無意味ではないプロローグ
ふわり、どこからか手紙が届いた。
『どうか、どうか、死なないでほしい』
そんなダイイングメッセージのような手紙が、その字が。
送り主が、自分だなんて気づいていたはずなのに。
俺には、理解したくなかった。
春の初めのことだった。
「だったら、君を送ればいいんだ」
ここは、ホルマリンの香りが漂う不快な空間。
「僕じゃあ、過去は変えられない。こんな時代を生まないために…」
人一人が入るような、大きなガラス管を前にして、『僕』は跪いた。
兄さん、と何処からかくぐもった悲しそうな声が聞こえた。
ガラス管の中の、『君』の声か。
後悔はしてないのに、視界がぼやけてきたのはなぜだろうか。
そうか、これが。
「これが悲しいってことなのかな」
ガラス管から、途端に声は聞こえなくなった。
季節が、亡くなったころだった。
人通りだけが無駄に多い商店街で、走るように歩いていた。
誰も店には入らないのだが、どうしてこんなに人がいるのか。
疑問を持つまでもない。
その問題の当事者の一人が、今もこうして急いでいるのだ。
商店街を抜け、交差点を右に曲がる。
橋を渡って、大人気チェーン店のファーストフード店の隣。
篠宮郵便局、とでかでかと置かれた看板の前にはいつも通りの人だかり。
せかせかと裏口から入るか、正面の自動ドアの前で立ち尽くしている人間の、二択しかない気がするほど、単直な集団。
しかし前者である俺には、彼らに対して苛立ちを覚えるわけにはいかない。
そんなことをしていたら毎日のようにゴミ箱を蹴っ飛ばしてしまう。
もう何も考えまいと、何かから逃げるように裏口のドアへと手を伸ばした。
今日も始まるのか、あの長い時間が。
社会人ならではの、憂鬱な時間もあったもんだ、と軽口を叩く余裕もない。
死にたくはないが、死にたくなる。
着替えを済ませ、仕事用に髪を整えた俺は、他のメンバーに声をかけるまでもなく所定の位置についた。
どうせ、今から嫌というほど話をしなくてはならないんだ。
頭上の時計の長い針と短い針、そして一回り細い針が真上を刺した瞬間、ドアは開かれた。
流れ込んでくるそれは、まるで雪崩のようだ、とありきたりな例えが脳裏をよぎった。
本物の雪崩よりも勢いが酷い気がした、気のせいだろう。
仕切りでわけられた、百以上にも及ぶ窓口の中で、運悪く最初に入店した客は俺も前へときて、いつもと同じことを言った。
「この手紙を送りたいのですが」
俺はつくられた笑顔を向け、マニュアル通りに話しながらとある用紙を渡す。
書いてもらい、それを手紙と一緒に後ろの箱に入れる。
そして、笑顔で客を送り出す。
機械的な作業、工場のようだった。
そして、そんな作業だからこそ終わりは割と近くにいつもあったのだ。
「みんなお疲れ様ー、いやー今日も一段とお客さん多かったねえ」
ゲラゲラとやかましい笑い声を響かせながら、上司が姿を現した。
「お疲れ様です、お先に失礼します」
逃げ時を失えば、貴重な時間さえも失うことを知っている俺は、素早く用意を済ませその場を後にした。
「毎日が同じように回る、期待しても変革も改革も起きはしない」
カフェでくつろいでいると、急に声をかけられた。
「なんだ、弘明か」
金髪に近い茶髪、特徴的な長身、痩身、そして眼鏡。
目の前に姿を現したのは、幼馴染みというには関係も薄いが、こうしてよくカフェなどで会うことがある、いわば顔見知りだ。
「なんだとは酷いね、こうしていつもここで会っているのに。マスター、キャラメルラテ一つ」
よいしょ、と疲れたように隣の席に腰を下ろす。
「今日も君は仕事かい?」
髪形を見ればわかるだろう、といいそうになるも、こいつには仕事帰りにしかあっていないから休日の髪形を見せたことがない。
「そうだよ」
「まあ見ればわかるんだけどね。まあ結局、君たちって何してるんだい?」
言われるまで気にしないようなことを、平然と聞いてくる。
「郵便局員だ」
深く考えていると頭痛を催すような、そんなことを説明する気にはなれない。
だというのに
「“逆流式近未来型郵便物”」
勝った、といった表情でこちらを見てくる弘明。
「そんなこと、今じゃ誰だって知ってるっての」
レジにぴったしの料金を置いて、足早にカフェから出ていく。
「あ、ちょっと待ってくれって」
弘明も後ろからついてきた。
追い払う気にはなれないが、どうせ家にまで入ってはこないだろう。
そう思っていた俺は、実にバカだった。
「へー、ここが君の部屋か」
予想を裏切り、弘明は家まで結局ついてきたのだ。
「わかった、話してやるから早く帰ってくれ」
子供みたいに「やったー」とはしゃいでいる弘明。
「それじゃあ、なにから話したらいいかな」
「じゃあシステムから」
「システム、か。さっきも名前が出たが、“逆流式近未来型郵便物”、それは三年前、倒産寸前の篠宮郵便局から発案された、新たなアミューズメントだ」
マニュアルには一度目を通してあるから、一般人より詳しい話が出来るはずだ。
「へえ、倒産寸前の。それにしてもアミューズメントって、お偉いさんたちに聞かれたら首飛ぶんじゃないのかい?なにせ、篠宮郵便局が自信をもって、子供のように大事に大事にしている企画なんだしさ」
「上のやつにとっては金でしかない、それだったら遊園地のアトラクションとなんら変わらないだろ。…話が逸れたな、とにかくその逆流式近未来型郵便物、俺たちは“エアメイル”と呼んでいるが、それの特徴はだな」
「過去に向けて手紙を送れるということ、だよね」
知っているなら聞くな、といいそうになったが時間の無駄だったからやめた。
「実際、未来から手紙が来たという人もいる。が、俺は信用しきれていない」
どうして、という弘明の顔はとても楽しそうだった。
「三年前に企画され、そして今生きている人間に一年後の自分から手紙が届いたりもしている。が、なぜ三年前以前は届かなかったんだ?」
たったの一枚も、俺たちは見たことがなかったはずなんだ。
「企画が立案され、すぐに実行に移された。なら当初の客は、実行される前の時代に手紙を送っているはずなんだ、なのになぜ俺たちは知らなかったんだ。そう言いたいんだね」
理解が早くて助かる、そう一言告げる。
「それに関しちゃ、僕たちには到底理解できない深層心理があるんだろうね」
「そう、そうなのか」
本当に、それだけで片づけられることなのか…?
「まあ、これで話は終わりだ」
いつものように、頭痛を催しそうだったため を帰そうとする。
「最後に一つだけ、質問いいかい?」
「なんだ」
聞くタイミングを失ってて、忘れてたのに聞けなかったんだけど、
「君の、名前は?」
素っ頓狂なそいつの質問に、俺は笑うことなく答えた。
「花形 佐治だ」
そうして、何事もなく、一日目は静かに幕を下ろしたのだった。