Epilogue12 道化師ポイントマイナス二千点
【ロック・シュバルエ】
「ロック!」
音が消えた様な世界から、俺の名を呼ぶ声と共に喧騒が戻ってきた。
相変わらず背後は罵声の嵐だが、声のした左を見るとプティンが走ってきていた。
「プティ――」
感謝の言葉を伝えようと口を開いた時だ。
「困るんですよねぇ。貴方が本物かどうかだけ確認させて貰わないと」
久々にゾッとする様な感覚が走った。
即座に振り返るとしなりながら迫る誰かの足が見えた。
速い。
けれど魔王との戦いに勝利した経験からその攻撃に反応できた。
――時間遅延。
自分へと迫る足を遅らせ後ろに飛びながら振り返る。
しかし鉄鋼化した様な蹴りは時間を遅らせてもなお速い。
――遅延を掛けてこれかよっ!? 時間加速!
「なにっ!?」
弱っている時間遅延にくわえて自身をも加速させる。それには流石に相手も驚愕した。
しゃがんだ俺の頭上で蹴りが空を斬った。
時間が戻ると同時に反対側の廃墟が轟音と共に消し飛ぶ。
「なんだッ!? 建物が吹っ飛んだぞ!」
「まだ教国の残党がいたのか!?」
騒然となる周囲を他所に俺とその人物は互いに驚愕していた。
「この蹴りを見切った上で躱した!?」
「今ので魔技を使ってないのかよ!?」
回避した姿勢から見上げた先にいた蹴りの主。
それはあの、なぜかバイオリンを背負うベルパパと名乗った光の神官だった。
「貴様、なにものだ?」
「アンタこそ人間か?」
向こうもかわされるとは思っていなかったらしい。俺も今の蹴りが何の魔技も使っていない普通の蹴りだと気付き絶句する。
「……まさか本物の勇者様であらせられるのですか?」
「いや違いますけど」
「ふむ。確かに蹴りを避けられたのは衝撃だったが、本物の勇者にしては逆に弱すぎるか……まぁいいです。総督の前に出て貰えば分かること」
「はい? 光の女神様の前じゃなくて、総督って――うおっ!?」
ベルパパという光の神官は一瞬で間合いをつめて俺を掴みに掛かった。
「プティ――――ンバウンドォッ!」
だがその間に横から斧が振り下ろされる。
「今度はなんだっ」
「プティン!」
プティンが時間加速で突如目の前に現れ、俺とベルパパの間に斧をたたきつけた。この男、いつの間にか時間加速を使いこなしていた。
衝撃で吹き飛ぶ地面。おかげで俺とベルパパの距離が開いた。
「悪いプティン、何度も助かっ――」
「ロック、お前は勘違いしているぞ!」
「え、なにを?」
「俺はお前の為に勇者を名乗ったのではない! 俺はなんか突然才能開花しちゃったっぽいから勇者になる事にしたのだ! だからハッキリ言おう」
「あ、うん」
「俺は今日から勇者プティンだ! お前は宿屋でもやりながら草葉の陰で泣いているがいい! そうと分かったらさっさと行け! ここにお前の居場所はないフハハハ!」
「いや死んでないし……まぁそれなら仕方ないわな」
しっしっと手を振りながら、しっかりとベルパパと対峙してくれているプティンに感謝しつつ、俺は逃げ出した。
「なっ、逃げるのですか!? 待って下さい、来て頂けるならば、あらゆる願いを叶えて差し上げますよ!?」
「夢は自分で叶えるので結構です!」
俺は振り返ることもせず走り出した。
「おいロック・シュバルエ! 受け取れ!」
「え? ――うおっ!?」
名前を呼ばれそちらを向くと、鞘に入った剣が飛んできた。
「あぶなっ!」
時間遅延で何とか受け取って投げた人物の方を見る。
「お前は! ――ナダル!?」
「リドルだ馬鹿野郎!」
確か俺がポーターをやっていた時に俺の剣をへし折った男。少ししか会話していないので忘れていたが、しかし彼を助け出した時に彼は俺に謝罪し和解しているはず。
「ならこれは?」
「俺が折っちまった分だよ。これで貸し借りはなしだ!」
鞘から抜くと中々にしっかりした作りの剣だ。良し悪しまでは分からないが、安物では決してない。
「受け取ったらさっさと行けロック・シュバルエ! プティンはそんなに持たないぞ!」
振り返ると絶叫と共にあっさりプティンが吹き飛ばされるのが見えた。
「ありがとう!」
「……こっちのセリフだよ馬鹿野郎め」
彼は手だけ振って俺の後ろ、光の神官の前に立ち塞がった。
それから走って走って、結局、俺は立ち止まった。
途中、追い付かれそうになったがなぜか魔族みたいな羽を生やした男と、武装した騎士達が割り込んできて事なきを得た。「ここは任せて行け!」と叫んでいたが、一体誰だったのか分からない……。
「つか、どこへ行けばいいんだ」
ふとあの神官を振り切ると行き先などない事に気づいた。
膝に手をついて息を整える。人気のない場所で立ち止まると、そのまま冷静になってしまった。
たぶんどこに居ようと俺は魔王と戦う運命にある。
ならばどこへ行っても変わりはしない。そして魔王を倒す度にこんなやり取りを繰り返してしまうのだろうか。
――勇者様!
