2-8 ロックとプルートゥ
【侯都のとある民家 ロック・シュバルエ】
「じょっきん♪ じょっきん♪ じょっきんきん♪」
「やっ、やめっ、やめろ貴様ぁ! ああっ、やめろぉっ!?」
現在、民家の一つで絶賛尋問の真っ最中である。
危ない効果音と共にノリノリでハサミを閉じたり開いたりしているのは、道化師ことプルートゥさんである。
そして犠牲になっているのは床に座り込んでいる拉致した指揮官さんの体──というより頭髪だ。
柱に縛られている彼の頭の上には、岩か何かに座り前屈みになって項垂れる、犀か何か魔物の形をした髪が出来上がっていた。
「なんですかこの髪型?」
「じゃん! タイトルは“ザ・寝取られシリーズシーズン3 恋人兼幼馴染の浮気現場を目撃し魔の森で一人黄昏る魔獣ビックホーンくん” どやっ」
プルートゥさんかなりの満足顔である。
だがやめて。
そのタイトルは俺のハートに若干刺さる。
「ふざけているのか! 人の髪の毛で何してんだ貴様っ」
「おおっ。厳つい指揮官さんも突如頭の上に現れた芸術作品にニッコリ♪」
「いや激おこですねこれ」
「貴様ら何なのだっ! 私の服を奪った挙句、髪の毛を弄り倒して楽しいのかっ? 何が目的だ!」
なお指揮官さんは現在、裸にマントである。もちろん前は止めてある。
彼の衣服は俺が有効活用させて頂いている。サイズが合って良かった。下着は生理的に抵抗があったので、今いる民家から洗ってある物を一つ拝借させて頂いた。
しかしそれでも……。
「ちょっとこの服臭いかな?」
「人の衣服奪っておいて言うことはそれか!」
まぁこんな感じで大分遊んでいる感はある。
「しかしプルートゥさん思いっきり楽しんでますね」
「いやぁ人様の髪の毛を好き勝手に出来る機会などそうはありませんからねっ。今なら自分でやるには躊躇していた、あーんな髪やこーんな髪がやりたい放題です!」
「さいですか。しかし嫌がらせにはなりますが拷問にはなりませんね。いっそ僕がやりましょうか? 時間がないので暴力ですけど」
捻るよ。
お兄さん、いろいろ捻っちゃうよ。
「いえ、ご心配には及びません。ぶっちゃけ私、拷問なんぞせずお口を割れる出来る子なんで」
「ほお」
「まず頭の中に闇を注入します。闇浸」
「え゛っ」
いきなり彼女は指揮官さんの頭を両手で掴んだ。
「やっ、やめろ。なにを──あ、ああっ、あ、あ、あ……」
するとその手から例の黒いもやが出現し、耳の中から入っていく。
なかかなかにデンジャーな絵面である。
「次に洗脳を行います。あなたは質問に答えたくなるあなたは質問に答えたくなるあなたは質問に答えたくなるあなたは質問に答えたくなるあなたは道化を見たくなるあなたは質問に答えたくなるあなたは質問に答えたくなるあなたは質問に答え──」
こわ。
人力による刷り込みか。
「はいなりましたー。あなたは質問に答えたくなりましたー」
ざ、雑だ……雑だが指揮官の目はかなり虚ろである。
まさか今ので本当に掛かったのか?
「冗談ですよね?」
「いいえ? あとは質問をするだけですよお兄さん。じゃんじゃん、聞いちゃって下さいなっ」
やや半信半疑だが、俺は彼の前にしゃがみ込む。
「お名前は?」
「クルワ・ミト……」
ほ、本当に答えた。
振り返りプルートゥさんを見るとムフーッ、と口角を上げて滅茶苦茶自慢げな顔をしている。ちょっと可愛いのが癪だ。
まぁ自慢げな顔はともかく、これ冗談抜きでちょっと凄過ぎないだろうか?
