Epilogue3 眼帯さん海底ダンジョンにドナドナされる
『眼帯さんとその雇い主の』エピローグです
【王国南部 公爵領】
教国侵攻。
またはヴォルティスヘルムにおける魔王勇者激突より数日が過ぎた頃。
「……………今の話、全部お前の白昼夢だったなんて事はないよなヴァロメ」
その大女はまるで盗賊の頭であった。
二メートルもの身長。鍛えられた体。所々に見える生傷。公式の場ではないゆえ、そのままにされた長い金髪は下に行けば行くほど跳ねている。
だが顔は貴族の令嬢と言った風に気品があり整ってもいる。服装も男装だが仕立てがかなり良い。ただもし、その顔に傷でも走っていれば間違いなく山賊の類を疑うだろう。
そんな彼女は執務室の椅子に座り、足を机に放り出し苦悶の表情を見せる。
やがて腕を組みその背と同じく大きな胸を押し上げながら、苦々しく空気を吐き出した。
「…………正直に言えば、お前の報告であってもやはり信じ難い。いや信じたくない」
ヴォルティスヘルム侯爵の主家でもある、王国南部を統治する女公爵アナハイムは何とかそう絞り出した。
その前に立つのは眼帯をした骨格の歪んだ男ヴァロメ。
彼はロックと共に時計塔に登った、ロックの言うあの『眼帯さん』である。
「恐れながら、今申し上げたことはすべて真実にございます閣下」
彼の喋り方はいつものチンピラ臭いものとは程遠い騎士らしいもの。
そもそもこの眼帯、ヴァロメは学生などではない。
目の前の女公爵が従える不可視の魔蠍と呼ばれる騎士団。その副団長である。
なぜそんな男がヴォルティスヘルムで学生をしていたのかと言えば、それは魔王の子供の一人である魔族ゼノ。女騎士と対峙していたロックの言うあの優男が原因であった。
魔国の王位継承者。
そんなものがヴォルティスヘルムに人間を装い侵入したのだ。
その真偽を確かめ、場合によっては侯爵と協力し拿捕、或いは殺害するべく、彼とその部下の女騎士は学生として侵入した。
そうロックの勇者と魔王の物語と全く関係ない公爵と魔国の物語。
ただその任務は失敗した。
公爵の思惑に反しヴォルティスヘルムは想定外の因縁と、魔王と勇者の因果により、魔族の王子どころではない世界の転換点となったからだ。
「……本物の勇者に魔王だと? そして各国の勇者に魔国の魔王の方が偽物? 子供が考えた妄想と言われた方がマシだ」
荒唐無稽すぎる報告。
だがアナハイム公爵が幸運だったのは、その報告をしたのが多数いる間諜や他の貴族ではなく、自らが強く信頼を寄せるヴァロメだった事だろう。
「一先ず、だ。まずはヴォルティスヘルムに現れた魔族の調査及び対策の任、ご苦労であった」
「ハッ」
「まさか教国の破壊工作が水面下で進んでいたとは……決戦場を伯爵領と見誤り、工作を察知できなかった私の落ち度だ」
「恐れながら閣下。此度の一件は秘密裏に時間を掛けて仕込んだ教国の方が一枚上手だったのかと」
「まぁな。だがしてやられた事に変わりはない。それと魔族ゼノとの共闘の件は不問とする。状況が状況だ。むしろよく都市を解放してくれた」
「寛大なご判断、感謝致します」
だが問題はそんな話ではない事を二人共分かっている。
「で、お前の言うヴォルティスヘルムにて起こった魔王と勇者の激突だが――馬鹿馬鹿しい」
女公爵はこれをバッサリと切り捨てた。
「何故でしょうか?」
出来るだけ感情を押し殺し尋ねる。だが長い付き合いの公爵もそれを察している。
「ハッ! 人が生き返り天変地異で世界崩壊? 初代勇者様の伝説でさえそこまで誇張はしてないよ。しかも全てが終わったら何もかもが巻き戻り世界は無事で、証拠も一緒になくなりましたってか? ヴァロメ、お前は教国の洗脳兵器にやられて正常な判断が出来なくなってるんだよ」
「しかしッ――」
「黙れ。子供でももう少しマシな報告をする。それを天下の魔蠍の副長が、元帝国諜報員でもあるお前が言うのか?」
「ですが、事実としてヴォルティスヘルムは崩壊しています! そして生き残った者達は皆、あの地獄と闘いを知っています!」
「分からないかヴァロメ。それこそが教国の狙いなのだ。こうして偽りの勇者を作り上げ、王国の分断する気なのさ。……だが私とお前の仲だ。狂ったお前に今一度だけ、再起の機会をやろう」
女傑は嗤う。
「ロック・シュバルエとか言う偽勇者を――殺せ」
