2-29 最後の時間
【闘技場 学生たち】
紅蓮大帝。
それが神ノ座に触れた直後の事だ。
「マグマだ! マグマが噴き出してきたぞ!」
ロックが声のする方を見ると地割れで砕けた闘技場の真ん中から、地下よりマグマが噴出していた。それは瞬く間に闘技場を全て呑み込み周囲を溶岩地帯へ変化させた。
――闘技場が噴火したのだ。
これが数秒おきに、ただの平地であるヴォルティスヘルムの様々な場所で発生していた。まるで火山地帯の如く。
当然、多くの建物が炎上し大火の様相を見せている。
――なんだ、これは。
この突然の環境の激変。そして立て続けに起こる地の獄の様な光景を見た学生達は一様に戦慄し、ただただ息を呑んだ。
都市を包む天まで届く業火。
超巨大な四体の炎の巨人。
天空に光る流星を落としたものよりさらに巨大な魔法陣。
流れ出す溶岩、吹き上がるマグマ、突然出現する火山、炎上する建物。
それらは全て人とも獣ともつかない大きな上半身と巨大な腕を持つ赤と黒の甲冑姿――紅蓮大帝、それが顕在する事で起きた周囲の変化。
世界改変。
その変化は彼らの想像の埒外にあった。スケールが違い過ぎて何が起きたか理解する事もできない。
――ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!
だが突然、遠くで誰かの断末魔が上がったことで多くの学生達が我に返る。
「――っ。お、おいっ!」
「やばいだろ……なんだよあれッ!?」
「お、終わりだ! 世界の終わりだ!」
だが中には半狂乱に陥る者、怯えた様に逃げ出そうとする者、跪いて神に祈りを捧げる者なども出てくる。特に火と土の魔術師や神官達はそれが顕著であった。
もはや大混乱へと発展するのは必然。しかもだ……。
「あいたっ」
突然、ロックの隣にいた道化師プルートゥが涙目で頭を抑える。ロックは慌てて着ていた上着で彼女を庇うと、その上にポツッと、小石の様なものが当たった。
彼は礼を述べる彼女と共に空を見た。
石。岩。――噴石である。
まだ規模は小さいが、火山灰の様なものまで降り始め、小さい石がポツポツと降ってくる。
それに気付いた魔術師や騎士が必死に吹き飛ばすが、これも小規模な噴火紛いだからまだ何とかなっている話。
もし巨大なものが噴火すれば石は巨大になり最悪、火砕流が全てを一瞬で呑み込む可能性もある。
――それだけで都市の生物は例外なくすべからく死ぬ。
「なんなんだよ……なんなんだよこれは! 炎の巨人、炎の壁、溢れるマグマ、空に浮かぶあの流星と同じ魔法陣……地獄か何かなのかっ!?」
怯えた様にプティンが叫ぶ。
それは他の者達も同様で、恐怖は伝播し至る所で騒ぎが起こる。
「おいっ、なにしてんだよ皆! 早く逃げよう! あんなのっ、人が抗っていい存在じゃない!」
その中で一人の学生が誰よりも強く叫んだ。
「でっ、でも逃げるって何処に!?」
すかさず、もっとも核心を突いた疑問が飛ぶ。
そう。
この都市を脱出するには、四方を囲む天高く燃え上がる炎の壁を突破する必要がある。
また隠れ様にも、建物は地割れと溶岩やマグマでいつ倒壊し、燃え上がるか分からない。
――逃げ場など、ない。
「光の神殿です!」
けれどその沈黙の中で、一人の神官――ロック達の元パーティーメンバーにして、学生達を扇動し塔を破壊したあの神官ナーダが叫ぶ。
その声には震えが混じっていたが彼女は自分に抱き付く少女達を強く抱き締め叫んだ。
「光の神殿なら女神様の庇護で安全です!」
その考えはある意味、間違ってはいない。
神殿とはそもそも非常時の避難所でもある。特に王国は光の女神を信奉する為、この都市にも大きな神殿があった。
実際に神殿は女神の力により多少なりとも守られてもいる。
だから否定の声は出ない。それに少なくとも光の神殿は都市の中心から離れた正門入り口側にある。
さらに彼女を聖女と崇める者達が一気に賛同の声を上げるたことで異論も消えた。
「……なら全員で一刻も早く逃げるぞ! ここから先、もはや何が起きても不思議じゃねぇ!」
そう、かつてロックの剣を折ったものの謝罪して和解した騎士、リドルが先陣を切って動き出し。
「待って下さいッ! 私は住民達を誘導をしながら行きます! 有志で構いませんっ。誰か手伝ってくれまんか!?」
メイド学長が助けられるだけ助けようとし。
「みんな石には気をつけなさいっ! 突然、地割れで道がなくなる事もあるわっ! こうなったら何としても生き残るのよ!!」
彼らの進む障害をエルフのペッタンさんが破壊していく。
そう……確かに彼らは混乱していた。
けれど一度は死線を越えたのも事実。ヴォルティスヘルムの学生達は決して弱くはなかった。
