2-38 紅蓮大帝VSロック・シュバルエ Ⅲ
――世界の為に死んでくれ。
――結局、その言葉から逃げ出した俺に、世界を救う資格なんてあるはずなどなかった。
――ただただ逃げ続けた先に待っていたのは、逃げ出した後悔と何も成し遂げられなかった空っぽの人生。
――そして死の間際になっても、生きたくて逃げ出したはずなのに、俺は何の為に生きたのか自分でも分からなかった。それが何より情けなく、どうしようもなく虚しかった。
「教官っ、教官! ダメだ完全に心臓が潰されてるっ」
魔王戦の最中に起こった過去への時間跳躍。
まだヴォルティスヘルムが教国軍に占領され、学園の時計塔が存在した時間へ図らずとも飛んだロックは、倒れている瀕死の教官を抱き起こす。
「なら……時間逆行!」
死は免れない。
そう判断し即座に時間を巻き戻して心臓を戻そうと試みる。だが時間が経ち過ぎていて元には戻らない。
“ああっ! やっちまったよっ。これって過去への干渉ってヤツだぞ?”
一方、その状況に先代勇者村松は頭を抱えていた。
“……タイムパラドックスとか大丈夫なのか? 世界が複数誕生したりしない? いや、だが、確か時間重複と時間迎合の考え方に則れば、最終的に【基点】となるここにいるロックに全てが回帰する、はず。なら今ここにいるロックが世界の中心だから大丈夫……なのか?”
浮かんでは消える時間に対する疑念と可能性。しかし今懸念すべきはそこではない。
“だがそうすると元の世界はどうなってんだよっ? 時計とロックが別な時間軸へと分離するなんて想定外すぎる。元に戻れないとかないよな? そもそも戻っても、もう間に合わない……あ、いや、ロックが消えた直後の時間に戻れば、どれだけ時間掛かっても問題ないのか? まさかの精神と時の部屋方式? そうすれば時間の猶予は無限にあるとも言える……”
次元超越と空間跳躍の合わせ技で時間を飛び越える。
そんな芸当、かつての村松はやった事がない。完全な未知。
なので当然。
“――ああああダメだ何が何やら全く分からん! やめよう、深く考えるのは! 俺の頭じゃ無理! なるようになる! 人生適当が一番!”
何も分からないのだ。
元の時間世界とここの時間世界は同時並行して進んでいるのか?
過去改変によるタイムパラドックスはどうなるのか?
そもそも元の時間世界に果たして戻れるのか?
確信など何一つない。考え出したらきりも無い。
ただ今すべき事は何なのか、彼は幾多の可能性の中から導き出す。
“むしろ、発想を変えるんだ。今すべき事はなにか? 今すぐに戻ること? そうかもしれない。だがそれでは結局さっきの二の舞い。紅蓮大帝の鎧を突破出来ず、殺されて終わる運命は変わらない。ならすべき事は…………紅蓮大帝を討ち取る為の可能性を手に入れること”
ロックが何とかしようとする傍らで、村松が教官へ視線を向ける。
“半竜人の教官……そうだ、今足りない物。武器だ。紅蓮大帝の溶岩を突破する、通常とは異なる神気を十全に行き渡らせる事ができる神剣の類…………ロック! そいつの腹を割いて中にある珠を取り出せ!”
「はっ? 珠?」
“いいからっ。鳩尾の辺だ。じゃないと死ぬぞ!”
