Epilogue11 日陰の幸福
※【2019年夏SS】ロックとプルートゥが雪景色を進む馬車の中でいちゃいちゃするだけの話 は期間が過ぎたので削除致しました
「貴方様の夢、このわたくしが叶えて差し上げますわ!」
紅蓮大帝戦の後。
身体が治ってきたロックがヴォルティスヘルムを散策していると、侯爵家ご令嬢のユースティ様に出会い頭そう宣言された。
そう言われればロックはただ、彼女の後を付いていく他にない。
――宿屋をやれる。
ロックからすれば寝耳に水の話であまりに実感がなかったが、その目的がようやく達成されるところまで来たのだ。
確かに魔王は倒さねばならない。しかしいない間は宿屋をしても問題はないはず。
……本当は各神殿に散った時空間魔術の権能を集めなければならないのだが、今のロックには微妙に抜け落ちていた。
それどころか。
「あっ……あの、本当に良いんですか? ど、どどっきりとかじゃなくて……その……」
いつもの宿屋を邪魔するやつは絶対殺すマンなロックは鳴りを潜め、小動物の様におどおどしている。
「じ、実はこれ夢で魔王による怪電波攻げ」
「安心なさいませ。貴方様はそれに見合うだけの事をしたのですから……あら?」
ユースティはふと、立ち止まり街を復興している一人の男に声を掛けた。
「あなた、確かアルドでしたわよね?」
「お嬢様? お久しぶりです。お陰様でこの辺りの復興は順調スよ」
むさ苦しい男が気付き敬礼をする。どうやら兵士か騎士らしい。
彼女はそれを手で制した。
「復興の事ではありませんわ。貴方、兵士を辞めたそうですわね? 良くも悪くもありましたが、とても強かったのにどうして辞めてしまったんですの?」
アルドと呼ばれた元兵士は、少し言葉を詰まらせ恥ずかしそうに俯いた。
「いやぁご存知でしたか……実はちょっと、やりたい事が出来たんスよ」
「そうなんですの? ならいいんですけれど。どうも戦後の貴方は誰が見ても抜け殻でしたから皆、心配しておりましたのよ?」
「お嬢様に気に掛けて頂いたとは……すいやせん。ただあの時は、本当に死のうと思って半壊した家で首まで括りまして」
「「え?」」
予想外に重い話にロックとユースティ様が驚く。アルドは瓦礫の撤去を続けながら続けた。
「……いやね。自分には嫁さんも親もいなくて、家族は弟だけなんですけどね。酒呑んで賭け事して暴れるだけの俺と違って、弟は凄くいいヤツなんですよ。親父から技術学んで靴屋継いで、嫁さん貰って子供も育てて、胸張って生きている自慢の弟でした。兵士やってたのもアイツらが変なのに絡まれねぇようにって、思いも本当はありやしたよ」
その言葉の先を何となく察したロックが僅かに目を逸した。
「それがまぁ嫁さんも子供も一緒に倒れる家に巻き込まれて……ね。時間が巻き戻った時より前だったらしく、俺らのように生き返る事もありませんでした。まぁ即死だったみたいで……ほんと、そこは救いなん……ですけどね。ただ……どうして俺じゃなくて……なんでアイツらがって……」
そこから先は声にならなかったのか、静かに兵士は泣いた。
二人も声を掛ける事ができず見守っていると、誤魔化すように兵士は鼻を啜る。
「だから、その……なんで俺なんかが生き残って、あいつら家族は死んじまったんだろうって。誰も待っててくれる人もいねぇし、弟家族すら守れないロクデナシの俺なんかが、なんで生きてるんだろうって考えちまって。やるせなくて、生きる気力もなくなって、まぁ酒浸り。で気付いたらロープを首に掛けてやした」
「それは」
「でも出来なかった。勇者様のせいですよ」
――え?
