第二章 曙光篇 #1-3 啓一くんは試練番長一年生
切符を買ってホームに向かおうとすると、改札はIC規格乗車券しか使えないものばかりでした。二つある、切符を通せる改札の一つは、不具合でもあったのか修理中です。啓一くんが、唯一通れる改札に向かうと、下り電車から降りて来て、外に出るおばさんに。間一髪、早押し競争のように、先にパスモを押され、通れなくなりました。他の改札は開いているのに、あとから来る乗降客は、まるで啓一くんに恨みでもあるかのように、なぜか切符を通せる改札に殺到し、啓一くんがようやく改札を通過し階段を下りると、遅延の影響で、たまりにたまった乗客で、ホームは立錐の余地もありませんでした。
「まもなく、三番線に上り電車がまいります、黄色い」
今現在、どんな運行状況なのか? 啓一くんが電光掲示の案内を見上げると、まるで誰かが意地悪でもしているかのように、急に外国語表示に切り替わります。
ガン見してようやくダイヤを確認すると、これから入線してくる、本来なら急行電車は各駅停車に変更され。この電車の次は、30分後。同じ各駅停車との表示です。
急行なら25分ですが、各駅停車ならなら40分は見ておかなくていけません。時計は午前八時半を回っています。どんなに混んでいても、この各駅停車に乗らなければ登録説明会には確実に遅刻です。バイト現場以前に、登録説明会に遅刻なんて、その時点で俺は「社会人失格」だ。
「お前はなにをいってるんだ?」 有名なネット写真を持ったラウンドガールが、啓一くんの頭のまわりを、衛星軌道でぐるぐる回りそうなことを思いました。ですが「失格」扱いこそが、世間一般の常識の考えです。うっかり22年ほど活動休止してしまった。「失格」ではなく「不合格」で、長らく実家浪人していた。その過去を、今更、振り返り、悔やんでも仕方がありません。なら、これから「合格」を目指して、予備校代わりのバイトをまず始めよう。それでいい、啓一くんは自分を叱咤しました。
「うわ!」
入線してきた電車は、混んでいるどころではなく、乗れるのか不安になるほどでしたが、普段、通勤で使っている、啓一くんと同じ背広組は。ここぞとばかりにわっせわっせと、力任せに電車に自分たちを押し込み。その波に飲み込まれるようにして、啓一くんも相当苦しい態勢ですが、無事、乗車出来ました。
「のう、こんな(啓一くんのこと)とワシはダチじゃけん。なんか困ったことがあったら、これからはお互い相談し、助け合おう。ワシのバイクでよければ、いつでも出しちゃるけん」
シンポジュウム後の別れ際、啓一くんの肩をぽんぽん叩きながら、金兄は笑顔でいってくれました。
連絡先を交換しよう。当然、そういう話になりましたが、啓一くんは携帯を持っていませんでしたし、金兄もパソコンやメールは苦手だといいます。
「でもよ、家電くらいあるじゃろ」
「親とあんまりうまくいってなくて、家の電話は使えないんです」
金兄は、大丈夫と大きくうなずき。
「心配すんな、もしワシのやってる看板持ちのバイトに空きがでたら、ワシが真っ先にあんたに、電報打っちゃるけん!」
一応、自分の住所と金兄の携帯番号を交換したけど。
電報。
俺はいつの時代の人間なんだ? 過去を振り返って悔やんでも、もう変えようがないし無意味。それはわかるけど、こうして行動を起こせば起こすほど、忘れていた負の遺産が、次々と俺の行く手を邪魔するじゃないか。
何か、動き始めた俺の人生は、すべてが後手後手に回っている気がする。親父がくれたスマホだって、前もってくれれば、金兄を登録説明会に誘えたのに。
何か大失態を犯したとか、ひどい辱めを受けたわけではないけれど。たかが派遣バイトの登録説明会に行くのに、こんなに大変な思いをするのは、いわばこれからの予告のようなもので。外に出るとろくなことはない。それを立証するかのように、これから一生ものの後悔や、ひどい心の傷を負わされる、とんでもない大惨事が、バイト先で俺を待っているのではないか?
昨日までなら・・
俺はまだ爆睡している時間で、寝て、食って、抜いて、カキコして・・こんな超満員電車に乗って、派遣登録会に行くより。全然マシ・・なわけねーだろ!
ニートなんかちっとも楽しくない。この髪の毛見ればわかるだろ。一人取り残された遠い宇宙から、自分の実人生を当たり前のように生きてる、地球に住む同世代を見るのがどんなに辛いか、刺さるか。
かといって、バイトに出て稼げる金などたかがしれている。まーやのために。奮い立ったけど、登録説明会でまともな社会人と、まともな会話が出来るのか? まずそれが不安だし。職歴一時間半の俺に、務まるバイトなんてあるのだろうか?
