2-35 夢か、復讐か
【ヴォルティスヘルム侯城前】
「――ひっ」
クラフトガンを浄化しついに紅蓮大帝のいる侯城の前に辿り着いたロック。
だが侯城を見上げる彼のすぐ近くで悲鳴が上がった。それに気付いたロックは視線を下げ、目の前の者達を見る。
「うっ……ぁ……」
それはクラフトガンの背後でただ行き場もなく立ち尽くしていた教国の工作員達。
彼らは戦う意思もなく、かといって逃げる訳でもなく、迷い子の様にただそこにいた。
「来るなっ!?」
「お前もっ、紅蓮騎士様と同じなのかっ!?」
それでも震える手で各々の武器をロックへと向ける。
「……正気か?」
――勝てる訳がない。
実際、クラフトガンのアンデッドが殲滅される光景を見ただけで彼らの戦意は消失していた。けれど自分達は教国兵。ならば戦わねばならない。
彼らはもはや、誰も自分がどうすべきか分かっていなかった。ただ教国兵だからという理由で、味方とは思えない魔王の為に怯えながら武器を構える。
しかしロックの頭上に影が差す。
「待て、お前らッ!」
そう教国兵達に叫び、ロックの歩む先に舞い降りたのは竜。
いや、皮だけを繋ぎ合わせて竜の形にした何か。
その中から人が降り立つ。
全身に革を纏った男。
教国軍幹部の最後の一人、革男こと紙や皮を操る紙魔術師ミルティク・ガン。女司祭の兄。教国軍幹部で唯一、ロックと戦っていない相手。
彼は自分が中に入っていた革の竜を側に置き、ロックと対峙する。その口から出た言葉は。
「――降伏、させて欲しい。我々に戦闘の意思はない」
無条件降伏。
周囲の教国兵達が思わず彼を見る。
だが彼からすればそれは当然の答え。上空からすべて見ていたから。
――マグマが宇宙の彼方に攫われる所を。
――巨木が見る影もない小さな玉に成り果てたのを。
――炎の巨人が苦悶の末に跡形もなく消失したのを。
――そしてクラフトガンとそのアンデッド軍団がすべて浄化されたのを。
ゆえにロック・シュバルエを倒せる者など存在しないと彼は悟った。
ロックは黙ったまま怪訝そうに眉をひそめる。
「まずは……彼らを返そう」
ただ一方の革男は内心で、問答無用で攻撃されなかった事に安堵。すぐに隣にある竜の形をした革をバラけさせ、中から二人の人物を解放した。
「安心してほしい。眠っているだけだ。本当は逃げる為の人質だったがね……」
現れた人物は意識のないユースティ・ヴォルティスヘルムと、ユーバッハ・ヴォルティスヘルム。侯爵家の兄妹である。
「我々はもう、どう足掻いても君には勝てない。むしろ敵対すらこれまでの惨状を見るにしたくない。たとえ教国を裏切ってもだ」
それはロックと戦わなかった彼だから考えられた選択肢。
その返答をまるで死刑宣告を待つ罪人の様な気分で、革男は緊張の中で待った。
「アンタはあの溶岩野郎と心中しないのか?」
――良かった……ッ!
