幕間 “それ”
“それ”は苦悩していた。
いつからか、変わってしまったこの現実にずっと苦しんでいた。
――なぜ、狩りが楽しくなくなったのか?
“それ”の存在意義は狩ること。
生まれながらの狩人。何かを狩り、喰らうことで生を繋ぎ、同時に敵を狩ることで己の命を守ってきた。
なにより“それ”がこの世界で生き残るには狩るしかなかった。
延々と続く荒野。弱々しい動植物。汚れた僅かな水。時折、次元が裂けて異世界から稀に“敵”が零れ落ちる。他の世界との曖昧な境界により様々なものが入り交じる混沌。
神が死んだ星。
星の力を殆ど使い果たした残りカス。そんな世界に“それ”はいた。
当然なにもない。親も仲間も同類も兄弟もなに一つない。ただ“それ”が己を自覚した時に、一つだけ覚えている言葉がある。
Ⅵ《ヴィー》。
かつて自己が生まれた頃、試験管の外からそう呼ばれた記憶だけがあった。“それ”の眠っていた透明な殻にもそれだけが書かれていた。
“それ”。或いは六番。またはヴィー。
所詮は“それ”も異世界で産み落とされた流れ者なのだ。彼が何だったのか知る者はここにおらず、ただ一人、次元より流れ込む全てを狩り続けた。
狩って。
狩って。
狩って。
狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。狩って。
狩って。
“それ”は絶望した。
もはや狩るものがなくなったという、己の終焉を悟ったのだ。
その惨事は言葉よりも雄弁に、沈黙する彼の背後で語られている。もしこの世界とは異なる者達がこの光景を見たのなら、おそらくこう表現しただろう。
――百舌鳥の早贄。
“それ”の背後。
地面に延々と突き刺さるのは数千本の槍。その全てに無数の星から流れ着いたあらゆる有機無機関係なく動くものが生きたまま串刺しにされている。
魔物も。
人も。
竜も。
機械も。
蟲も。
宇宙生物も。
古代生物も。
魔人も。
悪魔も。
天使も。
何もかもが飾られていた。まるで戦利品の様に。そうして幾多の生を蹂躙した“それ”の心に生まれたのは。
――虚しさ。
これは狩りではない。
ただの作業。
これ以上、こいつらを食らって何になる?
これ以上、力をつけて何になる?
これ以上、狩ることに何の意味がある?
だから“それ”は新たな狩場を求めた。
己が存在意義。本能を満たす為に。――かの悪名高き蟲の女王が空腹の地獄から新たな餌場を求め続けた様に。
その結果。
やがて一つの誰も知らない闘争が起きた。
舞台はまた別な惑星。
その最果てにある黒き連峰。
ロック達のいる世界とも、“それ”がいた世界とも異なるまた別の世界の終着点。それがこの延々と続く黒い山肌であった。
そこには山と谷と川しか存在しない。だからこそとある生物達の住処でもある。
そんな何処までも深く遠く連なる地形に知性ある者達は捕食者であり、また破壊者である彼等の都を恐怖を込めてこう呼んだ。
無限連峰。
――終わりなき悪魔達の連峰。
――誰もその果てを知らず。
――奴らはその果てから大挙してやってくる。
しかし無知な生命体の言葉とは裏腹に確かに果ては存在する。その果ての空に存在する奇跡がある。
天空城。
延々に続く連峰の上に浮かぶ大地。
その上に城が建っているのだ。何より一際目を引くのはその外観。
すべてが黄金。
建築物はすべて眩いばかりの輝きを放つ。同時にすべての物が人のサイズではない。扉、装飾品、階段、庭園……誰が見ても巨人の城と思うだろう。
そんな内部にあるのは豪華絢爛の黄金宮殿。それこそが王の居住まい。
ただ。
――今、そんな王城を守護する生物達は静かに殺気を滾らせていた。
天空城の前に君臨するのは曇りなき白銀。
竜だ。巨大な黄金にも負けぬ輝きを放つ巨大な白銀竜がいた。
名を白亜侯。
その神の居城を天空より守護する白銀竜。空を支配しすべてを見下す神の僕。
「愚か者め……者共ッ、黒翼陣!」
白銀が若い雄竜の言葉で叫ぶと彼に仕える者達が一斉に連峰から羽ばたいた。
空を覆い尽くす漆黒。数万を上る竜の軍勢により空が瞬く間に絶望へ塗り潰される。
竜以外の生物がこの光景を見たら自らの死を悟るだろう。活路などない。希望などない。あるのは恐怖と絶望のみ。
――そう、ここは無限連峰。
最強生物、竜の巣窟。
捕食者にして陸、海、空に君臨する絶対強者共の根城。彼等を前にあらゆる強者は塵でしかない。
そんな最強共が神の僕に統率され宙を舞う。その姿は他の生物達にとって紛う事なき悪魔の軍勢。
彼等は編隊飛行のように何重にも重なる隊列を作り、天空をカーテンの如く覆い隠す。
