1-22 別れの予感(物理)
一年前に俺の実家が戦火に巻き込まれたあと、いろいろと一緒に仕事を探してくれたのが当時の他人であるユーノ先生だ。
その先生との久々の再会からしばらくして、俺達は人がごった返し活気に包まれる侯都の大通りを歩いていた。
「――へぇ。それで調査の結果、犯人は反王国を掲げる地下組織だったと。目的は身代金。君も巻き込まれて大変だったね」
雑踏の中、俺の隣を歩くのは薄べったい大きな荷物を背負う、おっとりした感じの背の高い縮れた赤毛をしたユーノ先生。
「そうなんですよ。いやぁ、ユースティ様も身代金目当てで誘拐されかけるなんて、可哀想ですけど、巻き込まれる俺もたまったものじゃあ、ありませんでした」
これは先程、学園長らしき人から聞いた話だ。
何でも騎士達の調査の結果、沁黒を雇ったのは昔から問題になっている反王国的な地下勢力らしく、ユースティ様の身代金目当てだったらしい。最もその勢力は既にこの都市を離れ、現在他の都市等と連携して捕縛を試みているそうだ。
あと調査隊によって陸竜アロにくわえて沁黒達の死体も確認されたそうで、俺達の軟禁も無事に解除。試験結果についても特例で最高評価での合格扱いとなった。
これでこの件はお終い。
そんな折に先生と再会したのだが、先生はこれから何処か出掛けるらしく、近況報告を兼ねて一緒に来ないかい? と誘われ、俺も付いてきた感じだ。
「それでロック君。お金の貯まり具合はどう?」
「うっ――とりあえず当座の資金は確保してます。ただ、金貨には程遠いですね」
「そっか。流石に進級は無理か」
「はい。でも師匠もいっぱい出来ましたし、この都市で色んな人と出会えましたから、案外冒険者になって良かったなと思います」
「それは大きな収穫だね」
「ええ。人として、宿屋として、レベルが上がった気がします」
「そ、そっか。君も相変わらずだね」
褒めてるのか貶してるのかよく分からない返事が返ってきた。
「しかしこれだけ賑わっていて、収穫祭の準備も万全だったのに……なんか勿体無いよね」
先生は大通りを見ながら、残念そうに呟いた。
――大通りは都市の経済規模を表す。
そんな事をルームメイトの教授が言っていたが、この大通りを見れば良く分かる。
整備された歩道に賑やかな商店。その店先や家々も収穫祭の飾りで彩られ、その真ん中の広場には周囲の建物並の巨大さを誇る機械仕掛けのカボチャの飾りが君臨している。そこから周りの建物に橋が伸び、人々が縦にも横にも溢れ、一年の収穫を祝い準備は十分そうだ。
けれどこの賑わいは収穫祭によるものではない。
賑わっているのは教国との開戦に伴い避難する人や商人、つまりこの都市から逃げ出す人々である。
「王国は教国と事を構えるらしい。おかげで多くの人が避難するから、収穫祭もお流れ。まぁ仕方ない事だけど……君はどうするんだい?」
それは、ルームメイトの教授やネーサンの様に避難するのかという質問だ。
「師匠達からは軟禁が解けたら護衛依頼受けて、事態が沈静化するまで東で修行して来いと言われました。どうせヤバくなったら学生は全員他所に逃されるって」
「そうだね。もし本当に戦火が及びそうなら、学生は全員退去する事になっているから、僕も早めにこの都市から離れる事をオススメするよ」
「先生は残るんですか?」
「うん。まぁ学生の中には伝手のない子もいるから危なくなったら面倒見ないと」
先生もいろいろと大変そうだ。
「あっ、なら先に渡しておこうかな。本当はこれを売って学費の足しにして貰おうと、君にあげる為に用意したんだけど……」
そう言うと先生は背負っている荷物を指した。
「えっ!? そんな悪いですよ! ってか、それ何なんですか?」
先生は「まぁまぁ」と言いながら道端に寄り、荷物に掛かった布を外す。
「これは……絵ですか?」
