1-23 神鉄結界
三人称です。
【学園序列三位 レインバック】
ロック・シュバルエが地下で困惑していた頃、別な青年もまた困惑と怒りに包まれていた。
「何故だ。何故、俺ではないのだっ」
ただただ混乱しながら侯都の通りを歩くその青年――ロックが内心で“黒髪イケメン”と読んでいる男子学生――には、人生を賭した使命があった。
今は亡き母、父、そして妹の為にも必ずや御家を復興する事。
――必ずや騎士として、アルス家の誇りを取り戻す。
それか政争に敗れ祖国を追われ、両親と幼い妹の命も守れず、ここ王国へ一人亡命した彼の宿願であった。
その為に彼はかつての名前を隠し、ただのレイという冒険者科の学生として、息を潜め腕を磨いてきた。
そんな時だ、彼が学年末の試験でユースティと出会ったのは。
この都市の姫であるユースティ・ヴォルティスヘルム。
もし彼女と縁を結ぶ事が出来ればそのまま侯爵家の一員となり、爵位を分け与えられる公算が高い。そうでなくとも目に止まりさえすれば、騎士として召抱えて貰う事も十分にある。
――俺ならば彼女に選ばれる。
彼はこの様なチャンスの為に今までこの歳ではなかなかお目にかかれないレベルまで技量を上げ、模擬戦の序列でも上位にまで登り詰めていた。
最もそれでも勝てない者達は存在した。
一人は学園最強の呼び声高い、神速のメイド。
もう一人は魔術、魔技、ギフト、全てにおいて才能を持つ、微笑みの君。ロックのいう優男である。
この二人は年上でも何でもない同年代。にも関わらず一度も勝てた事がない。それが己の限界を見せつけている様で、彼はいつもイライラさせられていた。
だが極端な話、この二人はギフトを持つ異端児だ。そう思えば、仕方ないと越えられない壁にも納得できていた。
けれど彼は出会ってしまう。ユースティと共にそれすら覆す存在に。
「なぜポーター如きが、彼女にあそこまで気に入られたッ」
ロック・シュバルエである。
彼にはロックがユースティに気に入られた理由がまるて理解出来ない。……最も理解できる人間は誰もいないのだが。
実際この時代の異性、特に男性のステータスとなる四つの観点から見ても、ロックが魅力的かと言われるとやはり疑問符が残る。
それは主に地位。容姿。金。そして力だ。魔獣や魔族が存在し、犯罪組織も少なくない、命が軽いこの世界において力は、重要なアピールポイントなのである。で、ロックはどうなのかと言えば。
地位、宿屋。
一体誰が喜ぶのか。
容姿、幸薄そう。
見てて何処か心配になる。
金。
貯金は得意だが収入低し。
力、下の上。
何処にでもいる有象無象。
「なのに何だあの、溢れんばかりの姫の好き好きアピールは」
にも関わらずロックを見るユースティの浮かれっぷりは見ていて恥ずかしくなるくらいだ。
ただこの時、ユースティ本人は自分自身の感情を全く理解してはいなかった。
それが果たして恋なのか、感謝なのか、尊敬なのか、友愛なのか、本人も分からず感情の赴くままに接しているだけ。恋愛未経験者の弊害と言える。
「恋人か何かか!? 俺への当てつけなのか!」
だが本人が理解していようがいまいが、種類は別としても、あれだけ年頃の異性に好意を振りまいていれば否が応に憶測を呼ぶ。
その結果この青年は悶絶するハメになっているのだ。
「くっ、このままではせっかくのチャンスが……高飛車な感じは受けが悪いんだろうか」
そんな懊悩を抱え実は少しだけ意識して作っている、自身の俺様系キャラを変えようか、ちょっと迷いながら侯都を歩いていた時だ。
「おっと」
「っ、失礼」
すれ違い様に人と軽くぶつかった。
ただ相手も謝罪してきた事もあり、特に気分を害する事もなく顔を向けた。
「――え?」
そこで彼の動きはそこで止まる。
「お久しぶりですね。亡命された時、以来ですかなレインバック君?」
立っていたのは老紳士。
白髪交じりの黒髪をオールバックにした、老人にしては姿勢の乱れ一つない、鋼の様な体の男。
また、かつて青年を王国へと亡命させてくれた恩人。
「な、何故ここに卿が――」
「貴方を探しておりました」
目の前の人物はかつての故郷で世話になった、もう一人の父とも言える。
自分の父親の師匠にして、自分を一人この国に亡命させてくれた唯一信頼出来た人。そしてそれが出来るだけの地位にいる軍人。
けれど老紳士はかつて言ったはずだ。もう二度と自分と合うことはないと。
何より彼がこんな所にいるはずがない。なぜなら彼の地位は――もし、もし目の前の男が本物であるならば、むしろそれは――。
「レインバック君」
一瞬混乱し掛けた青年は、老紳士に本名を呼ばれ我に返る。そこにいたのは彼を圧倒する迫力を持った、かつて絶対に敵わぬと思い知らされた男。
「もう一度あなたの祖国、教国で騎士に返り咲きたくはありませんか?」
そんな恩人の顔は昔の思い出と全く変わらない、けれどそれ故に何処か作り物めいていた。
明らかな異様と心から欲する対価。――人はそれを時に悪魔の囁きと言う。
