2-22 キラキラ
【ロック・シュバルエ】
幼馴染みのリビアがいた。
「あ、おはよー。ロック」
長い髪を後ろで一本にまとめた、スラっとした活発そうな少女。笑顔の眩しいそんな幼馴染みが、パンを食べていた。
「……朝、ご飯?」
周囲は見慣れた木造の大きな食事処、我が宿屋のお客用の食堂である。
彼女はそこの席の一つに座って、俺がいつも作っていた簡単な朝食を食べていた。他のお客さんも思い思いの場所で同じ様に食事をしている。
いつも通り朝。見慣れた光景。
「うーん、美味! ロックの料理はいつ食べても美味しいよね! ……ん? どうしたの? シェリーちゃん起こしてきたんじゃないの?」
彼女は俺お手製のジャムをつけたパンを一旦下ろし、首をかしげる。
「ふぁ〜〜……おはよー、リビア姉ー」
すると後ろの階段から、小柄な長い銀髪の少女――ただし髪の毛が爆発した我が義妹が降りてきた。
「お兄ちゃーん、せっとー、着替えー、ごはんー……」
まだ寝惚けているのか、目もロクに開いておらずむにゃむにゃしている。巷で噂される孤高の美少女感は全くない。
「シェリーちゃんの身支度が済んだら一緒にご飯食べよ。そしたら剣の稽古だからねっ!」
……はいはい。
そう頷きかけて止まる。
当たり前の光景。いつもの通り日常。
――違う。
この心地良い空間は違う。俺の心を刺す小さな痛み、そして何か大きな失敗をした様な不安がそう訴える。
これは、ダメだ、と。
「ロック?」
「お兄ちゃん?」
意識が明瞭になっていく中で、色んなことが思い出されていき、ようやく自覚した。
ああ、これは夢か。
過ぎた昔の話と、美化された思い出が混ざり、残っていた未練が見せる夢なのだと悟る。
ただの、いつかの残り香。
そっか。なら。
記憶の中のかつての二人に、俺はずっと言いたかった言葉を伝える。
「二人共…………俺さ、勇者なんだって」
「え?」
「お兄ちゃん?」
二人は一瞬、きょとんとして……そして。
「凄いよロック! そうしたら私はロックの聖女様だね! 二人で世界を救おうよ!」
「ちょっ、リビア姉さん!? わたっ、私も聖女として一緒に行きます! 三人で世界を救いましょうお兄ちゃん!!」
興奮気味に俺に抱きついて来る。
両手に花。二人の美少女に言い寄られ、腕を抱き締められる。……一人寝起きで頭ボンバーだけど。
けれど、俺はその未来を選択できない。できないのだ。
「ううん。それは無理だ」
俺は静かに首を振る。
「俺は魔王……異世界からの侵略者共を撃退したら、勇者を辞める。勇者は俺が逃げないと決めた責務であって、決してゴールじゃない。俺はあくまで宿屋。宿屋になりたいんだ」
そう言うと二人が俺の腕から離れた。
「そんな! 宿屋なんてやらなくても勇者になれば、皆から賞賛されて、尊敬されて、ちやほやして貰えるんだよっ!? それに私、宿屋の女将さんなんてなりたくないよ!」
「私だってそうです! 私は宿屋じゃなくて勇者様に尽くしたいんですっ。それにもしお兄ちゃんが勇者じゃなかったら、私達は光の勇者様の所に行っちゃうんですよ!?」
「――つまり、要らないってことだな?」
不意に二人の後ろから顔の見えない黒髪の男が現れ、リビアとシェリーを強引に抱き寄せる。
「ならこいつ等は俺が貰って行くぜ。リビア、シェリー、あんな腰抜けは放っておいて、俺の女になれよ」
馴れ馴れしい男。
顔は分からなくとも、人前で女性を侍らせるその姿は嫌悪感しかない。けれどその姿は誰よりも強そうで、ある意味男らしくも思える。
「本当ですか!? 勇者様の仲間になれるなんて夢みたいですっ」
