Epilogue10 道化師、服装を注意される
「あれ?」
道化師プルートゥはふと、病棟の前で立ち止まる。
ロックが出かけている隙に、寝具を取り替えついでに悪戯も仕掛けようと部屋に入ろうとした時だった。
――中に誰かいるのでしょうか?
誰もいないはずの部屋に人の気配がある。
「よいしょっ」
抱え込む枕とシーツの横からヒョコッと顔を出すと、本当に誰もいないベッドの前で一人の女性が椅子に座っていた。
黄金に輝く長い髪をした碧眼の和服姿の美女。手には一本の唐傘。
「そこのお嬢さん。貴方は看護婦ですか?」
しかも彼女はこちらを見向きもせず、喋りかけてきた。
「え? 私ですか?」
「はい」
「いいえ道化師です」
途端に彼女がプルートゥの方を向く。
「……その格好で?」
「友人の看護をしていたのですが、まずは形から入ろうかなぁ、って思いました」
友人。
その言葉に一瞬、ピクッと頬を反応させる和服美女。
「この病室の子……ロック・シュバルエに友達がいるのですか?」
「え? はい。ロックさんと仲が良い方は当然いらっしゃいますよ」
「何人か……貴方もその一人だと?」
「ええ、まぁ」
和服美女が立ち上がりプルートゥの目の前に迫る。
その美しい表情に一切の変化はない。だからこそかなり威圧的に見えて怖い。
プルートゥはそんな妙な迫力にシーツと枕を抱き締める。
「失礼ですが貴方は女性ですよね? 男女でありながらご友人関係が成立したと?」
「えっとあのっ、少なくとも私はそう思っておりますっ」
――なんでしょうこの方っ、なんでこんな威圧的なんですかっ!?
「まずはそのシーツと枕を置くべきですね。どうぞそちらへ」
「ど、どうも」
――あー、なんか嫌な予感がひしひしとしちゃいますよこれ。
促される様にプルートゥは抱えていたものを空いているベッドに置く。
その隙に反転し脱出を試みた。
「あっ! そういえば私まだ用事があり――てぇ!?」
即座にドアの方へと振り返る彼女だが、ロックの様に瞬間移動でもしたかの如く和服美人が先回りしていた。
「ではまず、二人のなれ初めからお願い出来ますか?」
相変わらず鋭い眼光で笑み一つ浮かべない彼女。
「……は、はい」
あまりの迫力にプルートゥは何も悪い事はしていないのに、なぜか恐怖からぷるぷる震え涙目で頷いた。
「なるほど。お二人で旅をしようと。しかし失礼ながらまだお若いお二人が、男女で旅をするというのは些か不健全なのではないでしょうか?」
「たっ、確かにそうかもしれません。ただその、ロックさんとはそういった関係という訳では……」
「しかし間違いは起こるかもしれない。そうなった場合、仕方ないで済ますおつもりですか? 起こりうる可能性は多少なりとも考慮すべきですよね?」
「お、仰る通りに……ございますぅ」
数分後。二人は椅子に座り直し向き合う。
そこには娘の風紀に苦言を呈し、その交友関係を問い質す母親と、叱られる娘という絵面が出来上がっていた。
――なぜっ! なぜ私が見ず知らずの方にこってり絞られてるのですかっ!?
考えてみればそうである。二人は初対面だ。
しかし和服美人はそんな単純な問すら許さない。
「そもそもプルートゥさんの格好は随分と攻めておられますよね。スカートも短く太ももが見えております。服のサイズも少し小さいようで……Hカップ程でしょうか、貴方の大きめな胸も強調され、年頃の異性には些か刺激が強すぎると思うのですが、その辺りは如何お考えでしょうか?」
「あの……元々、私は歌って踊れる道化師を目指しておりまして……多少はその……あの……ううっ……」
プルートゥは元々、ドレスばかり着ていた人間だ。
なので道化師になってからの衣装選びは、彼女の師匠の影響が大きい。
『馬鹿だねぇプルートゥは。僕みたいに幼児体型な女ならともかくさ、君みたいにスタイルの良い女の子なら可愛さも美しさも、そしてセクシーさも追求しなきゃダメだよ。せっかくだ、僕が君にぴったりの服を作ってあげよう』
そう言われ、彼女に合う服をお手製で作って貰ってからは、可愛く美しくセクシーに。彼女はなるべくその系統に沿って服を選んだり、自作したりしている。
またそういった服は芸をする際は非常に映え、歌って踊る時などでも動き易い利点があった。しかもセクシーと言っても、闇魔術のおかげでスカートの中なども鉄壁という完璧さ。
実際、男性客の反応も良いのは事実で、その延長でロックも喜ぶだろうと今回もわざとこの小さめの看護服にしたのだが……。
――冷静に指摘されると……すごくつらいっ!