言われるがままロックは短剣で腹を裂き、何の躊躇いもなく手を臓物の中に突っ込む。
すると硬い丸い珠のようなものに触れ、それを引き抜いた。
「これかっ。時間停止、時間逆行」
すぐさま珠を引き抜き時間を止めると、傷付けた身体を逆行で元に戻す。
“それを心臓にぶっ込め! それが一時的に心臓の代役になる。死ぬまでの時間は稼げるっ”
言われるがままに心臓にそれを押し込むと、周囲の肉がその珠を勝手に取り込み始めた。
一応、長続きする様にさらにプルートゥさんの闇の効果時間を遅らせた様に、その珠の“持つ”時間を遅らせておく。
その結果。
「――がはっ!? ぐふっ、ごほっ!」
血でむせ返りながらも、教官が息を吹き返した。
「教官!」
「ゴホッ、ゴホッ……ロック、シュバルエ? お前……さっき飛び降りたんじゃ? いやそれより俺は死んだはず……なのに、これは、俺の竜核?」
「ええと、なんと言うか――」
“こいつは未来から来た今代の勇者だ”
突然、話を遮って村松がロックの横に現れる。
それは透けておりまるで幽霊だ。
「なっ!? なんだお前!」
「先代!?」
“俺は先代勇者 アキラ・ムラマツ。半竜人。それも金剛竜の。いきなりだがお前に折りいって頼みたい事がある”
「せんだい……ゆうしゃだと……?」
村松がこうして人前に姿を現すのをロックは初めて見た。
しかしだからと言ってそんな状況を受け入れる人間など普通はいない。ましてや勇者と名乗る亡霊など。
「………………なるほど。だから俺は生き返らされたのか」
だが教官は怒るでも訝しむでも呆れるでもなく――納得した。
「えっ、信じるんですか?」
「……竜核が心臓の代用になるとはいえ、普通に取り出せば死ぬ。見事に穴塞がってるしな。それに俺はかつて勇者の姿を秘術で見た事があるんだ。服装と年齢は違うが、確かにこの男と一致する」
それはかつて勇者の武器となるべく生贄にされそうになった時、教官が儀式として見せられた誰かの記憶。そこに映る人物と村松は同じと言えた。
だがそれだけで受け入れた訳でもない。
「――何より俺を助けたのなら、つまり、そういう事なのだろう。予感はあった。いつかはこうなるだろうと」
ロックには彼の事情は分からない。だが何処か怯える様な、達観した様な目で彼は村松を見る。
「勇者。いや勇者様。こいつが……ロックが新しい勇者ならつまり、必要になったんですね。新たな武器が。魔王を倒す竜の因子から作られた武器が」
“ああ、悪いが貰うぞ”
「分かりました。いや、お願いします。どうか俺の命を、この竜核を使って下さい。かつて自分可愛さに逃げ出した俺の過ちを、今こそ清算して下さい」
ロックを置き去りに二人の会話は進み、教官は村松に頭を下げた。
その姿はロックが見た事ある今までの鬼神の様な彼とは全く異なる、それは弱々しい、酷く生きる事に疲れきった中年男のそれであった。
だが。
“――はい? いや竜核なんて要らんけど?”
その決意は村松の呆れ気味の返答であっさり切り捨てられる。
「……えっ?」
「は?」
話の流れが分からないロックですら思わず村松を見る。
“いやいや、なんで神剣紛いの鏃を作るのに竜核がいるんだ。そうだな……お前の鱗を何枚かでいい。つか俺が昔作った神剣だってただの尻尾だぞ、あれ”
その言葉にしばらく固まっていた教官が、首を傾げる。
「――しっ、ぽ?」
“あのな。竜は生物上、もっとも神気と相性が良い。地上最強生物だからな。竜核以外も全部その恩恵を受けていて、その身体で作った武器は神器や神剣の土台になる。そう、竜はおそらく最強の――”
〘――弁えろ。二代目の護り手、哀れな道化よ。貴様は余が手ずから捻り殺す価値もない〙
そう竜について説明していた瞬間。
不意に村松の脳裏に“黄金”の輝きがフラッシュバックする。
同時にぞくりっ、と遥か昔の拭いがたい“黄金”への怖気が蘇った。
「……先代?」
“っ!? あ……ああ。とにかくその鱗でも尻尾でも何でもいい。竜の鱗があれば。寄越せ……って聞いてるのか?”
だが教官もなかなか凄い顔になっている。
「いら、ない? いらないんですか? 剣を作る為に、竜人はみんな命を捧げるんじゃ、ないんですか?」
“はぁ? なんで剣作るのに人殺さなきゃならないんだよ。そもそも剣なんてすぐ折れる。その度に人殺せってか”
「う、うそですよね? じゃあ……じゃあ! 俺達の集落がずっと、ずっと代々竜核を捧げ続けた来たのは!」
“は? なんだそれ? そんな馬鹿なことやってるのか!? 竜核奪ったら死ぬんだから、完全に殺人じゃねーか! やめろそんなアホ!”