闇沼? とかいう呪術とか言っていたあのもやに、詠唱をしていないところなど只者だとはやはり思えない。
それに相手をこんな状態に出来る魔術も聞いたことがない。
精神作用はまさに今、教国がやっているらしき節があるとはいえ、人間ができるなど普通ではない。強いて言えば、月の女神様を崇拝している者達にそんな力があると聞いた事があるが、それも大神官とかお伽噺の話だろう。
そう考えるとこの人はB級冒険者という肩書すら、まるで足りない気さえしてきた。
「あ、効果は三十秒もないので手早くお願いします」
「そういうの先に言って!」
俺は手早く質問をまくし立てた。
んで。
「…………最悪だ」
大体の話を大雑把に聞きだした結果、思わず目を覆った。
教国軍に占領されているのは予想の範囲内だ。
けれど都市全体を覆う隷属魔術ってなんだ。ようは本当に集団催眠じゃないか。
しかも完全に掌握したら人間爆弾? 勇者抹殺? 王都自爆攻撃? ヤバイ。あまりにも想定外過ぎる。
「思っていた以上に、とんでもない話になってるな。だから都市に生活観が残ったままになっていたのか」
「……流石のこの道化師も人間爆弾の件はちょっと引きましたね。爆発は道化師としても面白いのでよく使いますが、人々の幸せをその炎で奪うのはただの外道ですよ」
プルートゥさんも今まで初めて見る険しい顔つきになっていた。
「しかし塔の一つを偶然とは言え破壊できたのは僥倖でした。これで教国軍の動きをちょっぴり制限することができましたから」
そうだ。
まさかあの時計塔が魔術の起点の一つだとは思わなかったが、結果的に破壊できたのだから良かったと言える。
問題はそれがあと四つもあるということ。
それに他にもいくつか気になる点はある。
なぜ俺とプルートゥさんが無事だったのか。他の者達は皆、催眠状態になったのに俺達だけが無事だった理由は一体?
とは言え、簡単には思い付かない。俺の場合は時計かも知れないが、彼女はなんだ?
「あの、プルートゥさんは何で催眠に掛かってないんですか?」
「うーん。うーーーん。ちょっと心当たりはありませんねぇ。そういうお兄さんは?」
「僕はあるんですが、正直参考にならないと思います」
真の勇者とその神器がごろごろあったら怖い。なのでとりあえずこれは保留、となれば次にどこの塔を押さえるべきか。
普通に考えればギルドだろう。師匠達を味方に出来れば状況は一気に好転する。
しかしそれは敵も把握しているはず。
「やっぱり学園か……」
正直、俺が知る限りこの都市最強は師匠達である。確かにいつもぐーたらしていたが、クランの支部でも彼等以上の人達は殆どいなかった。ならばそこに最大戦力を置くのは間違いない。
それに何かあってもあの人達ならそんなに心配がないと思っている。
むしろ心配なのは同じ学生たち。
彼等は師匠達とは違う。それに数も多い。全員を隷属させる必要がないと判断されれば、殺される生徒が出てもおかしくはない。
「よし」
まずは学園に──と、その前に確かめねばならないことに気付いた。
俺は立ち上がりプルートゥさんの前に立つ。
「おや?」
「プルートゥさん。俺はこれから教国からこの侯都を奪い返します」
俺の言葉に一瞬だけ目を見開いた彼女だったが、すぐさま目を細め、少女とは思えない妖艶な笑みを浮かべた。
「……不思議ですねぇ。お兄さんは一介の学生らしいではありませんか。確かに現在、この都市はかつてない危機的な状況にございます。けれど、だからと言ってお兄さんが逃げ出したところで、誰がそれを責めることが出来ますか? 答えは否! そう、誰もお兄さんを責めや致しませんっ。なのに、貴方は無謀にも戦うと仰るのですか?」
「いいえ違うんです。そうではないんです。僕は宿屋になりたいんです」
「なるほどなるほ──はい?」
「しかし宿屋をやるに当たって、僕はここで逃げ出せば、宿屋をやっていても心から宿屋が出来ず、お客さんを見る度に侯都の人々のことを思い出してしまう。もしあの時、僕が逃げなければ、侯都で知り合った人達も泊まりに来てくれたんじゃないか、と」
「………………ふむ」
「僕は物事にあまり執着しない人間です。何が正しいのかとかよく分かりません。けれど、だからこそ憂いなく宿屋をやりたいんです」
「だから戦うと? あの、それで死んでしまったらどうされるのですか?」
「幸い僕には切り札があります……が、もし切り札がなくともやります。だって死ぬことを前提に僕は行動してないです。それは皆そうでしょう? それに夢の為に戦うならば、その過程で死んだとしても、それはもう、それじゃないですか」
