第1話
初投稿になります。楽しんで頂ければ本望です。
やけに月が大きな夜だった。だが、この世界でそれを知る者は少なく、この町では一人もいなかった。この日の晩に月を見上げていたのは、裏通りの野良猫くらいなものであった。
ただ一人を除いては。
その日は、夜空に来客があった。黒い影に包まれた、魔力を持った馬とその騎手である。騎手は、人間とは相容れない、禍々しい人型をした容姿の異怪人と呼ばれる存在であった。
空を駆けながら、異怪人はただ一点を目指していた。上空から町並みを見下ろし、ただ一点を探していた。やや緑色を帯びた黄色い月明かりに照らされて、家々の屋根は抽象派の絵画の様にひしめき合っていた。魔馬が高度を下げる。目的の地が近い様だ。
家々の屋根を掠め、路地裏の猫の頭の上を通り過ぎると、異怪人は緑色の看板の付いたオレンジ色の建物の屋根へと降り立った。料理屋の様だ。異怪人は魔馬を労わる様に撫でると、通りの方へ目を向けた。
その建物は二階建てで、通りに面した二階の窓の内側では、一人の少女が眠っていた。人間の、十代の後半といった風で、ツンツンした金色の長い髪と、あどけなさが残る面持ちをしている。相当、疲れて眠っているのか、寝返りも打たず、寝息まで静かだった。眠りを邪魔されたくないのか、窓には月明かりを遮るカーテンが閉められていた。
ふと、その遮りが揺れる。
独りでに揺らめくカーテンの向こう側から、人間のものでは無い手が窓枠を掴む。
金髪の少女、ルルリエは差し込んで来た月明かりに目を覚ました。カーテンは閉めたはずなんだけどなんだろう、と身体を起こし、目を擦って窓の方を見た。
「——!!」
誰か、いる。しかも、人では無い何かが。ルルリエは息を呑み、思わず布団をぎゅっと握った。
「今宵は月が綺麗だな、愛し娘よ」
異様に大きな丸い月を背にして、窓枠に足を掛けて立つ、異怪人の魔王、レド・カルボォルドスはそう言って目を細めた。
こうして、ルルリエは異怪人に攫われた。
星が、次々と視界の端から端へ流れている。ルルリエは魔王の魔馬に乗せられ、雲と同じ高さを飛んでいた。目前には大きな満月。月光に照らされた輝く雲海や煌めく星々も、普段ならルルリエの目を奪って離さないものだったが、今は違った。だって、今は——。
ルルリエは自身の後ろに騎乗する魔王に意識を向けた。自身を魔馬の前方へ乗せて、魔王は魔馬の後方から手綱を操っている。最も、この魔馬は魔王に破れぬ忠誠を誓っているので、魔王は手綱を握らずともその背に跨っているだけで良かったのだが、動揺するルルリエにそんな事は分からない。魔王の腕の中で、ルルリエは体の震えを止められずにいた。突然の事というのに加えて、何よりも——。
魔王は前を見据えていた視線をルルリエへと向けた。恐怖故か目に見えて震えている。そんなルルリエの様子にも、魔王は今までに無い程の高揚と満足感を感じていた。これ程までの優越感は、祖国の頂点に君臨した時よりも、勇者を屈服させた時よりも、遥かに勝るものだった。他人に対してこんなにも大きな感覚を覚えている等、以前の魔王には考えられない事だった。出会ったのだと、魔王は悟った。
ふと、魔王がルルリエに声を掛ける。
「お前、名前は何と言う」
震える口元から、ルルリエは小さく答えた。
「ルルリエ……」
「今朝、空の散策をしていて偶然あの町の上を通り掛かってな。そこでお前を見つけた。酷く愛らしかったので、こうして連れに来た訳だ」
魔王にそう語られても、ルルリエはまだ言葉が出て来なかった。今、まさに魔王の住む魔城を前にしては尚更だ。何より驚いたという事と、もう一つ——。
「本日より、ここがお前の全てとなる。他に何か要る物があれば……」
「スケブ……」
「ん?」
魔王がルルリエの様子を伺うと、ルルリエは身が裂けんばかりに叫んだ。
「スケッチブックと文房具下さいぃー!!」
彼女は絵描きだった。それも、異怪人好きの。
読了ありがとうございます。お疲れ様でした〜。これから面白くなってくるので、2話くらいまでお付き合い下さい〜…。