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福音

 私は薔薇になりたいのです。何故なら、貴方が薔薇がお好きと仰っていたから。貴方はご自分のお城の庭園一面に、薔薇の花を植えさせて、毎日使用人五十人と王国で一番の庭師をお呼びになって、それらの世話をさせていますね。春から夏にかけて庭園が狂おしい芳香に包まれている中に、うっとりとお座りになって、その美しいお衣装が土に汚れてしまうのも気に止めないで、じっと目を閉じられているのを、私は陰から何度も拝見しました。そしてそのお姿は、私の髪に付いた薔薇の香りとともに、私が家に戻ってからもふわりふわりと私の周りにいたずらに遊んでまわるのです。あぁ、貴方はずるいお方です。私は薔薇に取り憑かれてしまいました。

 貴方には到底及びもしない身分のこの私にも、召使が何人かついております。私は毎月五着ずつ、お針子に薔薇色のドレスを縫わせてはそれを纏います。勿論、芳香薔薇から抽出した香水を、頭がくらくらする程に振りかけて。そして頭には、ドレスと合わせて作らせた薔薇の大きなボンネット。こんな姿で暮らしているうちに、ヴェルサイユでは私のことを密かに「マドモワゼル・ロゼ」とお呼びになる方がちらほら現れたりしているとか。しかし世のどんな男性が私のことをどう思おうと、そんなのは全く関係御座いません。私は例え報われなくても、貴方のことだけを死ぬまで想い続けるのですから。


 あの夜、貴方はお城で仮面舞踏会を催すと仰いましたね。親しい、身分の高い方々のみをお招きになって。勿論私は呼ばれることはありませんでした。当然のことです、私は所詮貴方には及びもしない身分。お話したことも御座いません。しかし私はその晩、家の小さな椅子に座り込んで、両腕に薔薇の花からとったエキスを塗りながら、召使にも一言も話しかけずにじっと黙っておりました。何も音を立てずにじっとしていると、幽かに賑やかな声が聞こえてくるように感じるのでした。その夢を見ている時にも似た感覚のまま、私は仮面舞踏会が終わる夜更けまでひとりで静かに過ごそうと決心いたしました。

 そうして、二時間ほどが経過しました。私はうつらうつらしているところを、玄関のベルの妙に澄んだ音色によって覚醒させられました。お客様か、はたまた貴方が気まぐれで私をお誘いになるために召使を遣わしてくださったのかしらと、なんの脈絡もない空想に胸を高鳴らせながら、召使にどちら様なのと尋ねると、この若いメイドは、「私の存じ上げぬお婆様で御座います。全身、真っ黒いお衣装をお召しになって、魔女のようです。私、気味が悪うございますわ。」と早口に言いますと、奥の方に逃げていってしまいました。私はやれやれと思いながら、そっと重い冷たい扉を開けました。

 はたしてそこにいたのは、メイドが言っていた通りのおぞましい姿の老婆でした。彼女は昔乳母に読んでもらった童話の絵本に出てくるような恐ろしい魔女そのものでした。

顔一面が、まるでだらしなく折りたたまれた布のような深い皺に覆われ、落ち窪んだその両目は濁ったように見えますし、異国の占い師のように頭から被った黒い布からは、輝きをなくした真っ白な髪がところどころ覗いています。私は数秒間黙って立ち尽くしていましたが、そっと深呼吸をして、優しく老婆の顔を見つめました。すると彼女は、皺に埋もれた薄い唇を小さく開けて、かすれた声で、

「ご機嫌よう、マドモワゼル・ロゼ。麗しき薔薇の乙女よ。恐れるでない、私はかわいそうなお前を助けるためにイエス様から命じられてやってきた、魔法使いだ。マドモワゼル、お前の悩みは知っているよ。」

私はびっくりして言いました。

「私の悩み、ですって?何故貴方様がご存知なの?」

「勿論、今話した通り。イエス様のご意志だよ、マドモワゼル。」

確かに私は毎晩、貴方のことを天に向かってお祈りしていたものの、イエス様など本気で信じたことは御座いません。小さな頃から、この世で一番美しい物語と教えられてきた聖書も、理不尽な事だらけで納得いかないわと思っていたのです。そんな私が、イエス様のご意志にあずかることができるものでしょうか?もしそうだとしたら、やはりイエス様は働くところを間違えています。

「私、悩みなんて御座いませんわ。」

「嘘をおっしゃい。お前が毎晩月に向かって願っていることを、私は知っているよ。伯爵様の寵愛を受けたいのに、身分の差から報われない。そうだろう?」

私は恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆いました。すると老婆は、近くに歩み寄り、そしてささやきました。

「私がいいことを教えてあげよう。伯爵様の今の寵姫が誰だか知っているかい?」

「いいえ。存じません。」

「では教えてやろう。それはビアンジェ伯爵夫人だ。まだ歳も若く、お前と同じくらいだ。どうだ?いっぺん、次の仮面舞踏会ですり替わってみるというのは?」

「い、いけません!私の誇りがそれを許しませんわ。だいたい、伯爵夫人ともあろうお方に、この私がどうやって近づけばいいとおっしゃいますの。私にはとても無理ですわ。」

「ほほう、ならば一生報われぬままでもよいというのだな?伯爵様が他の女といるところをまざまざと見せ付けられる生活が一生続いても?」

「そ、それは厭ですわ。けれど、その計画が成功するとも思えませんの。」

「まあ落ち着いて最後まで聞くことだね、マドモワゼル。私には考えがある。」

私は、鼓動が高まるのを感じながら、老婆の言葉に耳を傾けました。

「次の仮面舞踏会は、満月の夜だ。その日になったら、私はイエス様のところからまたここに降りてくる。そして、ビアンジェ伯爵夫人の城すべてを眠らせよう。まるで眠り姫の城のように。そのあいだに、お前は美しく着飾り、仮面舞踏会へと向かうのだ。伯爵様に届かぬ身分とは言え、お前も馬車や立派な召使は十分持っているだろう?」

「それは素敵ですわ……でも、そうしたら私はビアンジェ伯爵夫人を名乗らなくてはなりませんの?」

「当たり前だ。もしそれが厭なら、この契約は無しだ。」

「……契約いたしますわ。ありがとう、マダム。」



こうして、私はそのおぞましくも甘美な契約を結びました。

これが後に、どんな惨劇を生むことになるのか、私には知る由も御座いませんでした。


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