そう公爵が言った直後。
ヴァロメは消えた。
「ッ……どういうつもりだ?」
彼はいつの間にか女公爵の背後を取り、その首にナイフを合わせていた。
「なっ!? 副長!」
「お止め下さい!」
即座に壁と天井から、彼と同じ魔蠍の騎士が飛び出してきた。
隠れていた公爵の護衛である。
だがその存在も同僚であるヴァロメは分かっている。
「……どうもこうもありません。ロック・シュバルエを害すと言うのなら、全てを投げ打ってでもそれだけは阻止しなくてはなりせん」
「雇い主の私を殺してまでか? 正気とは思えない。何故そこまでして庇う」
ヴァロメはそのもどかしい感情を言葉にして行く。
「おそらく言葉で伝えても分からないかもしれません……ですが、彼だけは本物なのです。彼しかいない。紅蓮大帝と言う存在が本物の魔王だと言うのなら、魔王の前に立ち上がれるのはあの少年のみ!」
その言葉は神域の戦いを目にしたゆえに真に迫る。
「紅蓮大帝を知らぬ者に、説明のしようがないのは分かります! ですが数千度のマグマに呑み込まれ焼き殺されるか、隕石によって全身が一度ぐちゃぐちゃになってなお、魔王による天変地異と地獄を見続けた我々には分かる! 彼がどれだけ尊い存在なのかッ、人類にとって失われてはならない最後の希望なのかが!」
「お前っ」
激情とも言える叫び。だがそれが公爵達に伝わらないのも彼には分かっていた。
「ッ……魔王というあの、世界を思いのままに破壊する神。それに為す術なく、恐怖と絶望の中で死を受け入れるしかなかった我々にとって、彼は救い以外の何者でもなかったんです……魔国の魔王がお飾りとしか思えない、神の如き真なる魔王を前にして、たった一人で我々を救う為に真っ向から挑んだ彼の姿を見て、誰もが打ち震えたっ。彼が立ち上がらなければ、王国はとうに消え去っていたでしょう。この大陸もその形を保ってはいられなかったはず」
静かに。だが一切の疑いを持たず確信をもって告げる。
「ゆえにもし彼が死ねば、もう紅蓮大帝の様な存在を止められる者はいない。偽物では話にもならないのです! 人間では彼らの領域に決して届かないっ! 魔王と殺し合えるのはロック・シュバルエただ一人のみ! 仮にもし彼のいない世界に本物の魔王が現れたのなら間違いなく――」
そして公爵相手に断言する。
「人類は滅ぶ」
その話を聞き終わった公爵達に言葉はなかった。
誰も気性が穏やかなヴァロメがここまで切羽詰まった声を上げ、それも普段は関心すらない世界の破滅を断言するなぞ思わなかったから。
「……ですから私は閣下を殺してでも彼を守ります。それがどれだけ理解されなくとも、このまま私が殺されても構いません」
衝撃的な話に沈黙がおりる。それを公爵の溜息が破った。
「………………はぁ。分かった。刃を収めろ。正直に言えば、彼を殺せと言ったのは嘘だ」
それに護衛達はギョと公爵を見た。ただヴァロメは特に表情を変えず、元の場所に刃を収める。
「くどいようだが……今言ったのは真実なんだな?」
「はい。裏を取って頂いて構いません」
公爵が額を押さえる。
「……お前の話がいくら何でもスケールがデカすぎて受け入れ難かったのだ。だからわざとカマをかけてお前を試した。が、想像以上にとんでもない話らしいな。――ああ、控えていいぞお前達も。ただ今見たこと聞いたことは、他言無用だ。私の首に刃を突き付けたのも不問とする」
その言葉に護衛二人は部屋の隅へと移動する。
「で……………話を戻すがそんなにヤバイのか?」
「流星群が降り注ぎ、大地が崩壊し、マグマの津波が押し寄せる程度にはヤバいです」
「想像もつかん光景だ。んで、ロック・シュバルエなる宿屋の倅はそれに真っ向から挑み打ち破ったと?」
「はい。死闘ではありましたが」
「いったいどんな戦いだったんだよ……ハッキリ言ってこれが事実なら全て引っくり返るぞ。世界が荒れる。誰も得なんてしないね。今ならそんな存在いませんでした、の方が世界は丸く収まるってもんだ」
「かもしれません。ですがもし、紅蓮大帝なる者と同じ存在が現れれば間違いなく、人類文明は途絶えるでしょう。もしこの話を信じて貰えないのなら、私は今日を以ってお暇を頂きます」
「よしてくれ。……だがその魔王は大陸の全勇者を集めても勝てんのか?」