希望は見えたのだ。
『なんてしてもこの天変地異を生き残る』
ならば最後の最後まで足掻くのみ。
一つに統一された意思により、学生達は民間人の保護へ走る者、噴石や溶岩、マグマからの護衛する者、動けない者達の補助する者などに別れて一気に動き出した。
「よしっ、俺達も行くぞっ! 早く――」
「そうですねっ。さっ、行きましょうロッ――」
そう騎士プティンとプルートゥが隣を振り返る。
けれど同時に息を呑んだ。
確かに学生達はこの理不尽な地の獄を越えようと、必死に動き出していた。
誰も。
彼もが。
――ただ一人、ロック・シュバルエを除いて。
「……ロック?」
「どう、したんですか?」
けれど少年だけは、理解していた。
泣きたくなるくらい理解してしまっていた。
ロックはただ無言で、けれど、間違いなく激情を宿し、先ほど現れた紅蓮大帝の方を静かに見つめ続ける。
そこに恐怖の色はない。絶望もない。逃避でもない。学生達が抱いたどの感情とも異なる。ただ静かに彼だけはこの所業に――。
“ロック”
さらに何処からともなく、姿のない男の声が彼の名を呼ぶ。
「この声……先代? 喋れたんですね」
“まぁな。で、奴が何かは分かるな。――どうする?”
時計から聞こえるその声……先代勇者は静かに、けれど、一切の感情なくロックに尋ねた。
「ええ。分かっています。“アレ”は……ダメだ。いや、“アレ”は俺の敵だ。そして俺の夢を、俺を認めてくれた人たち全ての――討ち果たすべき大敵だ」
ロックは小さくけれど殺意を込めて吐き捨てる。
だがすぐに一転して、プティンとプルートゥに向けて微笑み、まるで近くの市場に出かける様な気軽さで告げる。
「……すみません。ちょっと、野暮用が出来ました。皆さんは逃げて下さい」
「は? ……はぁっ? 野暮用ってお前――」
「ダメですっ!」
微笑むだけで背を向けるロック。――が、その手を道化師が掴んだ。
「……プルートゥさん?」
振り返ったロックと目が合う。
道化師の顔はかつて見た事もないくらい、焦燥に駆られていた。
「い………………いやいやぁ、ほら、ロックさん? この道化師めも、流石に今はそんな場合じゃないと言いますか、やっぱり思うんですよ、ねっ。ねっ? この辺りでわたくし達もお役御免。ここから先はさぁ、実はこの都市のどこかにいるという、真なる――ぁ」
だが、無理におどけたその言葉ですら途中で止まる。
「………ぇ?」
ロックを見て何かに気付き見開かれる目。
……かつて、彼女はこの都市に来る前に一つの神託を闇の女神より下されていた。
“道化師プルートゥ。ヴォルティスヘルムに魔王が降臨するかもしれません。もし貴方がそこで、その魔王を唯一討ち果たせる存在……真なる勇者と出会ったのなら、貴方だけでも彼を支えてあげて欲しいのです”
聖女といえど神託など、一生でそうあるものではない。最初は幻聴と疑っていた部分もあった。
なにせ魔王は魔国にいる。それがヴォルティスヘルムに突然現れるとは思えなかった。
次に光の勇者も動いたという話は聞かない。
なにより真なる勇者。これがよく分からなかった。勇者に偽も真もあるのだろうか。
だから彼女は自由に行動したし、その後に再び神託が下されることもない。けれど念のためたった一人この都市へ来て、祭りでのショーの依頼を受けた。
それはある種、不運を払拭する為のものだったのかもしれない。
……だがそれが今少女の中で全て合致してしまったのだ。
「ロックさん、貴方は――」
魔王とは本当はあの巨大甲冑の事ではないのか。
目の前の少年が一体、何者だったのか。
どうして彼が宿屋に固執しながら、まるで英雄な様な行為をしていたのか。
なんで自分は女神によってこの都市に導かれたか。
全ての疑念は一つの事実で筋が通る。
――ロック・シュバルエは真なる勇者である。
女神から与えられた神託の意味と、その対象が誰なのか、彼女はこの瞬間全てを悟った。
「……ぁ…………っ!」
同時に今度は、彼の抱える全ても理解した。
なぜ少年はあんなにも、自らの行為への賞賛を頑なに受け入れなかったのか。
どうして少年は責任感と言う言葉では片付けられない、ちぐはぐした夢と異なる英雄的な行動をここまでしてきたのか。
なぜその行動を自らの意地とし、あくまで自分の為と定めたのか。
――全ては彼が望んだ物ではなく、天より押し付けられた望まぬものだから。
「だからっ、ロックさんは……ずっと……」
気付くと彼女はおどけた顔を維持できなくなっていた。
――どうして。
内心で湧き上がった問いかけは天へのもの。
――どうしてっ……どうしてよりにもよって、この方なのですかっ、神様!?
