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2-27 何処にでもある不幸


【紅蓮騎士 ファトム・ゲーリック或いは――】



 シャベルが振り下ろされる。


「お願いですっ、子供だけでもっ、この子だけでも助――」


 それが泣きながら子供を抱え上げる母親とその幼い子供の顔面に、何度も執拗に叩きつけられた。


 子供の顔面は変形し、親の顔に深い裂傷が走り転がり落ちていく。


「いやぁっ、火あぶりなんていやぁっ! なんでもするっ。なんでもするから出して! 出してよぉッ!」


 隣では嗚咽を漏らし懇願する少女の全身に油が掛けられ、その体は深く震える。

 そんな光景が巨大な穴の縁の至る場所で起きていた。


 ――ああ、また“コレ”か。


 紅蓮騎士はいきなり目の前で始まった惨劇を、静かに見ていた。


 これは夢。いわゆる明晰夢。


 彼が全てを暗い土の底にその全てを埋められた日から毎夜に必ず見続ける、何処にでもある悪夢。


 子供から老人まで、男女も関係なく穴に落とされ、這い上がろうとする者達は、その顔や頭をシャベルで叩かれ血に染まり再び穴に落ちていく。


 そこに被せられる油。生きたまま油と肉と土に埋もれていく人間達。弱い雨にかき消される嗚咽と苦悶。


『この惨劇を、俺達の存在を知らしめて欲しい』


 約束の言葉。

 目の前の地獄を傍観者として眺めていた紅蓮騎士が薄暗い空を仰ぐ。


 ――分かっている。分かっているよ兄さん。決して、約束は違えない。


 蘇るのは彼にとってたった一人の理解者だった兄の姿。

 惨劇の中でも彼の胸に去来する、兄は何時も笑っていた。


『なに? また母さんたちに絵なんてやめろって言われたのか? もー、気にすんなよ! あの人達は農民だから見る目がねぇんだよ。大丈夫、お前は将来、宮廷画家になる男だって俺が保証してやる!』


『おい皆見ろっ、これ王都の学園への推薦状だぞ! へっ、俺の弟はやる男だって言っただろ!? いつか王都にアトリエを構えるすげぇ奴になるんだよアイツは!』


『良かったな……ほんとうに良かった。お前の頑張りは知ってたけど、俺も何処かでそれでも農民は画家にはなれないんじゃないか、って不安だったんだ。へへっ、それが推薦状だもんな。今じゃ村一番の出世頭だ。ほんと、スゲぇ奴だよお前は』


 兄だけはずっと信じてくれていた。

 この自信のない自分をずっと励ましてくれた。


 その兄が、言ったのだ。


『いつか……いつかでいい。もし、いつかお前が誰にも冒されない強さを手に入れたなら、その時は“お前に出来る”やり方で……この惨劇を、俺達の存在を知らしめて欲しい。この地獄を誰かに伝えて欲しい』


 暗転する記憶。

 嫌でもあの薄暗い土の中、二人で怯えていた最期を思い出す。


『大丈夫かっ、おいすぐに目を冷やせ。俺の指は見えるか? 数は?』


『なんで、なんでこんな非道がまかり通るんだよ……ッ! ロッジもシェルも母さんも父さんもみんな、みんな生きたまま焼かれてる……! クソっ、俺達は実験動物じゃない、人間なのにッ! ちくしょうっ、ちくしょう……』


『なぁ……お前はさ、いつか絶対、世界に名を残す先生になってくれよ。そしたらさ、俺も天国で自慢出来るからよ。――じゃあな』


『俺はここだ! カルク村の天才画家“――”様はここにいるぞ! ははっ、捕まえられ者なら捕まえてみやがれ!』


 ――ああ。


 ――駄目だ。行かないでくれ兄さん。


 ――もう駄目なんだ。


 ――僕はもう、見えないんだ。


 ――あの日から、あの時に目を焼かれてから、兄さん達が生きたまま焼き殺されているのをその目で見たときから、もう僕の目は正常じゃなくなってしまった。


 ――だから成れないんだ。画家にはもう。


 ――あの地獄を絵では伝えられないんだ。


 ――だから、行かないで。僕を置いて、みんな行かないでくれ。でないと僕は……。


“もういいじゃないか”


