2-26 星に願いを――
ここからずっと三人称(+一人称)形式となります。
【侯都正門 詰所】
光の勇者が侯都ヴォルティスヘルムから遥か遠くの国境にて、『偽』の紅蓮騎士との戦闘に入った頃。
――ああ、みんな死ねばいいのに……。
ヴォルティスヘルムの正門前の検問所では、教国軍幹部の女司祭が目からハイライトを消して心労に苛まれていた。
彼女こそ最初にロックを襲った茨の巨人を作り上げ、花による遠距離通信を可能としている術者である。
「いやぁ! 貴方の様な勇敢な女性がこのヴォルティスヘルムに未だに残っているとは、尊敬を致しますなっ……それに比べて勇者と言ったら、途中で怖気づいて逃げ出す始末。全く、あんな男に王女殿下が現を抜かすとは、陛下もさぞ心苦しく思っているでしょう」
そんな彼女の対面には無精髭を生やした四十代前半と言った騎士。それがニコニコと王国に所属する光の勇者レオンの愚痴を吐いている。
そう。
彼こそレオン達を置き去りに出発した二万の王国軍を率いる将軍その人である。
つまり王国三将軍の一角と、教国軍の幹部が同じテーブルについているのだ。
「本当に酷いお方なのですね勇者と言う方は」
「ええ! 女性をいやらしい目で見ることしか出来ない子供なんですよ!」
「それはそれは……おほほほほほほっ」
「ええ本当に……わははははははっ」
そんな見敵必殺な二人がにこやかに……まぁ内心は別として、会話している理由は一つ。
――どうにか王国軍の先行部隊を騙して、二万の本軍が押し寄せる時間を稼ぐ。
という教国側の苦肉の策であった。
……しかも未だ距離がある二万の王国軍から出た先行部隊には何故か将軍までいたのである。無防備もいいところだ。
そんな相手にこの“誰もいない侯都”を上手く説明できる人間が、もはや彼女しかいなかったと言うのもある。
彼女の兄であるエメラレルドを纏う革男は侯城の警備で離れられない。
死霊魔術師クラフトガンは生死不明。
トップである総長は学園からこちらに向かって爆走中。
沁黒に至っては侯都どころか東京都台東区上野駅からサクセスストーリーである。
そうなると動ける人間は彼女だけ。しかもだ。
“いいですかっ、とにかく時間を稼いで下さい! 今すぐそちらに向かいますっ。侯爵を人質に連れても行きますので、半刻っ。なんとか半刻っ、口八兆でも色気でもいいので先行部隊と将軍をその場に推し止めて下さい!”
上司こと教国軍元総長の直令である。
そうして頭を抱えて何とか捻り出した設定が……。
――民や貴族、果ては一部の騎士までもが退避した中、信仰ゆえに留まり続ける気高い流れの司祭様(嘘)。
そんな嘘を信じ込んだ将軍がまくしたてる。
「しかし私の武勇伝を聞きたいとは、なかなかに見所のある司祭様ですなっ。まずは何処からお話しましょうかね。あ、そうだ東の諸国と戦った時の――」
――ああ、お茶が美味しいですわー。
彼女は死んだ目で、ウキウキとくっちゃべる敵国の将軍を見ながら、自分で入れたお茶の味に集中していた。
とはいえ延々と騙し続ける必要もない。
――そうね。とにかく総長がここに到着するか、兄さんが侯爵をここに連れてくれば済む。
話よね。
そう納得し掛けた瞬間、彼女の右目に強い痛みが生じた。
「っ!?」
「どうされました司祭様っ」
思わず、両手に仕込んだ“種”を使い、目の前の将軍に敵対行動を取ろうとしてしまった。
が、彼女は辛うじて推し留まる。
将軍の動揺からして、彼等の攻撃でない事は察することが出来た。
では今の痛みは何か。
考えられるのは一つ。
彼女は兄である侯爵達を見張っている革男と、実は感覚を一部共有している。例えばそう。片方に身体に重要な危機が生じた場合。
――兄さんっ?
彼女は咄嗟に痛みで顔を覆うフリをして、通信用の花を使って兄と連絡を取ろうとする。
“兄さんっ、聞こえますか!? 小声で今のは状況を聞かせ――”
――ドゴォンッ!