彼の見続けたちっぽけな夢を彼女は知っていた。もし彼が“普通”でいられれば、きっと、普通に夢を叶えて幸せになれたはずなのだ。
“僕は宿屋になりたいんです”
そんな些細で慎ましい夢。それが、世界を救うという崇高な宿命によって押し潰されている真実に気付き、どうしようなく胸を締め付けられる。
その上で本人は「僕の知った事ではない」と切り捨てず、頑なに「僕がしたいから」とあくまで夢の為としてその責務を果たそうとしているのだ……誰の為でもなく、その命を懸けて。
――こんなのっ、あまりに残酷じゃありませんか神様っ!? どうしてこの方に真なる勇者なんて宿命をお与えになったのですっ!?
「どうしてっ……」
「――手を離して下さい。プルートゥさん」
泣きそうになった彼女に、ロックは冷ややかな声を掛ける。
「……ロックさん、は、あの赤黒い化物に挑むんですね?」
彼女の震えた言葉に、二人のやり取りを見守っていたプティンや眼帯が驚き、何かしら叫ぶ。
けれど当のロックは少しだけ驚いた様にした後、納得した顔で先ほどとは違い、優しく微笑んだ。
「――そういえば闇の女神様の神託を受けてここに来た、そう仰っていましたね」
「…………はい」
「なら僕は野暮用を片付けに行ってきます。大丈夫、そうしたらまた帰ってきますよ。まだ宿屋になってませんからね」
「でも貴方は本当はっ――」
「それに僕はもっとプルートゥさんと馬鹿やって、また一緒にお話したいです。だからちょっと、頑張ってきます」
「ロックさん……」
たぶんもう自分には何も出来る事はない、そう彼女は悟る。
あとは送り出すだけ。一緒には行けない。彼女に紅蓮大帝に立ち向かう力はない。ついて行こうにも、自殺と何ら変わりはない。
「だったら、もし全てが終わったら、一緒に旅をしませんか?」
「旅ですか?」
「はい。ロックさんの宿屋さんを開く場所を探す旅です」
「それはいいですねっ。でも一緒に付き合ってくれるんですか?」
その問いに道化師は今まで見た事がないくらいに、下手な笑顔を浮かべて震える手を離した。
「はい♪ 私はその旅で道化師としての技量を磨きますから……だから、待ってます」
「――分かりました。必ず帰ります」
ロックはそう告げて背を向けると、逃げる学生達とは逆の方向へと走り出す。
その姿に周囲の学生達も慌てて止めようとするが、その姿に鬼気迫るものを感じ、誰も彼を止められなかった。そして結局、自発的に走っていった事から、危険はないだろうとすぐに忘れ去られた。
同時に、その背後で道化師の少女が一人、泣きながら顔を覆い崩れ落ちた。
それを太った騎士と眼帯が慌てて支えるが、その二人の関係と意味に気付く者は誰もいなかった。
“悪いな嬢ちゃん。良い女だよお前さんは。この宿屋馬鹿には勿体無い。――けどな、やっぱりここから先は……人の器じゃついてはこれないんだ”
ただその二人の姿を見た、ロックの首からぶら下がる時計だけがそう零した。
【大通り付近 教国軍残党】
この地獄に腹を括った者達は学生だけではなかった。
「――私と一緒に死ぬ者だけ残って下さい」
白髪初老の剣士。
教国軍のバルトス・メラ元教国騎士団総長が生垣に腰掛け、俯きながらそう言い放った。
その姿は敗者のそれ。生きる事に疲れ切った老人。この男が教国元最強にして、光の勇者を凌駕するする男とは誰も思わないだろう。
そう――彼らは失敗した。
紅蓮騎士があの様な姿になった瞬間、その計画は頓挫。なぜなら紅蓮大帝の最終目標は復讐。決して都市の支配ではない。全ての破壊。
そこで彼が修正した教国軍の最終目標は一つ。
――このヴォルティスヘルムが粉砕される際に、一人でも多くの王国の人間を道連れにすること。
教国軍の目的はあくまで王国の領土。
