第二章 曙光篇 #8-1 どんなに環境が悪くても頑張っている人はいる
「ねえ、ボス。あれ、どう思います?」
啓一くんは潜在的な恐怖心を持っていました。幼き日に、母親から受けた虐待。その後遺症で、自分に落ち度がなくても、叱られる! ぶたれる! そう思うと、条件反射のように足がすくみ、されるがままになってしまうのです。
「ど、どうって・・」
啓一くんが、若手社員氏にうむをいわさず連行されたのは、自分のことでもなければ、ヴィーガン砂田さんのことでもなく。チャレンジならぬ、「バイトメンバー励まし隊」のワンマン隊長、よっちーさんの案件でした。
「最初、覆面してたんで、さすがにそれは脱いでもらったんですが、その下にまさかの」
いつ施したのか、よっちーさんは、グレートなプロレスラーか、歌舞伎の重鎮役者のような。顔に派手なくまどりを塗っているのです。
「サボってる人はたまに見かけるけど。覆面かぶったり、顔塗ってるプラカードの人、僕は初めてみましたよ」
痛みに耐えてよく頑張った、感動した! とは真逆の、震撼した、心底ビビった。そんな顔で、若手社員氏は起きたことを説明し。
「これがお宅の派遣会社への、「クレーム案件」なのか、僕にはよくわからないんですよ。ねえボス? あなた今日、「バイトリーダー」ですよね? ボスの口から、緑の人に顔を洗って出直すよう、優しくいってくれませんか?」
驚きで近づく勇気すらないのか、若手社員氏と離れた位置から盗み見るよっちーさんは。家族づれの子供に手をふられると、右手を突き上げ歌舞伎の大見得を切ったりしています。
「でも、客へのアピール度は高いじゃないですか? 子供大喜びですし」
「うーん・・」
「申し訳ないですけど、僕は集合場所で電話受ける係なだけの、同じ時給で働くバイトなんで。一緒の人が何をしようと、とやかくいえる立場にはないんです。それに、業務中に覆面を被ったり、顔を塗ったりしてはいけない。登録説明会でいわれてないですし」
「盲点を突かれたな・・」
若手社員氏はうめきましたが、啓一くんは、内心、感動していました。俺、ちゃんと喋れるじゃん。外に出るということは、他人と関わる、コミュニュケーションを取るということです。友だちが・・最初に、当たり前のように口に出て。いじめや不登校、ひきこもりとは無縁で、友だちが絶えたことのない子たちのような。ぽんぽん飛んでは消えていく、空気のような自然な会話は無理でも。バイト先で困らない程度の会話のやり取りは出来る。
これは22年浪人した啓一くんには大朗報です。ただ、他人と話をするのが超久しぶりすぎて。相手のいっている意味が、漫画のように漢字にふりがなつきで「読む」のではなく。すべてひらがなで「聞く」ので、意味を取り違えてしまったり。発声することがほとんどなかった声帯ゆえに、弱弱しい声量で相手に聞き返されることも多々ありますが。
俺はとりあえず社会復帰、その第一段階を。善人、悪人両方からの「ニィーティストの知恵」は借りたけど。それ以外は誰の力も借りず、俺自身の力で成し遂げた。22年ひきこもりの、職歴なしの35歳。「世間一般の常識」に照らせば、俺は完全に終わっている。だが、俺自身がそんな幻覚に騙されず。「ニィーティストの知恵」を借りれば。俺はまだ輝いたことがなかっただけの曙光。長い夜の闇はようやく終わり、これから太陽が昇り、いずれ明るい晴天になる・・
「ひどいなあ、他人事だと思ってにやにやして」
はず。そう信じよう、今、この時だけでも。35歳で初めてのバイトだって、それがあかの他人に何の関係があるんだ。俺は好きな生き方を、自分で選べる基本的人権を有した、「大人」なんだ。もう「世間一般の常識」が、大人が子供にいうような態度で、俺を屁理屈で脅しても。同じ「大人」として、子供頭勉強バカどもに「人権」を教えてやろう。
何を勝利したわけでも、まとまったお金を得たわけでもないのですが、啓一くんはその日はすがすがしい気持ちで、嫌気がささずに立ち続け、
「さっきはすみませんでした。これ、緑の人にびっくりしちゃって、朝に出すの忘れていたんで」