「恥ずかしい……けど、これで一族の悲願が果たせます!」
現実で彼女達はそんな彼を選んだ。
もっと言えば彼――『勇者』と共にありたいと、それが彼女達の願い。
けど、その為に光の勇者の元に行った選択を、俺は間違いだと思わない。例え顔の見えない彼が本物の勇者ではなかったとしても、だ。
傲慢で、不遜で、強く、女にだらしないが、誰より強い。
――英雄とは、勇者とはかくあるべき。
何より彼は異世界からの侵略者に対抗できなくとも、他を圧倒する力で人々を救うのなら、そこに『真』も『偽』もない。
むしろ力を持ちながら別方向に走っている俺の方が偽物ではないかと思う。
だから……もし仮に俺が彼女達の手を再び取っても、幸せにはならないだろう。
俺と共にくれば待っているのは勇者の仲間、妻――ではなく宿屋の女将と従業員。それは彼女達の望みではない。いつか必ず破綻する。
だから俺がもし二人を取り戻したくば、夢を捨て、力を振るい、勇者らしく生きなければならない。
「でも俺は勇者ではなく、宿屋をやりたい」
同時にそれは彼女達と袖を分かつということ。
「本気で言ってるのロック? そんなの誰にも認めて貰えないんだよ。誰にも理解して貰えない。それに勇者になればお金も、地位も、女の子も手に入るけど宿屋じゃあ、手に入る物なんて一握りだけ」
「かもね。でも俺は、やっぱり、俺として生きたい」
――自分の夢の為に、彼女達を引き留めない。それが俺の選択。俺のワガママ。
栄光なんて要らない。賞賛なんていらない。
欲しいのはこの夢一つ。或いはそれを目指して戦うその過程。
理解なんて要らない。認めて貰えなくても構わない。これがなんと言おうが俺の人生だ。俺の、人生なのだ。
「さよなら、二人共。結末は別れだったけど案外、今でも良い夢だったと思う」
既にこれが明晰夢だと分かっていた俺は、最後にそう呟いて、再び意識を手放し――。
……誰かの顔が近づいて来る。
夢から覚醒していく意識。
ああ、俺は現実に帰ってきたのだ。
視界は未だ定まらず、意識もふわふわし、ぼんやりと宙を眺めている。
すると視界の端にあった何かが段々と近づいてきた。
人、だろうか?
輪郭のボヤケた人の顔らしきものがどんどん近づいてくる。
覗きこんでる?
いや、止まる気配すらない。
顔がどんどん近づいて来る。このままではキスをしてしまう……なんて。
けれどそれは止まることなく、そしてついにぼやけた姿が、口づけしそうなくらいに距離が近づくそれは――。
「UBOOOOOOOO」
ゾンビだった。
「ぎゃああああ!?」
「OOOOOO――なんちゃって♪」
が、直後に愛くるしい声と共にひょこ、っと可愛らしい道化師がゾンビ顔の横から現れた。
「にゃはははは、おはようございます、ロックさん♪ どうです? 刺激的なお目覚めになりましたか?」
「…………」
めっちゃ心臓がバクバクしている。
混乱しながら、目の前の彼女とその手に持つマスクを交互に見る。
ああ。なるほど。
波打つ柔らかそうな銀髪を頭の高い位置で左右に結んだうさ耳を被った少女。
道化師プルートゥさんその人である。
「びっくりしました。って、そもそも俺は、えーと?」
何があったか分からず自分の体を確認すると、女の子座りしていたプルートゥさんがいきなり俺の頬を片手で挟んだ。
「ぶふっ!?」
「そこですよロックさん! もぉ! ほんと間一髪だったんですからねっ? 闇に引きずり込むのがもう少し遅かったら、今頃ロックさんぺしゃんこだったんですよっ!?」
「えっ、あっ、はい、すみません」
そうだ。