俺には“時計”、つまり魔王格との戦いという宿命がある。
今は適当な鎖があったのでそれを使って首から下げているコレは俺にしか扱えない。
それと同じ。
世界が滅んだら宿屋なんて出来ないし、何より結局、そんな風に逃げ回って宿屋をやるのが俺は嫌なのだ。
「……」
とりあえずこちらの考えを伝えると、彼女は固まってしまった。
そういえば自分の考えを、人にちゃんと伝えるのは珍しいなと思う。大抵、頭がおかしいヤツとよく思われるので誰にも言ってこなかった。
けれど何故か、彼女の前だと何だか見栄を張りたくなかったのだ。
「……は」
「は?」
「ははははははっ! お兄さん! 最高ですよ! この道化師、今まで色んな方を見て参りましたがっ、これ以上にぐぅの音が出ないくらいに美しくバカ正直に生きておられる方は初めてです! ははっ、そうですよね。そもそも死んだ時のことを考えて生きている人はいないですもんねっ。そう、お兄さんは今、誰よりも本気で、人の為ではなく御自分の為に、御自分の人生を走り抜けているのですねっ」
彼女は何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みで俺の肩をバシバシ叩いてくる。ちょっと痛い。
「いやー、ならば仕方ありません。良き人生! 良き世界! 良き夢の為っ! その為に命を賭ける方を、ああっ、一体どこの誰が止められましょうか! ああ、なんと素晴らしきかな彼の人生はっ!」
いきなり両手を上げてクルクルとその場で回り始めるプルートゥさん。
「いや、なぜそんなに嬉しそうなんですか?」
「え? いやー……だって、その、ちょっと羨ましいんですもの」
「羨ましい?」
彼女は指をイジイジしながら少し照れくさそうに答える。
「ええ……まぁ……はい。お恥ずかしい話この道化師プルートゥ、実は実家が嫌で家出の真っ只中なのですよ。いわば逃げちゃった訳です。でも私と違ってお兄さんは、自分のしたいことをハッキリ申して、その為に逃げるのではなく、それを解決させた上で宿屋になりたいってぇーお話じゃないですか。それは、なんか、いいなぁって……って何を言わせるんですかこのこのぉ♪」
再びバシバシ叩かれる。
一応、照れ隠しなのだろうか?
「ええと、でも夢って言っても宿屋ですよ? 命を賭けるのをおかしいとは思わないんですか?」
「そりゃあ確かに普通の方なら疑問に思われるでしょう。けれどそれがお兄さんの夢なのでしょう? そしてその夢は人を救った上にあるのなら、それは十分に崇高であると私は思いました。そんな夢の為に命を賭ける人間を、一体どこの誰が笑えましょうか。そんな者がいれば、この道化師渾身のパンチが火を噴きましょう! ……こう、シュッ! シュシュッ! っとですね。道化師パンチ! みたいな!」
と、いきなり何もないところを効果音つきで殴り始めるプルートゥさん。
しかし俺はその言葉に、少し、ほんの少しだけ何故か泣きそうになった。
「あ…………ありが──」
「──という訳で、この道化師も一緒にお手伝いさせて頂きますね」
「えっ?」
俺が湿っぽくお礼をいうより早く、素振りをやめた彼女が下から覗き込み微笑んだ。
「あらためてわたくし道化師プルートゥと申します。各地を旅して道化を演じておりますゆえ、以後どうかお見知りおきを」
彼女はその場で一回転するとキザったらしい貴族の様に深々と一礼する。
「…………」
一方的に言われ言葉を失っていると彼女は急に顔を上げて、いきなり屈託なく微笑んだ。
美少女だ。美少女がいる。
冗談めいていると気にならないが素直に微笑まれると、天使の様に可愛らしくこっちが緊張する。
「ぁ──はい。ロック。ロック・ムラマツ・シュバルエ。宿屋の倅で学園ではポーターやってます。得意なのは時空間魔術。将来の夢は宿屋です」
「ロックさん♪ うんっ。覚えましたよ」
彼女はニヤニヤしながら手を差し出した。
「さ、お手を拝借」
何だか思いっきり振り回されている気がする。それに結局、彼女の正体は全く分かっていない。が、それでも彼女は何故か憎めなかった。
なるほど。これが悪女か。
「……こちらこそプルートゥさん」
でもなんだか、長い付き合いになる様な気がする。そう思って俺は彼女の手を握った。
第二位階到達──時間加速、空間作成を発現。
「──え?」
その瞬間、かつて時計を発動させた際に聞こえた声が聞こえた。
「どうかしましたか? あれ、まだお手分離マジックしてないんですけども……おーい、ロックさぁーん?」
は? なんで?