「っ!?」


 紅蓮騎士は不意に聞こえた、背後からの声に我に返る。

 それはこの悪夢の中には存在しなかった、あるはずの第三者の声。


「馬鹿な――」


 振り返ると、兄がいた。


「お前はもう、十分頑張ったよ」


 あの日、最後に見た姿のままの兄がいつもの笑顔を浮かべていた。

 この悪夢を見ていて今まで一度もなかった兄の幻影。


「こんな俺達の復讐に付き合う必要はないんだ。本当は、お前だって気付いているんだろう? こんな不幸は何処にでもあるんだって」


 幻影の指摘は事実だった。


 例えば盗賊に村を支配される事もある。

 例えば戦火により村が略奪される事もある。

 例えば魔物に村人が食い尽される事もある。


 教国軍に籍を置き幾多の地獄を見てきた彼にはもはや、自身を飛び抜けて不幸だとは思えなくなっていた。


「それに……その怒りは本当に、あの地獄を作ったあの学者、殺戮を許可した侯爵、俺達の死体の上でのうのうと暮らす侯都の人々。それらに対するものなのか?」


「それは――」


 紅蓮騎士はその指摘に言葉を窮す。


 甦るのは断末魔と笑い声の記憶。


 あの日、彼が震えながら一人膝を抱えて聞いたのは、人間とは思えない耳を覆いたくなる獣の様な苦悶の声と、それを嘲笑う声達。

 それが理解できない叫びだけならまだ良かっただろう。けれどその断末魔の中に聞き取れる単語も存在してしまう。


 ――助けてくれ。

 ――熱いっ、熱い。

 ――嫌だ死にたくない。

 ――痛い。痛い。


 その声が自分の家族や友達、村の皆のものだと嫌でも分かってしまった。

 そんな地の底から響く声に苛まれ気が狂いそうになった。


 しかし彼は動かなかった。


 怖かったのだ。


 怖くて、どうしても怖くて助けに行けない。

 足が動くことはない。

 雨でも燃え上がる火を見ている事しか出来ない。頭を抱えて震える事しか出来なかったのだ。


 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁ――誰か、誰かたずげで。


 そんな気の遠くなる様な時間は嗚咽と懺悔の果てに、彼は一つの決意と共に今ここに立っている。


 ――全ては復讐の為に、と。


 しかし。


「お前が本当に許せないのは……俺達を助けられなかった自分自身なんじゃないのか?」


 否定の言葉はない。

 本当は、紅蓮騎士が誰より許せなかったのは自分自身だったから。


 あの日、苦悶の声を聞き震える事しかできなかった己にこそ、彼が一番否定したいもの。


 その問に紅蓮騎士は沈黙し、下を向いた。


 それを見て幻影の兄が微笑む。まるで許しを与える様に。


「……もうやめよう。こんな事は。誰も幸せにならない。お前は俺達の事なんか忘れてもっと自由に生きるんだ」


「兄さん……」


 紅蓮騎士も兄に向かって恐る恐ると言った風に手を伸ばした。


 それは赦しの証。


 そうして最愛の兄を紅蓮騎士は。





 ――燃え盛る手で握り潰した。






「っ、待て、何を――がああああああああああw)dkdl<l+!!!」


 兄の幻影が巨大な腕で握り潰され、骨が砕け、皮膚が焼け、苦しみの絶叫を上げる。


 生きたまま砕かれ焼かれる幻影。


 その姿を沈黙したまま見つめいた紅蓮騎士がゆっくりと口を開いた。


「………もういい、だと?」


 その言葉に先ほどまでの弱々しさは微塵もない。


 あるのは怒り。


「もういい? やめよう? 誰も幸せにならない? なるほど確かにそうだろう。ならば」


 底なしの憎悪。


「――ならばお前は我の悪夢を払拭し、絶たれた夢を救い上げ、そして死んだ兄達の無念を晴らしてくれるのだなッ? そうなのだろう? よもや……よもや我が怒りを止めたいが為に出た戯言ではあるまいなぁッ!?」


