3-0 Prologue 凍てつく港
ぼちぼち三章始めます。一応、来年四日までの一週間は毎日投稿だべ。
三章 異形なる都市ナー・サラス 凍結大砂塵編
――また、立ち止まってしまう。
――失敗したくない。責任を負いたくない。望んだ事じゃない。
――だから覚悟を決めて前に進む訳でもなく、諦めて別な道へ逃げる訳でもなく、自分じゃ何の選択もできず、ただその場に立ち止まり続けてしまう。
――見捨てることも救うことも割り切ることも出来ない半端者。
――だってボクは元々、勇者になんてなりたくなかったのだ。ただ女神様からたまたま力を与えられただけの存在。
――本当は普通に学校へ行って、普通に家業を手伝って。
――普通に誰かと結婚して、普通に家業を継いで、普通に子供を産んで。
――できれば家族に看取られながらいつか普通に死ねれば、ただそれだけで良かった。
――しかしそんな願いこそが何よりも罪深く、どうしようもなく愚かなことだとボクは気づけなかった。いや……取り返しのつかない犠牲と覆しようのない現実を知り、ようやくその罪に気づいてなおボクは。
――今もまだ、ただ無様に一人立ち尽くしている。
【海洋都市アルフェス】
「ええっ! あの宿屋の倅が結婚だとぉ!?」
その日の港町は喜びに包まれていた。
海洋都市アルフェス。
温暖な気候。塩の香りを運ぶ海風が心地よい港町だ。
貿易拠点としての機能も強く、またその気候から観光客も多い。
他国からの出入りも激しいゆえ美術商や両替商、陸路輸出へ向けた馬飼いも繁盛し、また船乗り達を癒やす為の娼館や酒場も充実。独立した大都市に規模こそ劣るものの非常に活発な都市であった。
それもこれも水の女神の恩恵があったのは言うまでもない。
この都市には王国王都にある光の大神殿と同じく、古くから水の女神がこの世界と繋がれる場所、大神殿があった。
つまり聖地。彼女のおかげで海は荒れず、厄介な魔物も大人しい。
そんな女神のお膝下で旧知の仲である漁師と冒険者がいつもより陽気に言葉を交わす。
「そうなんだ。しかも相手がとんでもねぇお人なんだよ」
「とんでもねぇって嫁さん一体どこの誰だよ?」
「お相手はなんとなんと……この国の四番目のお姫様なんだとよ!」
「はぁっ、マジかっ!? いやいやいや流石に嘘だろ!? アイツは平民、しかも宿屋だぜ?」
「これがホントなんだよ。なんでもお姫様は身分を隠して市井に顔出していたらしいんだが、そこでアホな酔っ払いに絡まれた姫様をアイツが助けたらしいんだ。そんときにもうお互いに一目惚れ。アイツがアプローチかけまくって、紆余曲折あって二人して陛下を説得、認められたらしいんだよ!
まー、結婚する四番目の姫様は婚約破棄だとか嫁いだ先の侯爵者様の起こした不祥事とかで出戻り、政治的にも行き場がなかったってのもあったがそれでも、もうみんなビックリしてこの騒ぎよ!」
「そりゃお祭りにもなるわな」
「ああ、みんな浮かれまくってるぜ? 楽しみだねぇ二人の結婚式! それに祝いとして今日の呑み代は全部王国持ちなんだ」
「はっ? マジ!? バカヤロウそれを早く言え。道理でどいつもこいつも酒を浴びてる訳だ。こうしちゃいられねぇ俺も混じってくらぁ! そっちはまだ仕事か?」
「ああ、魚を処理したらすぐに行く。だから俺の分のエールは残しておけよ!」
「あいよ。って、ところでアイツ……宿屋の倅の名前ってなんだっけ?」
「ええと確か、ロ、ロ〜」
「そうだロッ、ロッ………あっ」
「「ロッテンガムだ!」」
「そうそう。そのロッテンガム本人は流石に店にはいねぇだろうが、家族は宿にいるだろうから顔出して宜しく言ってやれよ。よく利用してただろうあの宿」
