして、やっとイルヴィナで起きた本当の戦いの結果を
みんなの雄姿を、人々の前で語ることが出来るようになって、やっと偽りの英雄である必要がなくなって…。
俺、頑張れたよな。
みんなが託してくれた命に、意味はあったよな。
「当たり前だよ」
突然の声に、ジェットは目を見開く。
そこには、彼を覗き込むようにして、レトラスが、アッシェが、あの日イルヴィナにいた29人の仲間たちが、ジェットを見下ろし、立っていた。
「お前は間違いなく、イルヴィナの英雄だよ」
ジェットの顔に叩きつけるように降り続ける雨の中に2筋の暖かな雨が混じる。
「ククルのことも、ずっと、ありがとな」
「にぃ…」
気づけばそこには、クライヴとシリルの姿もあった。
「俺…」
言いかけたジェットの言葉に、皆が頷く。
「うまく、やれたんだな…」
そう言って笑ったジェットに、アッシェがそっと手を延ばした。
さっきまで重く、動かなかった右手が、すんなりと延びて、その手を握り返す。
そうして、柔らかな笑みを浮かべたまま、ジェットは静かに目を閉じた。
本編で数多くの苦難を乗り越え
ようやく本当に安心して
自分の還る場所を手にすることができたジェット・エルフィン。
その彼が、なぜ命を落とす事になったのか。
身体能力のずば抜けて高い彼が
それでも命を落とした理由
作品世界においてメタ的な立ち位置から
命を落とした理由
それらについて、自分なりの答えが欲しくて
考えた結論がこの作品でした。
死という終わりを迎えるには
まだ早かったと思いますし
本人もそれを自ら望んでいたわけではないでしょう
それでも、もしも自らの命が終わることがあるとするなら、
あの日、イルヴィナの悪夢の日に、
自分も仲間たちと共に果てることができなかった
その贖罪となるような死であることを
彼は望んでいたのではないか、と思うのです。
そう考えたとき、短編「その温もりをこの身へと請い」における死こそ、正にイルヴィナと近しい条件だったのでは、と。
ジェットの死がせめて安らかであることを願って
この作品を作者様の小池ともか様と英雄ジェット・エルフィンに捧げます。