それは一枚の絵画だった。
何処にでもありそうな村の、春の収穫を色彩豊かに描いた絵であった。幸せそうな村人達、豊かな自然、暖かそうな日差し。そして手と手を取り合う田園を駈ける二人の少年。見ていると何とも幸せになってくる絵だ。
絵については分からないが、もしかしたらこれはさぞ有名な先生の作品かもしれない。
「実はこれ、とある画家が五年の歳月を掛けて描いた作品なんだ。これを売って路銀の足しにすると良いよ」
「五年も……え、もしかしてこれ凄くご高名な人の作品? あの、そのとある画家って一体誰なんですか?」
「ボクだよ」
いやアンタかよ。
「え? じゃあ自作?」
「うん。絵が昔からの趣味でね。これは学園の教師用の住居、塔から見える北の農村を書いたんだ。大丈夫、自信作だからね。銀貨数枚くらいにはなるよ!」
そういってユーノ先生は美術商らしく店のドアを開いた。
「ゴミじゃな」
「…………………」
「…………………」
美術商の爺さんは、先生の絵を念入りに鑑定してそう断言する。
「ま、出せて銅貨三枚じゃ」
先生は呆然としたまま、反応がない。
一方、俺は俺でめっさ気不味い。
「ま、待って下さい。いやいや、流石に銀貨一枚くらいにはなるでしょう?」
ようやく我に返った先生がだらだら汗をかいて縋る様に尋ねた。
「いや、普通に無理じゃろ。絵の具の塗りが甘い。人物の表情が崩れとる。奥にある溜池との距離感が間違っとる。そもそも油絵の基本も幾つか間違っとるぞこれ。師匠がいない独学の画家の絵。何より一番の問題は色彩じゃな。色使いがどれもこれもおかしい。お主、ちゃんと色を認識出来ているのか? 他にも……」
これは、辛い。
次々とダメ出しされる度に、反論の一つも出来ず、先生の表情から精気が抜けて行く。生徒の前で大見え切ってこれはあまりに悲惨……。
俺は先生がよろけそうになるのを支え、店主に訴える。
「わっ、分かりました! 分かりましたからもう許してあげて下さい! 銅貨五枚でもういいですから!」
「そうか? まぁいい。不審に思うなら他所の店にも持って行ってみるといい。どうせ同じ事を言う……ってか小僧、何ドサクサに紛れて二枚増やしとる」
「まぁまぁ、初見さんなんだから、それくらいサービスして下さいよ。そっちだってゴミとか言いながら、多少は吹っ掛けてるんでしょ。ね?」
「ちっ。しょうがないのぉ。基本はなってないが赤の使い方だけは良いし、下手は下手なりに雰囲気も悪くはない。馬鹿なら騙されて買うだろ」
そう言って爺さんから銅貨五枚を受け取り、心ここに在らずの先生を引っ張って美術商を出た。
再び表通りに二人して戻ったのだが。
「死にたい…………」
物凄く気不味かった。
五年掛けた会心の絵を二束三文で買い取られたユーノ先生はぐったりしている。
「元気出して下さい。僕は綺麗だと思いましたよ、あの絵」
「ふっ、ふふ。ありがとう。そう言ってくれると救われるよ。それにしても情けない所を見せちゃったね。これ、あらためて僕からの餞別だ」
そういって先生は外套から銀貨の入った袋をくれる。
「……えっ!? いえっ、こんなに貰えないですよ。僕はさっきの銅貨五枚で十分です」
「いいからいいから。どうせ東に行って戻ってきた頃には君は退学扱いだから実質お別れだ。下手をしたら二度と会えないかもしれない。それに結局、教師らしい事は何もしてあげられなかったからさ。ちょっと早い卒業祝いだと思ってよ」
いいのだろうか。だが断るのも悪い。
俺は逡巡しつつも、差し出された袋を受け取った。
「じゃあ、頂きます。ありがとうございます」
「うんうん。学生は素直が一番だ。じゃあ僕はまだ仕事があるからもう行くね」
「はい。……あの、先生もお元気で!」
「うん。君もね。いつか君が宿屋を開いたら、泊まりに行くよ」
「はい! 最上級室空けて待ってます!」
