なつのおもひで
畳の上に寝転んでいるうちにいつの間にかうたた寝をしていたらしい。
昼寝をしたのなんて何ヶ月ぶりだろう。蝉の声があちこちから聞こえてくる。
不意に風が流れて、軒先の風鈴がちりんと鳴った。薄目を開けると縁側に女が立っていた。
「西瓜切ろうか?」
「うん」
返事をすると女は影のように消えた。
* * * *
「ねえ、お盆休み旅行行こうよ。マミ、沖縄行きたいなあ」
僕は、アイドルみたいに可愛らしい、マミの水着姿を想像しただけで頭がくらくらした。
マミと知り合ったのは半年前。きっかけは出会い系のサイトだったけど、マミはとっても優しいいい子だった。
―― こんなかわいい子が彼女だなんて
僕は背もそれほど高くないし、一重まぶただし全然イケメンでもない。女性に好かれる要素はほとんどないと思っていた。そんな僕の、一生かなわないと思っていた夢が実現したのだ。
マミの誕生日にティファニーのネックレスをプレゼントした。
「目をつぶって」
「えっ、なんで、なんで」
そう言いながらも目を閉じたマミの首に、ピンクのサファイアのネックレスをつけてやると、マミはびっくりしたように大きく目を見開いた。そして次の瞬間、その星のような瞳から涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「ど、どうしたの。気にいらなかった?」
あわてた僕に彼女はしゃくりあげながら言った。
「ううん、すごーくうれしくって。マミ、うれしすぎて……」
あとは言葉にならなかった。僕は僕で、そんなマミが膝ががくがく震えるくらいいとおしくて、ほっそりした彼女の体をぎゅっと抱きしめた。
マミと付き合うようになってしばらくしてから、僕は給料のいいゲーム製作会社のプログラマーに転職した。マミが欲しいと思うものは何でも買ってやりたかった。マミが行きたいという所にはどこへでも連れていってやりたかった。マミの、艶やかに開いたピンクのバラのような笑顔を見るためだったら、死んだっていいと思っていた。
* * *
僕は、朝から晩までモニターに向かった。納期が迫れば深夜まで残業になった。デートの回数も目に見えて減った。
マミからは毎日夕方になると「会いた~い」「さみし~い」「も~っ、死んじゃう」と絵文字のいっぱい入ったメールがきた。たまには電話もかかってきた。
「なんでぇ。なんで会えないのぅ」と半分涙声のマミを僕は「ほんとにごめんね。こんど休みになったら温泉行こうね」「ほら、この前欲しいって言ってたバッグ買ってあげるから」と必死でなだめた。
そしてアメリカの有名な俳優が泊まったという一泊七万円のスィートルームに泊まったり、十万以上する新作のブランドバックをプレゼントすることで、マミのご機嫌をなおした。
会社に泊まりこんで三日目の夜だった。時計は深夜の二時を回っていた。ふた晩、ほとんど眠っていなかった。頭の中で、小さな青白い火花がぱちぱち弾けているようで、僕は無意識にマミと出会ったサイトをクリックしていた。
すると画面の中にマミにそっくりの笑顔が現われた。僕は思わず椅子から体を起こてし目をこすった。
「カコリンで~す。失恋したばかりでさみし~い20才。やさしくなぐさめてくれる人待ってま~す」
寝不足と、疲労と、そしてわけのわからない衝動で、僕は夢遊病のようにキーを叩き、その女性と二日後に中央公園の噴水の前で会う約束をした。
* * *
「沖縄行けなかったな」
僕は声に出してつぶやいた。噴水の前で待っていたマミは、先月僕が買ってやった白いフリルのついたワンピースを着て、真っ白なパラソルをさしていた。その姿は遠くからでもまるで少女マンガのイラストみたいだった。
僕は踵を返すとそのまま駅へ向かい、汽車に乗った。七年ぶりの帰省だった。携帯も何もかもアパートに置いて来た。沖縄旅行はおろか、もう生活する金さえ僕には残っていなかったのだ。
実家の畳に寝転がって、セミの声を聞いている。最後に食事をしたのがいつだったのか思い出せなかったが、不思議と空腹は感じなかった。
―― おふくろ、さっき西瓜切るって言ってたけどまだかな
僕は寝転んだまま考えた。また風鈴が鳴った。
二日後近所の住人が、老夫婦が亡くなって今は廃屋になっている家で、そこの次男が死んでいるのを発見した。まるでうたた寝でもしているような安らかな顔だったという。