三章附記 『さくにゃ姫』
『竹取物語の時間』まで読了してからお楽しみください。
2月10日(日)
円城が一時帰国から、またアメリカに戻って5日。
テレビから、日曜日特有のだらっとした空気が漏れている。
休みといっても、一人暮らしの男の家で、何か変わるわけでもない。
そういえば。
受け取ったまま、リビングのテーブルに置きっぱなしにしていた箱の存在を思い出した。
縦横20センチほどでほぼ直方体に近い。鮮やかな赤いリボンがかかっている。
ふたをあけると、一番上に冊子が載っていた。それなりに厚みがあって……説明書らしい。
表紙には横書きで「SAKUNYA―HIME」とある。
1ページ目をめくると、製品の概略らしい説明があったが、全て英文だった。
翻訳しながら読むのを億劫に感じて、直接箱に手を入れてみる。
箱の内側には、衝撃吸収材で台座が作られて、丸っこい物体をしっかり支えていた。温かみを感じる――フェルト状の手触りの、丸い達磨のような、人形のようなものが据えられている。
箱からそっと取り出して、上から下から、眺めてみた。
高さ15センチほど。
ほぼ二頭身の、まんまる顔の頭の上にネコミミ。
全体としては女の子の顔だが、口元は猫。丸い目は閉じている。足はついていないが、身体の左右にアシカのようなヒレがある。
胸元が着物の襟っぽいデザインになっているところを見ると、着物を着た幼い姫のイメージなのだろう。ひっくり返すと、裏側に充電ジャックと電源スイッチがあった。
こんな商品、見たことないぞ、と思いつつ、電源をオンにする。
にょにょ?
おっと。
起動音、なのだろうか。鳴き声のようでもあり、電子音のようでもあり……微妙に生き物っぽい「声」にびっくりした。左右の手を、ちいさくぱたぱた振っているのは、落ち着かないアピールか?
テーブルの真ん中、安定したところに置いてみた。
閉じていた目がすっと開く。
真っ黒で、大きな目。こっちをじっと見ている。まるで……。
箱の中には、説明書と別にカードが入っていた。たどたどしい筆跡で、一筆書いてある。
「さくにゃひめ」です。かわいがってあげてください Charrotte
なんだこりゃ。
後回しにしてた説明書を拾って、 ざっと単語を追ってみた限りでは、様々な機構を組み込んだロボットおもちゃということらしい。
さくにゃ……って、これ、どう考えても円城をモデルにしてるだろ……
今度シャーロットに会ったら、詳しい話を聞いてみよう。
とりあえず、さくにゃはデスクのノートPC脇に置くことにして、持ち上げた。
にゃーにゃーにゃー
地面がないと、落ち着かないらしい。手をぱたぱたさせる。
デスクに落ち着けると、にゃ、と小さく鳴いて静かになった。
黒目が、微妙に動いて、こちらの顔に目を向けている。
外部カメラに、顔認識――相当凝った仕掛けが入っている。
こんな人形一つでも。
少し、部屋がにぎやかになったように感じる。
「よろしく、さくにゃ」
――つい、言ってしまった。
にゃん!
