二度目の邂逅
始終聖さんのこぶしに怯えながらも、何とか一週目の修行を終えた。
必要以上に慎重になっていたおかげかこの大事な頭にどでかいのを食らうことはなかったが、代わりに周りから少し変な目で見られるようになってしまった。
まぁ、身の安全の代償としては安い方であろう。
我慢するしかない。
さて、今週の修行が終わったのだからつまり明日は久しぶりの休息日だ。
この休息日の存在を知るまで、こういう修行の類には休みなどないものだとばかり思っていた。
これも時代というものなのだろう。
こちら側の日本でも宗教に対する意識はガバガバだが、そういうところは大好きだ。
そもそも根本的に宗教というものは人々の幸福を目的としているのだから、これくらいがちょうどいいのだろう。
話を戻そう。
少しばかり記憶力のある方ならば覚えているかもしれないが、明日は響子から美味い味噌汁の作り方を教えてもらう日である。
彼女が覚えているかどうか少しだけ心配だったが、それは杞憂だった。
あえて正直に言うが、僕は例の朝食の後からずっとこの時を楽しみにしていた。
少々子供っぽくて気恥ずかしいが、事実は事実である。
そしてさらに恥ずかしいことに、なかなか寝付くことができないのである。
満月に近いものが南の空に見えるから、恐らく夜中の十二時ごろだろう。
さっきからずっと目をつぶっているのだが、一向に寝られる気配がない。
もはや修学旅行前日の男子小学生である。
そしてさらに不味いことに、小便に行きたくなってきてしまった。
こんな夜中の寺の真ん中でだ。
暗いだけならば別にどうということはないのだが、ここは寺で墓地の近くだ。
それでもってここは幻想郷、常識という現代人最強の武器は使い物にならない。
ここならば出るものはしっかりと出てくるだろう。
そうなれば、おそらく心臓が止まるだろう。
だが隣にいぬえを起こして「怖いからついてきてください」なんて言えたものじゃない。
向こう一週間はそのネタでいじってくることは間違いないだろう。
孤立無援である。
勿論なんとかして一晩耐えきるという考えもあったが、失敗したときに目も当てられないようなことになるので、結局布団からそっと抜け出して廊下に出ることにした。
そこでようやくもう一つの問題があることに気づいた、というより思い出した。
真冬の風の容赦のなさときたら、本当に酷すぎる!
これでは少し動くのでさえためらわれる。
僕は出来るだけ風が当たらないように身体を縮めたままペンギンのようにちょびちょび歩いて行った。
五分、数十メートルほど離れた便所までたっぷり五分は掛かった。
急いで便所の中に入り震えながら用を足した。
そして出し終わるころには幽霊については完全に忘れていた。
便所の扉に手をかけると、例のように身体を縮めてから扉を開けた。
そしてその状態で数メートルほど歩んだあたりで、耳元から突然声が聞こえた。
「こんばんは、重信さん。」
悲鳴を上げようとはしたが、人間あまりに驚くとそれすらも満足にできないらしく、ヒェッという情けない声が喉にこすれて出てきただけだった。
それでも勇敢に声の方向を向くと、そこにはなんとなく見覚えのある顔があった。
「き、君は確か、地底の――」
「こいしよ、古明地こいし。覚えていてくれたのね!」
「そうだ、そうだった。」
そう言って笑いながら、裏ではほっと胸をなでおろしていた。
恐ろしい訪問者の正体も小さな少女ならば安心だ。
勿論、少女に殺されることもあるのがこの幻想郷なのだが。
「それにしてもこんな夜中に何をしているの?」
「すこし便所にね……。そういうこいしはどうなんだい。」
「少し前にできた友達とかくれんぼよ。あなたも知っているヒト。今あなたがこうやって私のことを認識できているのも私が能力を解除しているから。」
「へぇ。それで、その友達っていうのは?」
「きっと分かるわ。考えてみて。」
そう言われて考えてみたが、十秒もしないうちに遠くからの声にさえぎられた。
「あ、見つけた!」
月をバックにしていたため声の主の姿は真っ黒で、シルエットしか見えなかった。
その陰はかなりの勢いでこちらに近づいてきた。
「今日は私の勝ちね!」
顔は見えなかったが、その声には確かに覚えがあった。
しかし、ここにいるということはとても考えられないような人物だった。
「そんなに大きな声を出しちゃダメよ。みんな眠っているんだから。」
「分かってるわよ。」
笑いながら影が近づいてきて、ようやくその顔を見ることができた。
「フランじゃないか……!」
大声が出そうになるのを必死でこらえて叫んだ。
「あ、重信!なんでこんなところに?」
「修行の一環としてだが……君は?レミリアから許可が下りたのか。」
「いいえ、勝手に抜け出してきたの。」
フランによると、去年のクリスマスの日にこいしと出会い、それからこいしの力を借りて屋敷を抜け出しては夜な夜な遊びまわっていたらしい。
まさかこのようなところで繋がるとは、驚きである。
「それで一か月何事もなく?」
「えぇ。こいしのおかげで自分を簡単にコントロール出来るようになったの。だからこれでもう大丈夫よ。」
「そうか、それなら良かった。」
なにもこちらがでしゃばる必要はなかったようだ。
力だけじゃ解決できないものがある。
聖さんは本当に正しかった。
「それじゃ、私たちは行くわね。」
「またね、重信さん。」
そう言って二人は夜の闇に消えて行った。
その陰が形を失うまで、失った後も僕は手を振っていた。
ようやく感覚が戻ってきた。
タービンも回り始めたかな。