だからだろうか、ふと頭に浮かんだのは場所ではなかった。
「――逢いたいな」
「どちら様にでしょうか?」
突然、耳元で一番聞きたかった人の声がした。
「うわっ!?」
「にゃははは♪」
びっくりして振り返ると楽しそうに道化師のプルートゥさんが微笑んでいた。
「あ、あのっ」
「んー? どなたかお捜しでしたかロックさん?」
「その……僕は貴方に謝らなくてはならない事があります」
「ふにゃ?」
「僕はこれからこの都市を出ようと思います」
彼女が息を呑んだのが分かった。彼女に伝えるべき事を告げる。
――だから一緒に来てくれませんか?
「だから貴方ともお別れです」
しかし出た言葉はどうにも裏腹なものになった。
「……一緒に来いとは仰らないのですか? あの時、そう約束しましたよね?」
それは紅蓮大帝に挑む際に、俺の手を彼女が取った時のやり取り。
全て終わったら一緒に旅に出よう。確かにそう約束したのだけれど。
「……僕はこれから魔王が出る度に戦わねばなりません。勇者としての務めを果します。その過程で多くの人が死ぬ。プルートゥさん、僕は貴方には、貴方だけには幸せに生きて欲しいんです。魔王とは関係ない世界で」
紅蓮大帝との戦いの様に全てが救える訳じゃない。
もし。もしあの時、彼女が殺されて二度と戻らなかったら。
そう考えると俺の答えは決まっていた。
「俺は貴方と一緒には行けない。だけど貴方の夢を阻む脅威は必ず俺が全て殺します。だから――むぎゅっ!?」
しかしそれを言い切る前に鼻を思いっきり摘まれてしまった。
「なにをずるんでずがっ」
「はぁ~~~~」
と文句を言ったら、逆にこれ見よがしにイラッとする顔で「やれやれ、ふぅ」とジェスチャーした上に、大きく溜息を吐かれてしまった。
「ダメです。ダメダメですロックさん。道化師ポイントマイナス二千点です」
「い、いやですからここから先は危ないって――」
「ロックさん。ロックさんは一体何者なんですか?」
「それは……」
「ではあなた様の目の前にいるわたくしめは、一体なにものでしょうか? ああっ、まさかわたくし、どこぞのお姫様だったりするのでしょうか!? 道化師、今更知る衝撃の事実っ!?」
一瞬、そう思わなくもなかった。ただ彼女はお姫様としてここにいるのではない。
「……プルートゥさんはプルートゥさんです。道化師として頑張っているプルートゥさんです」
「ではたかだか旅の道化師風情が、あなた様とご一緒に旅をする為に、果たしてどの様な地位と権威が必要にございましょう?」
「僕はっ」
「宿屋の倅なのに?」
一瞬だが思わず言葉に詰まった。
「…………そう、ですが」
「初代勇者様のお言葉をお借りするならば――いぐざくとりぃ♪ わたくしめはただの陽気でめちゃくちゃ可愛いくてカックイイ~ただの道化師で、あなた様は幸薄そうだけど凄く男の子で素敵な宿屋の倅にございまぁ~す」
「で、でも」
気付くと彼女は両手で俺の頬を包み込み、慈悲深く微笑む。
「――いいじゃないですか。ロックさんはロックさんで。私はそんな貴方だから、一緒に旅をしてみたいと思ったんです。だから我慢なんてしなくていいんです」
「俺は……」
「もぉ、また泣いてはいけませんよ? そんな悲しそうな顔をしないで、もっと道化師めに笑って下さいませ。私はお姫様ではなく道化師なんです。貴方に笑顔にさせて貰いたくて一緒に行きたいんじゃない、貴方を笑顔にさせて私もまた笑顔になりたいから、一緒に行きたいんです――その為に今、私は心のままにロックさんの頬をぷにぷにしています♪」
彼女は陽だまりみたいに笑う。
「いいんですよ、私にだけはありのままの貴方でいて。たかが道化を相手に、何も背負わなくていいんです。ロックさんの大切な気持ちを、どうか私には隠さないで」
ああ――。
やっぱりたぶんこの人だけは俺を許してくれる。
どれだけ人々の期待を裏切っても、彼女だけはそのままに受け入れてくれる。
