第二章 曙光篇 #2-3 バイトチャレンジ一か月に挑戦
「おい、なんだそのプラカードの持ち方は!」
バイト初日、えんじ色の三つ揃いスーツ姿の啓一くんが、「新築マンション販売中」の看板を持って立っていると、突然、背後から軍隊の教官のような怒声がしました。啓一くんが驚いて振り向くと、そこには啓一くんが住む世界が一番下なら。人をひき殺しても逮捕されない最上級とまではいかなくても。きちんとなでつけられた髪、嫌みのないが仕立てのいいスーツ。おしゃれは足元からを地で行く、見るからに高そうな革靴。一部の隙も無い出で立ちで、お客様に一生に一度の高価なお買い物をご案内させていただく。元請け、下請け、孫請けと、何重にも抜かれたはいますが、一応は啓一くんの正式な雇用主。一流不動産会社の正社員が、般若のような顔で啓一くんを睨んでいるのです。
「さっき言った通り、プラカードを持つ時は、足のかかととかかとをくっつけ三角にし、背筋はバッキンガム宮殿の衛兵のように伸ばし。業務中は常に顔面の筋肉を引き締め、ターミネイターのように無表情で微動だにしない。君は一つも守れていないじゃないか!」
「す、すいません!」
DQN崩れが正社員として調子こいてる、一時間半だけ所属した、あのしょーもない仕分け倉庫よりは。このバイトの方がはるかに民度は上。それに、ただ看板持って立っているだけなら、俺にだってできるだろうし、失敗のしようもないだろうが。啓一くんの甘い目論見はもろくも崩れました。
「おい君、いつ床屋に行った。君の仕事はただプラカードを持って立っているだけじゃないんだ。モデルルームにいらっしゃるお客様を、一番最初にご案内をする接客係なんだ。それなのに、君の髪型ときたら、床屋代をケチって自分で切り、浮いた金でパフパフの性筒を買う、キモオタそのものじゃないか!」
「う」
啓一くんは、図星をいわれ、うろたえました。子供の頃は床屋さんで切ってもらっていましたが。ある程度、年を取ると。床屋さんの散髪代もそうですか、最初に髪をシャンプーしてもらったあとの、カットに入るタイミングでの、
「今日は、お仕事は、お休みですか?」
理容師さんの戦慄のつかみトークが怖くて、いつしか床屋さんから足が遠のき。すっかり前髪が薄くなった今は、誰に会うわけでもなし。風呂場で適当に切っている、それはみすぼらしいざんばら髪なのです。
「30分やる。千円カットで髪を整えてくるか、ゲーマンプロジェクトにチェンジをお願いするか。二つに一つだ。さあ、どうする! どうする!」
「でも僕、今日は交通費しか持ってなくて」
「あ、ゲーマンプロジェクト? あのねえ、今日来たキャストさん、パネ写と全然違うんだけど。そう、僕の指名はスレンダータイプってくどいほどいったよね」
「そんな、僕、お金がいるんです! すいません! バイト続けさせてください」
車を運転していたら、急にブレーキが効かなくなり、前のベンツに追突したり。どう見てもまともじゃない狂気集団に取り囲まれたり。絶対絶命。覚悟を決めた時。
「うわ!」
ハッと夢から覚めたりすることが多々あります。啓一くんは、朝はアクションスターのように、台風の目の中、派遣会社まで決死の出社をしたり。自分は生きるか死ぬかで来ているのに、遊び半分で登録にきている、無言ジャンプスーツくんに度肝を抜かれたり。これもいつかはいい思い出になるのか? 池袋の街をさまよい、コンビニの喫煙所で求人メールを待ち。空腹で朦朧としながら帰宅すると。その根性論で勝てるのなら、戦争も五輪もW杯も・・いろいろな意味で馬鹿は死ななきゃ治らない屁理屈というより、もはや虐待に近い、これから金はお前が自分で稼げ。毒親からのもう金の援助はしない宣言。
試練ばかりがありすぎて、啓一くんはベットに横になると空腹も忘れ、気絶したように眠っていたのです。スマホを見ると、まだ午後八時です。いっそのこと目が覚めたら、今日は月曜日。事実上の人生初バイトは、土日ともつつがなく無事終了した。ならいいのですが、実際は今日一日すら終わっておらず、メールを開いても、土日入れるかの確定メールもまだ来ていませんでした。
啓一くんは、父修二さんの。悪いのは全てお前だが、父の責任、度量でお前を見捨てなかった。その甲斐あって、ようやく父の深い愛に気づいたお前が、お父さんの恩情に報いるべく動き出した今、父は息子を千尋の谷に・・
やかましいわボケ! 今必要なのはお前の自分勝手なたわごとではなく、30,000円の現金なんだよ!
