表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「早朝のコーヒー或いは夕日とタバコ」

作者: 九条シオ

 目が覚める。無意識のまま枕もとのスマートフォンを手に取り画面をタッチする。何時間も閉じていた目にとって、スマートフォンの光はまるで閃光弾のように写る。直視することが出来ない。

半開きの目で画面を見ると432と並んだ数字が目に入る。まだ、早朝のようだ。

 体は脱力感で覆われており、脳が活動を開始していないことを現している。

 それでも、私は考えることなく身体を起こし、キッチンに置いてある電気ケトルに水を入れ電源を入れた。その間、カップにインスタントコーヒーの粉と砂糖を目分量で入れる。

 しっかりと計って入れないのは寝起きだからではない。元からガサツな性格なのだ。

 普段はブラックでコーヒーを嗜む私なのだが朝だけは別だ。脳が糖分を求めているのだろう。自然と砂糖に手が伸びる。

 2か月前、ワンルームのアパートに引っ越しをした。キッチンが同じ部屋についてるのは移動距離が短くて済む。などと考えているうちに5分ほど経ち、電気ケトルから音が鳴る。お湯が沸いたようだ。

 用意していたコーヒーカップに沸騰したばかりのお湯を注ぎ、かき混ぜる。一口味見をした後、出来立てのコーヒーと、タバコをもってバルコニーに足を運んだ。

 最近はアイコス、グローといった電子タバコを愛用している人が多いようだが、私は未だに紙で巻いてあるタバコを吸っている。

 電子タバコを吸っていた時期もあったのだが数週間ともたなかったのだ。味の問題ではない。紙タバコに火をつける時のライターの音、ジジジと渋い音を立てる灰、吸っている様、それが好きなのだ。

 沸騰したばかりのお湯で火傷をしないようにゆっくりとコーヒーを飲む。この場合「飲む」というより「すする」といったほうが正しいだろう。

 二口ほどコーヒーをすすった後タバコに火をつける。一本目のタバコを吸い終わった頃に私の脳はやっと目を覚ます。

 そうして気が付くのだ。ああ、仕事に行かなくては、と。

 シャワーを浴び、ネクタイを締め、弁当箱に昨日の夕飯の残り物を詰める。毎朝同じことを繰り返しているからか、まだ早朝だからなのか、決まって家を出るときにはこの行為を覚えていない。無意識のうちに行っているのだ。

 朝6時に始まる私の仕事は15時には終わる。帰りに買い物をしても16時には家に着くのだ。帰り道で寄ったスーパーで購入した弁当をレンジで温める。

 なんともまぁ味気のない食事だ。

 少し早めの夕飯を食べ終えると、一日が終わりを告げたように思える。

 そうして私は、またバルコニーに足を運ぶ。今度は梅酒と一冊の本を持って。

 太陽が沈みかけ、外にいても暑苦しくない。時折吹く風が寧ろ冷たくさえ感じる時間。

 このゴールデンタイムに私は梅酒を味わいながら小説を読む。

 夕日に照らされ、ほんの少し酔いながら読む小説は、普段部屋で読んでいる時とは比べ物にならない程、確実に、鮮明にその世界観に入り込むことができる。「小説を読むのに適した環境ランキング」なんてものがあったら間違いなく図書館を抜いて一位になるだろう。

 特別趣味もない私には、朝に飲む一杯のコーヒーと夕方に嗜む梅酒と小説、その合間に吸うタバコだけが退屈な日常の中で感じる唯一の楽しみだった。


 小説を読み終えた私は、部屋に戻り、ソファーに腰を掛ける。ポケットからスマートフォンを取り出すと慣れた手つきでそれを操作する。

 私には、これらの娯楽の後に決まって毎回することがあるのだ。「SNS」だ。

 際立って変わったことをしているわけではない。コーヒー、梅酒と小説、バルコニーから見える景色。これらを写真に収め200人近い友人が目にするSNSにアップするのだ。友人からの評価、つまり【いいね】をもらうとついつい口元が緩んでしまう。

 どうして何の変哲もない日常をわざわざアップするのか、何を目的としているのかは私にも分からない。ただ、この行為が唯一の楽しみたちに疑問を抱かせてしまっている。

 コーヒーを飲む、小説を読む、タバコを吸う。毎日繰り返している私の娯楽だが、これがないと私の人生はどれほど色褪せてしまうのだろうか。とさえ思う。

 しかし、これらには決まってSNSがついてくる。

 どんな写真を撮ろうか。どうすれば【いいね】をたくさんもらうことができるか。物の配置。気が付けばそんなことばかり考えてしまっている。

 小説を読んでいる時間よりも、小説と梅酒を並べて写真を撮っている時間の方が長い時だってあるのだ。

 そうしたことを繰り返しているうちに私は、好きだからSNSにアップするのか、SNSにアップしたいから好きだと思うようにしているのか。コーヒーもタバコも梅酒も小説も、実は嫌いなんじゃないかと思うようになっていた。

 だったらSNSなんか辞めてしまえばいいのに……。頭の中の自分が囁く。

 そんなことはわかっている。辞めたいのだ……

 しかし、現代の若者にとってSNSとは日常生活において絶対に欠かせないものになっている。日常のふとした瞬間、遊びに行ったときの写真。多種多様なジャンルの画像が日々、SNS上に姿を現している。SNSに写真を上げるためだけに出掛ける人だって少なくない。

 そんな時代だからこそ私も自然とSNSをやり始めるようになってしまったし、依存といっても過言でない程、常にSNSを確認してしまうし辞めることだって出来ないのだ。

 SNSを辞めることはこのネット社会から、いや、この世界から疎外されてしまうことに思える。

 であるならば、SNSがこの世の中に存在いなかったら、どうなるのだろうか? 私はそれでも早朝にコーヒーを飲むのだろうか。

 ……飲まないと思ってしまった。この気持ちに気が付いた時、私がこれまで好んでしてきたことが悉く空虚なものであったと感じた。

 私という人間が酷く、曖昧な存在になってしまった。

 そうなのだ。私はコーヒーが好きだったわけではないのだ。早朝にコーヒーを飲んで物思いに更けている自分の姿が好きだったのだ。その行為をかっこいいと思っているのだ。それを友人たちに見てもらいたいのだ。

「人は一人では生きていけない。」これは助け合い、支えあう人間の素晴らしさを謳っている言葉ではなく、人が生まれたときから兼ね備えている承認欲求、共感欲求を満たすための言葉であるのだと私は悟った。


 結局のところ、私は愛に飢えていたのだ。人に認められること、評価されること、愛されること。

 それが欲しくて日々生きていたのだと。だがそんな私を恥ずかしく思う必要はない。人は誰かを愛し愛される生き物だ。愛を求めて行動してしまうことはなにも悪いことではないだろう。

 時間がたつとお腹が空くように。乳児が母乳を求めるように。人は愛を求めてしまうのだろう。

 そんなことを考えながら私はまたSNSを開いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