呆れ憤る村松。対して教官は揺れた瞳のまま視線を落とし沈黙する。
そのただならぬ雰囲気にロックと村松は顔を見合わせる。
そうしてしばらくすると教官の肩が震えだし。
「あの、きょ――」
「ははっ」
教官が壊れた。
「あはははははははははは!」
乾いた笑い。
「いらない? そうか……そうかっ。いらないのか! 竜人の核なんて。世界を救うのになんの必要もなかったのか!?」
いや笑ってるのかも定かではない。泣いているのか。笑っているのか。
「ははっ、なんだそりゃ。くだらねぇ。ほんとくだらねぇな、ちくしょうめッ!」
怒っているのか、嘆いているのか、哀しんでいるのか。
「つまりだ!? ぜんぶっ、ぜんぶ適当な嘘っぱちだったと。俺が犠牲になろうがなかろうが、世界は救われも滅びもしなかったと! あんだけ偉そうな事を言ってぜんぶっ、ぜんぶ嘘だったと。はははっ!」
そう困惑するロックた村松を置き去りに教官は一しきり笑うと。
「ははは…………なら。待ってろロック」
彼は突然、自分の左腕を指先まで伸ばし、槍の様な金剛石に変えそして。――根本からその腕をバッサリと斬り落とした。
「なっ、ちょっ」
「――っ!」
切り口から吹き出す血。落ちる先端の尖った金剛石と化した腕。いやもはや錐か。
「ッ! ……っ、いるんだろロック。これで魔王とやらを倒してくれるんだろ? 悪いが片腕だけだが、持っていってくれ」
「なにをっ!? 先代は鱗で良いって! 今ならまだ戻す事もできます!」
「いいんだッ! ……使ってくれ。そして頼む。どうか、どうか魔王を倒してくれ。それで俺は救われるんだ」
教官は無造作に金剛石が押し付けると、死に掛けにして腕を斬り落とし大量出血している身体でゆっくりと立ち上がる。
「……先代勇者様、本当に俺はロックの為に、世界の為に死ぬ必要はないんだな?」
“ああ。それだけは絶対にない。お前が生き返ったのも、ただのこっちの都合だ”
そうか、とだけ呟いて教官は階段の方を見る。
「……んじゃ、どうせ最後だ。俺は俺の仕事をしてくる。ちょっとイケすかねぇ野郎をぶん殴ってくる」
「え……待って下さいッ! 腕を切り落として心臓も仮初! 珠の効果が切れれば死ぬんですよ!? 今ならまだ治せます、死なずに済むかもしれません! もうその身体はとうに限界、片腕まで斬り落として仕事って一体何を――」
「お前ら生徒達を守りに行く」
これにはロックも絶句する。
「おい、そんな顔すんな。どうせ治療は間に合わねぇ。それに仕方ねぇんだよ」
――世界だの生贄だのと下らねぇ事にウジウジ悩み、ずっと逃げ続けた人生で最後に残ったのが『教官』なんだ。
その内心は決して言葉にはせず、彼はぶっきらぼうに息を吐く。
「いいんだよ。最後くらい自分の為じゃなく、人の為に生きたい気分なんだ……それにお前、実は俺の名前知らないだろ?」
「えっ。………………………あ、いや」
「あはははっ! 図星か。でも構わなぇさ。教官なんて、でかい面して勝手に面倒見てるだけだからな。恩に着る必要なんてねぇ。…………けどアリガトよ勇者様。腕を受け取ってくれて。あと」
そうして最後に教官の顔が自然と綻ぶ。
「最後にそんな顔してくれて――少し、救われた」
そういうと「さて、そもそも片落ちであの総長に勝てんのか? いやもう道連れでいいか」「ああ、それとロック。もし竜人族に会ったら全部嘘だった事を伝えといてくれよ」等と言いながら、彼は重たい身体を引きずり一人、階段を登っていった。
“――引き止めるなよロック。アイツはもう死ぬ。だから自分のすべき事をしにいった。なら俺達も俺達のすべき事をするだけだ。アイツが残したその“腕”なら、あの鎧を突破できるはずだ”
何か言いたげなロックだったが、その言葉に口を噤み氷柱の様に長く尖った金剛石を拾う。
「ああ、分かってる」
ロックがすべき事。ロックにしか出来ない事。それは。
――元の時間に戻り、この金剛石で今後こそ紅蓮大帝を討つ。
ゆえに戻らなければならない。
ただそもそも向こうの世界が無事なのか、どの時間に戻れるかも分からない状況。
それでも飛ぶしかない。天才ロック・シュバルエの全才能を使って。
『頼む。どうか、どうか魔王を倒してくれ』
今度こそ魔王を討つ為に。
「戻ろう。この金剛石であの鎧を突破する為に。次元超越、そして空間跳躍、からの次元跳――」
――しかし。
「…………え?」
“どうした?”
世界はそんなにも甘くはなかった。
「………………………戻れない」
“はっ?”
「駄目だッ、配列から何まで全て変わってやがる。元の時間へ戻る、そもそもの文字と配列がまったく分からないッ!? これじゃあ元の時間に戻れない!」
“なっ、なんだとっ!?”