音声認識まで……やはり凝りすぎだ。
◇
2月5日(火)
夜、センセイが喫茶店を出た後。
ロッテが言い出して、私の家でご飯を食べることになった。
お母さんはロッテとご飯……となんだかうきうきし始め、お父さんはどうするのかな、と思っていたら、一緒に食べるつもりらしくさっさと帰ってきた。こういうところ、親バカというか、姪バカだと思う。
ご飯を食べたあとリビングにいたら、お父さんがいつまでもロッテを離さなくなる。だから私の部屋で紅茶を淹れた。ロッテはもうクッキーの缶を開けている。
紅茶のカップを口に運びながら、ロッテが言った。
「咲耶、明日の便でアメリカ帰るんだよね?」
「……ほんとは戻りたくないけどね。仕方ないかなって」
「鉄おじさんのことも考えて、だよね……優しいね、咲耶」
「……やめてよ」
正面から言われると、むかっとするのと、ちょっと恥ずかしくなるのと、半分ずつ。
なんだかんだで、私もお父さんには甘い。
「辰巳を一人にするの、心配?」
「うん。でも……」
「浮気とかの心配じゃ……ない」
ロッテの青い瞳が深いところに入ってくる。
こういうところ、大人の女性だなって思わされる。
喫茶店で話すセンセイは……すごく辛そうだった。
「だって……センセイのあんな顔」
ロッテが目を細めて微笑む。
「そうだよね。咲耶、すっかり一人前の顔。ふふん。お姉ちゃんが、大人になった咲耶にご褒美をあげましょう」
そう茶化すように言って、ノートPCを取り出し、机に置いた。
画面をこちらに向けてくる。真っ黒で、大きな四角が映っていた。
「これ、何?」
「私が作ったロボットが今見ている景色」
「真っ黒じゃない」
「……残念ね。まだ辰巳、箱から出してくれてないみたい」
な。
……まさか。
黒い画面からいきなり目が離せなくなる。
もしかして、もしかして、このロボットが今あるのって。
ロッテの微笑みはそのまま。
「そう。咲耶が考えているとおり。このロボット、今日の別れ際に辰巳に渡したの。まだ箱から出してもらってないけど、そのうち……」
「ロッテ、ダメ、それはダメ。そんなののぞきじゃない。そんなの……」
んふ、とロッテが笑った。
「ただロボットの視界を共有しているだけよ。そもそも、こんなので覗いたって誰が辰巳に言うの? 咲耶、バラす?」
「……それは……しないけど」
「じゃ、ばれないね」
ロッテのニコニコ顔が怖い。
ロボットおもちゃの開発に参加したついでに、趣味でつくった特製バージョンがこの「さくにゃひめ」なのだそうだ。ご丁寧に、外から見た姿も資料で見せてくれた……どう考えても私がモデル。なんて恥ずかしいものを。
カメラやマイクを内蔵し、周囲の人の顔を認識したり、音声に反応したりする機能も組み込まれているという。
「今は3Dプリンタも個人で持てるからね。製品版とは見た目も全然違うし、いろいろ作り込んでみたよ」
「それにしても、私がモデルなんて……」
「……辰巳の反応、見たいでしょ?」
ぐっ、と返事に詰まってしまった。
ロッテは私のスマホにも手慣れた様子で「さくにゃひめ」用の管理アプリケーションを入れてくれた。
アプリを立ち上げて、画面をONにするとさくにゃの視界が見られるようになり、マイクからの音も聞こえる。こちらからは、一応マイク入力もついているが、ロッテも「直接マイクで話しかけるのはさすがに……」と。
それ以外にも「にゃん」「にゃ?」「にゃー!」などの発言+ジェスチャーボタンが並んでいる。これを押すとさくにゃがそれぞれの声で鳴いて、手をパタパタさせて動くらしい。
「辰巳が寂しそうだったら、押してあげたら?」
「……誰かが操作してるって、バレない?」
「バレるかもね」
冗談じゃない……ほんとに冗談じゃない。
◇
2月14日(木) 午後3時
アメリカに戻って十日が過ぎた。
生活は、元のペースに戻った。
昼間学校で勉強して、夜は寮で寝泊まりしている。ウィリアム家でホームステイすれば、とも言われていたが、それはさすがに……と断って、寮住まいにしてもらった。
今日は学校のあと、寮に大急ぎで帰ってきた。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ「さくにゃひめ」アプリを立ち上げようと思ったのだ。のぞき見アプリ、と考えると、さすがに人目のあるところではまずい。自室に戻って、ドアに鍵をかけた。
スマホを取り出す。
センセイ、ごめんなさい。ほんのちょっと、確認だけ――心でそんな言い訳をしながら、アプリを立ち上げる。
――ほんとはセンセイの声が聞きたいのだけど。
今こちらは夕方。だけど日本とは13時間の時差があるから、向こうはもう深夜、ということになる。センセイもさすがに朝の4時なら寝ているはず。
だから、そのタイミングにほんのちょっとだけおじゃまして、バレンタインのプレゼントが無事届いたかどうかだけ、確かめることにした。
何かと遅れたりする国際便で、無事に荷物が届いたかの確認……それだけ、本当にそれだけの用事。
アプリを立ち上げると、驚いたことに部屋は明るかった。
センセイ、まだ起きてるの?と思ったけど、そうじゃなかった。
白い壁。本棚。そして、ベッドと……その上に横たわるのは――センセイ!
