其の一 土の町 下篇
表で老師が店主と話している時点で、何か企んでいるのかとは思っていたが。
「また面倒なことをする」
電光石火の如く店に入っていく店主を見る限りその通りだったらしい。
「老師、あいつ、ここの長?」
「そのようで」
「ここ、つい昨日、一昨日くらいにけものにやられたばっかりかな」
「そのようで」
「国であれ町であれ、長がご乱心ですとけものが跋扈いたしますからねえ」
「そのようですねえ。この程度の町ではさぞかし荒れるのが早かったでしょう」
「そうですねえ。そういえば、店主のあの様子を見ると多分老師も妖魔の一種と思われていたかと」
「でもって、主人が術でここに移動しているのを見て、ああこいつら妖魔が化けてたのか、と思うでしょう」
「そうですねえ。何しろご乱心のようですからねえ」
案の定、目を血走らせた店主が舞い戻ってくるなり叫んだ。
「妖魔だ!妖魔が来たぞ!お前ら!敵襲だ!」
一人と一台は正気を失いかけている店主のその様子をじと、と眺めながら言った。
「おじさん、私たちは妖魔じゃない。旅の術師だ」
「店主殿、お気を確かに」
しかしとうとう気だけでなく聞く耳もなくなったらしい店主は「妖魔だ!」と叫び続け、あちこちの建物から沢山の人を呼び寄せていた。
げっそりとしながらも生きているものもいるが、その大半は
「屍鬼ですねえ老師」
「そうですねえ主人、屍鬼とはまた、ここの長は随分と悪い事に手を染めましたねえ」
術によって造られる屍鬼は死人からではなく、生きた人間から造られる。そして造った術師への怨みが強ければ強いほど、その筋力、持久力も強くなるとか。
「主人だけで大丈夫ですか?」
「うん。…お前の思惑なら分かってるからな」
その言葉を聞き、ちぇ、という音と共に老師はすっ、と路地へと身を引いた。
「行けぇ!」
半狂乱に叫んだ店主の合図で一斉に、人も、屍鬼もフーゴへと一目散に襲いかかる。
それを見た彼女は懐から紙を一枚取り出す。単純な図形の書かれたそれを右の指で挟み、その前に左の指を交差させ、それにふっ、と息を吹きかけた。
強烈な旋風。
屍鬼はその風に当たった瞬間灰と化し、生きている人間には元から体力も何も無かったらしく風に煽られ倒れ、それっきり誰も動かなかった。
腰が抜けながらも残っているは店主、この町の長その一人だけ。
フーゴはそれを見てからんからんと笑う。
「こんなにもあっさりと破れる術、いや、術というにも貧相すぎますが、そして風に吹かれて事切れる兵。私めのような術師でも破れるようなもの二つでそこらの妖魔から身を守れるとでも?」
「よ、ようまだぁ…」
何故か土を食らい始める店主を目の前にし、
「とうとう気が狂ってしまいましたか…」
深いため息をついた。残念だ、というような、しかし何処か嘲るような目で、フーゴは彼を見つめ、言った。
「どうやらこの町にあなた以外の気は見当たりませんから…このままにしても、新しい町が出来るのが遅くなるだけですし…」
フーゴはつかつかと彼の元に歩み寄り、その脳天に指を突きつけ、
「はい、さようなら」
その魂を引き抜いた。
どすん、と音がしたのは門が崩れたからだろう。
フーゴはその様子を少し見た後、手の中にある魂を見つめ、
「こんなに腐ってちゃ使い所がない…」
ぽい、と放り捨てた。
○
一台に乗った一人は、町中の戸棚という戸棚を漁っていた。
「それにしても主人」
「何?」
「ここの人たち、相当いい人たちだったんでしょうね」
「うん、あんな簡単に灰になるとは思わなかった」
屍鬼は造られるとき、その造る人間をどれほど怨んでいたかで強さが決まると言っていい。
「そんな民を持っておいて…。ただただ、ろくでなしの長だったんだな」
「そんな優しい人たちからこうして物を盗むのは大層心が痛むでしょう」
「どうせ死人に口は無し、貰えるもんは貰っておけ。そう私に教えたのは老師でしょうが」
「なんて慈悲のない…生きているうちにその顔を拝見したいですね」
「鏡か水瓶でも探してくればどうだ?」
「非道いですねー、何故そんなことをー」
「元はと言えば老師が店主に余計なこと言ったから」
「まあいいじゃないですか。放っておいてもどうせ一月持たなかったでしょう」
「うん」
しかし、貰えるもんは貰っておけ、とは言ったが
「なーんにもないな」
民を屍鬼にした理由の一つに、飢饉があったのかもしれない。
「井戸が枯れてなくて良かった。老師の水瓶はいっぱいにできた」
「主人の飲み水にも出来そうでしたし」
「うん」
「でもここまで食料が何も無いと、下手に生かすより屍鬼にした方が良い、って考えてもおかしくないでしょうね」
「うん」
「どうします?何も無いならさっきの粥の鍋でも持って行きますか?」
「あんなのすぐ腐る…」
「そういえば、あの粥は米ではなかったでしょう?」
「うん…?」
しばらくその場で考えた後、フーゴはたたっと発条を駆け登り、椅子に座って言った。
「老師、さっきの粥屋の屋台のとこ」
○
崩れた門を跨ぎ、のこのこと進む一つの影。
虫のような脚に皿と電灯と煙突と椅子の付いたボウルのような金属の塊が器用に山道を登ろうとしていた。
その椅子の上で和装のおかっぱ頭が器用に丸めて笊に乗せているのは乾燥果物入りの小麦の塊。
一通り作り終わったことを確認して、彼女は笊を煙突の上に乗せ、落ちないように固定した。
「老師、ぷしゅー」
フーゴの指示通り、老師はぷしゅー、と煙突から蒸気を吹いた。そしてブーン、と青い電灯を灯す。
「このまましばらくそうしてくれたら美味い饅頭が出来る」
「小麦の粒がまだ残ってて良かったですね」
「うん」
「ここは小麦と米を両方作る地域なんでしょうね」
「うん」
「では進路はどちらに取りましょう」
「米が食えるところだな」
「では、南に」
「南東に」
「御意」
日が高い山々に隠れようとしている中、一行は湯気を上げながら南へと山を登っていくのだった。