突然、自分の事が出てきてロックは戸惑う。
「首に紐を掛けた時、あの人が化け物と戦ってる姿が過ぎったんです……そんなの思い出したら、出来るわけないじゃないスか」
しかし彼の言葉は思っていたものと違った。
「俺、なにやってんだろって。明らかに俺なんかより若い男が、腕っ節だけが自慢の俺でさえチビってしまう様な恐ろしい化け物を相手に、戦ってくれたんだ」
ロックはその言葉に少し唇を噛んだ。
兵士はそれに気付かず目を閉じる。
「冷静になりましたよ。救ってもらった命をどうするつもりだ! って。他の誰に言われても俺は止まれなかったかもしれない……けどあの人の姿を思い出したら、死んで楽になるなんて許されねぇ」
そういうと男は疲れを隠すように笑った。
「勇者様への恩に報いる為にも、死んだアイツらの為にも、生きようと思いました。だから今度は俺が靴屋を継いでいくために、兵士も酒も喧嘩も辞めたんス」
「そうだったんですの……勇者様、あの人は」
ふとユースティはロックを見ようとした。けれどそれを堪えた。代わりに。
「――靴屋。なれるといいですね」
ロックが何か別の言葉を飲み込んで、そう優しく言った。
「ん? おう!」
それから二人は無言で歩いていた。お互いに思う事があった。
ロックにあったのは戸惑い。
――勇者としての仕事は必ず果たす。認めてくれた人達の為に、彼女の為に、必ず魔王を殺す。けれど俺の知らない人々の為に自分の夢を犠牲にする気はない。あんな風に賞賛される存在じゃないんだ。俺はもっと……。
一方でユースティは逆に前を向き、確固たる決意を固めていた。
そのせいで前を向くユースティと空を見上げるロックの歩調は一致せず、少しずつロックとの距離が開いた。
「ここですわ!」
ただ二人の距離が離れきる前に彼らは目的地に着いた。そこは半壊した巨大なホールだった。
「あれ? ここって確かクラン虹羽の拠点ですよね?」
「ええ。少し借りたんですわ。どうぞ、この中に見て貰いたいものがあるんですの」
「見て貰いたいものですか?」
「ええ! これが私に出来る最大のお礼……ここに貴方の夢がありますわ!」
そういってユースティは満面の笑みで扉を開けて促す。
この先に宿屋に関する誰か、或いは何かがあるのだろうか。期待と不安を抱えロックが逆光に目が眩みながら扉を潜ると――。
「ようこそいらっしゃいました勇者様!」
「え?」
そこには高そうな法衣を纏った神官達がいた。
「おおっ! いらっしゃったぞ!」
「あれが勇者様か!」
さらにその周囲には人々が溢れかえっていた。
皆、ロックを見ようと騒いでいる。
「これは……」
「初めまして勇者様! 私は炎の神殿の大神官のネザーです!」
「ごほんっ。私は森の神殿のネリスと申します偉大なる勇者様」
ロックが何か尋ねる前に神官たちの中でも一番、服装がしっかりした二人が競うように前に出る。
なぜ神官が。
なぜ勇者なんて。
疑問を尋ねるより早く彼らは告げる。
「いやいやこのヴォルティスヘルムを救ったという偉業を達成したのに、こんなお若いとは! 素晴らしい、ぜひ我が神殿の勇者となりましょう!」
「ふむ。もしその力が本物であるのならば、こんな弱小神殿ではなく、我が森の神殿の勇者としてお迎え致しましょう」
二人がさらに前に出てくる。
――勇者? 誰が? この人たちは何を言っている?
「いや、あの、僕はアイテムボックスも超越者のギフトもなくて……勇者では……」
「ご謙遜を。それにアイテムボックスと超越者の組み合わせについては、我々からしてもどうにも怪しいんですよねぇ……ねぇ光の神官殿?」
森の神官がそう含みのある言い方で後ろにいた人物へ尋ねる。現れたのはなぜかバイオリンのケースを背負う一人の青年神官だった。
「いやはや。森の神官殿、確かに我らの神殿にはそう伝わっておりますよ。ただハイエルフ様などは、なぜかそうではないと仰っているそうですが」
――あれ?