まーやのライブに行くときの高揚感と。今日の登録説明会に行くときの恐怖心。同じ電車に乗っていても、天国と地獄ほどの気持ちの落差がある。なによりまーや帝国民NO1の男の座を守るために、今度のバイトは絶対にバックレられないのだ。同じ電車に乗っている人たちは、会社なり学校に行くのだろうけど。今の俺は・・今の俺はまさに「ドナドナ」だ!
意味はよく分かりませんが、22年浪人生の、15年ぶり二度目のバイトの申し込みには、常人には計り知れない苦悩があるようです。
そうこう無駄に気をもんでいるうちに、電車は池袋駅に到着しました。
暴風域はどこかへ飛んでいき、まだ曇り空ですが、雨はやんでいました。時刻は午前9時10分。残りの行程は、一回乗り換えがありますが、ネットで調べた通りに行けば。最寄り駅の神宝町駅にはあと23分で着くはず。ですが、今日は台風でダイヤが乱れ、駅構内はびっしりと人、人、人で、10メートル進むのすら大苦労です。啓一くんが牛歩の移動に耐え、なんとか地下鉄の券売機までたどりついたその時でした。
「しまったぁー!」
啓一くんの素っ頓狂な声が、券売機に並ぶ乗客の度肝を抜きました。啓一くんは、券売機上の路線図を見て、自分が乗るのは丸の内線だが、ここは有楽町線の切符売り場ではないか! 無駄に悩んでテンパって起こした、痛恨のミスに気付いたのです!
今、自分がいる場所が丸の内線なら、余裕のよっちゃんイカで着けるはずだが。今から丸の内線の乗り場を目指すと、ゲーマンプロジェクト到着はギリ、いや、ピッピピッピの文明の利器がない俺は、券売機でアナログタイムロスをして・・
根は小心者の啓一くんの背筋に悪寒が走り、嫌な匂いのする冷たい汗が、すーっと頬をつたいました。
まーや帝国民NO1の男、また敗れたり。啓一くんが心折れそうになったその時でした。
まーや! まーや! まーや!
どこからともなく、野太いコールが、幻聴のように聞こえてくるのです。
啓一くんの超必殺魔技、「魔王咆哮芸」。それには別に、オタク伝統芸能継承を目的とする、「内海魔王を守る会」が存在するのです。見知らぬ恵体や白髪のおじさんたちが。俺たちのまーや帝国民NO1の男を、二度と傷害犯にしてはならない。ライブでは啓一くんに負けないまーやコールを、全力で叫んでくれるのです。
あいつらの笑顔を守れるのは俺だけだ・・
啓一くんは急に上から目線になり、
「まーや帝国民NO1の男、いきまーす!」
叫ぶと、どすどすと駆けだしていきました。大手町駅での乗り換えも、痴漢容疑を振り切ったオッサンのように、それは必死に走りました。緊急事態とはいえ、駅構内を走るのはいけないことですし、そのことでまーや帝国民NO1の男の座に、泥を塗ってはなりません。啓一くんは、他人にぶつからないよう、慎重に走り。午前9時55分、最寄り駅の神宝町駅に着きました。
ですが、まだ気は抜けません。ゲーマンプロジェクトまでの「徒歩三分」が残っているからです。啓一くんはまだ改札を出たところです。啓一くんは息を切らし、汗だくになりながら、階段を駆け上がり地上にでました。
まさに台風一過。抜けるような真っ青の下に、遠慮がちにそびえたつ雑居ビルの二階に、「ゲーマンプロジェクト」。窓に社名が貼り付けありました。あと2分! 啓一くんはエレベーターではなく、階段を駆け上がり、「ゲーマンプロジェクト」のドアを開けました。
「おはようご」
小さな会議室は無人でした。啓一くんが室内を見回すと、電話があり、来客が内線を押すと、会社の人が応対する仕組みらしいのです。啓一くんは電話に飛びつき、内線ボタンを押しました。壁の時計は午前9時59分をさしています。
やりました! 啓一くんは遅刻せずに、なんとか定刻に間に合ったのです! 派遣のバイト登録とはいえ、啓一くんは立派に「社会人の責任」を果たしたのです!
「あ、おはようございます。まー、いえ。10時からの登録説明会に申し込んだ内海ですが」
胸を張っていうと、修二さんなら聞き覚えがあるだろう、花井さんの声で、
<ハイハイ、内海さんですね。ええっと、実はですね、あともう一人来るんですけど、20分くらい遅れるらしいんですよ。二人揃ったら登録説明会始めますんで、そのままそこでお待ちください。ツーツー>
花井さんは、そっけない声で事務的にいうと、電話を切りました。
なんだよ、遅刻ありなのかよ・・
啓一くんは、力尽きたように、その場にしゃがみこみました。
( `ー´)ノ
我らが啓一くんは、「試練番長」の名前通りに。苦難、災難の連続で、中々、登録説明会にたどりつけません。ですが、次回は待っているのではなく、遅れて来る愉快な仲間と。花井さんによる業務説明、派遣登録に挑戦しますので、引き続きご愛読、その他諸々よろしくです。