「おう。ついでに媚でも売ってくるわ。はははっ」
彼らが盛り上がるのも無理はない。
この国の姫が王位を捨て平民の宿屋の倅に降嫁する、前代未聞の、けれど正しく認められた婚姻が成立するからだ。
……なおそのロッテンガムという宿屋の倅は、数百キロ離れたヴォルティスヘルムでこの時、紅蓮大帝戦の傷を未だ療養中の勇者ロック・シュバルエとは一切なんの関係もないただ一般人である。
なので勇者や神など運命性の全くないまさしく奇跡の様なラブロマンスである。誰もが歌い踊り笑い合う素晴らしき祝の日となるのは必然であった。
――ただ、だからこそ“彼ら”はあまりに浮いていた。
メインの大通りど真ん中。
浮かれ湧き立つ人々を余所に異様な二人組が足早に進んでいる。
「ねぇ! あれ見てよっ!」
「わぁ……有名な劇団員の人かなっ?」
「あれはきっと北国の王子様よっ!」
浮かれ踊る女達もその踊りを止め、思わずうっとりした熱い視線を送る。
輝く程の透き通った長い銀髪をなびかせ、その気性を伺わせる程に真っ直ぐな背筋で前を睨み付ける絶世の美男子だ。
その顔には最近できたであろう火傷の跡もあったが、女達からすればそれすら彼の魅力を引き立てる名誉傷に見えている。
またその服装はアルフェスの高い気温にありながら、黒いコートに黒いズボン。コートの関節部に銀のベルトが巻かれ外見と合わさって、まるで劇画のなかから出て来た青年軍人。
もし先代勇者にして現代地球人の村松が見れば、第一次世界大戦の頃の西欧の軍服アレンジだとでも思っただろう。
「お、おいおい……何メートルあんだよあの男」
「あれだけ背筋が悪くてあの高さかよ……細身の巨人か何かか?」
「王子の護衛? にしちゃあ癖が強いな」
一方、酒浸りながらも戦闘のプロである冒険者達から視線を集めるは王子より一回り背が高い、ターバンを巻き長いくすんだ茶髪を垂らす半裸の男。
その高さ二メートル強。
しかもかなりの猫背でそれだ。もし背筋を伸ばしたらどれほどの高さに至るのか。
ぼそぼそした無造作に垂れる髪、痩せこけた頬と風体はまるでチンピラだが、細いとはいえ他国でもお目にかかれない長身体躯の男だった。
もし村松が見たらこちらはアラビアンナイトの盗賊とでも言うだろう。
「おやおや王子様ですって。大人気じゃありませんか。さすがは天上の御方」
長身体躯の半裸の男がにやにやと隣を歩く他称王子を冷やかす。だが王子はそれに舌打ちで返した。
「黙れ『砂塵』。何しに来たか忘れたか」
「おっと、そいつぁすいません。アタシもずっと見続けてきた夢が叶うと思うと嬉しくて、嬉しくてつい浮かれてしまうんでさ」
「……不沈なるナー・サラスか」
「……ええ。アタシもいつか再び、この都市みたいに誰もが笑い子供達が走り回る、活気溢れるあの平和で喜びと幸せに溢れたナー・サラスをもう一度見たいんですよ」
「下らん」
遠い目で微笑む半裸の男と、ひたすら不機嫌に歩き続ける王子。
「そう言わないで下さいよ。それにナー・サラスの為にアタシはちゃんと来たじゃないですか。顔も出さない『海王』と『颶風』よりマシってもんですよ」
海王と颶風という名前が出た瞬間、王子の顔がさらに苛立ちに歪んだ。
「貴様らは千年前、この世界で創世神と初代勇者を相手に戦ったのだろう? にも関わらずこの機に顔すら出さんとは、どれだけ腑抜けているのだ」
「さぁ……海王はあの戦争以降、千年もの間ずっと音信不通。死んではないでしょうし、きっと海底ダンジョンの何処かにいるんでしょうが、一体何を考えて引き篭もってるのやらさっぱりですよ。
一方の皇国にいる颶風もまさかの拒否ですからね。百年程前にナー・サラス復活の手伝いを頼んだ時も興味なさそうでしたから。きっとイカれちまったんですよアイツら」