センセイだ、センセイだ!
10日前に一度会っているのに、それでも懐かしさがこみ上げてくる。
ベッドの枕元に置かれている包み……あれは、私が送った荷物。
無事バレンタインに届いてた。よかった。
安心して、カメラを切ろう……と思ったのだけど。
もう少しだけ、センセイを見ててもいいよね、と思ってしまった。
寝ているところを見ているだけ。
センセイが起き出したりしたら、すぐやめるから。
「……すまない」
?
センセイの寝言だ、と気付くのに、少しかかった。
「すまない……本当に、すまない……」
センセイ……うなされてる。
寝ているセンセイの顔をアプリでズームした。
寝たまま、うなされて。
センセイ……泣いてる。
◇
夢だ、とわかっていた。
水の深まる中を、必死で探す。
彼女はここにいたはずだった。確かにいた、それ自体は事実として認識しているのに、姿は見えない。夢の中らしい、不条理な話だ。
それでも、夢だとわかっていても、ダメだ。
いたはずの彼女、手を握れない彼女、その喪失感だけが、恐ろしいリアリティで胸に突き刺さってくる。痛みが酷くて、身動きが取れない。
――また。また失うんだ。
水をばしゃばしゃと叩く。
いたはずの彼女を失った自分。
そしてそれは、十分にわかっていることだが……俺のせいなのだ。
――許されるなんて思ってない。
握れなかった手、帰ってこない人。
――すまない。
「にゃ」
見つからないとわかっているのに、無為に彷徨い続ける。夢は、底なしの沼のように俺を取り込んでいく。沈みながら、ただ懺悔を繰り返す。俺自身の息が続かなくなるまで。
――すまない。本当にすまない。
「にゃにゃにゃ!」
視界が明るくなった――部屋の様子が見えてくる。
目が覚めて、寝たまま泣いていた自分に気付いた。
さくにゃひめが視界に入った。
このおもちゃ、こちらから話しかけたりしない限り、勝手に鳴くようなことはなかったと思うが……うなされてるうちに、反応させたか?
さくにゃひめに近づき、目を覗き込んだ。
「おまえに、引き戻してもらったの……か」
大きな黒目が、じっと見返してくる。
「ありがとな、さくにゃ」
◇
「で、アプリの使い心地はどうだった?」
「え……」
思わず黙ってしまった。
電話の向こうのロッテの声に、いたずらな笑いが混ざった。
「隠しても無駄よ。バレンタインの夜、辰巳の部屋チェックしたでしょ。それに、さくにゃの鳴き声ボタンも――何度も押したログが残ってるけど、何したの?」
あーもう。
さすがロッテ。
うなされていたセンセイをほっとけなくて、私は思わずボタンを押した。
あれ以来、私はさくにゃでセンセイを見守りたい、という気持ちが強くなってしまっている。それが正しいことで、センセイを助けることだ、と勘違いしそうになってる。
だから、ロッテに隠し事はせず、やったこと、今の気持ちを正直に話した。
ロッテは私の話を聞いた後、ネット経由でアプリを削除してくれた。
さくにゃひめは、ただのおもちゃロボットに戻った。
でも、私はいつか、さくにゃひめの機能をセンセイにちゃんと知ってもらったうえで、またアプリを使いたい、と思ってる。仕組みを全部話しても、笑いあえるような関係――センセイとそうなれたときに。また、あらためて。
だから――その日まで、私の代わりにしっかりセンセイのこと、見ててあげて。
よろしくね、さくにゃひめ。
『さくにゃひめ』 了