魔王の正体
「――少し、昔話をしようか」
ラキが返事をした直後、今度はシュウが語り始めた。
「あの戦争の前……魔族は人間に対し友好的な者が多かった。この場にいる者ならばジュリウスという魔族のことを知っている人間も多いだろう……現在奴は君達に協力する姿勢を見せているが、そういった魔族達があの戦争前には今以上に多かった」
一方的に言い続ける。ラキの答えが信じられず驚愕する仲間の顔を見ながら、俺は聞く。
「その中で、とある女性の魔族がいた……彼女は幼いころからこちらの世界に来て、色々と知識を吸収した。もちろんその過程で人間の醜い部分なども見ていたはずだが――彼女はそれも許し、魔族の発展のためには人間と手を組むことだって必要なのではないかと考えた」
「……それが」
俺はシュウに対し口を開く。
「魔王、だったのか?」
「そうだ……名はティルヴァデイン。君が夢の中で出会っていた、あの女性だ。戦争後はさすがにその名を使うわけにはいかなかったため、ティルデと名乗っていたようだが」
「何だ、それは……」
フロディアが呻いた。当然の反応であり、信じられないという雰囲気が言葉から伝わってくる。
「言っておくが、これはアレスが語っていたことを伝えているだけだ。もし信用できないというのなら、アレスに言ってくれ」
無茶を言う……思っていると、シュウはさらに続けた。
「やがて、ティルヴァデインは一層人と交流しようと思い、貴族という地位を手に入れた。調べてみると元々商売をしていたそうだ。魔王にはそうした才があったのかもしれない」
魔王が商売……それこそ冗談のようにしか聞こえない。
「おそらく、商人ならば各地を回れると考えたのだろう……そうして彼女は人間としての地位も確固たるものにした。もちろん、魔王としての責務を忘れたわけでなく、彼女は二つの顔を持ちながら生活を続けた。ここは、魔王として非常に有能な存在だったということを意味しているだろう」
シュウ以外、誰もが言葉を発しない。泥沼の中にいるような嫌な沈黙だった。
「その中で……彼女は、一人の男性と知り合い恋をした。魔族ではなく、人間だった。もちろん人間としての立場は仮面である以上、その人物と一緒になることなどできない」
「それは……」
俺が口を開こうとした時、シュウは首を左右に振った。
「英雄アレスとは違う……悩んだ末、魔王ティルヴァデインは身を退くことを選んだ。人間であるのはあくまで演技。同時、この機会に一度魔界に戻り、自分が見聞きしたことを伝えるべき……そんな風に思ったらしい」
そう語ったシュウは、一度玉座へと振り返った。
「しかし、その時彼女は油断した……男性が、ティルヴァデインのことを知ってしまったのだ」
「知った……?」
「経緯はわからない。男性は勘付いていたのかもしれないし、あるいは偶然だったのかもしれない……先代魔王ティルヴァデインから直接聞いたアレスは知っていたのかもしれないが、私に語った時には詳細を話さなかった」
――ここで、シュウがいつアレスから聞いたのかを理解する。それは間違いなく、フィベウス王国にある聖域に踏み込んだ……つまり、シュウがアレスを殺す寸前だ。
「ともかく、男性は彼女が魔王であることを知ってしまった。そして彼は知ったという事実を彼女に話した。ティルヴァデインは驚いた。場合によっては口を封じなければならない。だが人間を愛し、さらに男性を愛していた彼女は葛藤した。そして――」
一拍間を置いた。俺はシュウを見据え、一言一句聞き逃さないよう耳に意識を集中させる。
「男性は、彼女の全てを受け入れた」
「それは……」
「両者の間にどういった経緯があったのかはわからない。だが結果として、人間として生活していた時、ティルヴァデインの傍に夫ができたという話だ」
そこにはきっと、この場で察することのできない様々な問題があったはずだ。けれど、両者は魔王と人間であっても歩み寄り、この世界で夫婦となった。