「……この件が片付いた後、私が殺しに行く。王の勅命を理解していない愚図など不要だ」
「おっかねぇ……って着きましたね。ここでさぁ」
おそらくこの場の誰も理解できないであろう会話を二人がしていると、海洋都市の中央にある巨大な神殿に辿り着いた。
――水の女神の大神殿である。
「ここに餌が?」
「ええ。アタシがやりましょうか?」
そう半裸の男がポケットから手を出すと、彼の周囲のあらゆる物から何故か小さな砂が溢れだした。
「いいや私がやる。それよりお前は『奴』の出現に備えろ。運が良ければ神気に気付き獲物を仕留めに来るかもしれん。その時は時間を稼げ」
「うへぇ、おっかねぇ魔王の相手はアタシですか。じゃあ出ない事を祈るとしますかね」
肩をすくめて半裸の男は王子に背を向けると周りで急に砂ぼこりが巻きあがり忽然と消えた。
一方の王子は大きな階段を上がり、人の溢れる巨大な神殿内へと進んでいく。
「おお! ようこそ、水の大神し――」
「黙れ下等生物」
案内とお布施を受け取りに手を拱いて近寄ってきた神官が突如――凍った。
そのまま後ろに倒れるとその身体は砕け散る。末端の細胞から血液に至るまで瞬間凍結している。それだけではない。彼の周囲は全て凍りつき参拝客も出迎えの神官達も気づかぬ間に全て氷像化した。
神殿内の全員がその音で王子を見た。
だが王子は止まらない。ずかずかと祈りの場にすら踏み込んでいく。
それどころか凍結範囲だけがどんどん拡大していく。
「なっ、なんだ貴方は! ここは水の大神殿ですぞ!?」
「大司教とやらはどれだ?」
神官達の警告を無視して神殿内に響く様な声で告げると、慌てた様子で奥から小麦色に焼けた肌の筋肉質な男が出てきた。
「なんです今の音は! っ、これは一体なんでしょうか……王族か軍人か知りませんがいくらなんでも」
「貴様か。なら他は死んで良し」
――パチンっ。
王子が指を鳴らすと大神殿内の大司教を除く人間すべてが凍りつく。
「はぁっ? なにをしたっ!?」
「水の女神とやらを呼べ。早くしろ」
恫喝。会話の意志すら感じさせない命令。あまりの理不尽さに困惑する水の大司教だが王子は待たない。
「待つのは五秒だけだ。……残り三秒」
水の大司教は困惑しながらも瞬時に答えを出した。
あきらかに危険。神殿内にいた数百人を何の躊躇もなく一瞬で氷漬けにしたのだ。
その様な存在と女神を引きあわせる訳にはいかない。
『なんの騒ぎだ大司教』
死なばもろとも。
そう覚悟し挑みかかろうとした大司教だが、それを制する様に彼が出て来た背後の扉から厳粛な声が響く。
「おおっ、あなた様方は!」
部屋から飛び立ったのは三人の翼を持つ者達。
先程まで彼が交信していた水の女神の御使い――天使達が降臨したのである。
「女神を出せ。さもなくば殺すぞ」
『貴様、誰に口を利いている。神気と魔力の違いも分からぬ人間風情が――』
――パチンっ。
図に乗るな、と天使は言おうとしたのだろう。
だが王子の鳴らした指の音に声はかき消され、彼らは二度と喋らぬ氷像と化して地面に落下した。その身体は音を立てて砕け散る。
天使三体はそれで死んだ。
「ぇ…………嘘、だろ。どうして。天使様は人間では傷さえつけられないのに!」
目を見開き青ざめる大司教。
その困惑は正しい。天使は魔力ではなく覚醒したロック・シュバルエと同じ神気を使う。もっともロックの力と比べれば海と池ほどの差があるのだが、少なくとも人間が太刀打ち出来るはずがない。
それを傷付けたということはこの王子は――。
【――貴方はいったい何者ですか】
今度は澄んだ女性の声が天から降ってくる。