そうして瞬く間に組み上がったのは何人足りとも突破不可能な黒い壁。
そんな黒に染まった空が。
「来るぞッ!」
白銀竜が叫ぶと同時に――弾けた。
無残に、容易く、軽々しく爆散する。世界最強生物である竜千体が瞬殺された。
「――むぅッ!」
憤怒と共に唸る白銀竜。
双眸はただ一点、竜の隊列を食い破り現れた煙へ強く向けられる。
すると煙の中より突然、白が打ち出された。
大鷲。竜と同じサイズの巨大な白い大鷲が滑空する。
ただそいつが竜を屠った者ではないのは明白。理由はその首に結ばれる手づな。
間違いなく先程の暴挙はその背に乗る人型の何かによるもの。
“それ”。
――“それ”は一匹の獣だった。
なりは狼。
立ち振舞は人形。
しかして腕は六本、紅き眼は四つ。
そして背負うは四つの武器。
禍々しい力を発する黒剣。
石で出来た粗末な赫槍。
解読不能な言語が施されたライフル銃。
謎の鉱石が嵌め込まれた白い高貴な杖。
すべてが神器。
既に崩壊した星で僅かに残った力を宿す残骸たち。
特にその槍は異様だった。
獣が手を掛けた瞬間、対峙した最強生物の軍勢が恐怖に呑み込まれる。
見た目はただの石の赫槍だ。
けれどその威風はすべての竜に自らの王と同じ覇気を感じさせた。すなわち。
――神殺し。
そして獣の顔には仮面。
狼の頭から突き出た鼻までを覆う、骨で出来た原始的な仮面が付けられている。
ゆえにその感情は伺えられず、言葉も何も発しない。
ただ骨の仮面の奥から覗く赤い光、四つの視線だけは強く一点だけを見つめている。
獣はこの世界の王を狩るべく星を超えてやって来た。向けるのは遥か天空城にそびえる神が座す黄金宮殿、その玉座。
王を狩りに降臨した“それ”の名は。
魔王――現獣神 Ⅵ。
終わった星に廃棄された奇跡の実験体。
ナンバリングされた人造魂喰らい六号試作兵器、その唯一無二にして史上最悪の成功体。
捕食者。
神ノ座に届きし究極の狩人。
だが――その侵入者が例え魔王であろうともそれを許さぬ者もいた。
白銀竜の羽ばたき。
次の瞬間、獣は大鷲より宙へと飛び立つ。直後に大鷲との周辺が瞬間的に冷凍。連峰が瞬きの間に氷の世界へと変貌する。
「例え貴様が神であろうとも、ここは抜かせんッ!!」
白銀は神を前にしてなお一歩も引かず睨みつけた。
『秘伝 逆波式空中闊歩』
一方、獣はその声帯からは考えられない『若い女の声』でそう呟くと、何も無いはずの空中を駆け出した
「好機ッ!」
だが空は獣のモノではない。彼ら竜のものである。
瞬く間に無数の竜達がブレスによる絨毯爆撃を敢行する。空を統べる悪魔達が口から炎や雷、水弾や熱線の竜語を浮かべ、獣を鏖殺せんと舞い降りる。
「ソウトウセヨ」
迎え撃つ獣は先程の女性の声とは全く異なる、何とも形容しようのない『聞き辛い不格好な声』で呟く。同時にブレスの降り注ぐ空を疾走しながら“あの赫槍”を天へと放った。
「舐めるなッ!」
それは白銀竜に容易く躱される。魔王の一撃にしてはあまりに凡庸。
この程度の攻撃など、避ける事など造作もない。そう白銀竜が内心ほんの一瞬侮った時だ。
――地獄が顕在化した。
不意に目の前の部下の竜へと落ちたのだ。
一本の何かが天よりその竜を撃ち抜き串刺しにする様に。
「なっ――」
それが赫い雨の始まり。
白銀の動揺と困惑の数秒間に約二千発。天より無差別に降り注ぐ無数の赫槍。数万の竜は何も出来ず、断末魔を上げ無様にただただ撃ち抜かれていく。
叫び。
弾け。
貫かれ。
飛び散り。
何の抵抗もできず駆除されていく世界最強生物達。
もはや屠殺場。抵抗など決して赦されはしない。殲滅。皆殺し。
黒いカーテンを赫槍の一振りで血濡れへと変貌させた獣は、それでもなお一度も竜達を見ること無く空を疾走し続ける。
「このっ――それでもこの私がいる限り、何者足りとも王の元へは通さんッ!」
全身に突き刺さる数十本もの赫槍を神気の宿った氷で受けきった白銀竜が、巨大な体躯と両翼を広げ立ち塞がる。
「永久の白亜へ連れ去ってくれる――白銀世界!」
巻き起こるブリザード。
獣の視界すべてが白へ溶ける。音も。光も。何もかも。すべてが白く染まった。
視界は失われた。だが獣の疾走は止まらない。
『人体格納ナノマシン起動 有視界仮想化プログラム 真実の眼』
獣はさらにまた異なる声を出す。若い女の声でもなく、あの不格好な声でもない新たな『冷徹な男の声』だ。
それを唱え終わるより早く獣の目は白く染まったはずの世界でなお、全てを適切に見通せる視界を取り戻した。
