目を開けて夢を見よ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
つぶらやくんは、一日のどれくらいを執筆活動に充てているかしら?
いや、別に咎めたいとかそういうことではないの。好きでやっているんだから、そういう文句をいわれる筋合いもないって、君だったら答えるでしょうから。
でもさ、現代社会ってたった一人で夢中になれるものが増えたと思わない? 私が考えるにゲーム機やパソコンとかの発達が大きいと思っているのよ。いくらネットワークでつながっているといってもさ、物理的には一人でその場にいるわけでしょ?
はたから見れば、電話は独り言を話しているのと変わらない。パソコンもキーボードの操作という点ではワードやエクセルの作業と同じような動き。
見えないのに、つながっている。ひと昔前の人から見たら、不思議で気味悪く思うんじゃないかしら。それでも私たちは時に、異常なくらいそれにのめり込み、時間も寝食もうっちゃってしまうことすらある。
そのことについて、ひとつ奇妙なことがあったの。つぶらやくんも聞いてみたいでしょ?
夢で会うこと、できること。これに対する関心は古く、日本の記録されている和歌の中でもいくつか夢で想い人を想う内容が存在するわ。
自分だけが味わえる、魔法の甘美。それが不意に失われてしまう喪失感も、うたわれることが多々ある。
でも今や技術は進歩し、私たちはバーチャルの中に、夢の国を作ることができでいるわ。もう夢は、今までのように目を閉じるのではなく、間断なく見開いて見るべきものになりつつある。リアルタイムで行動するものならば、まばたきすらしたらそれが夢の途切れる瞬間、なんてシビアな世界も。
私の弟は昔からゲーマーでね。親にねだって買ってもらったテレビゲーム機で、しょっちゅう遊んでいる姿を見かけたわ。おかげで親に制限時間を設けられたこともあった。
私は弟のプレイを、後ろから眺めて満足する派。「見ているのも、やっているのと同じ」といわれて同じ時間制限をされたから、弟の後にプレイすることはできなかったし、やらなかった。
年を経るごとに性別の違いからか、喧嘩する機会の多くなっていった私と弟にとって、ゲームはコミュニケーションツールだった。明確な一つの目標に向かい、時に意見を出し合い、時に起こるイベントを一緒に喜んだり悲しんだり、まるで映画のように共通の話題を提供してくれた。
されど、ゲーマーと観客は、根本的な部分で違っていたのかしら。弟は自分の部屋を手に入れると、その中にテレビやゲーム機、パソコンを持ち込んで私を含めた誰もが、許可なく入ることを禁じたわ。
入室の制限は当たり前のことかも知れないけど、弟は学校から帰ってくると、四六時中、部屋に籠るようになった。戸の前を通ると、ゲームの音楽が漏れ聞こえてくることもある。それが夜中であっても。
弟にとっては幸せだったかもしれないけど、いつ眠っているか分からない。その姿に不安を覚えたあたり、私もたいがいお人好しな姉なのかもね。
私が高校に入学した年、文化祭ではミスコンが開かれていたわ。私たちのクラスからも何人か選出されて、そのうちの一人が見事グランプリを獲得したの。
女の私から見ても、「きれいだ」と感じるその子は、入学当初は特に人を惹きつける容貌ではなく、かばんにゆるキャラが崩れたようにデフォルメされた「くずキャラ」のキーホルダーをじゃらじゃらつけていることから、趣味が悪いと見られて距離を取られることもある子だった。それが一ヶ月、二ヶ月と一緒に過ごすうちに、みるみる美しくなっていったのを私は目にしていたの。
あの子も優勝者のコメントで、「夢があるから頑張れています。応援ありがとうございました」と話していて、私も何か目標を持たないと、と改めて思ったわ。
ただ、ミスコンの前後あたりから体調を崩す生徒が増えていたわ。学校を休むほどじゃないけれど、受け答えが上の空だったり、居眠りをはじめたり。尋ねてみると、本やゲームにのめり込んで寝不足なんだとか。