美人に絶対零度の目で見つめられながら、貴方は痴女なんですか? と言われれば誰だって死にたくなるだろう。今更ながら恥ずかしくて仕方ないのだ。
「プルートゥさん。繰り返しますが私は別に貴方を責めている訳ではありません。ただもし、例えば野宿の際などに一線を越えてしまった場合、その後に宿屋の女将になる覚悟はお有りですか?」
「うっ!」
言葉を詰まらせるプルートゥ。
その様子に更に温度の下がった目を向ける和服美人。
「……正直、覚悟はありませんし、なりたくは……ないです」
「そうでしょうね」
返事は短い。だが声色に明らかに呆れが混じっていた。
「それより、宿屋の隣でサーカスを開きたい……です」
「――え?」
プルートゥはタジタジになりながら話し続ける。
「私はその……道化師になって自分のサーカス団を持つことが夢なんです……だからもしロックさんと、その、ふ、不健全なご関係になったなら、私はロックさんの宿屋の隣でサーカスを開いて、お互いにその、支え合っていきたいなぁ……って」
「……」
目を見開き沈黙する和服美人。
その様子に気付き、途端に恥ずかしくなったのか慌ててプルートゥが手を否定の意味を込めて振る。
「あっ! あのっ、あくまで! あ・く・ま・で! そういう関係になったらですよっ? 別にロックさんとそういう関係になったとか、なろうとかって訳ではなくて……それに私も実家がいろいろ問題あってロックさんを巻き込めないと言いますか、あ、でも別にロックさんが嫌って訳じゃ――」
「貴方は素敵な女性ですね」
ふと、和服美人の絶対零度の眼差しが和らいだ。
「ふぇ!?」
「失礼しました。些か服装は気になりますが、貴方はとても好感が持てます」
「あ、ありがとうございます?」
「ふふっ。欲張りな方。けれどご自分の足でご自分の目で前を見れるのは、素晴らしい事です。しかし良いのですか? この都市の様子では、もしかしたらあの子は勇者になってしまうかもしれませんよ?」
しかしロックが勇者になってしまう。と和服美人は言うが、明らかに文脈は噛み合ってなかった。なにが『しかし』なのか。
だがプルートゥは無意識にだが通じている。
「それは……でも、それがロックさんの決めた事なら仕方ないのかなって……それに私が好き勝手に生きてるのに、人の生き方を邪魔してしまうのも……」
和服美女の見立てとは裏腹に、少し寂しそうに縮こまるプルートゥ。それを見て彼女が初めて清々しい顔で笑った。
「そんな事はありません。本人が勇者になると言ってきたなら、無理やり拉致れば良いのですよ」
「――えっ」
「プルートゥさん。大事なのは貴方がどうしたいかです。はっきり言ってロックはヘタレです。思い切りはやたら良い癖に、奥手という面倒極まりない子です。だから貴方が好きに引っ張ってしまいなさい」
「え、いや、でも」
「大丈夫。お話を聞く限り、貴方はあの子に愛されています。それが恋愛なのか友愛なのか、もっと漠然とした親愛なのかは知りません。けれどあの子は貴方を信用しています。それは間違いない。でなければあの子は身の回りの世話など他人に任せず、全て自分でやるでしょう。だから」
和服美人は強く断言して立ち上がる。
「思いっ切り振り回してしまいなさい。それに貴方は聖女なのでしょう? ならば唯一、魔王の存在を記憶している闇の女神の言付けを伝える役割もあります」
「っ、どうして――」
プルートゥが闇の女神により加護を与えられた聖女と知っているのか。
その問に答えず、和服美人は病室の入り口へと歩いて行く。
彼女は曲がり角で壁に手を添え、振り返るとプルートゥに告げる。
「この星の女神の大部分は、魔王達により殺されています。故に今、闇や月を除く新たに産まれた女神達は何も知らないのです。魔王が何なのか。どれほどの強さなのか。彼女達は分かっていない。自分達こそが――狩られる側なのだと自覚していない。だからこそ貴方達が頼りなのです」
そんな意味深な言葉を残し、彼女は去ろうとする。
「待って下さい!」
「プルートゥさん。ロックの事をどうか宜しく頼みます」
「いやあのっ、そうではなくて!」
「大丈夫ですよ。あの子はそう簡単にーー」
