3-5 闘技場支配人ウルチ
【闘技場 迎賓室】
「――なに? 処刑用のマンドラが殺されただと?」
高価なシルクの布地と金の刺繍、指にはいくつもの宝石を彩る指輪を嵌めたでっぷりとした腹の男が兵士の報告に眉をひそめる。
「やけに騒がしいと思ったが……」
彼は立ち上がり窓から闘技場を見る。
今現在ここにいる全ての魔物が投入されてなお、ロックと教国軍工作員達に倒されていく姿があった。
「兵を投入しますか?」
「まぁ待て。……ふむ、強いな。あの連中をまとめて相手にすればそれなりの犠牲が出るだろう。しかしあれは誰だ?」
「王国から興行用に買い取った死刑囚です」
「いや小僧の方だ。おい、資料を」
男、この闘技場の支配人にして砂漠国の奴隷商人であるウルチは控えていた奴隷の少女に資料を取らせる。
「ふむ。ああ、例の大浴場の……レベル15だと? しかもリング魔術?」
ウルチは眉をひそめる。マンドラはその程度で殺せる魔物ではない。
ロックは皮膚を裂いた後に直接骨と肉を魔技で断ち倒したが本来、マンドラを覆う皮膚には魔術を反射する力がある。
なので魔術や魔技は許可されているが実質、マンドラには通じないので意味がない。かといって武器は一般参加者が持ち込めるナイフやパチンコ等の簡易なものだけ。
しかも距離が開けば鎌鼬の様な空気の斬撃をあの角から放ち、窮地ともなれば砂に潜って不意打ち気味に真下から参加者を両断する。
そもそも内輪揉めする死刑囚七人で勝てる相手ではないのだ。
「これがリング魔術の力なのか?」
……この時、闘技場サイドは勇者のギフトであるアイテムボックスの上位互換、空間作成で武器を隠し持つ囚人などまるで想定していなかった。剣を取り出す瞬間を見ていないウルチも武器をロックが持ち込んだと言う発想自体がない。
ある意味それほどにロックはイレギュラーと言えた。
結果、素手ではなく潤沢な武器で戦え、しかも工作員という戦力的に優れ、流れとはいえ共闘できた存在により全戦力投入ですら跳ね返されているのが現状だ。
「……厄介だな」
不可解な死刑囚。本来ならば別な処刑方法で確実に殺しておきたいところだが……。
「大丈夫なのですかウルチ殿?」
ウルチの対面に座っていた同じくシルクの一張羅を着た、他の者達と違い白い肌の痩せた男が不安そうな声を上げる。
「王国の使者殿からすると些か、面白くない展開になるかもしれませんなぁ」
「なっ、まさか教国の死刑囚をこのまま次の処刑まで生かすのですか!? それはまずいですぞ!」
男は王国の外交官であり、とある人物の代理としてここで彼らの死の確認をしに来ている。
「そうは申されましても……彼らは我が国伝統の処刑に則り、そして正しく生き残った。いくら国家間の取り決めがあったとしても、そんな者達を処刑すれば民衆が黙ってはおりますまい」
――ロック達が挑んだ奇跡の男という処刑法は、その関門を突破したものに支配人であるウルチの要求で王宮から恩赦が与えられる。
もっとも教国工作員達に関しては友好国の面子に関わってくるので、慣習に則り処刑しませんでした。は通じない。よってウルチの要求であっても恩赦はまず下りない。
代わりに彼らは生き残れば次の処刑まで延命されるだけだ。
「なにを仰るのですかウルチ殿! 表向きには反逆者ではあるが、教国尖兵を殺せませんでしたとなれば我が国と貴国の関係にヒビが入ることになりますぞ!」
「確かに仰る通り。……しかし当の第二姫様はどうしてここに居られないのですか?」
外交官の男が苦虫を潰す。
今ここに王国の姫、ロックの金的を蹴り上げたロズディーヌ第二王女はいない。
「それは……ロズディーヌ様には一刻を争う急務があります。本来ならあの御方がわざわざこられる必要はなかったのですが、友好国である砂漠国に我が国の重罪人の処刑をお願い致す都合上、どうしても王家のものが出向くのが筋。そして女王陛下との会談で死刑の確約は頂いております。なので後は使者の一人である私が死亡を確認すればよいだけのこと」
王国の第二王女ロズディーヌと砂漠国の女王は昔から親交があった。
そのためヴォルティスヘルムへ急ぐ彼女の為に、女王は外交文書として処刑確約の一筆を残し使者を滞留させる事を認めていた。