俺は直前まで学園の闘技場で戦って、森で殺した沁黒の集合体ゾンビと戦い、踏み潰されそうなって――。
「あの、助けてくれてありがとございます?」
状況的に彼女に助けられたのだろう。俺は頭を下げた。
が、彼女は可愛い顔をむくらせて、こちらを睨む。けどそれも数秒で、すぐにそっぽを向いた。
「むぅ。本当にビックリしたんですからね? 空から落ちてくるところが見えて急いで闘技場に向かったら、今度は巨大ゾンビ相手に大立ち回りして殴られて動けなくなってるし、無鉄砲過ぎません?」
「うっ」
「はあ。よく言うではありませんか、勇猛と無謀は違うって。その辺、ちゃんと弁えて下さい。じゃないと……いつか本当に死んじゃいますよロックさん?」
割と普段とは違う憂いた感じのトーンで指摘され、言葉に詰まる。
「それは……気をつけます」
「本当ですか?」
「はい」
なぜかじとーっとした目で見られたが、突然にぱーとした顔になった。
「なら許します。お姉ちゃんとの約束ですからね?」
「は、はい。ってか、年上ネタまだ引っ張るんですか?」
「事実ですから」
大きな胸を張って言われた。目の前で揺れるそれから俺は目を逸らしあらためて周囲を見渡す。
「でも、ここってプルートゥさんの闇の中だったんですね。あ、だから手を繋いでるのか」
今更だが彼女と軽く片手を繋いでいることに気付いた。
「――って、早く戻らないと!」
上には学生達がいる。油断して良い状況じゃない。
「落ち着いて下さいロックさん。確かに上も気になります。ただ、ここはあの大きなゾンビの足元なんですけど、さっきから動きがなくて、上から出ようにも出れないんですよー」
「え? あのゾンビ、動いてないんですか?」
「はい。たぶん時計塔がそれどころじゃなくて右往左往しているんだと思います。いやー私、新興宗教が誕生するとこ初めてみましたよー」
「は、はあ」
よく分からず上を見るも、闇なので外の状況はやはり分からない。
けれどゾンビが動きを止めている以上、何かあったのは事実らしい。
「……ところでロックさん。何か怖い夢でも見ましたか?」
「えっ?」
「いえ、眠っている間、少し苦しそうなご様子だったので大丈夫かなって……あ、イイ子イイ子しましょうか?」
プルートゥさんが心配そうに、正座して自分の膝をポンポンと叩いた。
「い、いえそこまでは。……ただその、後日、時と場合を考えた上でならやぶさかではないです」
「ふふっ、言ってくれれば何時でもイイ子イイ子してあげますからね?」
いたずらっ子みたいな顔で言われると何故かそうならない様に頑張ろうと、なけなしのプライドが疼いた。
……しかし、夢のことを心配されると、嫌でも先ほどの事を思い出してしまう。
――私、宿屋の女将さんなんてなりたくない!
「あの……いや、なんでもないです」
「ん? どうかしたんですかロックさん?」
人差し指を顎に当て、んー? と首を傾げる彼女。
――聞くべきではない。
聞く意味もない。答えなんて決まっている。そう理性では否定しながらも、口から溢れる様に言葉を発していた。
「あの……宿屋の女将さんって、なりたくないですよね?」
「――え?」
つい渋面で顔を背け、そんな気まずい質問をしてしまった。答えなんぞ分かっているのに。
不意に彼女と軽く触れ合っている片手の指がギュッと握られた。
「あの……それって……プロポーズ、なんでしょうか?」
「えっ?」
思わず顔を戻す。
彼女が伏せ目がちに顔を赤くし、もじもじしながら恥ずかしそうにしている。
予想斜め上過ぎて意味が分からない。しかし……。
“宿屋の女将さん(俺のお嫁さん)って、なりたくありませんよね?”