若手社員氏が、わざわざ折り畳み椅子を持って来てくれ、これは楽だ。座って看板を支えているだけで時給千円か。啓一くんは王様のような気分すら味わい、時間は午後5時になりました。
「なんや、そない一幕があったんですか」
プラカードを返すと、ヴィーガン砂田さんは煙のように消えてしまったので、啓一くんはよっちーさんと駅に向かいました。
「でも、あそこまでバイトエンターティナーする人・・」
は、昨日も見たけど、あれは休憩中だから。
「僕は初めて見ましたよ」
「あれは人を楽しますためちゃいます、自分のためです」
啓一くんが大げさにほめると、くまどりを落としたよっちーさんは、素顔を曇らせました。
「ねえ、内海はん。あなた僕の平日のワーク、興味あるいうてはったじゃないですか?」
人には聞いていいこと、悪いこと。聞かないでほしいこともある。それは啓一くんも同じです。
「はい。もし差支えなかったら、どんな現場で、時給がいくらか教えていただけると助かります」
ほんの少し前までの、「社会」「世間一般の常識」という幻覚に怯え、怒っていた、ニィーティスト変身前の啓一くんはもういません。啓一くんは、まるで保夫叔父の家を訪ねた、小学生の頃のような快活さで、よっちーさんに聞きました。
「時給ちゃいます、僕の平日ワークは月給制です」
「正社員ですか・・僕には敷居が高いな」
「内海はん、福祉関係には興味ありまっか?」
やっぱそっちか・・ハロワで手に職がない啓一くんや金兄が。バイト職員に、強引に勧められる唯一の仕事。慢性人手不足で低賃金の・・
「介護ですか・・えり好みしちゃいけないんだろうけど、僕は高齢者苦手なんですよね」
とくに悪天然親父と毒母が。
「皆さん、最初はそうおっしゃるんですが、福祉はやってみると楽だし、ああ見えてやり甲斐もあるんですよ」
「えらいなあ。高齢者の相手とか、介助とか。僕にはとても務まりませんよ」
「内海はん。ぶっちゃけ、僕の手取り、月13万5千円だ」
「それで休日もバイトを。なんか僕、よっちーさんに申し訳ない気持ちでいっぱいです」
人は見かけによらない。突飛な服装やバイト中のくまどりといい、よっちーさんは銭金抜きで、とことん「人に尽くす」タイプの。根っからの善人なんだな。啓一くんは思わず頭を垂れました。
「でもね、福祉にはいいこともあるんですよ」
「高齢者や、そのご家族に感謝されたりですか? その気持ち、プライスレス的な?」
「いえ、今日のバイトの金で、やっすい風俗行って病気もらっても。ワシら「福祉関係」は医療費タダですからね。そりゃ「やり甲斐」もありますよ」
「エ?」
啓一くんは、よっちーさんに対する尊敬の念が、得体のしれぬ寒気に変わるのを感じながら、おそるおそる聞きました。
「それって、具体的に・・どういう風俗ですか?」
啓一くんが真剣な顔で聞くと。よっちーさんは指をチッチッチと振り。
「内海はん、「ツッコミどころ」がちゃいまっせ」
さすがにムッとした顔をしました。
「ワシが、プラのバイト中、覆面したり、くまどり塗ったりするのは、「副業禁止」だからなんです。誰が時給千円で、好きこのんであかの他人の、そこらのきったないガキ喜ばしますか? ワシは業務中は顔出しNGやから、あんな扮装しとっただけや!」
よっちーさんは、バイト中とは違った意味で、手を突き上げて大見得を切りました。福祉関係、手取り月13万5千円、医療費無料、副業禁止。啓一くんにも、ようやくよっちーさんの実態が見えてきました。
「内海はん、あんたもええかげん子供部屋出て、N○K無料視聴ゲットせんと、もう親と刺しつ刺されつ待ったなしやないんですか? 怖いですな、底辺の時給仕事は。どんな「愉快な仲間」と組まされるかわからんですから。無政府状態・イン・ザ・バイト現場や!」
ごくり。啓一くんは思わず生つばを飲みましたが。駅につくまでには、まだ20分はあるのでした。
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