そんな光の神官殿と呼ばれた男を見た時、ロックは奇妙な感覚を抱いた。だがその感覚が何か分からない。
「お初にお目にかかります。私は光の神殿の大司教様にお仕えする、べルパパと申します。貴方様が魔王を倒し勇者様だと、そちらのご令嬢からお話を聞き参りました。我々も貴方様が本物であるのなら是非、大々的に二人目の光の勇者様としてお迎えしたい次第なのです」
「二人目の、光の勇者ですか?」
困惑するロック。その一方で三人の神官が勇者として迎え入れたいという言葉に群集のボルテージが一気に上がる。
「すげぇ! すげぇよ!? 三つの神殿から勇者として勧誘されるなんて!」
「流石はヴォルティスヘルムの勇者様だ!」
「人類の英雄よ当然じゃない! 魔国の魔王を倒して平和を取り戻せるのは勇者様しかいないわ!」
感激し熱狂する群衆。
対してロックは周りの言葉に、目の前の神官達に、ただただ言葉を失う。どうして、なぜこんな事になってしまったのか。
「私が頼みましたのよ。貴方様の為に」
「――え?」
横からそんなロックの手を取り、ユースティ様が嬉しそうに、そして誇らしそうに微笑む。
「な、なにを――」
「もう無理をしなくて宜しいんです、ロック様」
彼の動揺を打ち消す様に彼女は言った。
「貴方様は本物の勇者様としてみんなに認められたんですわ。見てください集まった方々の熱狂を」
「……いや。いや待って下さい! 僕は勇者じゃない、僕は宿屋になりたいんです!」
「いいんです」
彼女の首を振る。
周りの群衆も全て分かっているとばかりに温かい眼差しでロックを見ている。
そしてユースティが優しく慈愛に満ちた音色で強く断言する様に告げた。
「貴方様はもう宿屋になんか、ならなくていいんですわ」
「ぇ……」
嬉しそうにそう告げるユースティ様。それを肯定する群衆。対照的にただ頭が真っ白になるロック。
「宿屋……なんか?」
「ええ。ええ! そんな仕事などせず、貴方様は英雄として誰からも尊敬される勇者様になれるのですわ!」
彼女は畳み掛ける。
「ご実家の宿屋なんて人にやらせればいい事です。それよりみな貴方様が勇者となる事を望んでいるのですわ。これからは誰からも認められ、憧れる存在となれるのですっ。ああっ、おめでとうございます!」
――パチパチっ。
ユースティの祝福に続き、何処かから拍手が巻き起こる。
「おめでとう!」
それは次第に、確実に大きくなっていく。
「おめでとうッ!」「貴方は間違いなく勇者だ!」「おめてどうございます」「おめでとう勇者様!」「勇者様ばんざい!」
誰も彼もが笑顔だった。
誰一人ロックの言葉に耳を貸さず笑顔で勇者となった彼を祝福する。
そんな中でロックは。
「ああ、俺は」
一人、そのおぞましい善意に震えた。
――俺はなんて馬鹿なんだ。
彼に贈られるのは、有無を言わさぬ価値観を押し付ける周りからの脅迫的な祝福だ。
「新たな勇者様誕生だ。それも宿屋から勇者なんて大出世だ!」
「良かったな勇者様! これからはそんな仕事しなくていいんだぜ!」
当人の意思など関係ない。誰も聞いてない。その上で身勝手になされる懇願。そこにロックの意思も希望も存在しやしない。
「これで王国は安泰だな! どうかこれからも王国の為に戦って下さい勇者様!」
「世界を平和に導けるのは貴方様だけなのです!」
――なにを勘違いしていたのか。なにを期待してしまったのか。
耐え切れず震える手でロックは顔を隠す。
誰も彼もが笑顔で祝福しその大切な夢を踏み躙ってくる。
一人の道化師によって救われたはずの、頑なに反発し続けた言葉がまたロックを苦しめる。
『宿屋なんて下らない』
『勇者様の方がいい』
――そうだ。理解なんてしてくれる訳がないじゃないか。
思わず自嘲してしまう。
誰にも聞こえない小さな声が漏れる。
――馬鹿か俺は。確かに俺という人間の在り方を認めて貰えたかもしれない。けれど皆が俺の夢を理解してくれる訳がない。共感してくれる訳がない。まして人々は俺に勇者を望むに決まってるじゃないか。
勇者になれ。
それが自分が命を賭けて助けた者達の願いだと、どうしようもなく分かってしまったから最早笑うことしか出来ない。
「――ははっ。ははは」
けれどロックに群衆を罵る資格などない。彼らにそれを察しろと言う方が無茶。自分が一番それを理解している。
