2-1 奪われた侯都
【侯都ヴォルティスヘルム 商業ギルドの組合長タロン】
「野郎ども! 収穫祭の準備はいいか!」
『おおおおおおっ!』
俺、タロンは侯都ヴォルティスヘルムの商業ギルドの組合長をやっている。
今日は毎年この時期に次々と運び込まれる作物の無事を五大女神様に感謝する収穫祭。
その準備を取り仕切りようやくその準備が終り、いよいよ夜を待つだけとなった。
今は携わった者達を労うべく、俺は大通りの中心にある広場に設置されたちょっとした仕掛けのあるカボチャ、そのハリボテの上で叫んでいる。
「今年は戦争があるせいで食い物は最低限しか出せねぇ上に、組合員の奴等も何人か避難しちまった。そんな中でも、こうして準備が出来たことを俺は誇りに思う!」
今年は正直、開催がかなり危ぶまれた。
なにせ今後もし教国軍がここまで来る事になれば、篭城戦という可能性もある。
また王都からと、公爵領からの軍隊が来れば、穀物類はだいぶ買われていくだろう。
だからとにかく侯爵様からは備蓄の解放を制限されている。
さらに毎年祭りを手伝ってくれる商業ギルドの組合員達も多くが避難してしまった。
残っているのは、ここに店を構えるヤツや、故郷の人間、或いは今こそ商機と考える様なやつしかいない。
それでも今の暗い都市の雰囲気を払拭したくて俺達はその分、このカボチャの仕掛けや足場を繋ぎ合わせた空中回廊、さらにはとっておきのサプライズ、そして酒に力を入れて頑張った。
「実際、一部からは全部備蓄に回した方がいい、そんな話も出た。だが! それでも暗い話があるからこそっ、俺はこの祭りをどうしても、例え飯類は出せなくともやりたいと思った! そしてお前等のおかげで、こうして準備までこぎつけられたことに感謝する!」
『おおおお!』
「その代わりに酒はいつもの倍はある! さらにとっておきのこのカボチャの仕掛け、そして何より……今回は超カワイ子ちゃんのサプライズゲストを呼んであるぞおおおおおおおおお!!!」
『うおおおおおおおおッッッ!!』
へっ。今まで一番の反応だぜ。
「詳しいことはまだお前達にもまだ言えねぇが、カミさん達が子供と寝静まった後に夜遅くに、おっぱいのでかいカワイ子ちゃんのワンマンショーを準備してある。弛みきったカミさんじゃねぇ、ピチピチの美少女よ!」
「うおおおおお、タロンッ! タロンッ! タロンッ!」
むさ苦しいオッサンの組合員達が俺の名を連呼する。
現金なものだ。ま、俺も楽しみだけどなっ!
「そういう訳でカミさん達は上手く酔い潰し――」
「へー。お父さん、そんなものを用意してたんだ」
「てぇっ!? りっ、リズぅ!?」
いきなり、隣から冷めた少女の声が聞こえて振り返ると、空中回廊に表情のない愛娘が立っていた。
「い、いや! リズ、これは……」
「お母さんには夜にそういう催しがあるって伝えておくね。あ、あと組合員の奥さん達が炊き出ししてるからそっちちにも」
「待ってくれリズ! サプライズは別にエッチなもんじゃなくてだな、場を盛り上げる道――」
――ゴォーン。
え?
俺は思わず聞こえた音に振り返る。
それはこの広場にある空中回廊の支えにもなっている塔、日に三回時間を知らせる、時計塔から聞こえる鐘の音だ。だが。
あれ? 今って昼でも夜でもないよな?
俺はリズと一緒に思わず塔の方を向こうとするが……。
――体が動かん!?
まるで自分の体が自分のものではない様に、体が動かない。
視界に入っているリズも、体が動かなくなっているのか、固まっている。
“見YU”
不意に脳に直接、地の底から響く様な人とは思えぬ声が響いた。
するとどう頑張っても動かなかった体がその指示に従う様に勝手に動き始める。
広場の下にいた他の組合員や、屋台をやっている連中、遊びまわる子供ですら、同じ様に無言で空を見上げた。
――っ!
