野営と勇者にまつわる話
以降、敵は出現せず淡々と山へ突き進むこととなった。
頃合いで昼食(リミナが作った弁当)を歩きながら食べる。ちなみに弁当はハムやチーズ、レタスが挟んである基本に忠実なサンドイッチ。
昨日までの俺なら物足りなさを感じたはずのそれは、これほど美味いのかと感嘆したほど。対するリミナは「言い過ぎです」と苦笑するばかりだった。
環境が変われば食べ物の味も変わるのだろうか。あるいは、単純にリミナの腕がいいからなのだろうか……もしかすると、両方かもしれない。
そんな風にやりとりを交えつつ、俺達はとうとう山の麓にある森に到着した。時刻は夕方前。いよいよ空が赤くなりそうな時間帯。
「丁度良かったですね。明るい内に野営の準備ができます」
リミナが言う。俺はそこで疑問を口にした。
「これ以上進まないのか?」
「野営の準備だけでもかなりかかりますし……それに、森を抜けて以降は登山なので、体を休ませた方が良いです。勇者様もお疲れでしょうから」
「そっか……わかった」
答えながら、森をまじまじと見つめる。
鬱蒼と茂る木々は空が赤くなりつつある状況から、少し不気味でもある。
「行きましょう。適当な場所が見つけられるかは、運ですが」
リミナが先導するように歩き出す。対する俺は追うように森に侵入した。
本来ならば先頭に立つべき部分なのだが、リミナは「まだ無理をしないでください」と先導役を買って出た。申し訳ないと思いつつも、従うことにする。
歩んでいると、空の色から青が失せ、明確な茜に変わっていく。野宿するにしても、急いだ方がいいだろう。
そこでふと、日が沈むのは何時くらいなのだろうかと疑問に思った。時計が無いので明確なことは言えないが、少し考えてみる。
季節的には、春だろうか。草原が青かったことや、気温からそう見当をつける。もし昨日までの世界における日の入りを採用すれば、時間は五時から六時の間だろうか。
起床時間から考えて、少なくとも朝から八時間くらいは歩いていたのかもしれない――思うと、なんだか足が重くなってきた。
俺はふうと小さく息をつく。するとリミナは所作に気付いて振り返った。
「大丈夫ですか?」
「ん? ああ、大丈夫だよ」
答えたが、疲労の色は完全に消せなかった。彼女は難しい顔をする。
「やはりいきなり過ぎましたか……申し訳ありません」
「いや、いいよ。気にしないで」
返答した時、いきなり森が途切れた。
そこは森の中で木々が無く、土色の地面が見える一角。
「幸運ですね」
リミナが俺から視線を逸らし言う。
「今日はここで休みましょう」
「そうだな……と、テントとかはあるのか?」
「ありませんが、結界で雨風はしのぎます」
魔法で色々と対処するようだ。俺は「わかった」と応じ地面にザックを置くと、周囲を見回しながら尋ねた。
「で、俺はどうすればいい? 野営するのに準備はいるだろ?」
「いつもなら、食料調達をして頂いていたのですが。木の実とか、野草とか」
食料か……けどこの世界のことを把握していない俺に、それが務まるとも思えない。
「……一応、やってみようか?」
「わかりました。私はここで支度を整えていますので」
「ああ、頼んだ」
「迷わないでくださいね」
「遠くに行かないようにするよ」
答えつつ、森に入る。来た道から左手の方角。
「とはいえ……」
歩き始めて、すぐに思う。戦闘に関しては体が記憶していたようなので対処はできたが、知識面はさすがに無理だろう。
「一目見てわかるとかならいけそうだけど……」
木々を見てみる。なんだかそれらしい木の実をつけたものもあるのだが、食べられるかどうかわからない。
「とりあえず適当に持っていってみるか?」
リミナなら判別つくだろう。俺はそれらしい奴を選ぼうと手を伸ばそうとする。
その時、水の流れる音が耳に入ってきた。
「……ん?」
首を向ける。少し先、森の切れ目のような場所から茜色の光が見えていた。
「行ってみるか」
あの距離なら大丈夫だろうと思いながら向かう。次第に水音が大きくなり、何があるのか予想ついた。
「川だな」
呟いたと同時に森を抜ける。
言葉通り、結構な幅の川が流れていた。右手から流れる川が、俺の場所で折れ曲がり真っ直ぐ進んでいた。
「……魚でも捕れれば、万々歳だけど」
氷の魔法を使って凍らせれば……いや、やめとこう。なんだか加減できず川全体がカチンコチンになってしまう気がする。
「とりあえず、戻るか」
水があるとわかっただけでも十分だろう。俺は道を引き返した。
それから一時間程して、夕食と相成った。俺とリミナはたき火を挟んで座り、今は持参した干し肉と彼女の採った木の実を食べていた。
俺はと言えば、川を見つけたことで水筒を汲みに一往復したくらい。
「しかし、便利だな」
干し肉を口に入れながら呟く。
俺達の周囲には、リミナが所持していたタロットカードくらいの大きさをした札が、地面へ円形に突き立てられていた。彼女曰く、これが結界らしい。
「虫よけと、簡単な魔法を防御できるものです。モンスターの襲撃も、一度くらい耐えられる強度を持ってます」
解説するリミナは、俺に木の実を見せた。
「食べられる木の実を紹介しますので、覚えておいてくださいね」
「ああ」
素直に頷く。正直、朝からずっとは助けられっぱなしだ。色々と勉強して、すぐにでも役に立てるようにならないといけない。
「悪いな、勇者なのに」
少しばかり悪い思いを抱いて告げる。それにリミナは笑い、返答した。
「私は勇者様が無事であったことだけで十分です」
「……最初記憶が無いと言った時、絶望的な顔だったけど」
「それは言わないでください」
即告げられた。俺は笑いつつ、さらなる質問を行う。
「リミナ、勇者というのはどういった存在なんだ?」
「色々と種別があります。国から勇者の証を授かり活動する者や、冒険者ギルドで称号として認定された者など」
「認可制なんだ……」
「もちろん、それ以外にもいます……そんな中勇者様は、人々を救ってきた功績により、勇者と呼ばれるようになった稀有な例です」
「へえ……」
「国やギルドから勇者の称号を与えられそうになりましたが、勇者様は全てを断り今に至ります」
「何か理由が?」
「それは、話してくれませんでした」
どうやら事情持ちらしい。とはいえ、今の俺に解明することはできない。
そうやって会話をしながら食事を終える。一息つくと、ふいにリミナは傍らに置いてあったザックを手に取り立ち上がった。
「どうした?」
「汗を流してきます」
それだけだった。川に水浴びでもしにいくのだろう。
「一応言いますが、覗かないでくださいね?」
「記憶を失う前の俺、そんなことしてた?」
「いえ、まったく」
首を左右に振る。英雄色を好むと言うが――いや、単にヘタレだったのかもしれない。しかしこれも真相は闇の中だ。
「では」
「ああ、ゆっくりしてくるといい」
答えると彼女は森の中に姿を消した。俺はガサガサという彼女の進む音が耳にしながら、空を見上げる。
「……綺麗だな」
星がくっきりと見えていた。それすらも幻想的な印象を覚え、静かに息をついた。
こうして、奇妙な一日は終わった。もしかすると眠れば元の世界に帰れるかもしれない――と思ったのは最初だけ。なんとなくそうはならないんだろうなと、心の中で結論に至った。