 兄の姿をした幻影は答えられない。

 彼の言葉は現状を否定するだけで一切の救済等ないのだ。


 数多の正論と同じ、その正しさはただの善悪問わずの弱者の排除。

 無責任ここに極まれ。


「兄の姿をした幻影。貴様は先ほど言ったな? これは何処にでもある不幸だと。だから、仕方がないと」


 それは紅蓮騎士も分かっている。

 こんな不幸は何処にでもあるのだと。


 だがしかし。


「そんな何処にでもある不幸だから、虐殺されても仕方がない――その傲慢さが何もよりも我が怒りを滾らせるのだッ!!」


『そんな不幸は、何処にでもあるよ』


 これ程までに他者の心を無視した言葉はないだろう。

 その不幸に確かに共感性はないかもしれない。何処にでもあると放った側の方が本当は不幸なのかもしれない。


 けれど確実にそれは、目の前の相手の推し量れない心を足で踏み躙る行為そのもの。


「貴様は家族、友達、好きだった異性、大切な人を殺されて、こんな事は何処にでもある不幸――なんてふざけた言葉で片付けるのかッ!? 大切な人達の亡骸の上でのうのうと安全を謳歌し、笑っている奴等を見ながら、仕方がいないと作り笑いを続けるのかッ!!」


「だっ、だがっ。それで復讐によって無関係な者達を巻き込めば、それは全ての人間を不幸に――」


「ならない。なぜならば兄達の仇を討ち、この内に宿った怨恨と悪夢から開放されば、我は止まっていた過去から前へと進める。この赤と黒しか分からなくなった目にも幸せが見える!」


「数千、数万の犠牲と新たなお前が生まれるかもしれないんだぞ!?」


「ほざけ、他者の地獄を何処にでもあると切り捨てる者達の言葉に耳を貸す価値があるとでも? それに元より言われなくとも、この復讐は我が内なる傲慢と強欲であるッ! そこに善悪も貴賤もありはしない、他者など端からどうなろうが知ったことではない……ゆえに我は世界を敵にしても己が為に進むのだ!」


 幻影は初めて彼の兄とは違う表情を見せた。


 ――困惑と恐怖。


 目の前の存在に他者の介入は意味を成さない。善悪すら道端の石。それが理解できない。


 だがそれはある種、仕方がないものであった。


 なにせ幻影の言葉は紅蓮騎士に語るにはあまり根本からズレていたのだ。

 これは最初から善悪の話等ではなく、何処までも紅蓮騎士個人による自己の救済。


 それに気付かない幻影が絞り出した言葉は……。


「きっ、貴様は狂っている。イカれている」


 生者の生きているがゆえの狂気、それへの畏怖。

 死者にはない、捻れ切った執着心と他者への不理解。


「なんとでも言えばいい――だがこれは我の救済である」


 紅蓮騎士は言い放つ。


「我は罪無き者達を弄び、死してなお利用し続ける悪鬼に、その罪を魂に刻み付けてやるッ! 揉み消された悪をこの手で処断し、声無き怒りを示してやるッ! そして泣き、震え、怯え、後悔しか出来なかった、あの日に囚われた己自身を救うのだッ! 必ずや兄達と共に、未だ煉獄に囚われる己自身をも救い出すッ」


 そうして紅蓮騎士は兄の姿をした幻影を焼き尽くした。


 その手にはもはや跡形もない。


「……偽物が。我がどんな気持ちでこの都市の学園に潜入し、作り笑いを浮かべていたか。貴様には分かるまい」


「――素晴らしい」


 そこへ、また背後から兄の声が聞こえ、臨戦態勢のまま振り返る。


 しかしそこにいた兄の幻影は先程と違い、焼け爛れ蛆が這い回る姿で、兄のフリをする事もせず、不遜な態度で立っていた。


「嘆きの亡霊などけし掛けてみたが……紅蓮騎士。貴様はやはり、魔王を名乗るに相応しい」


「……何者だ」


 その問いに焼け爛れ蛆が這い回る兄の姿が、一瞬で人より遥かに長身のローブ姿へ変わる。

 声すら変わりその身長は人間二人分の高さとなり、おぞましい恐怖を掻き立てる存在へと変化する。


「現冥王ザックーガ。その欠片。神ノ座に届きし者也。そしてもし貴様が復讐を望むなら――」


 ローブ姿からアンデッドの様な枯れた腕が伸ばされる。


“――この手を取るがいい”




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