空に映ったのは、ぼやけたローブ姿の何か。
心臓を鷲掴みされた様に背筋が凍り付く。
そのクセ心臓は自分でも分かるくらい、破裂しそうな程に波打っている。
まるで竜に睨みつけられている様に全身の筋肉が硬直し、自壊までする程の恐れ。
――死。
それは死という存在を人の形にすれば、きっとこうなのだろうという、強烈な本能から拒否する恐怖の塊であった。
それでも俺達が直視できるのは、それが何故か酷く霞んでぼやけているからだ。
もしあれが霞んでおらず、もやもなければ、きっと直視した途端――死ぬ。
“わrYがZuY僕UO”
“死”が何か口に出した直後、自らの体と今意識を持っている自分とその二つを繋ぐ決定的な何かが切れた。
――え……えっ、ま、待て。何が、お、俺の体はどうなっている!?
不意に何故か自分がこの目で見えた。
そう、まるで自分の体が自分のものではないかの様に、俺は今、自分の事をその背後の高い所から見下ろしている。
『――侯都ヴォルティスヘルムの市民の皆様。初めまして』
混乱する俺の耳に今度は塔から軽い感じの男の声が聞こえる。
同時に気付くと上空の“死”は綺麗さっぱり消えていた。
何が何だか……。
だが塔から聞こえる男の言葉は、俺達の一瞬の安堵を否定し地のどん底に叩き落すものだった。
『あなた方の“体”は、我々教国軍が支配致しました。もうその“体”はあなた方の所有物ではなく、我々のものです』
教国軍。
理解するのに数秒掛かった。
なぜ未だ国境で戦っているらしい教国軍がいるのか。なぜ教国がそんなメッセージを伝えているのか。なぜ俺達の体は動かないのか。
そうしてその言葉を噛み砕き、理解した時に、自分達が今、どんな状況にあるのか絶望と恐怖と共に悟った。
――俺達は戦わずとして大事な人も自らの体も、そして故郷までも、その全てを奪われたのだと。
【侯都ヴォルティスヘルム 学長リース】
「なっ、い、ったい……これっ!?」
それは学園に備え付けられている闘技場で、長期休みにも関わらず学園に残った学生達による、合同訓練中のことでした。
突然、学園の敷地内にある塔の一つの鐘が鳴ったと思ったら、私達は体の自由を失い掛けました。
そして上空に浮かんだ“死”。
あれが一体なんだったのか、その答えを得る間もなく消えました。
しかし今度は塔の鐘から、教国軍を名乗る男がいきなり私達の体を支配したなど、のたまわってきます。
「ぐっ――から、だ、がっ」
「おい、学長!? みんな、一体全体どうしたんだっ! 何がどうなってるんだ!?」
一人だけ、プティンと名乗る顔の濃い丸っぽい騎士だけが、平気そうに困惑しています。
様子を見るに他の者達の半数がその動きを止め、本当に体を支配されている様でした。
「こん……なっ……ものぉ!」
けれど、私は違います。
これでも学園二番手を自負するこのメイド、訳の分からないもので乗っ取られる程に、弱くはありません。
「だい……じょ……ぶ、ですッ!」
正直、筋肉が自分の体ではない様に動くのを拒否してきます。
さらに先程から警鐘を鳴らすかの様に、頭がひっきりなしに痛みます。
――ゴォーン。ゴォーン。ゴォーン。
原因は一度ではなく、執拗に鳴り続けるあの鐘に違いありません。
あれが鳴る度に痛みが襲ってきます。
「プ、ティンさん……でしたか……」
「あっ、ああそうだ! 大丈夫なのか!?」
「大丈夫……では……ありませんっ。が! 一緒にあの……鐘を破壊……しに」
「――馬鹿が。行かせる訳がねぇだろ」
声のした方を見ると、そこには一人の、潰れた帽子を深く、深く被ったよれよれの外套姿の男がいました。