つまりヴォルティスヘルムの支配に失敗した所で、この都市を更地にしてでも占領できれば、問題はない。
ただ王国の人間に脱出されるのは困る。
特に侯都の騎士達。ギルドの冒険者。侯爵一家。彼らに脱出されると散発的な抵抗勢力となる危険があった。だからそれらを押し留める者が必要なのだ。
……もっとも流星が再びこの侯都に落ちる時、残った教国軍もみな死ぬのだが。
総長は尋ねる。
計画に失敗した以上、少なくとも総長はここに残り、その責任を一人でも果たすつもりであった。
その上で自分と共に一人でも多くの王国兵をこの場に留めさせ、紅蓮騎士を守り、共に死ぬ役割を担う者はいるか、と。
「……私はそのつもりでいます。少なくとも兄さんはそのつもりです」
茨を操る女司祭――キャサベル・ガンが肯定する。
同時に革を操る彼女の兄である侯城を支配していた革男もここに残るつもりらしい。
「……俺も残る」
そう続いて答えたのは他の誰でもない。
学園を占拠するもロックに斬られたはずの帽子男、死霊魔術師クラフトガンだった。
しかもその姿から重傷を負った様にはまるで見えない。まるで健康体。もしそれが事実なら奇跡と言えた。
ただ、彼はそう答えると、つい視線で視界の端に移る異形を見た。
――長身のローブ姿。
それはロックに斬られて撃墜されて以降、学園の敷地で目が覚めた時から、視界の端にあった謎の存在。
そして何より彼は、自分の体の異変に薄々気付いてしまっていた。
自分の心臓が動いていないことに。
――ない。そんなはずはない。
一度だけ確かめたそれを、彼は認めなかった。未だに聞こえ難かっただけと、頭を振って忘れ去ろうとする。
――俺がアンデッドになった? 馬鹿な。人間が一瞬でアンデッドになるはずがない。気のせいに決まっている。現に俺は、自分の意思で動けるじゃねぇか。
そう帽子男は自分に言い聞かせ、視界のそのローブについて見て見ぬフリをした。あれは頭を打ったせいで見える様になった幻影だと。
「……悪いけど自分達は逃げさせて貰いますよ。技術者ですからね。構いませんよね?」
一方で、教国軍の神遺物解析班、つまりは技術者達の班長と彼の部下達はさっさと逃走する宣言をする。
彼らは侯城で隷属装置を発動させる為だけの人員であり、非戦闘員でもあるのだ。
「構いません。工作員達と共に本国に戻って報告を。王国と教国の国境には囮である偽の紅蓮騎士がいます。偽と言っても弱くはありません。彼女に保護を求めるのが確実でしょう」
「すみませんね。そいじゃあ、俺達は失礼します」
そういって爆発頭の班長率いる集団は炎上する都市の中を門の方へと足早に消える。
「果たして脱出できるんでしょうかね……そもそも、それが疑問でもありますが」
彼らが消えた先にある天まで届こうかと言う業火を見て、総長が呟いた。
――どっちにしろ死ぬ確率の方が高いのは事実ですね。
とは言え、それで王国の者達を放置して逃げられては元も子もない。
ましてや万が一、ありはしないだろうが紅蓮大帝が止められては全てが終わる。
「ならば三人で……行きますか」
どうせ任務に失敗すれば帰る場所などない。非人道的な計画ごと自分達を上層部は切り捨てるだろう。むしろそれでいい。それでこそまだ祖国を祈って死ねる。
ならば最後はせめて――国の為に。
十歳で戦場に立ち人を殺した時から決めていた信念に則り、彼は歩き出す。
それに帽子男と女司祭が続いた。
【侯城 侯爵と革男】
「で。自殺でもする気でしょうか、侯爵様は?」
一方その頃、紅蓮大帝が大通りを真っ直ぐ進み目指している侯城。その人気の消えた城の中でテラスにだけ、未だ奇妙な二人組が残っていた。
一人は教国軍の男。
先ほど総長と共にいた女司祭その兄にして、侯城を占拠していたはずの革男。紙や皮を操る紙魔術師ミルティク・ガンである。