ありのままの、自分を見て傍にいてくれる。
「プルートゥさん…………てくれますか?」
「ん?」
「付いてきてくれますか?」
彼女はくすくすっと笑った。
「ダメ、です♪」
「ええっ!?」
「――ついて行くんじゃなくて、二人で一緒に行くのならおっけーですよ?」
頬から手を離して口元に指を立てると、口を猫の様にして悪戯っぽく笑う彼女。
そんな彼女に苦笑して俺は言いなおした。
「……どうか僕と二人で、一緒に来てくれますか?」
「――いぐざくとりぃ♪」
たぶん俺は生涯、この人には勝てないと思った。
この人だけはどれだけ自分の本心を隠しても、誤魔化しても、からかいながら見抜かれて許されてしまう気がする。
――だからこそ俺は。
そう目頭を押さえ下を向いた時だ。
「……え、なにこれ?」
魔法陣だ。
足元に魔法陣があった。
「おやっ、これロックさんがやっているんじゃないんですか?」
「えっ?」
「えっ?」
プルートゥさんと顔を見合わせる。
突如、下から神気が膨れ上がった。そう魔力ではない神の力だ。
「――えっ、転移って、いきなりすぎませんか!?」
そうプルートゥさんがここにいない誰かに向けて叫んだ直後、俺達は謎の浮遊感に包まれ下に落ちた。
「ああああああああああっ!?」
「にゃああああああああっ!?」
――ざぶんっ!
そんな音と共に全身が水浸しになった。
水の中に落ちたのだと少しして気付く。
「おっ、おぼれ、溺れる! ――あれ?」
しかしバシャバシャともがいているが、尻が地面についている事に気付いた。
――浅い?
しかも水が温かい。
まるで……。
「あ、アンタ……」
「え?」
ふと声がした方へと顔を上げると、タオル一枚の半裸の美女がいた。
真っ赤な長い髪。スタイルもプルートゥさん並に凄い。目の保養になる美女がいる。
「え? 痴女? 変態?」
瞬間、彼女のこめかみが痙攣したのが分かった。
「それはアンタよ覗き魔がぁっ!」
振り下ろされる拳。
「おっと」
時間遅延で遅らせて俺は避けた。危ない。
「いやあの、その格好であまり動くといろいろ見えてしまうからやめた方がいいですよ。あ、大丈夫、僕あなたの裸に全く興味ないですから!」
「このっ!」
言葉が良くなかったのか、彼女が怒りの形相で俺を蹴ろうとしてくる。
当然、同じ様に時間遅延を使おうとした瞬間。
「――影縫い」
何処からか放たれた針が俺の影に突き刺さった。同時に体の動きが利かなくなり――。
「死に晒せェ!」
「え……んぐぅ!?」
いくら遅らせた所で体が動かず、俺の股間が赤毛の美女によってめり込む程に蹴り上げられ、意識が途絶えた。
ただ薄れ行く意識の中。
第三位階到達──時間逆行、空間跳躍を発現。
そんなアナウンスが聞こえた。
「あー……ロックさん」
その様子をロックとは違い、巨大な風呂の中ではなくその天井に落とされたプルートゥは何とも言えない顔で見ていた。
「相変わらず幸運なのか不幸なのかよく分からない方ですね……」
あれだけの美女の裸を見れたという点では幸運だが、本人は白目を剥いて大浴場にぶくぶくと沈んでいる。
しかも相当な身分の女性の湯浴み中らしく、武装した褐色の女性達が雪崩れ込んできた。
「ううっ、助けに行ってあげたいですけどちょっと無理そうかな?」
それに彼女には気になることがあった。
『聞こえておりますかプルートゥ』
不意に脳内に響く声。
それは彼女にしか聞こえない。そしてロックとプルートゥをここに飛ばした者――闇の女神様の声。
「女神様! いくらなんでもいきなりはダメですよっ。ロックさん捕まってしまいましたよ!?」
『う、すみませんわ……しかし交信できるタイミングが今しかなく、こちらで大変な事態が起こってしまったのです』
「はい?」
女神はかつてどんな神託でも聞いた事のない深刻な声でプルートゥに告げた。
『――水の神殿が何者かによって襲撃され、水の女神が連れ去られました』