大司教が反射的に背筋を正した。交信の間で『彼女』と直接会話をした事がある彼には分かるのだ。
【ペネティ。ケロス。アルテ……我が子達をよくも……貴方は一体誰に楯突いているか理解しているのですか?】
この脳に直接的に響く声の主こそ女神の一柱、水の女神その人。
優しい音色ではあるが当然、その声には神気が込められ大司教は心臓を鷲掴みされた様な威圧に見舞われている。
「貴様が女神か。これに見覚えはあるか?」
王子は声だけ聞こえる女神を前になんの謙りも畏敬もなく平然と背中から一本の筒、黄金の飾り立てられた銃を取り出す。
「――次元銃 ロケルト。今もっとも、私がその心臓を凍り付かせ砕いてやりたい畜生が持っていた物だ」
【知りませんね。……それより最後に言い残すことはなんですか?】
「さっさとこっちに出て来い。今日からお前を『奴』を誘き寄せる餌として使う事に決め」
【神の怒りを知れ】
厳粛な声と共に衣を羽織った青いウェーブの掛かった髪の淑女が宙に出現。
直後、数十トンの激流が四方から出現し鉄砲水の様に王子を圧し潰した。
さらに水は量と勢いを増し水圧と勢いだけで巻き込まれたものを捻り、潰し、引き千切る巨大な濃縮された水球と化す。
――水の女神の降臨。
都市の周辺にいる水の力を持つ人間や魔物達の力も十倍に膨れ上がる。彼らも本能で神の降臨を理解し、一斉に跪いていた。
そんな水を司る女王の権能。水球の中で巻き起こる渦の中で生物が生存できる可能性はゼロ。
『ハッ、随分と生きのいい餌だな』
……がしかし呑み込まれた王子は生物は生物でも彼女と同じ神の領域に存在する者。しかもよりによって彼は――。
『だが下等生物の神の怒りなどまるで児戯』
今度は女神の操るすべての水が凍りつく。
彼を捕らえていた水球も氷球となり、内側から木っ端微塵に砕け散る。粉々になった氷の中から羽ばたきと冷気と共に現れたのは。
【りゅ、竜!?】
一匹の巨大な竜。
現竜神 金國祖が統べる異世界に存在する黒い山脈、無限連峰。
その最果てある黄金の天空城で軍勢を率い王を守っていたはずの白銀竜――白亜侯がそこにいた。
だがその姿はすぐさま元の、乙女たちから熱い視線を向けられた軍服の青年の姿に戻る。
そうして右足を少しだけ持ち上げ――。
「では、凍れ」
地を軽く踏みつける。
彼はなにか呪文を唱えた訳ではない。ただそう世界に命じ、地を踏んだだけ。
――それで海洋都市アルフェスとその住民は凍結した。
結婚の誓いを立てた宿屋の倅と姫も。
浮かれ踊る乙女達も。
酒を片手に陽気に歌う男達も。
通りを駆ける子供達も。
都市の喜びに優しい目を向ける老人達も。
酒に浮かれるも冒険者と漁師のコンビも。
すべてだ。
祝の日に歓喜していた人々は皆すべてただの氷像となり、常夏の気候のアルフェスは決して溶ける事のない氷の都に墜ちた。
【嘘……まさか権能だというのっ!? 神なの貴方は!? いえ、それよりも一体、なんて非道な事を!】
「よく回る口だ。塞いでやろう」
王子が薄く笑うと女神に怖気が走る。
彼女は水を操る権能で全てを押し流そうとするがそれより早く王子の指が鳴った。
パチンっ、と。
それで終い。
頭を残し身体を氷漬けにされた女神が地面に無様に落下した。
【くっ、氷っ!? この、もど、戻しなさいっ! っ、どうして神気がっ、権能が使えないの!?」
そう宣う女神はあまりに無様。
地面に仰向けに横たわり頭以外が動けない格好は女神とは思えぬ滑稽さであり、しかもエコーの様に脳に響いていた声も消え、彼女はただの人間の様に喋る事しか出来なくなっていた。
まるで殺されるのを待つ虫。
「私の氷に包まれた以上、貴様の権能は既に封じられた」
竜の魔王の眷属が一柱である『白銀』はつまらなそうに現実を告げる。