彼はポケットに手を突っ込み、手に持った大きな杖を払って詠唱を上げます。
「……示せ、今こそ顕在の時――起きろ、目覚めの時間だ」
そういうと突然、闘技場の外の地面が盛り上がります。
「BYUOOOOOOOOOOO」
人。
否、死人。
「ぞっ、ゾンビ……死霊魔術師かっ!」
隣で驚く騎士プティン。
「だがゾンビの一匹や二匹――え」
けれど。
盛り上がる土の量が爆発的に増加していきます。
その数は瞬く間にここにいる学生の数すら超え、やがて這い出た百を超える腐乱死体が、続々と闘技場へと上がって来ます。
「な、なんて数を一人で使役してやがるあの男っ」
異次元の使役数。
普通の死霊魔術師はできて十から二十。ゆえに際立つ帽子男の脅威。
けれどだからこそ、男の正体が読めます。
「貴方……教国軍っ!」
「それ以外にねぇだろ阿呆が。クラフトガンだよろしく。そら、こいつもだ――」
さらに男がそういうと、上空に不意に影が掛かりました。
頭痛と筋肉の痛みに抗いながら、上を向こうとした直後、それは降って来ました。
――ガシャン!
異様な音と共に突如、校舎に匹敵する大きさの巨大髑髏が、ここ決闘場に降り立ちました。
「さぁ、一体一体は大したことはねぇ。精々頑張れよ」
そういうと巨大髑髏とゾンビ達がロクに動けない私達に一斉に襲い掛かってきました――。
【侯都ヴォルティスヘルム 冒険者ギルド 魔女師匠】
「やって…………くれたわねッ!」
まさに死屍累々。
ギルドの中でいつも通りロクに依頼もせずに暇を潰していたぐーたらな私達は、あの鐘と宣言によって、全員が殆どが動けなくなってしまった。
――いや、それだけじゃない。
ギルドに併設された酒場で皆が飲んでいたエール。
私がこれを口にした瞬間、薬品を感じ取ったのだ。
ただ毒物ではない。それならば他のB級冒険者なら一口目で気付く。
彼等が分からなかったのは、これが体の坑魔力を下げる、魔術師くらいしか知らない薬だったからだろう。
――全員、エールを吐き出しなさい!
そう叫んだ直後だった、あの鐘が鳴ったのは。
おかけで高レベルの者でもエールを呑んでいた者は全滅。酒場の主人や受付嬢の子までやられていた。
無事だったのは数えるくらい。
私も流石に体の支配権は持っていかれなかったが、ガンガンと頭が痛む。
それに堪えて鐘が鳴り続ける塔を破壊しに行こうとした時だ。
「おや? まだ抵抗致しますか。気概は買いますが、すでに薬は回っており、魔術はその体に作用し続けていますよ」
このイヤミな初老の紳士がギルドに入ってきたのは。
私達の前に立ち塞がったコイツは明らかに私達より一つ上の化物。
――恐らく、S級。
B級上位を自負しA級にもその気になれば上がれると思っている私でさえ、まともに戦えば勝てないと思ってしまう剣術の達人。
なにせエールを呑んでおらず多少動けた騎士くんと貴族のチョビ髭親父が、二人して瞬時に制圧されたのだ。
冷徹を体現した様な顔の男は、足元に倒れる二人を足蹴にして私に近付いてくる。
「このギルドで一番強いのはあなたでしょうね。しかし前衛のいない魔術師が、まさか自分に勝てるとでも?」
そういった瞬間、男の体が溶ける様に煙となって消えた。
「遮音へ――ガッ」
自分が一番信用する稀少な音魔術。
それの第一位階を無詠唱で行使しようとするも、それさえ許されず、私は首の痛みと共に意識が薄れていく。
「ロ――ッ――ク――」
――逃げて。
最後に過ぎったのは、あの幸薄そうな私達の愛弟子の姿だった。