先生は手を振りながら雑踏に消えて行った。
そうして一人になると、先ほどのやり取りを思い出す。
「……別れかぁ」
そうなのだ。俺がもしこれから東へ行くと、この都市で会った人達とはきっと、そのまま別れる事になる。
――魔王を倒せ。
恐らくだが、近頃現れたという魔王が本物ではないと知っているのは、エルフと竜族関係を除けばたぶん俺しかいない。
そして本物が現れれば戦えるのも俺だけらしい。
ならば早急に鍛えなければならないのは明白。特に先代勇者っぽい男は、いずれは時計に頼らずに全ての時空間魔術を使いこなせと言っていた。
その為には各地の六大神殿を巡る必要と、その力を使い熟す技量を持たなければならない。しかも学園は退学となるし、この都市に留まり続けるのは決して良い事ではないはず。
「はあ。とりあえず虹羽に報告しに行こ」
俺は雑踏から路地に入り、クラン虹羽の侯都支部へ向けて歩き出した。
そうして、何度か路地を曲がった時だ。
――ズボッ。
「えっ」
真っ暗になった。
路地に入った直後、頭に何かが被せられ目の前が何も見えない。
「はっ!? えっ、何が――」
なんだこれ。誰が、なんで、状況が分からない。とにかく、これを外さないとっ。
――ドコッ!
だが。
そんな暇もなく、鈍い音と共に後頭部に衝撃と痛みが走ると、急速に俺の意識は遠退いていった。
「――はっ? え?」
全裸だった。
そうして次に目を覚ました時に、目に飛び込んで来たのは窓のない暗い部屋、汚い床、粗末な家具、そびえる鉄格子。
そして裸にされている自分。
つまりここは。
「ろう、ごく?」
「そうだ。起きたかロック・シュバルエ」
「――っ!」
鉄格子の奥に良く見ると人がいた。
この地下らしき場所にある牢獄に、実に不釣り合いな一張羅を着た金髪の美男子。
ただ、何故か、何処かでこの顔を知っている気がした。
「あ、あなたは」
「ユーバッハ・ヴォルティスヘルム。次期侯爵にして、君が“あんな自作自演の事件”を起こしてまで誑かそうとしたユースティの兄だよ」
なるほど。
なんとユースティ様の関係者である。確かにどことなく似ている。
「それよりなぜ僕は牢獄に入れられてるんですか? それにユースティ様を誑かすって一体なんの――」
「黙れ売国者! 既に貴様が教国と繋がっている事は判明している! 沼の森で同じパーティーメンバーを魔術で眠らせ、存在もしない暗殺者の沁黒を作り上げ、さも自分が撃退しかの様にでっち上げた事もな!」
先ほどとは全く異なる荒々しい言葉で、次期侯爵様が俺を睨みつけてくる。
俺は俺であまりに意味が分からず、混乱していた。
教国と内通?
存在しない沁黒?
撃退したかの様にでっち上げた?
「ま、待って下さい! 本当に何の事か僕にはさっぱり分かりません! 教国なんて全く関係ありませんし、何より僕も沁黒によって倒され気付いたら彼等は死んで――」
「ではその沁黒の死体は一体何処にある!」
え? は? だって、俺は殺したままあそこにあの森に――。
「学園からの報告は貴様を油断させる為の嘘だぞ。父上の配下の騎士達と同行した被害にあった教官の死体も、獣に食い荒らされた沁黒の残骸どころか、血の一滴すら見つけられなかったのだ!」
「――嘘でしょ?」
どういう事だ。
あれだけ派手にやって全てなくなるなんて事が、あり得るのか?
「白々しい。さらに他にも幾つか証拠がある。後日、他の隠密を捕まえた上で、徹底的に尋問してやる。私の妹を誑かそうとしたのだ、二度と陽の目は見れないと思え」
そう言って次期侯爵は、ひっそりと控えていた兵士二人と共に、鉄格子の先にある扉を出て行った。
「え……………………嘘、でしょ?」
誰もいなくなった地下牢。
チクタク、チクタク、ただ例の時計が鉄格子の先の何処かしらから、針を刻む音だけを立てていた。