だからロックは己を呪う以外に何も出来なかった。
――なにを舞い上がっていた? 勇者より宿屋になりたいなんて話が、皆に理解して貰えると思ったのか? だからいつも信じない様にしてきたのに、そんな事は最初から分かっていたのに。なのに俺は……。
期待してしまった。
つい、どうしようもなく期待してしまったのだ。
あの道化師の様に、この都市の人々も世界も、自分を有りのままを受け入れてくれるんじゃないかと。
「勇者様!」「勇者様おめでとう!」「どうか世界に平和をもたらして下さい!」
けれどそんなことはなく結局、誰も彼もが勇者としてのロックを望んでいる。
彼らが、いや、世界が求めるのは勇者ロックである。宿屋のロックなど誰も必要としていないし、認めもしないだろう。
……ロックにはそれが痛い程に分かってしまった。
「違う。違うんだ、俺は――」
「ふはははは! その男は偽者だぁ!」
「っ!」
突然一人の男の声が轟いた。
ロックが手で隠していた顔を上げると半壊したドームの屋根の上に、何処か見慣れた卵型体系の男が立っていた。
どこか適当で、それでいて素直にロックの気持ちを聞いて、お前は凄いと言ってくれた男。
「その男は勇者ではない! 騙されるな群衆よ! そいつはな、宿屋なんだ! そうだ誰がなんと言おうと、ロックは宿屋なんだよ馬鹿やろう共がァ!!」
そう叫ぶ姿はロックにとって誰よりも、勇者よりもかっこよく見えた。
「そして本物の勇者は他でもないこの俺、プティン様である!」
さらにプティンの両脇から花吹雪が舞う。
撒いているのはそれぞれあまり乗り切れず、微妙な顔をしている男女。
「なんで……私まで……」
「おい。普通、見た目的に勇者役は俺じゃないのか?」
神官ナーダことあの神官ちゃん。そしてロックの剣をポーター時代にへし折った男、リドルだ。
「な、なんだ貴様らは!」
「彼が偽者とはどういうことですか?」
偽物という言葉に目敏く神官たちが反応する。
「馬鹿共め! 言葉のままだ。そいつは勇者じゃない、ただの宿屋だ! 実際にそいつの冒険者ランクはEなんだぞ!」
観衆達が驚き俺を見る。
「そっ、そんな訳がありま――」
プティンの言葉に反論する様に前に出たユースティ様だが彼女はロックに止められる。
「ロック、様?」
入れ替わる様に前に出たロックは、全員に心の中で静かに詫びる。
直後、天に向かって一枚のカードを掲げた。
紛れもない更新してないEランクのカードである。
「ば……バレちゃあ仕方ない! そうだ、俺は冒険者ランクE! 勇者なんかじゃねぇ、ただの宿屋だ!」
「貴方っ、なにを――」
「あーあ! せっかく馬鹿なヴォルティスヘルムの住人を騙して、甘い汁を啜ってやろうと思ってたのに! どうせ勇者とか言う奴も大袈裟な技で大袈裟に苦しんで、格好つけてさも恩着せがましく勝ったペテン師野郎だろうしなぁ? どうせ本物と偽物の違いも分かりゃあしねぇから騙しやすかったぜ!」
ロックは開き直って笑う。やや大根演技ではあるが、ある意味で本音でもありすらすらと言葉が出てきた。
反対に。
「…………おい。今お前なんつった?」
群衆達がロックの言葉に黙った。それも全員が同じ気持ちで。
「あ? 馬鹿な住民を――」
「違う! もっと後ろだ!!」
「――恩着せがましいペテン師野郎?」
群衆はこの瞬間、観衆である事をやめた。彼らは怒りを滾らせた。自分達を救った男への侮辱に。
「俺達を騙そうとした事はいい……信じた俺達が悪い……」
「ああ。どうせ教国軍にいいようにやられた俺達だ。――だがなッ! 命を懸けて俺達を救ってくれた勇者様への侮辱は許さねぇ!!」
彼らは「訂正しろこの野郎!」「勇者様に謝りやがれ!」と叫びながら暴徒となってロックに押し寄せる。
だがここで本当に困ったのは別な者達だ。
「まっ! 待つんだ君たち! 落ち着け、落ち着くんだ! なんでどうしてこうなった!? なにしてるんだ、宿屋の君も早く謝るんだよ!?」
「皆さん!! まずは彼が勇者かどうか審議を!! 審議をさせ……いたっ!? くそっ!! なんで勇者をスカウトしに来た我々かこんな目にあっているのだ!?」
その間にいた炎の神殿や森の神殿の神官達の方が冷静で、ロックに事の真偽を確かめたいのだが、それが逆に両者に挟まれる形となり暴徒への壁になってしまった。