「このまま氷漬けにしてくれる!」
叫ぶ白銀竜は巻き起こされる吹雪の中にはいなかった。否、正しくは吹雪そのものとして存在していた。物理的な形を吹雪という現象に変えているのだ。
『爆炎魔術・極 自体爆発』
それを理解した獣は『野太い男の声』で呟く。その全身が赤く赤く熱が膨れ上がる様に変化。いつの間にか手に戻っていた赫槍を、遠投するかの様に振り被る。
「っ、まさか!」
直後、獣を中心に大爆発。完全な自爆である。けれども周囲一帯の吹雪を白銀竜ごとまとめて吹き飛ばす。
「――ガハッ」
吹雪という無防備な状態で爆発を顔面にモロに受けた白銀は元の竜へと強制的に戻り墜落。
全身を打ち付けながら谷へと消えていった。
――この瞬間、獣の行く手を阻む者はいなくなった。
対して自爆したはずの獣は全くの無傷。
獣は爆発の推進力に身を委ね、開いた城門の前へと赫槍を振りかぶったまま躍り出る。
狙うはただ一点。
開かれた門の先、金色の最奥にある玉座。獣の視線の先に君臨する者。
――王の首。
「イコロセ」
あの赫槍を天に放った時と同じ『聞き辛い不格好な声』で獣が再び槍を振り抜いた。瞬間、赫槍は王を殺す為の三千もの軌道を導き出す。
振り抜かれたのはたった一投。
しかして放たれたのは全て異なる軌道の三千の投槍。
それが中心へと絞られる。もはや紅い閃光。収束された事で半ばレーザー光線と化した赫槍が玉座こど撃ち抜く。その軌道内全て。
――蒸発。
振り抜いた獣が天空城へと着地した。
その前にはただただ、赫槍に穿たれた真空の空間が延々と続いている。
これでこの星の王は死んだ。
「――騒がしいな、犬」
だが。
獣が挑んだ王はその結果を改竄する。
「黄金なる権能 再構築」
黄金が嘲笑い全てが再構築されていく。
破壊された玉座も貫かれた黄金宮殿も何もかもが、新たに構築され元へと戻る。
そうして開けた宮殿前に降り立っていた獣へと、ついに王はその姿を現した。
「――っ?」
だがその姿を見た獣は僅かに動揺する。魔王の姿があまりに予想外であったからだ。
黄金の玉座に座りし者。
それは思いの外――小さかった。
獣はこの宮殿の様に巨大なものを想像していた。
ここまで殺して来た者達から相手もまたそうなのだろうと思い込んでいた。
けれどその宮殿の最奥に祀られる様に存在する玉座にいたのは、そう、自分と同じ程の大きさの――。
「……………ヒト?」
人間であった。
戸惑う獣。
なぜ?
どうして竜ではなく?
弱きニンゲンの姿で――。
「――不服か?」
王の叱責。
同時に獣に怖気が走る。
神にまで至った獣に、だ。
本能から即座に獣が回避へと動く。思考を置き去りに瞬動を発動。
真横へと常人には目にも追えぬ速度で回避を試みた。
「――っ!?」
がしかし。
――既にその右腕二本が黄金へと変わっていた。
眩い光が背後から差す。
見れば先ほど獣がいた場所、そこから背後の山脈まですべてが黄金へと変えられていた。
「……すまぬなぁ、犬。余の権能は粗暴であるがゆえ、あらゆる物質を黄金へ変える程度のことしか出来んのだ。許せ」
玉座に座る“人間の形をした王”が慈悲の言葉を宣う。
事実、その言葉に先ほどの怒りはない。代わりにあるのは悪意に満ちた好奇心だ。
「対価として余に挑む資格がある事を認めてやろう――名も無き犬畜生よ」
そうして初めて王は玉座から立ち上がり、直後ゆっくりと体が宙に浮かんだ。
羽ばたいたのは透明な神気の翼。
纏ったのは竜の形をした神気。本来の神竜である自らの形を人の形へと変えたもの。
獣は思わず幻視する。
天よりも巨大な世界竜の姿を。
その腕を払うだけで数万トンのエネルギーが生じる、天より巨大な竜の力が、その小さき身体に極限まで濃縮され収まっているのだ。
獣が挑むその王の名は――。
魔王――現竜神 金國祖。
生物最強、竜の魔王が獣に笑い掛けた。
「恐れる事はない。まずは貴様の権能を余に見せてみるが良い。面白ければ、存分にたわむれてやろうではないか?」
「――ッ」
獣は無言のまま、黄金となった腕二本を切り落とす。
即座に新たな腕が生え超再生。
そうして何事も無かったかの様に四つん這いの戦闘態勢となり、一切の表情を変えず、残った四本腕で全神器を放てる体勢へ移行する。
起動するのは四つの神器。
竜殺し。
神殺し。
魔術殺し。
星殺し。
あらゆる世界の生物を狩ってきた魔王が今ここに、あらゆる生物の頂点に立つ魔王を狩るべく、全ての力を開放する。
「――オマエヲ、カル」
「……それは楽しみだ」
魔王VS魔王。
そんな神々の闘争が人知れず始まった――。