ロックの言葉に思わず安堵し膝をついて脱力しそうになるが、彼は力を入れて答える。
「本当は、そのつもりではあった。しかし」
一瞬悩む。目の前の少年に本当のことを口にして良いのか。
けれどきっと下手な嘘など通じない。そう思い吐き出したのは彼の、嘘偽りのない本音。
「閣下は……紅蓮大帝は俺の妹を殺した。だがな……君は殺さなかった。俺の妹であるドルイドを殺さなかった。なら俺の取る選択肢は……これでいい」
一瞬、ロックはその表情に先ほど対峙した、巨木を操るドルイドの女司祭と似たものを感じ取った。そこで二人が兄妹である事を理解する。
「ならば構わない。……ただこの都市にもたらした罪に関しては、俺ではなく然るべき相手に裁かれろ」
ロックからすればクラフトガンと総長への個人的な落とし前は付けた。それに彼の敵は紅蓮大帝。
「……感謝する」
極度の緊張状態から解放された革男が脱力と共に頭を下げる。そしてロックの前から退いて侯城への道を開けた。
「……っ」
「ぁ」
となれば残ったのは教国の雑兵達だけ。
ただもはや彼らを支えるものは何もない。総長も死に、紅蓮大帝は味方ではない。残っていた幹部も道を譲った。
だから少しずつ、武器を構えていた彼らも、ロックの前から引いていく。
「……本当は俺達だって……紅蓮騎士様が祖国を救うとは思えない……」
「俺達は国の為にこんな非道をしてきた……だが決して世界を破壊する化物を生まれさせる為じゃないッ」
雑兵である彼らが漏らしたその言葉。それはここにいる全員の本音。
このままではまたマグマと隕石はやってくる。きっとそれはこの都市だけに収まらず、教国にそれが及ばない保証は何処にもない。
それは彼らの戦った目的ではないのだ。自分達は世界を破壊する存在を呼び込みたかったのではなく、祖国を救う存在を求めたのだと。
決してすべてを破壊する魔王など、求めていた訳じゃない。
「俺達は生き残ってもきっと処刑されるだろう。だがそれでも頼みたい。お門違いなのも、どれだけ身勝手なのかも、そして見っとも無いのかも分かっている。それでも……」
彼ら全員が道を明けた。一つの願いと共に。
――どうか紅蓮大帝を。
そうしてついに、侯城へのすべての道が開いた。
「言われるまでもない」
これで本当にもう遮る者は何人もいなくなった。
ロックの目の前にはそびえ立つのはヤツがいる侯城だけ。
「来たぞ魔王。言った通りに」
侯城を間近に捉えたロックが安物の剣を抜く。
その時計盤の宿る左目で捉える文字は一つ。
分断。
「空間断裂」
雑な一振り。
上に向け高台にある侯城の土台を狙った水平斬り。その剣筋と同じ線が走る。
振った直後は何も起こりはしなかった。
しかし火樹鬼を斬った時と同様に――ズレた。
「なっ!?」
「……は?」
侯城の土台部分が、そしてその奥、侯都の外にある山脈が、まるで滑り落ちるかの様に横へと線の上側が滑る。
侯城と山脈が崩れた事で巻き起こる轟音だけがここまで響く。
「……………………」
周囲にいた者達はその光景にただただ言葉を失う。同時に、自分達の決断がいかに正しかったかと骨の髄まで思い知った。
「――ま、そう簡単ではないだろうな」
ただロックたけがニコリともせずそう吐き捨てる。
音を立てて城部分がそのままに横にズレた侯城の土台。そうして土台がズレたから、見えてきた物がある。
マグマの球体。
剥き出しになった侯城の地下にマグマの球体がある。
ただそれも一瞬で、マグマはすぐに消え去る。
「すべて断つ――ただし魔王は例外、ってか。いや。同じ程の神気を持つ者には、生半可な力では力そのものが作用しないってところか……ん?」
「待てよロック!」
マグマの見えた場所に飛び込もうとしたロックが背後の声に止められる。
顔だけ振り返るとそこにはマキラや騎士師匠といった師匠達が来ていた。
「ロック、お前さっきの――」
「マキラ師匠。そこにヴォルティスヘルムのご兄妹が眠っています。彼らを宜しくお願いします」
被せる様に声を掛けられたマキラが動揺しながら、そちらを見て頷く。
「え? ああ、分かった。だがお前はいったい……いやそれよりロック! これから何処に行く気だよ。お前まさか――」
そこでマキラは言葉を濁す。
続く言葉を全員理解していたから。
ロックが何処に行こうとしているのか。一人で何と戦おうとしているのか。
――俺も連れて行け。
だから本当はそれを言う為に師匠達は来ていたのだ。
弟子を一人、死地に送る訳にはいかないから。
けれど。
――俺達に何が出来る?