「勇者様を馬鹿にするんじゃねぇ!!」
「取り消せよテメェ!?」
「邪魔だ神官共!! あいつをっ、あいつを一発殴ってやる!」
彼らの怒りにロックは身を震わせながら、一言「…………すまない」とだけ呟いた。
――期待した勇者様になってあげられなくて。すまなかった。
そんな言葉を呑み込んでロックは彼らに背を見せ歩き出した。
「待って下さいませ!」
だが最後にその手を一人の少女が引き止める。
「なんでっ、どうしてっ! どうしてなんですかロック様!?」
ユースティ。
彼女は未だ分かっていなかった。ロックの根本的な部分と彼女は向き合わなかったから。
「……今の僕は勇者じゃありませんから」
「何を言ってるんですロック様! 貴方は何時だって」
「魔王がいない世界では、僕はただの宿屋です。それは、それだけは、誰がなんと言おうと絶対に譲らない」
「だから宿屋はもう良いのですわ! 貴方は勇者様なのですから、宿屋なんて辞めて、誰からも愛され、祝福され、称賛される存在として、胸を張って勇者だって! この都市を救い紅蓮大帝を破ったのは自分だって仰れば、皆あなたを認めてくれるんです!」
「ユースティ様」
「さぁ、私と共に英雄として――」
「お断りします」
彼女の手を強引に払った。
「ぇ――」
掴んだ手を払われて、まるで親に捨てられた様な顔でユースティ様がロックを見る。
「貴方の好意は嬉しい。けれど貴方の手は決して取らない」
「なん、で」
「理解してくれなんて言いません。けれど僕は勇者ではなく、宿屋として胸を張って生きたい」
それは変わらない。
そこだけは変えちゃいけない。俺が誇れる自分である為に、自分の夢だけは誰にも譲らない。
「ユースティ様。俺の夢は勇者じゃなくて、本当に宿屋なんです。俺は何者でもない。宿屋の倅ロック・シュバルエ。俺の幸せは、誰でもない俺自身が決める」
「そんな……訳が」
しばらく呆然としていた彼女だが、やがて目を見開き、身体が震えだした。
「うそ……ですわ……。だって、だって皆から祝福されて、認められた方が絶対に――」
そこまで言って彼女は思い出してしまった。
――私は何者でもない自分になりたかった。
他でもない。
彼女が魔術師を目指した理由。
皆から祝福されながら、自由を奪われ恋人と引き裂かれ大貴族の婦人となった姉の様に、侯爵家ご令嬢という道具に、自分はなりたくなかったから。
ヴォルティスヘルム・ユースティという一人の人間となろうとしていた事を今更ながら思い出した。
だからこそ彼女はロックに強く惹かれた。
ゆえにそれが今まで自分が彼にしてきた事の間違いに気付いてしまった。
自分は彼の為といい、その本当の心を知ろうともせず望まぬ道を強制しようとした事実に。
「じゃあ……じゃあ私は貴方に」
その言葉に耳を貸さず、それどころか自分が最も嫌なことを強いてしまった事実に。
「ありがとう。――さようなら」
別れの言葉でようやく己の過ちに気付いたユースティが、震えながら壊れた人形の様に首を振る。
「ま、待って……違うの……わたくしっ……ごめんなさい……知らなくて……あなたがっ……そんな風に思ってたなんて……!」
膝をつき涙を流す彼女。だがもう遅いのだ。
「私はっ、ただっ、あなたの力になりたくて……あなたに喜んで欲しくてっ……そんなつもりじゃなくて! 頑張ったあなたを皆に認めて貰いたくて! ごめんっ、なさい! ごめんなさいっ、わたっ、わたしは……!!」
その姿に一瞬ロックは手を差し伸べたくなった。
――ロックさん。
けれどふと、道化師のはにかむ顔が浮かんだ。
上げ掛けたその手を下げる。それをしてはいけない。その資格は自分にはない。
彼はただ静かに謝り続ける彼女の横を通り過ぎて、ホールの外へ出た。
外の空は嫌になるくらいに青かった。
ただロックはそれが、どうしようもなく自分を責めている気がして顔を伏せる事しか出来なかった。
あと宿屋の倅のテンプレ版というか外伝というか、別Verが書きたくなったので、カクヨム版の『1-13 先代勇者の懸念』以降を別ルートにしようと思います。良かったらどうぞ。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888354192/episodes/1177354054892047883