去りゆく彼女の背にプルートゥは叫んだ。
「傘! 傘を忘れてますっ!」
「…………っ」
固まる和服美人。
実際、プルートゥの手には置き去りにされた唐傘があった。
「………………」
「………………」
重苦しい沈黙の中、耳が真っ赤になっている和服美人が動く。
「空間転送っ」
「え!?」
突然、消える唐傘。
そうして咳払い一つして「ありがとうございます」と呟き瞬きの間に消えた。
「いや、あの……消えちゃった。でも今の方、やっぱりロックさんの……」
残ったプルートゥは一人、やっぱり親子って良い所も悪い所も似るんだなぁと感慨深くなった。
ただそれと一緒に。
『しかし良いのですか? この都市の様子では、もしかしたらあの子は勇者になってしまうかもしれませんよ?』
そんな彼女の言葉が過ぎった。
別にロックの意思ならそれは仕方がない。それに都市の人々の温かさに触れ、彼も居心地が良くなるかもしれない。
賞賛は麻薬だ。
一度、受けるとまた受けたくなってしまうもの。ロックも例外ではないだろう。
そこまで考えてプルートゥは、髪を弄りながら出口を見た。
「ま、まぁ、ご様子を伺うだけなら、構わないですよね? それにロックさん病み上がりですし、何処かで困ってるかもしれません。私も芸の仕込みを買う予定もありましたし、たまたま道でお逢いしたら一緒に散策するのも自然な……」
そうして彼女は一人で言い訳をしながら、本人も気付かぬうちに少し足早に病室を後にした。
ロックは美術商から絵を回収し、再び病院へと戻ろうとする。
その最中、ふと誰かにつけられている気がして立ち止まった。
「………………」
それは案外あっさりと分かる。
外套を着てフードで顔まで隠した人物がロックの方を向いて立ち止まっているのだ。
互いに見つめあう様な状況。
すると外套はロックの方を見ながら、路地へと入る。
――ついて来いってか。
ロックは今、時空間魔術が最低限しか使えない。
それでも一瞬、外套から覗いた顔に心当たりがありついていく。
程なくして崩壊していない建物の影に、その男ともう一人同じ外套姿の二人が待ち構えていた。
「……確か、僕を牢屋にぶち込んだ方ですよね?」
外套の人物の一人がビクッ! と目に見えて挙動不審に陥る。気まずそうに彼はフードを捲った。
「……はい。ユーバッハ・ヴォルティスヘルムと申します」
外套を脱いで彼はその場で膝を着く。
「先の無礼な暴言の数々、そして貴方様を幽閉致しました愚かな私をどうかお赦し下さいませ。我が神よ」
ああ、またこのパターンか……確かにあの時は困ったけど、こっちは大して恨んでもないのに。と謝罪される事にげんなりするロック。
だが最後のところで引っ掛かる。
「とりあえず怒ってないから謝罪は別に結構…………ん? いやあの僕、神じゃなくて宿――」
「お待ち下さい。全て承知しております」
するともう一人もその場に跪き、フードを外す。
「貴方は確かチェスター侯爵?」
もう一人はユーバッハの親にしてこの都市の主、チェスター侯爵その人であった。
「はい。私は貴方様に全てを差し出しても構わない覚悟でこの場におります。それこそ、神と言って差し支えない程に」
顔を上げもせずロックに対し、王族と接する様に言葉を選ぶチェスター。
「そう、私は貴方様を仰ぎ奉るべきなのです……私はそれだけの大罪を犯しました」
ふと。
ロックは紅蓮大帝が底知れぬ憎悪を侯爵に向けていた事を思い出す。
互いに詳しくは話さなかった。あの場では、それは何の意味もなさなかったから。
――互いに引けないのならば言葉など不要。積み重ねた屍がそれを赦さないなら、ただ己の存在を掛けて殺し合うのみ。
けれど侯爵のこの態度を見ればいろいろと察するものはある。
「……人を罰するのは僕の役目ではありません」
「はい。重々承知しております。けれど王族は我が罪を不問とすると通達して参りました」
「……え?」
ロックがいぶかしむ。
「王族は未だ教国が再度攻めて来る事を懸念しております。そういう意味で、私は必要だと判断されたのです」
だからどんな罪を犯していても農民相手ならば不問とする。それがこの国のトップの解答。
――復讐するはこの紅蓮大帝にあり!