「そして、ティルヴァデインに子供ができる」
子供――エルザのことかと思ったが、男性が英雄アレスでない以上、別の子供ということだろう。
「旅の途上で、彼女は子供を出産することになる。魔王という立場と共に、人間として彼女は良き夫と最愛の子供を連れ、幸せだったはずだ……もちろん、魔族――それも魔王と人間の子供ができた以上、将来的に問題が発生していたのかもしれない。だが、ティルヴァデインはそうした問題が生じたとしても二人を守る気でいた……やがて」
そこでまた一拍。次にシュウは、目を細めた。
「とある、事件が起きる」
「事件……?」
「子供を産んでなお、彼女は旅を続けた。そうして数ヶ月経った時訪れた大陸南西部……そこで事件は起きた」
南西部……確か魔王との戦争が始まった段階で、最初に犠牲となった地方……俺は、嫌な予感がした。それはもしや――
「ティルヴァデインによると、以前から自身の周囲を探っていた人間がいたことはわかっていたらしい。おそらく彼女の地位に対する妬みを持つ存在……商家で繁栄していた彼女は嫉妬されてもいた。もちろんそういう人間に対し対策はしていたはずだが……魔王は、人間の度し難い妬みという感情を、完全に把握できなかったのかもしれない。あるいは人間を愛したが故に、そういった人物達に対しても暖かい目で見守るつもりだったのかもしれない」
シュウは言葉を切る。次いで、俺達を――いや、人間をどこか恨むような目つきで、語った。
「大陸南西部が事件の舞台に選ばれたのは、偶然だろう。ティルヴァデインが夫と子供を残し、いくつかの村で交渉を行った。村人は馬車の停泊を快く引き受け、夫達が泊まることを許した。そして彼女は人間として仕事を行い、そして――」
「……まさか」
俺が呟いた時、シュウは頷いた。
「帰って来た時村にあったのは、路上に放置された夫と子供の死体だった。単なる人間ならば村人はそんな仕事の依頼を請けなかったかもしれない。だが彼女を妬む存在は、夫と同じく彼女が魔族であることを察して、それを利用しけしかけたのだろう」
なんてことを……俺はシュウを凝視しながら、拳を握りしめた。
「そして村人が、ティルヴァデインを逆恨みする人間から雇われたのだと知った……彼女をも殺そうとする村人達。そこで彼女は初めて、人間を憎悪した」
「だから……ですか?」
今度口を開いたのは、リミナだった。
「だから……戦争を仕掛けたというのですか?」
「そうだ。彼女はその時衝動的に魔王として覚醒し、怒りに任せ人間を滅ぼすべく大陸を蹂躙し始めた……魔族達は唐突な魔王の指示に驚いたが、主である魔王の命に従い戦争を仕掛けた。これが、あの戦争が起こった背景だ」
誰もが沈黙する。信じられない――という言葉が飛んできそうではあったが、誰も声を発しなかった。
その中で俺は……一つ、疑問に思った。
「……シュウさん、あんたの言っていることには一つ疑問点がある」
「何だ?」
「ティルデさんは戦争時、何度か英雄アレスと暮らしていた屋敷に帰っている……しかも人間の顔を持ち、普段通り接していた様子だった。これはどう説明する?」
「……怒りに任せ戦争を仕掛けた彼女だが、同時に後悔もしていた。その時の感情をどう表現すればいいか、彼女自身もわからなかったそうだ。ただ人間を滅ぼすという衝動と、それでいて自身を信頼していた人間をもう一度信じたい気持ちもあり……その中で、彼女は戦い続けた」
そこまで語るとシュウは、一度目を伏せた。
「無論、理由を語ったからといって彼女が起こした戦争について忘れるべきではないし、恨むなとも言わんさ……だが、魔王も悲劇的な事情があって戦いを起こした。結局は憎しみの連鎖……そう語りたいだけだ」
語ったシュウは……やがて、
「さて、それでは戦争の顛末について語るとしよう」
次の話題へと移った。




