最奥の敵
俺達は同じタイミングで部屋から廊下へと脱した――取り巻く雰囲気が一変し、この場にいた全員を自発的に後退させるだけのプレッシャーが敵から放たれていた。
「……とても、元人間だとは思いたくはないわね」
ロサナが言う。その時点でヘクトの姿が大きく変化していた。既に人間としての姿を留めてはおらず、バキバキと気色悪い音を立てながら変化していく。
色合いは黒。まだ形を成してはいないが部屋を突き破ってくるような気もして、無意識の内にさらに下がる。
「おい、さっさと仕掛けた方がいいんじゃないの?」
セシルがロサナへ言う。だが彼女は首を左右に振った。
「様子を見た方がいい……どうも、少し違う」
「違う?」
セシルが聞き返した時、廊下全体を振動させるような咆哮が生じた。
見れば黒がようやく形を成し始める。二本の足で立ち、首が伸び頭部には緑色の瞳が存在し、
「――ドラゴン!?」
リミナが驚愕の声を上げた。そう、彼女の言う通りそれはまさしく、ドラゴンそのものだった。
「なるほど、ドラゴンと魔族の組み合わせ……しんどいわね」
ロサナは声を上げ、俺達へ指示を飛ばす。
「どうやらここが正念場のようね……全員、気合を入れていくわよ!」
声と共に再度咆哮が生じ――部屋の壁が、突如轟音を立てて崩れた。漆黒の竜が、壁を破壊し俺達へ迫ろうとしている。
やり方も無茶苦茶だと思いつつ……それ以上に目の前の存在が危険だと理解する。普通のドラゴンでさえおそらく厄介だろう。けれどこの面子ならば十分倒せる相手。だが、目の前の敵は魔族の力を取り込んでいる。
なおかつ、先ほどの言葉……死を覚悟している以上、フレッド達と同様命を賭して迫ってくる。先ほどは一対一だったとはいえ、それでも押し留められた。だが今回は魔力量だって膨大なドラゴンの魔族の組み合わせ。果たして、どうなってしまうのか――
考える間にドラゴンが廊下へと出てくる。広さ的にはドラゴンが立ち回るにしても十分な広さ。とはいえ縦横無尽というわけにはいかない。その巨体は両前足を伸ばせば壁に届くくらいのものなので、移動手段については前進か後退の二択しかないだろう。
しかし、その巨体……強烈なプレッシャーを放つドラゴンにとっては、それで十分と言えるかもしれない。
「リミナ!」
そこでロサナが名を呼ぶ。リミナはわかっていたと言わんばかりに一歩前に出て、
「切り裂け――風の獅子!」
槍先から生じたのは風。それもただの風ではない。ドラゴンへ真っ直ぐ竜巻のように回転しながら襲い掛かる風の刃。
ドラゴンは避けるか、それとも何かを使って防ぐか――視線を送った時、右前足が風を防御するべくかざされた。
直後、双方が激突する。風の勢いが押し勝ち、足を弾き消滅させただけでなくその胴体へと風を直撃させた。
だが、さすがに彼女の魔法だけでは沈まない。すかさずセシルや俺が動こうと足を前に踏み出そうとした。しかし、
「待って!」
ノディが呼び掛けた。そこで俺は気付く。リミナが吹き飛ばした右前足が再生していた。
「聖剣護衛の時に遭遇したドラゴンもどきみたいだな」
俺は間合いを詰めるのを中断しドラゴンを見据える。直後、今度はドラゴンが動いた。二本の足によって前傾姿勢となり――まさか、
考えた時、その巨体が俺達へ向かい突撃を行う――
「守護せよ――深淵の地竜!」
ロサナが魔法を発動。直後、俺達の前方に結界が出現し、
衝突音が廊下に響き渡った。見れば結界によりドラゴンが押し留められていた。
「回避は可能だろうけど、接近されるリスクを取らない方が無難よね」
ロサナは結界を維持しながら告げ、さらに、
「どうやら再生能力に特化したドラゴンのようだから、少し策を考えないと」
「とはいえ、どうするんだ?」