その時、不意に響き渡る爆発音。
「なんだ今の音はっ」
部屋にいる将軍達も立ち上がる。
「閣下! 今、ヴォルティスヘルムの侯城から煙がっ!」
詰所の外を見張っていた王国軍の兵士が血相を変えて駆け込んでくる。
そんな状況で、だ。
“ああっ、やりやがったな畜生がッ! テメェら、なんで動けるッ!? 槍のデカブツに、魔族がいるだとっ!? それに……侯爵の小娘風情がぁぇっ!”
「なっ――」
兄の激昂した声が花から、大音量で響き渡ってしまった。
それも男の声で、侯爵の娘なんて言葉を含め。
「しっ、司祭様っ?」
――しまった。
彼女の全身から血の気が失せる。
聞かれた。今の声を。
全員の視線が俯いた彼女に集中する。
――もはやこれまで。
「生い茂れッ!」
「っ――爆裂斬ッ!」
決断は早く、動いたのは司祭も将軍もほぼ同時。
無数の茨が彼女の手から増殖し一瞬で部屋を埋め尽す。
が、将軍の一太刀によって部屋半分の茨が爆発的に薙ぎ払われる。
詰所を破壊する両者の刹那の攻防。
「――チッ。逃がしたか」
だが半壊して茨の残骸に包まれた部屋から、既に女司祭は消えていた。
「おいっ、すぐさま本体と合流しこの都市を制圧する! 敵だ。この都市は教国軍に占領されている可能性があるッ!」
『ハッ!』
将軍の一言で、ついに二万の軍勢が侯都ヴォルティスヘルムに向けて動き出した。
【侯都住宅街屋根】
――教国で総長と呼ばれる男、教国軍元総長バルトス・メラはまだ受け入れていなかった。
「……まだだ」
時計塔でロック達と戦った彼は、ついにこの計画が瀬戸際まで追い詰められている事を感じていた。けれど終わったとは認めていない。
「まだ……まだ私が侯爵さえ抑えればッ!」
――開放された学園。
――迫る二万の軍勢。
――侯城で起きた爆発。
立て続けに発生するトラブル。
そんな中でそれでも一縷の望みに賭け、総長は愛剣を片手に学園から城へ向かって侯都の屋根を爆走していた。
「もはや王国軍の先行部隊は無視でいいッ。それよりも城です。侯爵の身柄を何としても押えれば――」
だがそこに新たに、何らかの力で拡声された宣言が響く。
「っ、今度はなんですかッ!?」
それは教国軍も使った外部に対する装置。だが誰が使っているのか。
“――せり! 侯城奪還に成功せり! 侯城奪還に成功せり!”
「なっ――」
少女の声。
これは誰の声だったか。
薄っすらと歳の割に豊満な体をしている侯爵家の娘の顔が浮かぶ。名をユースティと言ったか。
直後、また再び爆発する侯城。
遠くからもその壁から、革の様な物が飛び出しているのが分かる。
その最中に花に女司祭から通信が入る。思わずその足を止めた。
“総長! 申し訳ありませんっ。先行部隊である将軍達の拘留に失敗しました!”
「――っ」
それだけではない。
今度は立て続けに、その兄である革男からも連絡が入る。
“申し訳ありませんっ。隷属したはずの侯爵家の娘と、重症のはずの槍使い、それと見た事のない謎の魔族による襲撃を受け、地下の隷属装置を破壊されました! 現在、私は逃走した彼等の追撃に、残りの者は装置の復旧に当たっていますが――”
不意に、身体かよろけた。
レインバックに突き立てられた背中の刺突傷が痛む。
「…………終わっ、た?」
視界が真っ暗になりながら、口から何とか搾り出した言葉は、とても認めたがい結末。
そのまま膝をつき怒りに任せ足元の家の屋根を拳で破壊する。
「…………っ」
それでも彼は考える。
この絶望的な状況からの逆転を。
――王国二万の軍勢とは絶対に真っ向からは戦えません。将軍もいます。アレが侯都に突入した瞬間、敗北は必須。しかし侯城で侯爵の身柄を押えようにも、モタついている暇は無く、確保出来たとしてもそのまま侯城にて篭城戦。最悪、勇者が来る可能性も……。
だがそう考えている間に、今度は複数の別な場所から声が上がった。
『ウオオオオオオオ!』
顔を上げるとそれがギルドや騎士の宿舎だと気付く。
「っ!?」
――隷属装置が破壊された。