無意識にロックはその手を強く握り締めた。ロックは宿屋の倅だ。国政の事など分からない。けれど何よりも思いを大切にするロックにはそれが酷く悪逆に思えた。
「――」
一瞬の激り。だが村松が仕込んだ宝玉の効果かその怒りはすぐに収まる。
なにより今は目の前の人物だ。
「では侯爵。貴方は自殺でもするおつもりですか?」
隣で同じ様に膝をつくユーバッハが驚き、父親の方を見る。
「正直、それも考えました。けれどそれはあまりにも無責任です」
「でしょうね」
この都市の惨状で侯爵まで死んだとなれば、もはや復興は絶望的になるだろう。なにより死んで楽になるのは本人だけだ。
「ではどうなさるのですか?」
「――この国を変えようと思います」
思ったよりスケールが大きい話にロックは戸惑う。
「その上で貴方様に二つばかりお聞きしたい事がございます」
「僕にですか?」
「はい。まず貴方様がどうしたいのか、仕事をする上でこうしたいと仰られる事があれば、どうかお聞かせ願いたいのです」
「僕は……」
ロックはいつも通りの回答をする。
「僕は堂々と(宿屋として)表に立って仕事したいですね」
「……畏まりした。すべて御心のままに」
――ん?
ロックはふと、今のやり取りに妙な違和感を覚えたが、侯爵はさらに問う。
「それとなのですが、ジンをご存知ないでしょうか?」
「えっ? ジン?」
そんな名前の人物に心当たりはない。
「ええ。学園で教官を勤めていた半人半竜のスキンヘッドの男なのですが」
――ぁ。
最後に腕を斬り落としてロックに差し出したあの金剛竜の教官である。
「ええ……存じています」
「っ、やはり、そうでしたか!」
その瞬間、辺りがざわめいた。
ロックは周囲に意識を向けるとおそらく何人か潜んでいる事に気づく。
――しかし今の動揺は……。
「で、ではあの戦闘バカの……あやつの……最後はどうでしたか?」
ふと、ロックは教官が騎士団の者達に慕われていた事を思い出した。
そして目の前の侯爵の声が震えている事にも気付いた。
「彼は……僕と最後に会った時、その心臓を潰されていました。ただなんとか竜核を使い延命する事に成功したのですが……息を吹き返した彼は魔王を討つ為の武器として、自らの腕を切り落とし僕に渡すと、生徒達を守る為に再び戦いに向かいました。それが、僕の見た彼の最後です」
「っ……左様に、ございますか。ではあの男は、最後の最後に自らの過ちを正せたのですね?」
「はい。詳しくは分かりませんが、それでも最後に笑って、少し救われたと僕に言いました。なにより僕が紅蓮大帝を討てたのは、間違いなく彼のおかげです」
「そうでしたか……ああ、良かったな……ジン。ほんとうに……よかったじゃないか……」
ロックが告げると、周りの気配や侯爵が震えたのが分かった。すすり泣く様な声すら聞こえる。
――慕われていたんだろうな。意味もない人生なんて言っていたけど、決してそんな事はなかったんだよ、教官。
ロックは何となく、嬉しくも哀しい気持ちになった。無駄などではなかったのだ。彼の積み上げたものは。
「ならば。私もこの都市を息子に託し、私の犯した罪を償うべく戦います。それを赦してくださりますか?」
「それは――僕には分かりません。そもそも貴方を断罪出来るのは僕ではない。ただ、僕は僕の夢の為に生きています。紅蓮大帝も自らの悲願の為に魔へ堕ちた。ならば貴方も己が信じる道を行くべきだ。この不安定な世界を自らの足で生きるのなら、夢でも信念でも何でもいい。他人ではない自らが灯した光を信じて進むしかないのだから……そうは思いませんか?」
「はい。左様にございます」
そう笑い掛けるとチェスター侯爵は目を閉じ、再び涙を流した。
「では僕は行きますよ」
「あっ、あの!」
そうして踵を返すロックに息子のユーバッハが声を掛ける。
「あ、はい。なんですか? 地下牢の事なら怒ってないですよ? 別に間違いなら誰にでもありますし、紅蓮大帝が誰か考えれば少し過激ですがユーバッハ様のした事はこの上なく正しい。むしろあと一歩、捕らえるのが早ければ悲劇さえ防げた可能性すらある。間違いなくユーバッハ様は優秀だと思います」
「えっ? あ、いや、その、ありがとう、ございます……っ」
思いもよらぬロックの高評価に、ユーバッハが頬を染め恥じらった。
ロックもそんな乙女の様な反応をされるとは思わなくて、二人の間が妙な空気になった。