立っている、の他に、腹も空いているので、鍵を開けてそっとドアを開くと、特大おにぎり、ポテサラ、ソーセージ焼き等の、ボリューミーな食事が用意されていました。
ったく、俺は子供じゃねえぞ!
毒親というのは、子供を苛立たせる天才です。啓一くんの母、房代さんは、お父さんが息子に手厳しいことをいった今こそ、母の愛の深さをアピールするチャンス。自分が啓一くんに何をして、今に導いたかも都合よく忘れ、タコさんウィンナーなど、心づくしの手料理で、今更啓一くんの歓心を得ようとします。こんなものを作ってる暇があったら・・お父さんはそういっていたけど。丼の下に心ばかりの「寸志」の現金30,000円をそっと忍ばせて・・はいないのでした。この気持ちを金兄に聞いてほしくても、スマホの残高が38円では電話もかけられません。
俺も親もこの現実もすべてが情けない。もし啓一くんとは別角度のひどい生育環境に置かれた者が。いざというときに備えて「武装」していて。親にしろ親戚にしろ、成人男性の俺を勝手に「ひきこもり」だと決めつけ。どうせ何も言い返せないだろう。調子に乗って大人が子供にいうように、上から目線で何の役にも立たない、同じような説教をされたら? 今こそ、もう人生を諦めて「決起する時」だ。うっかり背中を押してしまい、社会を震撼させる大惨事を誘発したかもしれません。
今日は木曜ですから、人生初のちゃんとした(?)バイトに入れるかまで後1日あります。啓一くんを苛立させるのは、早くはっきりしてほしい。どっちみち今からバイト1か月チャレンジを開始しても、最初の給料が入る頃には、まーやの東名阪ライブの先行販売は終わっています。あとは一般発売で買うか、ネットで買うかの一か八かです。
土日のバイトに入れるか悶々とし、そのためにバイトを始めた、まーやのチケットが取れるかに悶々とし。これからどうなるか以前に、バイト先で嫌な奴と一緒になったらとまた悶々とし。今までのニートひきこもりからきっぱり足を洗い、生まれ変わった気でいても、俺の現実は何一つ変わっていない。これから始まる新世界、領域に悶々とし。
「痛い」のは生きてる証拠だなんていうけど。ただの痛い俺から、バイトに入れるか悶々と苛立つ。少しは進歩したのかな。まあ、なるようになる・・とまでは割り切れないけど。このまんまで俺だ! なんて態度で、仕事で人様の前に出るのは大人げないから。明日は1,000円カットにいって散髪して、金兄のバイト現場を直接訪ねてみよう。けっして良くはないけど、いぜんよりはマシになった。それでいいじゃないか。
なんとか心の整理をつけた時、ゲーマンプロジェクトからメールが届きました。
お疲れ様です
エントリー頂いたプラカード業務、土日とも確定致しましたのでご連絡致します。
いよいよ、啓一くん15年ぶり2度目のバイトが決まりました。ですが、啓一くんは甲子園出場を決めた球児とは違い、暗くはないのですが、さりとて嬉しそうでもないのです。啓一くんはしばしスマホを目視すると、返信ボタンを押し、
お疲れ様です、スタッフ内海啓一です。土日プラカード業務了解しました。
すらすらと打って、迷わず送信すると、ああ。啓一くんは大きなため息をついて、不安そうにベットに横たわるのでした。
( `ー´)ノ