――あ。
自分が何を言ったか理解して一瞬で顔が熱くなった。
「いやーあのっ、ロックさんのことは嫌いではないですけど……むしろ一緒にいて楽しいし、尊敬できるところもあって、それに可愛らしい一面なんかも結構……と、というより! いくらなんでも私達まだお会いして二日ですよっ!? いくら何でも気が早――」
「あっ! いやっ! ごめんなさいそういう意味ではなく……その世間一般論で、ですねっ!?」
「えっ? ……あ。そっ、そうですよねっ!? いきなり何を言ってるんですかね私っ!」
「「あはははは」」
お互いにもう、しょうがないなぁ、と笑いながら、誤魔化す。
けれど彼女は視線が合うだけで、モニョモニョ口を動かし黙ってしまい、どこぞのお嬢様の様に赤い頬に隠す様に手を当て、恥ずかしそうに躊躇いがちに視線を伏せた。
そんな普段とは想像もつかない、気品と清楚さを感じさせる恥じらいに目を奪われる。
ただ俺も俺で、触れ合っている柔らかくすべすべした彼女の手の感触を意識してしまって、人生でこんな動揺したことはないってくらい動揺している。
お互い黙ってしまうのは必然と言えよう。
「…………えとっ! ロックさん!」
「あ、はいっ」
「質問の答えですが、正直に言います!」
「ばっちこいです!」
なんだろうこのやり取り。
彼女は息を深く吐いて真剣な顔で言った。
「――私はイヤ、です」
つい手を握りしめてしまった。
「私は宿屋の女将さんなんて、正直なりたくありません。私は道化師をやりたいです」
頭を殴られた様な気がした。何を勘違いしているのかと。
しかし。
そうは言っても分かっていたはずだ。誰が好き好んで宿屋の女将なんて成りたがるのか。
何より彼女は道化師だ。
その彼女の夢を奪って自分の夢を、ワガママを押し付ける訳にはいかない。
「まぁ、そりゃあそうですよね。自分の夢を通すなら、その辺は諦め――」
「だからっ」
だが今度は前のめりになって、彼女の方から手をギュッと握り返された。
「――私は旦那様の宿屋の隣で、世界中から人が見に来る様な素敵なサーカス団を開きます」
「え?」
「そして私のサーカスを見に来た世界中の人達が、旦那様の宿屋に泊まっていくんです。私のサーカスを見てみんな笑って、旦那様の宿で癒やされて、みんな幸せになって帰って行くんです」
何処までも真剣な顔で、真っ直ぐな目で、そう言われた。
「……そんな素敵で、最強で、無敵な、キラキラした夫婦に、私はなりたいです」
ストンと、俺の中でわだかまっていた答えが降りた。
それが何か分からないが、その言葉は俺にどうしようもなく、戸惑いを与えた。
「ロックさん。私はなんでそんな事を聞いたのか、ロックさんが今まで誰に何を言われたのかは、知りません。けど――職業ってそんなに大切でしょうか?」
「え?」
「別に旦那様のお仕事に付き合う必要なんてありませんし、そもそも旦那様が好きだから、一緒に幸せになりたいから結婚する訳で、別に旦那様の職業と結婚したい訳ではありませんよ?」
「それはそうかもしれませんけど……でも、例えば勇者と宿屋なら勇者の方が――」
プルートゥさんは普段とは違い、ころころと可笑しそうに笑った。
「勇者だろうが宿屋だろうが、関係ありませんって。私は王子様に選ばれてお姫様にして貰いたい訳ではありません。それに夢なら自分の力で叶えますし、何より誰かに叶えて貰うものでもないじゃありませんか」
――俺はもし恋人になったなら、夫婦になったなら、俺が彼女達を幸せにしないといけないと思っていた。
それが出来ないから、彼女達より自分を優先したから、それを負い目に感じていた。
「ふふっ、恋する女の子をあまり見くびらないで下さいよ、ロックさん? お人形さんや宝石、トロフィーじゃあないんです。旦那様を支えることも出来ます。けど私のこともまた、支えても欲しいんです。男の子と同じなんです」
それを彼女は驕りだと、女の子を舐めないでくれと、胸を張った。