問い掛けたのはセシル。
「どこか核となる部分でも倒せばいいのか?」
「……そう思って探っているのだけど、どうもその核の部分は分散しているのよね」
「分散?」
「例えば聖剣護衛の時は、大地の力を活用して再生していたドラゴンがいた。その場合は地の力を制御している存在を倒せば対処できた。けど、今回の場合は違う。ドラゴン自身が本体であり、丸ごと吹き飛ばさないとその存在を消すことはできない」
「頭部や心臓部を狙えばいいのでは?」
リミナの意見。けれどロサナは「そうもいかない」と応じる。
「それができれば苦労はしないんだけどね……さっき核の部分が分散していると言ったでしょう? その核の部分が再生を担っているのだと思うけど、それが体の至る所に点在……つまり、全身に行き渡っている」
「その内の一つだけでも残っていると、再生すると?」
「そういうこと。さっきの前足再生を見ると、周囲の魔力を取り込むという機能もかねているみたい。その機能がある限り、いくら攻撃しても再生してしまうでしょう」
ドラゴンはロサナの結界で立ち往生という状態だが……時折爪を用いて攻撃などもする。けれど、破壊できない。
「選択は二つ。ドラゴン自体を一気に消滅させるか、核の再生機能が劣化するまで相手に攻撃し続けるか」
「機能が劣化……そんなこと、あり得るの?」
ノディが問うと、ロサナは「ええ」と返事をする。
「あのドラゴンであっても再生できる魔力量にも限度がある。加え、周囲の魔力を取り込むと言ったでしょう? 大気中の魔力だって無限じゃないし、取り込むのだって魔力を消費する……だから魔力ごとこの空間を一時的に遮断すれば、いずれ再生能力が働かなくなる」
「どちらにしても、物量で押し切る必要があるというわけだな」
「で、どうする? どっちの手を取る?」
ロサナが問う。実現可能性は、果たしてどっちの方が上なんだ?
「一気に消滅させるというのは、ロサナ自身可能だと思うかい?」
セシルが質問を行う。対するロサナは肩をすくめ、
「正直、わからないわ。再生させずに一瞬で消滅させるにしても、この質量のものをというのはさすがに、ね……人間の魔法だと、苦しいかも」
「レンの聖剣は?」
「あれはあくまで魔族や魔王に対抗するために作られたものだから、ドラゴンには通用しにくいと思うわ」
「それもそうか……ということは、再生できなくなるまで消耗させるしかないと」
「それが現実的な手のようですね」
リミナが言う。ロサナもまたそれに頷き、
「言っておくけど、相当な再生をさせないと難しいと思うわ……正直、体力勝負だと思うけど、あんまり分は良くないわね。それに、魔力ごと遮断させる結界を生み出せるのは、この場でおそらく私だけでしょう」
そのコメントに対し、俺は一つ質問する。
「ロサナさん、そうした結界はどの程度の時間維持できますか?」
「二、三時間かな……けど、あなた達が魔力を全開放してドラゴンに攻撃し続けた場合……そのくらいの時間で力尽きるでしょうし、どっちにしても時間的には変わらないわね。リミナとノディはもうちょっとあるかもしれないけど、さすがに二人だけでやり合うとなるとドラゴンの動きを押し留めることはできないだろうし」
「どっちにしろ、消耗戦というわけだな」
セシルは剣を構え、ドラゴンを見据える。
「最後の最後で厄介な敵に出会ったな……さて、戦力的には十分だが、持久力となると面倒だ」
「本当はもう少し人手が多い方がいいんだけど、さすがにこの状況では――」
言った時、ロサナは後方に目を向けた。唐突な所作に俺もまた視線を移し、
「どうやら、役立つ時が来たようだな」
そこには――フロディアから言い渡されていた、騎士達の姿があった。