「貴方はっ、一体なにをしているのか分かっているのですか!? 私は五大女神の一柱なのですよ!! この世界を統治する存ざ――」
「喚くなメス猿。立場を弁えろ」
白銀が女神の腕をめがけゆっくりと足を持ち上げ。
「えっ……な、なにを……」
「言ったはずだ。お前は今日から撒き餌とする。
――餌に手足など要らんだろう?」
「待ちなさい!! この体は仮初じゃないっ、魂と繋がっているの! 腕を砕かれたら本当に私の腕が――待っ」
バリンッ! と勢いよく踏み砕かれる腕。
大きな音を立てて女神の手は修復不可能な程、無残に砕け散った。
「っ!? そんな……わたっ、私の腕が! 腕がァ!!」
「だからなんだ。次は左だ」
「――っ!? 嘘ですよね? や、やめて! やめてお願い!! なんでも言うこと聞くわ! お願いだから――あああああッッッ!!」
再びバリンっと大きな音を立てて今度は女神の左腕が砕け散る。
「ああああっ、返して! 返してよ私の腕っ!! 両腕返してよォ! なんでっ? どうしてっ? 私は女神なのに! 世界で一番偉いのに、どうしてこんなっ――……嘘。嘘でしょ。ヤメて!!! 足はやめて!」
「キーキーと煩い猿だ。四肢だけではなくその舌も要らないと見える」
「お願いだからもうやめてッ、このままじゃ私、女神じゃなくなる! ただの肉塊になる!! 助けて誰か! 私こんなの聞いてないっ、知らない! 私は最強の存在なのに、女神なのにどうし――いやあああああ!!!」
それからしばらくして。
「お? 終わりまし……べっくしゅん!!」
喜びに包まれていた海洋都市アルフェスは栄えていた営みも、陽気な人々も、幸せな日々の始まりも、全てが溶ける事のない絶対なる氷に閉ざされ不気味な程に静まり返っていた。
……ある意味、ロック・シュバルエが存在しない世界線の侯都ヴォルティスヘルムの姿ともいえる。
そんな氷像都市で一際高い灯台の上で時間を潰していた長身体躯の半裸の男は近付いてきた白銀を見て地表へと戻る。
「ああ。終わったぞ砂塵」
「お疲れ様でした」
このターバンを巻いた長身体躯の男――『砂塵』もまた白銀と同じ竜の魔王である現竜神、金國祖の眷属が一柱。
「その様子だと『奴』は現れなかったようだな」
「ええ。やっぱり陛下の仰るようにかなり力を失っているのでは? にしても、地上近くは冷えますねぇ」
「それは貴様の格好が悪い」
「うーん。違ないですねぇ……ところでその顔の無いダルマが水の女神様で?」
砂塵の視線の先には青い髪を鷲掴みにされ引きずられる肉塊がいた。
両手両足どころか、耳、眼球、舌までも壊死したかつて女神であったナニかである。
「ああ。殺してはいないぞ。ただ煩いので邪魔な部分は砕き落としただけだ。こいつを持って貴様の根城に向かう。奴が引っかかるどうかは未知数だが、せっかくの獲物だ。そこで罠を張り出現を待つ」
「分かりました。アタシの作った大砂漠の迷宮なら勇者だろうが奴だろうが殺せますよ」
“ソウトウセヨ”
ふと白銀の脳裏に無限連峰で味わわせられた苦い記憶が蘇る。無意識に奴につけられた顔の火傷を撫でた。
「……いいだろう。奴は私が直々に必ず殺す。その為なら砂漠だろうが地獄だろうが、行き先は構わん。それに」
白銀が珍しく少し戸惑った様に呟く。
「――ここは王から近付く事をわざわざ禁じられた聖国に近過ぎる」
「は? 聖国ですか? あれ今、教国って名前に変わってますよ。数百年前に変な魔王が現れて聖樹もハイエルフも皆殺しにあいましたから。
……あそこに近づくなって、陛下が直々に仰ったんで?」
白銀が肯定すると砂塵はふと、考える。
――陛下がこの星に再侵攻しない理由はそれなのか?