「つまり処刑は使者殿がご滞在されている間はいつでも宜しいという事ですな?」
「っ、それは」
「急務については第二姫様自らが向かわれたとのこと。ならば使者殿はごゆるりと過ごされよ……おい」
ウルチが手を叩くと、扉から透き通る白い踊り子の服を纏った褐色の10歳程から25歳程までの見目麗しい美女達が十人ほど現れた。無論、服の透過率からあらぬものが見え隠れし外交官の情欲を酷く唆るものであった。
「使者殿。奥の部屋で贅を凝らした料理と金貨数百枚は下らない酒をご用意致しております。無論、そこにいる彼女達は使者殿に差し上げます。どのように取り扱っても構いませんよ。観戦されて高ぶったお気持ちをぶつけるもよし、料理に舌鼓をうち癒やされるのもよし、今はごゆるりと過ごされよ」
「な、いや、自分は……」
細やかな抵抗をしている間にも褐色の美女達に身体を触られながら使者が誘導されていった。
「さて……」
面倒なのが消えたウルチは再び眼下で暴れるロックを観察する。
「あの小僧、やはり覗き魔ではなく暗殺者の類だったか?」
一方のロックはというと実に奇妙な存在であった。
あの男、完全警備の大浴場に突如として現れ攻撃をする訳でもなく、呑気に第二王女の神経を逆なでし護衛に気絶させられている。
暗殺者にしろ変質者にしろ中途半端。結果、王宮守備隊でも結論が出ずどちらにせよ重罪人として処刑する事になった経緯がある。実は砂漠国の女王が処刑確約の一筆を残さなくてはならなくなった理由もこの失態が少し関係していた。
なので彼もまたウルチが王宮にかけ合い恩赦を求めても無駄だろう。
「しかしならばなぜ大浴場ではあれだけの無様を晒した? 分からん。全てがちぐはぐだ……こういった面倒な輩はさっさと殺すのだが」
『宿屋! 宿屋!』
……この大熱狂である。
闘技場の観客達が処刑では見た事もない程に盛り上がっている。
しかも彼らは賭けに負けた者達。いつもなら罵詈雑言だがこの偉業に熱を上げている始末。
「宿屋で変質者だが恐ろしく強い。しかもリング魔術等という全く未知の魔術の使い手……」
ウルチの目に彼らは殺しても殺さなくても厄介な存在に映ったが、同時にロックは商売道具としてこの上なく商魂を刺激する品物にも映っている。
「惜しい。惜しいな……いや待てよ。あれなら『切断魔』も殺せるのか?」
彼の脳裏に頭痛の種である全身を拘束された長身細身の刃の様な一人の“剣闘士”の姿が浮かぶ。
あの二人、いや教国の尖兵も一緒にぶつけ両方消してしまえばいい。パフォーマンス及び商業的にも大きな成果を生むだろう。
それでウルチの考えはまとまった。
「――おお! これはなんと言う事だ!」
彼は内心の笑みを殺し窓から闘技場の者達に聞こえる様に、観客と同じようにわざと驚愕して大声で叫んだ。
【ロック・シュバルエ 闘技場】
「これはなんと言うことだ!」
涙ながらに縋りつく一般参加者のおっさんと若者をなだめていると、闘技場の観客席の更に上にある貴賓室らしき場所から一人の男が声を上げた。
「げっ。奴隷商のウルチかよ……」
「出やがったな疫病神めッ」
観客達の反応は悪い。
大声にはしないものも敵意や憎悪を感じさせる言葉ばかりが聞こえる。
「これはまさに奇跡! あの囚人を一瞬で殺し尽くす凶悪な魔物達を相手に、仲間でもない囚人と参加者が手を取り、共に立ち向かい全ての魔物を倒しきった! まさに奇跡の男、いや奇跡の男達はここに再現されたのだ!!」
芝居がかった言い方。それが偽りなのだというのは観客達の空気から伝わってくる。
「ならば私は――この闘技場の支配人であるウルチ・バイデルは君達の起こした奇跡に応じ、王宮に恩赦を求めようではないか!」
支配人。なるほどあのでっぷりした男がここのボスか。
「が、しかしだ! 遺憾ながら死刑囚である君達の恩赦は正直、厳しいと言わざるを得ない! そこで私から教国から流れてきた君達、そして――」
そこで初めて支配人と目が合う。
「ロック・シュバルエ君。ぜひ君をこの闘技場の剣闘士にスカウトしたい! 如何かな?」
はい? 剣闘士? 剣闘士ってなんかこう闘う人だっけか?