「いいえ。いいえ違うのです。もうそういうスケールではないのですっ。魔王と彼は神と言った方が正しい」
「神って、お前、ロック・シュバルエもか?」
「全人類が挑んでも間違いなく彼一人に蹴散らされます」
一瞬、アナハイム公爵は部下が何を言っているか理解するのに数秒を要した。
「はぁ? いや、全人類ってのはいくら何でも」
「勝てません。何も出来ません。挑む事さえあの御人には不遜。ましてや勝つなど絶対に無理。傷の一つもつけられないでしょう。部下から聞いた話では魔族ゼノも私と同じ見解かと」
だがそんな説明をさせられても、女公爵には分からない。
「待て。それはおかしい。いくらその少年が強くても所詮は一人、個人だ。数千万の人間と絶え間なく戦えば魔力も体も消耗くらいする。その中でラッキーパンチが一つくらい起こるかもしれん」
「しませんし、ありえません」
「いやだからいくら低い確率でも、どれだけ無限と言ってもだな」
「時を巻き戻せば疲れる前に戻ります。もし偶然にも殺されたなら蘇ります。彼に挑む事はすなわち、五分前へと時間を巻き戻す事への挑戦に等しい」
ここでようやくアナハイムは絶句した。
同時に信頼する部下が何故ここまで、評価どころか信仰の粋に達しそうな考えをするのか、その一端に触れた気がした。
「蘇生は当たり前。自由に時間を巻き戻し、加速させ、停止させる。時空を繋ぎ、瞬間移動に、空間そのものの断裂。さらに暗黒空間は星さえ呑み込む。しかもその力、無尽蔵……人類数千万人程度で彼に勝てますか? ああ、いっそ自分の周りを数千倍に加速させる事も可能かと。彼の間合いに入った人間たちが何も出来ずに二、三秒で半世紀老化しても、それこそ五秒後に寿命を迎えていても私は驚きもしません」
「……………………なる、ほど」
ここに来てアナハイムはようやく『神』と部下が表現した理由が分かってきた。
違う。
魔王もそのロックとやらも、世界の理から明らかに逸脱している。
いや世界の理を武器にしている。それに勝つという事は世界の理を倒すに等しい。
――巻き戻る時間そのものとの戦い。なるほど、不可能だ。
だがそうなるのと、もっと現実的な実感を伴う問題が浮上する。
「しかしそんな者が存在するとなると、光の勇者に傾倒する王族は間違いなく力を失う……だから魔族ゼノは私にそんな伝言を残したのか」
彼女はヴァロメ経由で聞かされた、魔族の王子ゼノの言葉を噛みしめる。
「最悪だな。ここ最近、勇者の登場で各国の力関係は祀っている女神様の影響を受け始めている。またこの国の王が床に伏せていながら他国への絶大な影響力を失わないのは、間違いなく勇者の中で最強と言われる光の勇者様のお陰と言える。それが根本から崩れれば、世界は混沌に落ちるぞ」
ヴァロメが頷く。だがその目に同情は一切ない。
「なによりメイヴ第一王女は光の勇者に莫大な金と権力、女を注ぎ込んでいる。彼の子が新たな勇者になり国の権力と武力の象徴になるのを期待してだ。しかしそれがそもそもの見当違いだったとしたら……」
思わず女傑は頭を振る。
「考えただけでもゾッとする。それだけじゃない。アイツはどうなる?」
そして思い出すのは、勇者の元へ行った彼女の娘。彼女と違い父親譲りで背が低く胸も小さいが、美しく見る者を惹きつける娘だった。
結婚なんて嫌だと喧嘩別れで飛び出した我儘娘だが、公爵である以上は跡継ぎの問題もある。
それが何の因果か勇者パーティーの一人となった。まぁ勇者の子ならと彼女も静観していたのだが……。
「アタシの娘はどうなる。まさか、馬子の平民のガキに、この国の東西南北に分かれる四大公爵たる私の娘が身体を許してしまったと言うのか? 他に私に娘はいないんだぞ。今更私にもう一人産めと言われても、夫とは死別している以上、かなり厳しいのはお前でも分かるだろう!?」
「心中お察しします。ですがもし、世界に真実が晒されれば、あのゼノとか言う魔族が予言した様に光の勇者と王族は共倒れです」
目を伏せながらそう進言するヴァロメ。
思わず、お前が見たのは幻覚ではなかったのか? と尋ねそうになり自重する。
「ダメだ脳が処理しきれん。真なる魔王と勇者など、頭で分かっても心が追いつかん。とにかく時間をくれ。なんとしても裏を取る」
「ハッ」
それでも女公爵は頭を掻き毟る。