「そもそも勇者だから、王子様だから好きって、もし事情が変わってその人が勇者でも王子様でもなくなってしまったら、どうするんですかね? そうして相手に勝手に期待して、違ったら文句を言うんでしょうか。それより私は好きな男の子を支えて、支えて貰って、一緒に苦労して喜んで、世界で一番幸せなキラキラした夫婦になりたいです。それで、一日の終わりにその人の隣で、いやぁ、今日も疲れましたねー♪ って一緒に笑い合える人がいいんです」
彼女は微笑む。
幸せにするのは俺ではない。一緒になって幸せになるのだと。
夢も恋も諦めない、二人で幸せを目指すキラキラした夫婦になるのだと。
「だからロックさんはそのままで良いんです。負い目なんて感じること、ないんです。むしろ職業に囚われて、真っ直ぐ夢を追うロックさんを否定する人がいるならきっと、その方は見る目がないんですよ。一方的に愛が欲しいだけのおこちゃまなんです、きっと」
ずっと負い目に感じていた自分勝手な夢。宿屋は馬鹿なことだと。誰にも理解して貰えないものだと。
心のどこかで俺の夢への姿勢を褒めてくれたプルートゥさんにも、幼馴染みのリビアや義妹のシェリーの様に、そういう深い部分では結局、否定されると勝手に思っていた。
けれど彼女は違った。
理解は出来なくとも、その在り方を認めてくれた。
そのままで良いと。恥じることも曲げることもない。
それを聞いて俺は初めて、誰かにこの生き方を許して貰った気がした。
そんな俺の内心も知らずに彼女は最後に、悪戯っぽく少し赤い顔ではにかむ。
「それに――夢を追う男の子は古今東西、女の子にはカッコよく見えちゃうんですよ?」
そういう彼女こそ、人として女性として、同じく夢を追う者として、俺が知る限り誰よりも美しく、そして強く見えた。
「…………なぁ〜んて、ふふっ、ちょっと格好つけ過ぎましたねっ。いやー、流石の私もあの突然の告白はちょっと照れたと言うか……でもロックさんが悪いんですよ? そんな悲しそうな顔で――ってぇ!? どっ、どどどうして泣いてるんですかロックさんっ!?」
たぶん、この彼女との会話は彼女にとって、大した事ではないのだろう。
取るに足らない、夢を持つ思春期の男女の会話。
お互いの理想や苦悩を話しただけの、何処にでもある様なやり取り。
「もっ、もしかして殴られた所が今更痛くなってきたんですか? ああっ、お願いです泣かないで下さいよぉ〜。私、同年代の男の子の泣いているところなんて見たことなくて、どうしたら…………ハッ!? やはりここはイイ子イイ子ですかっ? センセイの教えの通り膝枕ですかっ? あっ! それとも最終兵器のいっそおっぱ……いは……おっ……おっ……っ、それは旦那様以外はダメですってば、ロックさんのエッチ!」
「…………ははっ、はははっ」
けれど。
理解されなくとも、認められることで救われる者もいる。
昨日は張れなかった胸を、今日は張れることもある。
今まで見えなかった景色が、新しく見えてくることもある。
夢は偉大だ。けど結局、こればかりは自分の力で叶えなくては意味がない。
ただ、だからと言って大事な人を犠牲にして良い訳でもない。
――かと言って、大事な人の為に自分を犠牲にする必要もまた、ないのだ。
何より隣に同じく夢に向かって頑張る人や、支えてくれる人がいても、いいじゃないか。その姿勢を何も、何も恥じることなんて無い。
「あの………………だいじょうぶ、ですか?」
気付くとあたふたしていた彼女が心配そうに、上目遣いで身を乗り出し、俺の目元を優しく拭っていた。
涙を止めてくれたらしい。
「プルートゥさん」
「やっぱり、イイ子イイ子します?」
いやそこに戻るんか。
と思いつつ、気恥かしさから目を逸らした。
「お気持ちだけで」
「――でも、いま目が泳ぎましたね?」
目聡く指摘され、俺は咳払いを一つ。
「……いやほんと大丈夫ですから。それより今度はプルートゥさんの話を聞かせて貰えませんか? なに、上のゾンビが動くまでの間です。なんで道化師になろうと思ったのか、どんなサーカスにいたのかとか――」
闇の中。道化師と宿屋の二人きり。
そんな空間が、なぜか今はとても、とても愛おしく感じた。
【時計塔上層 キレ気味な教国軍、総長】
「どうしてこんな事になったんです」
何も問題など起きないはずだった。