彼はその言葉の意味を遅れて理解した。
つまりもはや、この都市にいる冒険者や騎士を彼らがコントロールする事は不可能になったという事実を。
これで敵は外だけではなくなった。内に無力化した勢力が全て解き放たれる。
「…………終わった」
絶望感に苛まれながら総長はよろめき立ち上がる。
至る所で上がる戦闘の声と煙。
さっきから司祭から持たされた花からは引っ切り無しに、阿鼻叫喚の仲間の教国軍の悲鳴が届く。
――失敗は許されないはずだった。
この戦いは“魔王ザックーガ”との戦いを前に民を、教国の血を出来る限り遠くへと逃す為のもの。神託によればあと十年ほどで地獄が顕在し、その場で多くの民を巻き込んでしまう。それを回避する為の五年がかりの計画。
彼は血が出る程に唇を強く噛む。
だが失敗は失敗である。大陸最強の剣士と呼ばれても戦争という軍クラスの戦いでは連戦連勝だった訳ではない。だからこの歳まで彼は生き残った。ここでもしゴネる男ならばとうの昔に死んでいる。
全ての感情を殺し努めて冷静な声で花に向かって口を開いた。
「総長のメラです。総員に通達します」
その言葉に侯都中の教国兵が耳を傾けた。
「――これ以上の交戦は無意味。他の者は各自、速やかに侯都から撤退せよ。…………クソがァッ!」
彼は花に冷静に呟いた後、再び殺した怒りを爆発させ愛剣で周囲の建物を薙ぎ払う。
ひとしきり周囲を完全破壊すると、彼は一人で侯城へ走った。
――総長として最後のケジメをつけるために。
こうして教国軍の侯都を基点とした王国攻略計画はここで完全に瓦解することになった。
【学園闘技場】
“――せり! 侯城奪還に成功せり! 侯城奪還に成功せり!”
「この声、ユースティ様じゃないか!」
開放された学園の闘技場で、一人の魔術科の学生が叫ぶ。
その声にどよめきが広がるも、それが本物だと彼女と接した事のある生徒達は瞬時に理解し、歓喜の声を上げる。
「よっしゃあ! なんだかんだで俺達の勝ちなんじゃね?」
「ああっ、ユースティ様が無事で良かったわ。あの方が無事ってことは、きっと侯爵様のところの騎士様達も無事だったのよ」
「よしっ、まだ戦える者を集めて俺達も援軍に向かおう!」
侯都が占拠されてから、たった一人から始まった反逆は様々な要因が絡み合い、結果的に教国軍を退ける成果を上げつつあった。
学生達もその事を強く実感する。
その様子にロック・シュバルエも安堵の息を漏らす。
「これならこの都市の開放は近いですね。プルートゥさん……プルートゥさん?」
ただ彼女は困惑の表情を浮かべ、声に聞き入っている。
「え? この声、うそ、ただ似ている……だけ?」
なにやらユースティ様の声に驚愕しているようだった。
「プルートゥさん?」
「……え? あ、すみません。この声の方がよく知る方にあまりに酷似していたので……いやーでも短いながら感慨深いですねロックさん! ふふっ、目を閉じれば今でも思い出します……ロックさんが裸マントの変態さんみたいに――」
「ああっ、聞こえない! なにも聞こえません!」
そんな二人の所に遠くから人だかりがやってくる。
「おーいロックぅ!」
「ひひっ、ご無事で何よりで」
その中から疑似聖剣を破壊した卵型体系の騎士プティンと、彼等を塔まで導いた眼帯の斥候がロックの所に来た。
「…………勝ったよ」
二人の顔を見てロックは笑った。
「ふはははっ、負けたら俺が殴ってやったぞ。まぁこっちはこちで何度も死に掛けたがな」
「ですねー。なんで生きているんでしょうかね我々」
そうして三人は誰と言わず自然と抱き合った。
「よく生きてたよ」
「塔から飛び降りた時心臓飛び出るかと思ったぞ」
「せめて一言いって欲しかったですぜ」
「ふふっ」
その様子を微笑ましく見るプルートゥ。
「――ところで」
三人が自然と離れると、ロックが微妙な表情で彼等の後ろ見た。
「……なんで黒髪イケメンの人、頭から下が袋に入って転がってるんですか?」
道端に革の大きな袋に頭だけ出している黒髪イケメンこと、レインバックが死んだ様な顔で宙を眺めていた。