【侯爵チェスター・ヴォルティスヘルム】
一方、ロックとは別の地下でも一人の男が覚悟を決めていた。
「――ずっと。ずっとあの日から私は考えていた」
白髪を刈上げた体格の良い老人が、薄暗い地下へと続く螺旋階段を降りていく。
男の名はチェスター・ヴォルティスヘルム。
この侯都を治める侯爵その人である。
彼は公爵家から送られてきた魔蠍の使者と騎士達を連れて、侯都中央にして大通りの十字路脇にそびえ立つ侯城、その地下へと続く階段を歩いていた。
「この体の火傷の痛みをどうにか癒やす方法はないのか、と」
チェスターは拳を握る。脳裏に過るのはあの、全てを破壊し燃やし尽くした惨劇。
彼の身体には重度の火傷の跡がある。
奇跡的に助かったが、そのせいで多くの部下、仲間、上官が死んだ。もっと言えば、ただ自分は見逃して貰っただけ。
それを誰よりも分かっているチェスターは、この火傷をもたらした者――紅蓮騎士を遥か昔に初めて見た時から、彼の心の底には拭えぬ恐怖がこびりついてしまっていた。その人生を狂わす程に。
「そう。かの紅蓮騎士の忌まわしき記憶を消し去る為には、どうしたら良いのか」
やがて螺旋階段を降りると巨大な扉の前が現れる。
チェスターは後ろへ振り返り魔蠍の男を見た。
「この扉の先にその答えがあるのですか?」
「ああ」
紅蓮騎士。
その存在は王国では疑問視されている。だが実際は教国が誇る最強騎士。そしてかつて存在した公国を崩壊へ追い込んだ、戦略兵器。
それに対抗する為にチェスターは二十年もの歳月を掛けてこの都市で改造した。
「つまりヤツの放った天より降り注ぐ人外の魔術、隕石をどうすれば防げるのか……その答えがこれだ」
チェスターはそう言うと地下室の巨大な門を警護していた騎士達に開けさせる。
その空間には巨大な甲殻を持つある種、陸生の海老の様な魔物が部屋の中央に捕らわれていた。
「これはクイーン・スリザン……まさかSS級の魔物が……しかし、これは生きているのか? いや、死んでいる?」
「どちらでもない。このクイーンに意識はない。だが魔石はまだ体内にあり、その最大の特性であり世界で最も硬いと言われる神鉄結界も発動できる。そして絡まっている鎖はとあるダンジョンから見つかった魔導具。その鎖全てがこの都市に描かれている魔法陣に繋がっている」
魔蠍の男が良く見ると確かに鎖は地面から生えている。
だが魔法陣は何処にもない。
「侯爵、魔法陣は一体何処に?」
「――この都市の地面全て」
チェスターの言葉に、流石に魔蠍の男も絶句する。
「……どういう事でしょうか」
「侯都ヴォルティスヘルムは、そのまま魔法陣となる様に改造が成されている。侯都内にある五つの塔を結び、巨大な魔法陣にクイーン・スリザンの持つ、防御結界を転写させる事で、都市一つを丸める覆い尽くせる巨大な神鉄結界を作り上げる」
「なんと……これは、凄い。魔物一体ではなく、都市全体を覆うとは。いや、何より魔物の特性を魔法陣を介して再現するなんて……」
「帝国から亡命した研究者がいてな。たまたま半死半生のクイーン・スリザンを手に入れた際に、代々受け継がれてきた資産の殆どを投資し、二人で二十年掛けて作り上げた」
チェスターは自慢する様子もなく、むしろ、何処か狂ったかの様な瞳の色で断言する。
狂気。
魔蠍の男は侯爵からその気を感じ取った。
「もし仮に紅蓮騎士がこの都市に攻め入ったとしても、決して落ちんよ。あらゆる攻撃は神鉄結界に阻まれる。たとえ、たとえ……かつて私が率いた部隊を公国ごと消し去った隕石であってもだ……っ!」
その話に騎士達は何処か誇らしく、何処か安堵した様子で侯爵を讃えている。最も侯爵はやはりあまり嬉しそうではない。
ただこの時、魔蠍の男だけは全く別な事を考えていた。
――なるほど。ウチの上層部がこの都市を占領しようとした理由は、これか。
彼は侯爵や騎士達を眺めながら口角をほんの少し。ほんの少しだけ吊り上げた。
「だがそれでもなお、万全とは言い難い。たとえ勇者様がいらっしゃろうともだ。……で、私が貴公にこれを見せた意味、分かるな?」
「ええ。ええ、分かりました。これを私に見せて頂いた以上、もし仮にあと一週間もして紅蓮騎士率いる教国軍が攻めてきた場合、全力で魔蠍は候都ヴォルティスヘルム防衛に協力させて頂きます」
現在、国境の戦線は意外にも膠着しているという。そうなればここ教国軍が来るにしても、猶予はまだある。だがもし紅蓮騎士が本気になれば、戦線など無きに等しいのだ。
だからチェスターはあらゆる保険を掛ける。それが最善かどうかは別として。
こうして狂人と男は密約を交わした。
しかし。
「――と、言いたいところですが私が魔蠍の人間というのは真っ赤なウソなので意味はないですね」
そう男が笑みを浮かべると侯爵が眼を見開く。
「もっと分かりやすく言えばそもそも私って教国軍なんですよね。ああ、この顔ですか? この顔はね――お化粧ですよ」
そういうと男は自らの顔の皮を剥ぎ取った。