砂塵はかつて竜の魔王、そして同じ眷属である海王と颶風と共にこの世界の覇権を賭けて創世神と初代勇者を相手に戦った。
その結果は勝ったとも負けたともつかないものだったが、途中で戦線離脱させられた彼はその結末を詳しくは知らない。
ただ竜の魔王は戦争以降、何故かこの星に二度と近付こうとしない。創世神が死に、初代勇者も死んでいるのにだ。それは千年生きてきた砂塵だけが抱える奇妙な疑問だった。
「……なんにせよだ。奴を仕留めたあかつきには私も貴様の夢、ナー・サラス再臨を手伝えと命じられている。ならば砂漠でいいだろう」
そう面倒くさそうに白銀がいうと、砂塵は王に関する思考を打ち切り一瞬だけ、爬虫類の瞳に変化させ嬉しそうに頷いた。
「ふふっ。あははははっ。それは有り難いですねぇ。ならば今度こそ、我らのナー・サラスが地上に蘇るのですね。ああ、千年の夢がようやく実現する。皆が笑いあい、助け合い、喜びあうあの平和なナー・サラスが再び見れる」
恍惚の表情を浮かべる砂塵には既に見えていた。
――大砂漠に古代都市が浮上し、死者たちが蘇り大いなる平和が再び訪れる姿が。
そして白銀と砂塵による水の女神拉致から三日後……。
【砂漠の王国 ロックシュバルエ】
拝啓。
父さん、母さん、シェリー。皆さんお元気ですか。
シェリーは勇者様と仲良くやっているでしょうか。正式に会ったことはありませんが母さんもお元気でしょうか。父さんは……まぁいいか。俺もまぁ元気っちゃ元気です。
――ただ、もしかしたら俺はもうだめかもしれません。
砂漠にあるよく知らない国で手も足も縛られ、体と首は槍に抑えられ身動きすら取れません。
謎の宮殿の大広間。
周りには群衆がおり兵士達が俺を取り押さえています。今では昨日までいた侯都ヴォルティスヘルムが無性に懐かしく思います。
「うっ……どうしてっ、どうしてなんでなんですか! なんでよりによって……」
旅の仲間であるプルートゥさんも離れた場所で群衆に紛れ、切なそうに胸に両手を抱き泣いています。
彼女は信じられないといった風に瞼を閉じ、俺の為に目の前の事実を否定しながら泣く事しかできません。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
まさかこんなことになるなんて思っていなかった。どうしてこうなってしまったのか。なぜあの時、俺は……。
「被告人、ロック・シュバルエに判決を言い渡す」
謎の宮殿にある大広間、即席の法廷で押さえつけられる俺に厳粛な声が響く。
視線を上げると目の前に神官の様な衣装を着た高齢の判事が、用意していた紙を開き目を通し始めていた。
そして告げられた言葉は。
「ロック・シュバルエ。貴様は不届きにも王女の大浴場に忍び込み王国の姫であらせられる第二王女 ロズディーヌ様の裸体を拝見した。
それどころか肌を晒している第二王女様に向かって『興味ないです』等と不敬極まりない暴言を吐き、その寛大なお心で助かったとはいえ我が国と王国との友好を無に返す危機に陥れた罪はあまりに重い。
……よって! 宮殿侵入、淫行罪、国辱罪、不敬罪により――死刑以外にないわこの不届き者がァ!」」
青筋を立て半ばキレ気味に判事が叫ぶと群衆からも「最低!」「女の敵!」「羨ましいぞ!」「どんなんだったかだけ教えて!」など男女で両極端な声が飛んでくる。
プルートゥさんも涙声というかもはや、やってられるか感満載で叫ぶ。
「もー! なんでよりにもよって女神さまは王族の女性用大浴場なんてピンポイントなとこにロックさんを転移させるんですかぁー! しかもロックさんもロックさんでなに冷静に感想言って煽った上に呆気なく捕まってるんですかっー! 女神さまとロックさんのばかぁ! うわーーん!」
「……すいませんプルートゥさん……あの、ほんとスイマセン……」
そんな訳でシュバルエ家の皆さん。
お兄ちゃんは今、侯都から強制転移したと思ったら砂漠の国でお姫様の風呂に落っこちて斬首されそうです。
もし作中の王子こと白銀が誰か分からない方は『二章幕間 それ』を参照下さい。