「……ってか、なんで頭だけ出てるの?」
そうロックが二人を見ると、二人はさっと視線を逸らした。
「ちょ、ちょっと落し物をしてな」
「服が、そのないんで、袋から頭だけ出してるんです……はい」
「はい?」
よく分からない説明にまた彼を見るも。
「所詮、俺なんて……身体にすら別れを告げられる男なんだ……」
「は。はあ?」
やっぱりよく分からない事を遠い目で呟き、だいぶ病んだ顔をしていた。そのせいか微妙な沈黙が降りる。
けどそれは周囲の斥候に出ていた生徒達の声に破られた。
「みんな! 教国の工作員達が逃げていくわよ!」
斥候の報告に一気に合流した学生を含めて歓喜が湧き上がる。
彼らが退却しているという事は、侯都側の勝利に他ならない。
「俺達の勝利だ!」
「侯都ヴォルティスヘルムを舐めるんじゃねぇ!」
斥候の女子生徒は全員に向けて続ける。
「それに朗報はまだあるわっ! なんと侯都の外には王国軍の旗を持った凄い数の兵士が来てて、侯都の中もギルドとか騎士様の宿舎から一気に人が解放されたわ! 間違いなく私達の勝ちよ!」
『よっしゃあああッ!』
学生達が喜びの声を上げる。
ようやく終わったんだ。この長い戦いが。それを理解した彼らは安堵し自分達の勝利を喜び合い空を見上げ――それを見た。
「――え?」
誰か一人が困惑の声をあげる。
「は?」
全員の前にいた斥候の女子生徒も何かに気付いた様に、空を見上げ呆然となる。
「……ん?」
――その時、天に煌めきが走った。
それでようやく数人の学生が気付きなんとなしに天を見上げた。
最初は数人だった。
けれど斥候の女子生徒や他の学生達に釣られる様にして、段々と学生達がそれに続いて空を見上げる。
――それは教国の工作員たちも、王国軍も、ギルドの冒険者も侯都の騎士達さえも、それは同様であった。
この侯都に存在する意識のある全ての生物が、言葉もなく空を見上げる。
彼らは見た。
――それはさながら、まるで天に赦しを乞う愚民達のような目で。
――ヴォルティスヘルムの空にそれが現れるのを。
――たった一人の憎悪が導いたその裁きの光を。
その、天高くに発生した巨大な魔法陣を、見た。
同時に。
そこから現れた一筋の光――流星を、彼等はその目に焼き付けた。
「――星に願いを」
それは紅蓮の巨大甲冑に包まれし男の、誰にも伝わらなかった呟き。
その導きの呪言の直後。
燃え盛る流星、天の裁きが侯都の外へ――落ちた。
すなわち直撃したのは王国軍二万。
激突した地面は衝撃で巨大なクレーターを作り。
爆風で周囲の木々は瞬時に吹き飛ばされ。
近くの山や爆心地側の侯城の外壁はあまりの衝撃に薙ぎ払われ倒壊。
――地形すら破壊する一撃の前に人間がどうなったかは火を見るより明らか。
直撃の熱で王国兵三千人が瞬時に融けた。
爆風で王国兵一万人の全身がぐちゃぐちゃになった。
吹き飛んだ飛礫で王国兵四千人が潰れた。
衝撃で王国兵二千人が全身の骨を砕かれた。
そうして――辛うじて息があるのがたまたま生き残った王国兵千人。
二万のうち生存者千人。うちボロボロになりながらも五体満足でいられたのは数十人。
――それが王国軍の動員した兵達の末路であった。
人々はその怒りの前に口にすべき言葉を失い。
その人智を超えた力に超常の存在を感じ取り思考を止める。
そのあまりの突如として出現した理外の現実に、あらゆる生物が止まり侯都から音が消える。
「――怒りを」
……その男を除いて。
そんな惨状の中、一人巨大な赤い甲冑姿が一部残った侯都の外壁に立つ。
「……侯爵よ。待っていたか。来たぞ。あの日の怨念がこうして来てやったぞ。我を恐れたのなら思い出せ。そして貴様の抱く恐怖に、貴様の震えた絶望に、打ち拉がれ悔恨の中で死ぬがいい」
それは教国軍七天騎士最強の男。
特にかつて公国で起きたその惨劇を見た人々は、密かに彼を畏怖と絶望を込めてこう呼んだという。
「覚悟せよ」
ああ、あれこそが。
「復讐するは――この紅蓮騎士にあり」
悪魔なのだと。