「だと思ったよ……」
「金の匂いを嗅ぎつけたか」
「だが悪い話じゃねえ。王族の風呂を覗いて恩赦が出るかはやっぱ難しいぞ」
「そうだな。分類は奴隷剣闘士になるが死ぬよりはマシか――オイ! 受けとけよ宿屋!」
観客達が勝手に話し始めると、その中のグループの一つが俺にこの話を受ける様に推奨してきた。他の観客達も同調する。
「そうだぞ宿屋! あの支配人は最悪のクズだがお前さんの恩赦が出るかは確かに怪しい。だったら奴隷剣闘士になった方が長生きできるし、待遇も遥かにいいぜ!」
「それにお前が剣闘士になれば俺たちゃガッポリ儲けられるからな。ガハハハ!」
「ちげぇねぇや! 今日の負け分は取り返して貰うから存分に暴れやがれ!」
「よーしウルチ! その話、この最強の宿屋が受けて立つぜッ! こいつがお前の大事なエセ貴族をボッコボコにしてやるから覚悟しとけよォ!」
勝手に話をまとめた観客達が笑い合う。
いや、あの、俺の意思は……。
なんというか砂漠の男達って皆こんな感じなのだろうか。
「ふむ。観客達は君が剣闘士となる事を望んでいるようだが宜しいかね?」
支配人も満面の笑みで最後の確認をする。
「いえお断りします」
『えっ?』
なので俺がきっぱり断ると観客達がガン見してくる。
「ふむ。……となると君はこのあと死ぬが?」
「ええ。でも――できますか?」
そう返すと支配人の顔から表情が消えた。
騒いでいた観客達が空気の変化に気付き一気に口を閉ざす。
いつの間にか工作員達も俺の側に来ていた。
「処刑に失敗したのだ。私の求めでこの国の軍が動く。君達など一瞬だぞ?」
「どうぞ。それに確か僕達が殺した魔物も一瞬で囚人を殺すとか仰っていましたよね?」
支配人が口を噤む。
なんとなく分かるがこれはハッタリだ。黙っているのもおそらく損得勘定などを巡らせているからだろう。
「――要求は?」
数秒後。やはりというか、実に商人らしい答えが返ってきた。
「二つ。まず一つは僕がもし剣闘士の中で最強と証明できたなら、その時は長期の外出とその支援を認めて下さい」
「恩赦による解放ではなくか? しかも支援だと?」
「ええ。食料や水の支援です」
「――まぁいいだろう。それは王宮にかけ合おう」
「足りません。貴方が何とかしてください」
「……分かった。なんとかしよう」
俺はその言質を聞き後ろの工作員達に振り返る。
「皆さんは何かあります?」
「いやなんもねぇよ。死のうが生きようがもはや風任せだ。お前の好きな様にすればいい」
もしかして生きる方へ考えが傾くかと思ったが彼らの返答は静かなものだった。
「それで? 最後の一つはなんだ。最初のよりも厄介なのかね?」
「ええ。これが一番大事です」
「ほう? 言ってみろ」
顔を険しくする支配人と観客達が俺を見つめる中で宣言する。
「この国で宿泊業をする権利を頂きたい」
「なに?」
眉をひそめ怪訝そうな声をあげた。
――そう、俺は忘れていない。
ヴォルティスヘルムでユースティ様に王都での宿泊業開業の利権に目を奪われ、危うく勇者にされそうになった事を。
ならば先手必勝。
これが許可されれば砂漠の国に支店を作り、そこを時空間魔術で繋ぎいつでも砂漠に行ける宿屋を開業する為の布石と出来るのだ。
「どうしました? まさか大商人である貴方ならばこの国の宿泊業を営む許可を取ること出来な――」
「可能、というか……元囚人でも奴隷でも、市民権を獲得して金さえあれば誰でも許可は出るぞ」
「え?」
「たぶん、ここの観客達が申請しても二束三文の税だけ納めれば出る」
「……そうなの?」
観客達の方を見ると皆して頷いていた。
「そ、そうなんだ。出るんだ。誰でも。へー」
あまりに自信満々に言い放った結果、空気が微妙になってしまった。
「ふむ……ならば別の新たな褒美を加えよう! 君が最強の座についた時は我が商会の指折りの性奴隷を十人君に与えようではないか!」
「マジかよ、ウルチのとこの女が貰えるって最高じゃねぇか!」
「剣闘士の賞金と合わせてハレム作れるぜ! なんて羨ましいっ!」
観客達が下品な笑みで盛り上がる。
「いや僕は性奴隷とか興味な――たいへんうれしいですがおきもちだけでけっこうです」
「は? ……そうなのか。――ならば! 竜殺しの逸話を持つ金貨百枚の値がついた大剣を贈呈しようではないか!」
「おお! あのダンジョンから出た百年前に竜殺しが持っていたと言われるあの!」
「まさに伝説の武器! あれを手にすれば新たな力に覚醒すると言われている冒険者達の憧れか!」
今度は少年の様に観客達が目を輝かせる。
「いや武器も特に興――こだわらないたいぷなんでおきもちだけでけっこうです」
「……本当に本当に女も武器も要らんのか?」
「はい。おきもちだけですごくうれしいです」
ウルチと呼ばれた支配人が物凄く困惑した顔をしていた。それでもやはり商人らしくわざと咳払いして切り替える。
「ゴホンっ。ええと、ではロック君? つまりさっきの支援を確約すれば剣闘士になるは構わないんだな?」
「はい」
「そうか! それは良かった! みんな、ここに奇跡を起こした新たなる剣闘士の誕生だ! この目出度い門出を祝おうではないか! なっ?」
なんだか悪人っぽい支配人が無理矢理に祝福ムードに切り替えようとする。気を使われている感が凄い。
「え? いや、今のやりとりなに……」
「やったな宿屋っ」
「まぁ、あれだ、頑張れよ!」
あの調子のいい観客達にすら戸惑いながらフォローしてくる。
最高に盛り上がっていたはずがなぜか俺のせいで必死感の漂う、作ったかの様な微妙極まりない剣闘士採用になった。
「空気、読もうな?」
投擲男に突然、肩に手を置かれ優しく諭された。
……これ俺が悪いの?