別におかしくない光景だろ、と思うかもしれない。でも彼らはいずれも、品行方正の代名詞といえるほど、今まで授業をちゃんと受けていた生徒。人間、どんなきっかけで変わるか分からない、といったら仕方ないけど、私はどうにも気にかかったの。
この違和感を覚えている人は、私以外にも何人かいた。そのうちオカルト好きだった男の子の一人が、面白い見解を話してくれたの。どの子も節制というか限度というか、「抑え」がなくなってしまっている、と。
「本来、同じ行動をずっと続けていると『飽き』が生じる。これは、いつ変化するかも知れない状況に備えて、様々なパターンと対策を知っておきたいという、生存本能に端を発するものだと聞いた。『飽き』は生きる上で大事なことなのに、体調を崩しがちな彼らの場合は、飽きることなくひとつのことにのめり込んでいる。これは夢中になっている間の彼らが、生きていないことを指すのではないか。夢中は『夢の中』と書く。かつて眠るという動作は、身体が死んでしまっている間に精神が外に抜け出している状態を指し、その精神が様々な境界を通り抜けて出会った、不可思議なできごとが夢を見ることと解釈されていたころがあったらしい。そして、夢で受けたダメージは、現実に還ってくる、とも。夢を喰らう『バク』などが恐れられたのはそのためだ。起きながらにして、夢の中にいるであろう彼らが疲れているのは、もしかしたら何かに襲われて、元気を奪われているからかも知れないな」
私は興味深く聞かせてもらったわ。
弟のゲームののめり込み具合も、何かを暗示しているんじゃないか、と思ったから。
私はどうにか弟に探りを入れようと、入室許可を求めたのだけれど、プライバシーの侵害を盾に、ことごとく突っぱねられてしまったわ。
そりゃ、弟ももう中学生。人に見せたくないものの一つや二つや、三つや四つ、部屋の中に抱えていたっておかしくないでしょうよ。
やむなく私は機会を待つことにしたわ。年に一回、部屋の中身をさらけ出さなくてはいけない機会。大掃除の時を。
大掃除当日。家の他の部分と同じく、弟の部屋もまた洗いざらいにされたわ。すでに弟は開封厳禁と書かれ、ガムテープで封をした段ボールを優先的に持ち出している。きっとあれが見せたくないものなのでしょうね。
私は弟と二人で、協力して部屋を掃除するよう申し渡されたわ。私ははたきと拭き掃除を買って出て、弟には掃除機をかけさせた。細かく調べるなら手作業の方がいいと思ったから。
窓のサッシから、ほこりをかぶった教科書類まで、丹念にほこりを落としながら調べていく私。やがてデスクトップパソコンのキーボード――本体周りにはたっぷりほこりがついている――の裏側を拭こうと持ち上げた時。
カシャンと音がして、キーボードが敷いてあった空間に転がったわ。それは「くずキャラ」のキーホルダー。あの彼女が持っていたものの一つと同じ。
勝手に動かしてしまうと何か言われるかも知れない。私は弟を呼んだけど、そのキーホルダーは目を離したすきに、いつの間にかなくなっていた。「くずキャラ」のキーホルダーについて尋ねても、集めていないし、そもそも興味がないという返答だったわ。
じゃあ、あの時に私が見たのは何だったのか。
それからも相変わらず弟は、ゲームにのめり込んでいったわ。食事や歯磨き、トイレ以外で彼の様子を見たことは、ほんのわずかな回数しかなかったの。その少ない顔合わせでも、顔色が悪くなっているのは分かったわ。
けれどそれも、二年後に第一志望の高校に落ちて、滑り止めの高校に行くようになってストップがかかる。親からゲーム禁止令が出てしまったから。
そして彼女もまた、変わらずにきれいであり続けて、ミスコンをとった次の年も、その次の年も優秀な成績を残し続けたわ。そしてかばんにつける「くずキャラ」のキーホルダーも増え続け、卒業する時には実に100個以上のキーホルダーをかばんにつけていたわ。