……それは世界の変化によるもの。
ロックは左目を通して四次元世界を文字列として可視化し捉える事ができた。
これを思いのままに弄る事で時間を操るのが彼の権能。
なので元に戻る時も、ここに来た時と同じ配列と文字を逆に戻せば良い。そう考えていたのだが。
問題は全て書き変わっているのだ。
元に戻そうにも時間が経ち過ぎていて何処をどう弄って良いか分からない程に文字も配列も何もかも。
これがもし時点保存と時点読込ならば、特定の時点の文字と配列を保存しているゆえに戻す事が可能。
だが異なる時間軸、同一かも怪しい過去、全くの指針なし。それで同じ時間に回帰できるはず等ありえない。
つまり過去への跳躍は可能。ただし――不可逆なのである。
“冗談だろ……このまま、このまま俺達はこの過去で生きるしかないってのかっ!?”
実質的な時間からの脱落。落伍者。或いは異邦人。
武器を手に入れ紅蓮大帝を倒すどころか、戻る事さえ不可能な現実がそこにある。
“おいおいふざけんなっ。だったらもう紅蓮大帝を殺す事は無理じゃ――”
「いや。戻る事は出来なくとも殺す手なら一つだけある」
“なにっ?”
ただロックは強く動揺しながらも、その目をまだ腐らせてはいない。
「紅蓮大帝ではなく――この時間の“紅蓮騎士”を討つ」
つまり過去改変。
紅蓮騎士が紅蓮大帝となる前に殺してしまえば紅蓮大帝は生まれない。存在そのものの抹消。
――魔王なんて最初から降臨すらしなかった。
それがロックがここに跳んだ時から頭に過ぎっていた魔王抹殺の一つの手。
「それで殺せるのかは分からない。けど未来に存在するヤツをこの時間軸で殺すにはそれしか方法はない」
“っ。……確かに、それは可能かもしれない。だがその後は? どうやって戻る?”
「そんなもの殺した後に考えればいい」
“それはッ…………ああ、いや、そうだな。確かにそれしかねぇよな。それが未来に反映されたなら、お前だって戻れるかもしれねぇしな。やるぞロック!”
村松の言葉に頷き、ロックは時計塔の窓を見る。
が――この時、村松はある事を失念していた。
まずは空に出て、空中から教国軍に守られる紅蓮騎士を探す。
あとは空間跳躍で一瞬で移動し殺せばいい。
そう目算を立てロックが跳ぼうとした瞬間。
――世界が漆黒に溺れる。
「……は?」
“え?”
全てが黒へ。
部屋が泥の様な黒に染め上げられ、全ての色が飲み込まれあらゆる魂が失われてゆく。
「なっ」
“これはっ”
空気が、壁が、床が、次々と。
枯れ。滅び。崩れ。溶け。
――死んで逝く。
ロックも神気を纏っていなければ間違いなく即死。事実、有機も無機も“死”がもたらされていく。
時計塔の内部の形などもとうに失われ、まるで沼地の様な、荒廃した星の様な世界へ変貌する。
唯一の光は「何か」だった残骸が足元へ呑み込まれる時にでる、淡い弱々しい一瞬の灯りのみ。
――ボゴぉ。
そして這い出ル。
代わり足元の泥の様な暗黒より、次々と骸達が這い出てくる。
夥しい数の死者。
耐えず金切り声の様な断末魔を上げ彼らは命を求める。喪った大事なものを奪おうと無数の手を伸ばす。
助けてくれと。殺してやると。赦してくれと。泣き叫び這い出ル。
紅蓮大帝の生み出した無慈悲なるマグマとはまた異なった、けれどそれに引けを取らない地の獄。
それを生み出せるのは他でもない。奴のみに赦された神の意思。
“ああっ……そうか……だからかっ! だから『テメェ』はあの時、この時計塔に現れたってのかよッ!”
……そう、村松が忘れていたこと。
それは紅蓮大帝が魔王となっていなければ『その魔王へ至った時の力は果たして今、この時間はどこの誰が所有していたのか?』という単純なこと。
「――今代の勇者よ」
全てが黒に染まった虚無から、泣き叫ぶ骸の海を割って地獄の底より王がやってくる。
人とは思えぬ長躯の古びたローブ姿がついに。
「我は地獄の王。死の権化。死者の軍勢を率いかつて精霊王共を殺し尽した悪夢。貴様らが言う魔王が一柱」
魔王 紅蓮大帝VS勇者 ロック・シュバルエ。
その戦いも佳境と言う状況で今ここに夥しい死者の軍勢と共に。
「現冥神 ザックーガ」
――闇、来る。
なんとサイト様より半年振りにレビューを頂きました。と思ったら更に続けて夏山様からも頂きました。レビューはもう貰えないだろうなと思っていたのでビックリしました。お二人共ありがとうございます。