隷属魔術の拠点の一つである学園の時計塔。
学園に抵抗している宿屋の倅が侵入した疑いがあるとして、私は万が一の為にここを占拠しているクラフトガンに頼まれこの塔で待ち構えていた。
事実、宿屋の少年はやってきた。
けれど特異な能力は持っていたが所詮、長年教国軍で騎士団を取りまとめていた私の敵ではなかった。途中、かつての部下の息子の裏切り、そして竜人の乱入とトラブルはあったが、私がいる限り問題ないはずであった。
なぜならば私より強い者はこの都市において紅蓮騎士、閣下のみ。
だから逃がした二人の学生も取り立て処分を急ごうとは思ってすらいなかった。
――この時計塔が大きな揺れに襲われるまでは。
「ふざけたことをッ」
私はこの事態の“原因”であろう――取り逃がした二人の学生の首を締め上げる。
「うぐっ!」
「ぐっ!」
一人は太った騎士の少年。もう一人は年齢不詳の骨格の曲がった眼帯の斥候。
既に私は窓から何か叫んでいたその二人を中に引きずり込み、首を絞めて持ち上げている。
「この揺れはなんですかッ! 一体、何を仕掛けた!」
原因は分からないが間違いなくこの二人の仕業。
一体何をしたのか。或いは下で何かやっているのか。
しかも実はそれだけではない。太った騎士の手には、明らかに教国軍の物と思わしき剣。
何の冗談か、恐らくこれがクラフトガンの言っていた疑似聖剣。
――まさか、こんなところに隠していたとはあの男。
実はドラゴニュートの心臓を潰し、部下の息子であるレインバックの首を飛ばした後、クラフトガンから通信用の司祭の花を使って連絡が入っていた。
“疑似聖剣が奪われた! 回収してくれ総長!”
いわく、それは彼の魔力タンクでありゾンビ使役の生命線とのこと。
なんでそんな物が塔にあったのか意味が分からない。けれど破壊されれば、ゾンビ達の復活はなくなるので、よろしくない状況であった。
ただ太った学生の手にある剣が疑似聖剣ならこれを回収し揺れの出所を押えて終いの話だ。
「何を勘違いしているか知りませんが、この私がいる限りこの塔は落ちませんよ。既にあのドラゴニュートも敗れ、愚かなレインバックも死にました。あとは貴方達を殺して、揺れの原因を駆除するだけのこと」
この程度の雑魚に剣を使う必要もなし。
私は魔技で腕の力を強化し、その首をへし折ろうとする。けれど最後の足掻きと太った騎士が、疑似聖剣を振り回そうとするので、先に二人を壁に叩きつけた。
「ぐはっ――」
「ぶっはぁ――」
太った騎士の手から疑似聖剣が落ち、首を堪えていた力も緩む。
「さぁ死になさ――いッ!」
そうして力を加えた瞬間、背後に気配を感じ本能的に魔技を発動させる。
直後、背中にそれも心臓付近に燃える様な激痛が走った。
「いいや、死ぬのはアンタだ。卿――いや、バルトス・メラ元教国騎士団総長ッ!」
――ぬかった。
突き立てられたのは恐らく刃物。
それでも反射的に発動させた魔技により、刃物を強化した筋肉が心臓に到達する前で阻んだ。もしほんの数秒遅れれば死んでいただろう。
「ぶはっ――ぐへっ」
「かはっ――おっと」
同時に首をへし折ろうとしていた二人も思わず手放す。
そんな一歩間違えれば死ぬ状況。けれど私が困惑したのは別のこと。
そう――。
「ッ!? 馬鹿な……首を飛ばしたはずの貴方が、なぜ生きているんですかっ!?」
レインバック。
首だけで振り返ったそこにいたのは、確かにその首を斬り飛ばしたはず人物。
黒髪で整った顔立ちをしたかつての部下の息子がいた。
各人の状況
『学園闘技場』
・ロック(宿屋の倅、ゾンビに踏み潰されるも生きてた)
・道化師プルートゥ(道化師、実はこっそり影の闇を移動してロックの影に入り込んでた出来る女)
『学園時計塔』
・プティン(元パーティーメンバー、デブ、総長に捕縛される)
・眼帯さん(元パーティーメンバー、認識阻害ギフト持ち、総長に捕縛される)
・総長(教国軍元騎士団総長、現状最強)
・黒髪イケメン(本名レインバック、家族の仇が誰か発覚するも死亡、……が蘇生?)
『日本』
・沁黒(暗殺者、ホテルニイザキ 日本機構株主総会会場)