今なぜ、第二位階に到達した?
俺はただ、目の前のプルートゥさんの手を握っただけに過ぎない。
むしろ先代は確か神殿で原典を回収しろって言っていたはず……なのに、なぜ?
「プルートゥさん……あなたは」
「はい? ──って、ロックさん失礼!」
だが突然、彼女がその場で一回転して俺の側面に回し蹴りを叩き込んでくる。
ぐっ──何を。
吹き飛ばされた時には、俺の元居場所を真っ黒い何かが通過した。
棘だ。
黒い棘が通過し、プルートゥさんを串刺しにした。
「なっ、プル──」
「なんじゃい。こっちは偽物か。裸マントではないではないか」
真っ黒い棘が刺さり吹っ飛ばされていった彼女の後に、小柄な黒衣が着地する。
その手には生首。
他でもない、先程まで尋問していた隊長の生首がその手に掴まれていた。
いつの間に──。
そんな感想が口から出るより早く黒衣の隙間から再び無数の棘が飛び出して来た。
「くっ、時間遅──ぐはっ!」
飛び出してくる棘を時間遅延で遅くするも、背後から鈍い衝撃が走った。
「ちっ」
聞こえてきた舌打ちに振り返ると、前から棘を打ち出していた黒衣が短刀を持って何故か背後にいた。
いつの間に……ってか目の前にいるあれは何だよっ?
けれどそいつの短刀は俺に刺さる寸前で、道化師にステッキに阻まれている。
「道化師を驚かすなんて厄介な御方ですねぇ!」
棘に貫かれたと思ったプルートゥさんが横からその一撃を阻止していた。
「プルートゥさん!」
「おかしいのぉ。小娘を殺した手応えはあったんじゃがのぉ?」
そういって笑いながら黒衣がはためく。
するとその影から新たな黒い棘が盛り上がる。
それを見た瞬間、俺はプルートゥさんの胴に手を回して強引に引き寄せて横へと飛んだ。
「いやんっ♪」
「時間遅延解除!」
と同時に俺の背後で、最初に襲って来た緩慢な動きとなっていた棘達が加速する。
「ぬっ!?」
俺達を追撃しようとした棘と黒衣を、時間遅延から解き放たれた棘が空中で呑み込み、さらに民家を破壊して外へ吹っ飛ばす。
死んだのか?
「ちっ──しかし、なるほどのぉ」
だが大穴が空いて外が見える様になった民家から顔を覗かせると、対面の建物の屋上に黒衣がいた。
「やはりお主じゃな……術は異様、腕は凡庸、仕掛けは奇天烈、お主はなんぞ?」
「……見習い冒険者。宿屋の倅。ロック・シュバルエ」
その小柄な影は顔の布をずらし、しわくちゃの顔でニヤリと笑う。
「ほぉ、宿屋か。……まぁ主もまともではあるまいて。元皇国六武将が一人、沁黒。ま、知らんか。短い付き合いになるだろうが、少しばかりこの爺と遊ぼうぞ?」
東方から来た異色の暗殺集団“沁黒”。その名を冠した老人は愉快そうに嗤った。