「って! いやそうではなく……ユースティを知りませんか?」
「え? ユースティ様ですか?」
ロックは皮男が献上としてユースティを差し出してから、ずっと会ってはいない。
彼女が何処で何をしているのか、当然分かる訳がない。
「むしろ僕よりお二人の方が詳しいのでは?」
「それが戦後のごたごたもあり、いつの間にか置き手紙だけ残し何処かへ行ったらしく……てっきり勇者様の所にいるのかと」
「残念ですが会っていません。ただ見掛けたら声を掛ける様にします」
「ありがとうございます」
それを最後にロックはヴォルティスヘルムの親子と別れた。
「――聞いていたな、お前たち」
膝をつき、頭を下げたままの侯爵が誰に対してでもなく告げる。
すると周囲から騎士達が現れる。
ヴォルティスヘルム家のお抱え騎士達である。その中には、槍の遣い手である背の高い男、ロック的に言えばノッポさんもいた。
「はい……侯爵様。ジン指南役の最後も……我らの神が残した願いも……全て」
先の戦いで騎士団長が死に、新たな騎士団長となったノッポさん。その言葉に全員が頷く。
「そうだ。我等が偉大なる神は言った。堂々と(勇者として)表に立てる世界が良いと!」
ただ勘違いである。
侯爵はゆっくりと立ち上がる。
「これでようやく我らのやるべき事は決まった。必ずや彼の、偽りの勇者を引きずり下ろし、光の神殿の嘘を白日に晒すのだ。そして腐敗しきった王族と現体制を打ち倒す。それこそが私が出来るあの男への唯一の手向け」
それが侯爵の罪滅ぼし。死の前にやらねばならぬ事。それは一言で表せばクーデター。
或いは。
「そして必ずや我らが偉大なる神の為の、新たなる『時の神殿』を作り上げよう! それを為すまで私はまだ死ねんッ」
またの名を宗教革命。
先ほどとは違い狂気染みた熱意で、騎士達へ叫ぶ。
「このまま我らは一度、地下に潜るぞ。そしてすべての準備が整い次第、偽勇者と光の神殿、その周りで蠢く者たちの悪事を暴き、必ずや我らが正しき神が讃えられる世界へと変えるぞ!」
『オオッ!!』
こうして光の神殿と蜜月の王族という現体制を敵視し、地下へ潜る事になったチェスター侯爵とノッポさん率いる騎士達。
彼等は自らが守る都市を完膚なきまでに破壊され、プライドも希望も打ち砕かれ殺された者達。味わったのはまさに絶望。完全なる敗北。
ゆえに自分達の手からすり抜けて行った平和をたった一人で奪い返し、自分達ではどうあっても倒し得なかった怪物を、ついぞ死闘の果てに討ち果たしたロックの姿に……誰もが心酔してしまった。
にも関わらず。
『ヴォルティスヘルムに現れた勇者は偽物である』
光の神殿がそんな事を言い始めたのだ。
ロックの意思を尊重し、わざと秘匿するならそれはそれで構わないだろう。だが外部の人間が、あの惨劇と戦いを知らぬ者達が、言っていい事ではない。
尊敬するべき男がその様に不当に虐げられているのを知った彼らの取った行動こそが、これなのだ。
特にチェスター侯爵の紅蓮大帝への恐怖と執念は、そっくりそのままロック信仰へと流れてしまったのである。
――たぶんロック君の言ってたアレは、違うんじゃないかなぁ……。
ただ一人、都市の再興を託されユースティ共々紅蓮大帝との戦いでは殆どの間は意識がなく蚊帳の外だったユーバッハ。
彼だけが冷静に、半信半疑で血走った目で盛り上がる狂信者となりつつある父親達を引き攣った顔で見ていた。
「しかしユースティ様は何処に行ったんだろうか? 教国軍の残党は戦意喪失したか逃走したって話だし大丈夫だとは思うが……」
当のロックは路地から出ると、よく知る少女の安否を気遣っていた。
まさかとは思うが、何かに巻き込まれた可能性も……。そんな不安なことを考えて歩いていてすぐの事だ。
「ロック様」
本人がいた。
不意に目の前に、ちょうどその本人が現れたのだ。
「え? ゆ、ユースティ様!?」
相変わらずのお嬢様。ゴージャスな巻き毛にプルートゥよりも大きな胸。優雅な仕草。
しかも満面の笑みである。
今まで何処にいたのかとか、ご家族が心配していたとか、いろいろあったロックが口を開く。
けれど逆に、それより早く彼女が嬉しそうにロックの手を両手で包み、告げた。
「貴方様の夢、私が叶えて差し上げますわ!」
前回投稿した直後、ライト様からまたレビューを頂きました。最近、立て続けに頂けて嬉しい限りです。ありがとうございました。