「いや…………分かっている。分かっているんだよ、本当は事実なのだろう。支援に送った者達も崩壊した都市と、あの『虹剣のメラ』の死体を確認したと報告があった。年老いたとは言え教国の至宝。未だ最強の剣士と言われるあの男が、一刀のもとに首を跳ねられ敗れていた。勇者以上とまで言われた存在が、だ。……ああ、なんて事だ……やはり動かねばならない。過ちを認めなければならないのか。我々は本物の金剛石の輝きを見落とし、偽物の石の輝きに魅入られ祭り上げていた。宝である娘まで差し出して……愚かな。なんて滑稽さだよ。もしこれが明るみに出れば光の神殿の、王国の地位は……」
そうして思考に沈む女公爵。彼女の頭を駆け巡るのは打算と保身。
男性不在のまま仮として公爵となり、そのままこうして南部を引っ張ってきた女である。
彼女はそれからしばらくして、結論を出した。
「…………ヴァロメ」
「ハッ」
「探してほしいものがある」
「――如何ようにも」
彼の頭に魔王に関するものか、勇者に関するものだろうという予想が過る。
「……処女膜再生の魔導具だ」
「ハッ」
そう頷いた後、ヴァロメは思わず顔を上げた。
「………………は?」
突然、公爵が机を飛び越し彼の肩を掴んできた。
その切羽詰まった顔で、身長差もあってかなり迫力がある。
「もしだ! もし本当にあの勘違いした糞ガキが偽勇者だったら、娘もアタシ達も王国の落潮に巻き込まれる! だから何としても私の娘をその、ロックとかいう本物と縁を結ばせる!! だが娘は勇者パーティーの一人! お手つきは確実に疑われるだろう、実際に既に男女の関係とあの娘は自慢気に言っていた!」
「は、はあ」
「だからッ! 何としても娘の膜を再生させるんだよ! そして本物と無理矢理にでも閨を共にさせれば、疑いは晴れる! 初めてであれば、いろいろと示しがつく! もやはこれしか道はない!」
ヴァロメは思わず顔を覆いたくなった。
確かに本物に偽勇者と肉体関係にあった姫が、偽から本物に乗り換えるなんて外聞が悪い。
それどころか自分の偽物とズブズブの関係だった女など、普通は男の方も嫌がる。
「でっ、ですがあの御人が恋愛に靡くとも思えません……それどころか膜の再生なんて魔導具がいったい何処に」
「ある。これは秘匿されているが、とあるダンジョンに、旧王家が使っていた魔導具が出たという記録がある」
――あ、これものすっごい嫌な予感がしますぜ……。
思わずヴァロメは顔を引き攣らせる。
「そ、そのダンジョンとはどちらに?」
「旧世界海底神殿だ」
それは皇国と帝国の境から海に掛けて存在する極悪ダンジョン。
難易度最高クラス。
脅威の帰還率30%未満。
別名 地獄の口。
彼はそこに行かなければならない。
それも。
「お、お嬢様のしょ――その、貞操を再生するためにですか!?」
「ああそうだ! ないなら元に戻せばいい! なぁ頼むよ! こんなことっ、お前にしか頼めないんだ! 元帝国軍暗部に身を置いていたお前くらいしか、実力共に信頼できる者はいない!」
――だ、だろうなぁ。人に知られれば公爵家一生の恥でしょうし。
納得しつつも泣きたくなりながら雇用主を見る。
「え……あの、ほんとうに行くんですかあっし? あの最難関ダンジョンに、名誉の為でも国の為でもなく、膜の為に命張りに行くんですか? え?」
「ああっ。ロック・シュバルエは監視させて様子を見るようにしておく。だから彼が表舞台に出るより先に私の娘を嫁として何とか捩じ込むんだ! その為には膜だ!」
「うわあ……最低……」
こうして。
何故か眼帯さんことヴァロメと女騎士により極悪ダンジョン攻略が決定。
また勇者パーティーの金髪ツインテールの強制離脱が陰ながら決まった。
「ですがその、あの御人を監視に留めていて大丈夫なのですか? ヴォルティスヘルムの事件が明るみになった事できっと、本人に辿り着かないまでも勇者の存在は知れ渡りますよ? 確実に多くの者が殺到する。なら今のうちに何らかのアクションを取っておいた方が――」
「ああ、そうか。お前たちはまだ知らなかったのか」
「え、何をですか?」
訝しむ眼帯。
そうして彼が聞かされたのは、到底理解不可能な話だった。
「神託があった。あの隕石が落ちた日に。
『王国南部に出現した魔王は、光の勇者によって倒されました』
そう光の女神様より、神託が既に世界各地の神殿にもたらされたんだよ」