この男は流星落下前より、地下で侯爵一家と装置を監視していたがそこに槍使い達が強襲し、装置を破壊された上に侯爵一家を取り逃がすという失態を犯していた。
そのため侯爵一家も騎士も逃げ出し、この侯城には彼以外に誰もいなかった。
…………の、はずなのだがもう一人、革男の隣に座り込むのは全ての発端となっているこの都市の長――チェスター・ヴォルティスヘルム侯爵、本人である。
彼だけは娘達と共に逃げ出さず、ここに残った。
「……私一人で死ねたら、どんなに楽だろうか」
大柄で偉丈夫な武闘派貴族の面影は失せ、背中を丸めた老人へと変わり果てた侯爵。彼は自らの家系が数百年守り通してきた都市を、死んだ様な目で見つめていた。
至る所で起こる阿鼻叫喚。
真っ赤に染まっていく地形。
君臨する火の巨人達。
そして大通りを悠然と歩いてくる全ての元凶、巨大な赤黒い甲冑姿。
彼は既に自らの運命を悟っていた。
「ほんとっ、貴方なにをしたんですか? 相当な怒りですよアレは。ハハハッ」
他人事の様に迫る紅蓮大帝を見て、革男は笑う。
もっとも、彼の声にもまた、色々な諦めが含まれていた。もはやどうにもならないという。
「結界を作るために雇った帝国の男が不味かったのだ……まさか、結界を作るのに近隣の村人達を生きたまま焼き殺し、それをこの都市に半アンデッド化して埋め触媒とするなど、誰が予想できよう」
「へー」
革男は適当に頷く。
その程度の狂気はある意味で予想通りであった。なので別な質問を侯爵に尋ねる。
「だから贖罪の為に死のうと?」
「……出迎えねばなるまい。それにまだ終わった訳ではない」
ただ、彼は見た。
侯爵の瞳に一瞬だけ宿った反抗の意思を。
「……ん?」
そこへ総長と帽子男達と共にいる、妹の女司祭から花を通じて連絡が入った。
内容は「逃した侯爵家の娘と息子を確保して下さい」というもの。そして最後の……妹からの別れの言葉だった。
その内容に頷くと、彼は侯城から逃げ出した者達を追い掛けるべく歩き出す。
「…………行くのか」
背後で聞こえた侯爵の声に、少しばかり縋る様な音色が混じっていた。それに気付き、敵に掛ける言葉かよ、と内心で彼は苦笑する。
「ははっ、逃げないんでしょう貴方は? なら私はアンタの娘と息子を捕まえに行きますよ」
そういって革男は自分の顔と背中の革を剥ぎ取り、今度は茶色い鱗のドラゴンの革に張替えると、その革で出来た翼を羽ばたかせ、空に消えた。
そうしてついに一人になった侯爵。
崩壊する都市を眺めながら、周囲を溶かして迫る紅蓮大帝を前に顔を覆った。
「っ……なぜっ…………なぜだっ!! ……どうしてこんな事に…………私はただっ、ただあの悪魔からこの都市を守りたかっただけなのに……っ! 全て私のせいなのかっ、私が悪いのかっ……ならば私だけを殺せば良いではないかッ! どうして我が一族が守り続けたこの都市の者達まで殺すのだ……くっ……ううっ……ッ!」
嗚咽は誰にも届く事はなく、届いた所で何かが変わるものでもなかった。
「怖かったのだ……! ただ、私は怖かったっ。この身体を焼き尽くされそうになった時の痛みと恐怖、そして死んていった部下達の姿が忘れられなかった……っ。だからっ、だからっ!」
そんな無様にしか見えない吐露はしばらく続いた。
その後、ひたすら喚き泣き腫らした侯爵は立ち上がり、城の中へとよろよろと歩き出す。
「っ……それでも、行かねば。この都市を守る為に。亡霊の道連れなど、私一人で十分なのだ」
城の地下へと消えていくその背中は、先ほどの泣き喚いていた老人とは違う。それは間違いなく、この都市の長チェスター・ヴォルティスヘルム侯爵その人であった。
――そうしてついに全ての者達の運命が決する最後の時が、ヴォルティスヘルムに訪れようとしていた。