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いっかにぶんのいち

作者: 小城りょう

 今日は休みの日。

 それも一年で一度のわたしだけの記念日。

 誰にも邪魔されたくない、だから、こうして誰とも約束せずに午前のうちに買い物もすませて家でひっそりと過ごす事になっている。

 今年の記念日は第三回目。残念ながら、発端の日とは同じ日付にはなっていない。

 だけど、これは仕方のない事。ひとりきりで過ごす事に意味がある今日だから、日付ではなく曜日でそろえる事にしてるから。

 一月の第四土曜日。この日はこっそりと部屋で息を潜めるように、それでいてミニシアターで観たあのいたずら好きの姉妹のように楽しげに一日を刻んでいくのが今日のルール。

 普通、わたしぐらいの年で記念日と言ったらたいていは「恋人としてのスタートの日」だと思う。

 そりゃあ、わたしも自分でいうと変だけどお年頃の女の子。真っ先にこっちをイメージする。

 それに事実、わたしにも彼と付き合い始めた日は手帳にもカレンダーにも真っ先にしるしを付ける重要な日。

 でも、今日という日はある意味でそれよりも大切な日だったりもする。

 そもそも去年のこの曜日がなければその記念日だってありえないわけだから。だから、とっても大切な日。

 言ってしまえば、彼との記念日は子、今日は親。ほらね、大切でしょ?

 つまり、今日は「彼への片想いが始まった日」って事なんだ。

 ペペロンチーノに衝動買いしたイカを入れた簡単なパスタを食べた後、少しの休憩をしてからロールケーキに取り掛かる事にした。

 生地をこねながらすっかりジュークボックスに徹してるパソコンから聴こえるゆったりとしたアイシングのような甘い音楽のリズムに合わせてゆらゆらと揺れてみる。

 この曲はあの頃に聴き始めた人たちの曲で、最初に聴いた時に自分の気持ちを言い当てられてるみたいでびっくりした事を今でもはっきり覚えてる。

 今では一週間の多くの――って訳ではないけど、あの頃からすれば信じられないくらい沢山の時間を一緒に過ごしてる彼に近づきたくて、でも、すごく怖くてこの曲にそんな悔しさを慰めてもらってたっけ。それも、歌詞やあちこちのフレーズから「両想いの未来」を空想する為のトリガーを引いてもらったりして。

 生地をこねる時間は片想い、オーブンの中は告白。そうね、お菓子を焼くのに恋のはじまりは似ていたりする。

 おいしく焼ける事もあれば、失敗して生地をダメにしてしまう事も。

 このロールケーキは今のわたしの時間のようにおいしく焼けて欲しいもの。

 そうよね、それがとっても大切な事。

 十分にこねた生地と一緒に楽しい事と辛い事を虚無感のソースで味わっていた頃をひとつひとつ思い出してみる。

 片想い中のエピソードって、語られる事こそ少ないけれど、実はいっぱいあったりするんだよね。

 誰かに言いたくてたまらなくて、でも、必要以上に強く背中を押されたり、からかわれたり、呆れられたりが怖くって誰にも話す事なんてできなかったり。

 そして、誰かに話す時はもしかしたら「あの人に彼女いるよ?」とか「嫌われてるよ」とか知りたくない情報を贈られたりしないかどうか、友達を怖く思いながらになってしまったりして。

 それが長い時間になってしまえばなおさら。わたしは情けないかな、告白まで一年半、いや、それより少しばかり多くの時間がかかってしまった。

 おかげで毎日がどれだけスリルだらけになった事か。

 今考えれば、ほほえましくて馬鹿みたいな日々。

 そんな笑い飛ばせる今日も、あの時間があったからこそ。

 さて、もう、後は焼くだけだね。これで生地は完成。

 オーブンへ行って告白する時が来たんだよ。恥ずかしがらず、怖がらず、オーブンの火にあなたのおいしさを伝えてあげてそして、ふたりで素敵なお菓子になってね。

 わたしは集中すると息を止める癖を無意識に恐ろしいほど強調して、生地を置いたオーブンの扉を閉めて、スイッチを入れた。

 電気の火がともるのを暗い窓から覗き込むと、なんだか力が抜けて、それが、あまりに間抜けすぎて笑わずにはいられなかった。

 

 で、ここで笑ってしまう事をもう一つ。片想いのあの思い出の曲は実はパソコンの再生リストに何回も登場していたんです。

 これも馬鹿みたい。他の曲は一回きりだってのに。

 生地の告白は無事成功したみたい。今ではすてきなロールケーキ。

 香ばしくて甘い香り。味までは食べていないから分からない。

 今すぐ食べてしまいたいけど、まだそうするわけにはいかない。

 材料を買ったときに大切な事に気が付いたからね。

 今年のロールケーキは去年の1.5倍。半分だけ多い。

 確かに片想いの記念日。片想いはわたしだけの事。

 だけど、ひとりきりじゃ出来ない事なんだよね。少なくともわたしが彼を知っていなければいけない。そして、その為には彼が存在してくれてないといけない。

 すごく当たり前だけど、これって凄く重要な事。

 そして、彼がいないといけないけど、彼には出る幕がないのも大切な事。

 だから、彼の分を作るけど、それはわたしの半分。そういう事。

 さて、昨日、今日の予定を聞いたら友達と出かけてるそうだから彼の家に出かけようか。

 郵便受けにわたしの半分、少な目のロールケーキを届けに行くんだ。

 白い鳩の柄の袋に黄色のリボンをかけておいて。

 まぁ、気まぐれ屋な彼女の思いつきなおすそ分け程度には感謝してくれるでしょう。そして、たんなるついでであげたくらいの認識で「そこそこおいしかった」とか言うに決まってる。

 そのくらいがちょうどいい。さすがに、告白する一年半以上前に好きになってうじうじしてた事だとか、片想いを記念日にしてるなんて、「隠し事なし」って約束してても恥ずかしくて言えないもん。

 そういう事で、ひとりきり改め「1か2分の1人分」の記念日はもうすぐ完成って言えるかしら。

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