マキラ達はロックが侯城と、その奥にそびえる山脈を“斬った”のを見た瞬間、すべてを悟った。
自分達はロックの邪魔にしかならないのだと。だから続く言葉を失った。
「……大丈夫ですよ。大した用事ではありませんから」
そんな彼らの考えをロックは察し、首だけで振り返りなんでもない様に言う。
「大した用事ではないってお前、じゃあ何しに行くんだよッ」
「――魔王抹殺です」
そう言って再び前を向いたロックは、その場から忽然と消えた。
【侯城内部】
次の瞬間。
ロックは侯城の中にいた。中と言っても横に滑り剥き出しになった、侯城土台の断面上にいた。
第四位階 空間跳躍。
視界に映った場所に距離に応じて多少の時間を要するが転移する力。他にも使い道はあるが転移が最大の用途なのは間違いない。
そしてついにロックは対峙する。
彼の不倶戴天の敵にして破壊者、或いは征服者か。
第一の魔王、現人神 紅蓮大帝と。
ただその地下室の光景はロックの想像と掛け離れたものであった。
「……ぁぁ…………ぁ……」
まず部屋の端で、壁にもたれだらんとした四肢を投げ出し、廃人の様に口から涎を垂らし天井を見つめる老人。侯爵、チェスター・ヴォルティスヘルム。
奥にいたのは、マグマの熱で静かに燃え上がるクィーン・スリザンと言う名の魔物の死体。
そして地下室の真ん中にいたのは痩せた長身の、赤い縮れた髪の男。そう。
――絵描きだった。
「ん? …………ああ、すまないね。もう少しだけ待ってくれるかな」
男は何処にでもいるシャツとジーンズという服装で三角椅子に座り、ロックに振り返りもせず熱心にキャンバスへと絵を描いていた。
――だから、ロックは目の前にいる人物の衝撃を抑えることが出来た。
出掛かった幾つもの言葉は、ついぞ口から出る事はなかった。それはロック・シュバルエという少年の性格ゆえの不幸とも言えた。
だからロックは男の後ろ姿をただ静かに眺めた。
それは神器を操る男が二人、同じ部屋にいるとは思えない時間だった。
「…………やっぱり、ダメだなぁ」
そうして男はしばらくして椅子から立ち上がる。
ロックは地下室に降り立つと、何気なしにそのキャバスを見た。
――ぐちゃくぢゃになった赤と黒。
それは絵とはいえない憎悪の塊。
「正直ね、僕がこの力を手にした事で視界が開けたんだ。だからもしかしたらまた、描けるかもって思ったんだよ……でも、もう無理なんだ。思い出せないんだ。僕が描きたいイメージが。何度も何度もこれに書き換えられてしまう」
煉獄か何かを描いたかの様な、鈍い赤と黒で埋め尽くされたキャンバスを見て男は寂しそうに笑う。
既にその手は人の形はしているが、皮膚は鋼鉄、爪は鋭利な刃、動かす度に金属音を響かせていた。
そして絵とキャンバスが自然に燃え上がる。
「……まぁそういう訳で、待たせてすまなかったね。ロック・シュバルエ」
そういって男は――紅蓮大帝は微笑んだ。
「……いいえ。これくらい構いませんよ」
搾り出す様なロックの声。
それ以降、お互いに言葉はない。
紅蓮大帝とロック・シュバルエ。二人の邂逅はあまりにも静かだった。
ただそれは必然。
お互いに言いたい事は無数にあった。けれど出てくるまでに、それは露と消える。
――君がここにいるという事は。
――貴方がここにいるという事は。
言葉など何の意味もなさない。
結末は一つ。絶対に一つ。
互いに譲れるものなど、もはやないのだ。ここは言葉を交わす場所などでは決してありはしない。絶対に。
「君は宿屋になるのが夢だったよね? それがなんで僕の前に来たんだい?」
その沈黙を破り紅蓮大帝が口を開いた。
「それは……自分も出来ればこんな事は人に任せたいです。けれどあなたがいる限り、俺は自分の夢を叶えられない。そして俺が俺である為に、ここに来ました。あなたを殺しに」
その言葉に紅蓮大帝が天を仰ぐ。
「そっか……なら仕方ないね。しかし君は聞かないのかい? 僕がどうしてそんな事するのか?」
