屋敷の主
屋敷の雰囲気は、視線で見える範囲ではなんだか穏やかな空気に包まれていた。闘技大会の時見た光景を思い出し……もしあの続きだとしたらレンが屋敷を出る時くらいしか心当たりはない。これはおそらく――
「エルザ」
食堂に入ると、そこに座っていたエルザにレンは声を掛けた。彼女が存命……いや、その横にティルデの姿もあったため、最後の夢の続きではなく、もっと過去の記憶なのだと理解できた。そうして見ると、最後の夢と比べエルザの年齢が低く見えた。
「訓練は終わったの?」
ティルデが問い掛ける。レンは頷き、彼女達と向かい合うようにして座った。
「ラキもすぐに来るよ……ところで、ティルデさん達は何を?」
「少し、お話」
にこやかにティルデが答える。その顔は太陽のように燦々と輝いていて、彼女の表情を見ているだけで心が洗われる。
「けれどそれも終わったから、そうね……三人で話をしましょうか。剣の訓練は順調?」
「うん」
頷いたレンに、ティルデはなお笑う。この後どうなってしまうのかを考えれば少し悲しくもあったが……感情を排し、この夢を記憶しておこうと意識を集中させる。
「そう……ところでアレスから聞いたのだけれど、レンは魔法にも興味があるの?」
「え、あ、うん」
「なら、少しばかりレクチャーしようかしら」
言葉に、レンは何度も頷く。するとティルデだけでなくエルザも笑い……やがて、ラキが訪れた。
そちらもエルザ同様若い……というより幼いとでも言えばいいのか。事件からすると、一年以上前かもしれない。
そしてこれは魔法を教えてもらうきっかけに関する夢なのだとわかる……これがラキの目的と関係するのかどうかわからないが、意識を集中させることにする。
そこから多少の雑談を挟んだ後、ティルデと俺は移動を開始。方向的には書斎だと見当をつけた時、彼女は話し始めた。
「何か、要望とかはある? 私は一通りの種類使うことができるから、たぶん望んだ魔法を教えられると思うけど」
「その前に一ついい? エルザやラキは?」
「ラキは前に訊いた時まったく興味がないと言っていたから……」
と、苦笑する彼女。
「エルザも同じように……というより、必要が無いと思っているみたい」
「必要が無い?」
「今は剣を学んでいるけど……エルザはいつかそういったことをしなくなると思っているみたいね」
それは一体どういう意味を持っているのか……まあ、屋敷を継ぐとしたら剣術以外に学ぶべきことはあるだろうし、彼女がいずれ剣をやめるということ自体は、それほど不思議ではないのかもしれない。
対するレンやラキの場合はどうなのか……ラキ達のことがなかった場合、二人はこの村を守るために剣を握っていたのだろうか。
「レンは、興味以外に魔法を学ぶ理由はある?」
ふいにティルデが問い掛ける。レンは一度黙し、
「……強く、なりたいんだ」
「そう」
それ以上ティルデは何も言わなかった。レンも以降何も語らず、書斎へと歩み続ける。
ふと――俺はこの時のレンが、ティルデやエルザのために剣を握る気なのではと思ったりした。平和であっても、何か起こるかもしれない……そしてレンはここで暮らしてアレス達にも恩がある。だから――そう思った時、
レンの視線が転じ、ティルデへ注がれる。その横顔が、どこか悲しそうに見えた。
なぜそう思ったのか――自分でもわからないまま書斎に辿り着く。そして部屋の隅にある机へと移動し、レンは座った。
「魔力に関する教養はある程度教えられているはずだから、魔法の基礎的な事からね」
「うん」
返事をするとティルデは微笑み、書斎の中を移動し始める。関連書物を探し始めるのだろう。
「もう一度訊くけれど、何か使ってみたい魔法はある?」
「ううん……ティルデさんはどう思う?」
「そうねぇ……これと、これかしら」
声と共に棚を漁る音がして、やがて二冊の本を手に取り戻ってきた。
「氷と雷の魔法に関する書物ね」
「氷と、雷?」
聞き返すレンに、ティルデは優しげな表情で「ええ」と答える。
「レンは剣を主軸に戦うだろうから、魔法はどちらかというと補助的な役割を持たせた方がいいわ。普通なら炎とかがわかり易い上に学びやすいのだけれど……ある程度剣術で魔力に慣れ親しんでいるから、ちょっと難しめのものでも大丈夫なはず」
「補助的な役割……」
レンは書物に目を落とし呟く。
「氷と雷が補助?」
「氷は物理的に動きを止めることができるし、雷は相手の動きを痺れで封じさせることができる……どちらも応用すれば強敵とも戦えるはずよ」
「わかった」
レンはあっさりと承諾。ティルデは「よし」と答えた後、書物に関する解説を始めた。
そこからは、ごくごく一般的な教養に関する説明……とはいえ夢なのであまり頭の中に入らない。もしかするとこの時のレンも上の空だったのかもしれない……また、そこで一つ気付く。
解説を続けるティルデだが、その瞳の色が時折変わる。先ほど横顔で感じた悲しそうな――あれは気のせいではなかったんだと心の中で思う。
ならばどうしてそんな表情をするのか――勝手な想像だが、こうして剣を手に取るレンやラキを心配しているのかもしれない。彼女は戦争を戦った経験がある。その悲惨さを目にして、レン達に対して戦いに身を投じることを不安に思っているのかもしれない。
やがて、俺の意識が遠ざかっていく――気付けば見慣れたセシルの屋敷の天井。
「……悲しそうな顔、か」
俺は呟き上体を起こす。魔法に関することではなく、きっとあの悲しそうな表情の方が重要だろう。
「英雄シュウ……魔王アルーゼン……この戦いはきっと、先の戦争とも繋がっている」
魔王は滅んでいる。けれどあの戦いの延長線上に、今の戦いがあるのは間違いない。とすれば、今後真相に近づくために重要なのは、あの戦争に関することだろうか?
「少し、調べてみるか? 幸い生き証人もたくさんいるし……」
けど、魔王の詳細については最早シュウしか知らないんだったか……しかし、気になる。
「これから総力戦となる……調べられる内に調べておいた方がいいか」
俺はそんな風に思い、支度を始める。寝間着からいつもの服に着替え、ひとまず朝食をとるべく扉を開けたところで、
「おっと」
扉の前にセシルがいることに気付いた。
「おはよう……どうした?」
「丁度呼びに行こうと思っていたんだ。ロサナさんが帰ってきた」
「ロサナさんが?」
「とはいえ報告をしてすぐに戻るらしいけどね……予断を許さない状況であるみたいだし」
「わかった。食堂だな?」
「うん。一緒にいこう」
というわけでセシルと共に歩き出す。途中リミナとも合流し、そこで俺は二人へ語る。
「こっちの世界のレンと会ったよ。結論を言うと、彼でもわからなかった」
「そっか……真相を掴むのは大変そうだね」
「まったくだよ……それと夢を見た。ティルデさんから魔法を教えてもらう夢だ」
「存命していた頃の話ですか……何か変わったことはありましたか?」
リミナが問い掛ける。それに俺は悲しそうな表情について言及しようと思ったが、
「……まだ頭の中で整理もできていないし、ある程度まとまったら話すことにするよ」
「わかりました」
「そうして整理できる時間があればいいけどね」
皮肉ではなく、憂慮するような雰囲気でセシルは言う。確かにその通り。
色々と懸念を抱えつつ、食堂に到着。入ると他の仲間達は全員集合し、ロサナと向かい合うようにして座っていた。