「では聞きますが、それは誰の為ですか?」
「僕自身の為だよ。復讐だ」
「……奇遇ですね。俺もですよ。夢の為です」
それだけ。
それだけでお互いに覚悟を決した。
不意に紅蓮大帝の服装が先ほどとは違い、至って人が着用するに正しい甲冑姿に変わる。
「では。あらためて本名で名乗ろうか。教国軍……殲滅者の赤を頂く“紅蓮騎士”、あらため今は“紅蓮大帝”ファトム・ゲーリックだ」
敵国その最高位に存在する一騎当千の騎士にして、紅蓮大帝という神へと至った魔王が名乗りを上げる。
「見習い冒険者で、ヴォルティスヘルムの学園の一年生、ロック・シュバルエです。そして」
真なる勇者。
そう名乗る事で一瞬、胸に去来するものがあった。
だが魔王の悪意を思い知り、この力の意味を悟り魔王抹殺を心に決めた時より、もはやそんなものは何の意味もない。
――あとは目の前の大敵を討ち果たすのみ。
「宿屋の倅で、見習い冒険者で、そして真なる勇者か…………その自己紹介には大いに納得し兼ねるが、まぁいいよ。よくもやってくれたねこの惨状。そして“あの力”。君を正しく推し量れなかったのは、今回の失敗の最大の要因だ……ただ」
一方で紅蓮大帝もまた、ヴォルティスヘルムを破壊し尽くしたはずであった。彼の復讐は完遂したはずだった。
にも関わらずその全ての時を戻されたのだ。ゆえに例え仮に目の前の少年が彼のよく知る人物であったとしても、もはや関係ない。
――少年は間違いなく復讐を阻む破壊対象。
「君は…………ここで死ね。貴様はこの都市ごと確実に消し去る。我が殲滅者と呼ばれる意味を教えてやろう異端者ッ」
紅蓮大帝の口調が変わり殺意が向けられる。
「あなたは…………俺の敵だ。テメェは俺の夢の前に立った。何よりこんな俺を肯定してくれた人達がいるこの都市を消すと言うなら、もはや抹殺するのみだ復讐者ッ」
同時にロックの口調も変わる。これ以上の馴れ合いはない。
紅蓮大帝とロック・シュバルエ。
魔王対勇者。
けれどその実体は何処までも純粋。
――夢か、復讐か。
どちらの意地が強いのか。どちらがより強欲か。或いは狂っているか。――ただ何処までも殺し合うのみ。
「吼えるな狂犬がッ、貴様の愚かな夢で我が大望を阻止すると言うのなら――」
紅蓮大帝の言葉に呼応し、地面が自然と溶岩と化す。
咄嗟にロックは呆けていたチェスター侯爵を空間転移で城の外へと飛ばす。
だがその直後にはもうロックの周囲一帯は溶岩で溢れかえる。
「その全てを地獄の業火で溶かし尽くし、貴様の亡骸の前で宿願を果たしてやろうッ!」
発生した溶岩が意思を持つ様にロックを襲撃する。
けれどロックに溶岩が届く事はない。
「いいだろう来いよ。過去しか見えねぇ不幸気取りの溶岩野郎がッ――」
――時間停止。
さらにロックはその周囲にマグマ達と戦った際に作り上げた空間迷宮を出現させる。
「テメェの復讐と俺の夢、どっちが上かハッキリさせてやるだけのことッ!」
そして二人が同時に神器に手を伸ばす。
紅蓮大帝はランタンへ。ロックは時計へ。
「ならばその下らん夢ごと溶かし尽くしすのみッ、溶岩魔術第六位階――溶岩纏鎧ッ!」
「ならテメェの憎悪を踏み潰して突き進むまでッ、時空間魔術第零位階――多重世界ッ!」
溶岩纏鎧。それは紅蓮大帝の甲冑が地面から数百トンものマグマを呑みこみ、そこから紅蓮の甲冑へと変貌する溶岩魔術。
それにより巨大な異形と化す事で紅蓮大帝は至る――魔王へと。
多重世界。それは村松が二人を隔離する為に時間を掛けて仕込んだ、対魔王の為に作られた特別な時空間魔術。
それが天空に透明な巨大時計として出現する事でロックは至る――勇者へと。
時空間魔術師の勇者VS溶岩魔術師の魔王。
「行くぞ狂人!」「消えろ異常者!」
世界を支配する時計か。
すべてを呑み込むマグマか。
「テメェはッ!」
「貴様はッ!」
今ここにその二つが激突する。
「「――我が夢/復讐の前に散れッ!」」