屋敷の主人
女性の格好は黒い法衣姿。年齢はおそらく三十代半ばといったところか。魔法使いに見えなくもないその姿に加え、キリッとした顔立ちと眼鏡を掛けたその姿から、俺は『クールな研究者』などという勝手なイメージを抱く。
そうした彼女の瞳が、俺を射抜き一時固まる。
「……レン、君?」
「どうも……」
頭を下げる俺。果たしてそれが正解なのかもわからなかったが……すると彼女は安堵した表情を見せた。
「……おかえりなさい、その顔つきだと、私が抱いていた懸念とは無縁だったみたいね」
述べた彼女は、続いてリミナへと目を向ける。
「あなたは……」
「リミナと申します。勇者様の従士を」
語ると、女性は「そう」と短く答え、
「ここまで、本当にご苦労だったわね。けれど、大したもてなしもできないけれど――」
「あの」
今度は俺が声を上げる。すると女性は再度俺へと視線を戻し、
「どうしたの?」
「先に……事情を話しておこうかと」
俺にとって目の前の女性は名も知らない人物。これでは話も進まないと思い、来た理由を話そうと思った。
すると、女性は小さく笑う。
「そう改まらなくても……けど、そうね。立ち話もあれだから、まずは屋敷に入りましょう……おかえりなさい、レン君」
女性は笑う――嬉しそうではあったのだが、同時に何か物悲しさを感じさせるものだった。
屋敷に入り、いくつか気付いたことがある。まず内装。これは基本、夢で見た時とほとんど変わっていない。
埃などが積もっていないのは、掃除に余念がなかったのだろう……試しに訊いてみたら、彼女が屋敷を管理していたらしい。
やがて、食堂に辿り着く。屋敷の大きさと比べやや小さめのその場所で、女性は俺達に呼び掛ける。
「お茶を用意するから」
「あ、いえ――」
ひとまず話をと思い声を掛けようとしたのだが、それよりも早く彼女は立ち去ってしまった。
残された俺は少しの間沈黙し……やがて、小さく息をつくと手近の椅子に着席する。
リミナはその横に座り、周囲を見回しつつ問い掛けた。
「夢で見た場所、そのままですか?」
「ああ」
返事の後、静寂が訪れる。色々とリミナは訊きたいのかもしれないが、俺が何も話さないため口を閉ざすことを選択したらしかった。
やがて、女性がお茶を淹れ持ってくる。俺と対面に座り差し出すと、彼女もようやく席についた。
「それで……事情とは何?」
――そこから、俺は彼女へ説明を始めた。最大の問題は『星渡り』のことを話すべきかどうかだった……けれど、俺は強行した。ここをはき違えると重要な情報を聞き逃す可能性もあったためだ。
無論、信じてもらえないという可能性もあった。けれどそれを果敢にリミナがフォローした。これまでの経緯などを話し、それをしっかりと伝え――お茶を飲み干しそこからさらに時間を掛けて、ようやく俺達は話し終えた。
「こんなことを話して、とても信じられないと思いますが」
「……いえ、その魔法については心当たりがある」
対する女性はそう答えた。俺は思わず身を乗り出しそうになったが……それを女性は手で制止し、話し出す。
「そうね……まず、自己紹介からしようか。私のことは、夢に出てこなかったのよね?」
「はい」
「私の名はレイナ。この屋敷の使用人の一人なのだけど……以前は村の方で暮らしていて、この屋敷維持のために奉公していた身なのだけれど、今は私が住み込みで働いていて屋敷の管理をしている」
「そう、ですか」
「夢の中で見ていた時は別の使用人がいたはずだけれど……レン君にとっては、それほど重要なことではないということみたいね」
「そう、ですか……えっと、『星渡り』については?」
「確か屋敷の書斎にそうした書物があったはず……けど、場所までは」
「わかりました……ではその話は抜きにして、この屋敷についてお話しいただけないでしょうか」
「わかった……まずは、そうね。この屋敷の主人について」
主人――それを聞いて俺は、反射的に身構えた。
「この屋敷の主であるティルデ様は……レン君が旅立つ数ヶ月前に、亡くなっている」
――やはりかと、俺は胸中で思った。決して根拠などなかったが、それでも予感だけは胸の中に存在していた。
同時にラキ達の様子がおかしくなったのはそれが原因なのだと直感する。
「ここは、英雄アレスの御屋敷ではないのですか?」
次にリミナが問う。それにレイナは深く頷いた。
「ここは、ティルデ様の御屋敷……そのことについて話をしなければいけないか」
レイナはそう呟くと、俺達へとゆっくり話し始めた。
「このお屋敷が建ったのは、あの魔王との戦争が起きる三年ほど前。元々ティルデ様は他国の貴族で、この場所が好きだと言って度々訪れる方だった。やがてティルデ様はここに住みたいということで国の許可を取り、山に囲まれたこの小さな盆地を領地として、屋敷を建てた」
「……変わった方ですね」
リミナが意見。同時、申し訳なさそうな顔で手で口を覆った。
「すみません……」
「いえ、ティルデ様もその辺りは自覚なさっていたようだし、むしろ変わっていると言われるのは嬉しかったような素振りも見せていたみたい」
話すレイナの顔は、少しばかり苦笑が混ざっていた。
「さて、そんなある日……というよりもティルデ様はよくこの領内を抜け出して、色々な場所へ旅に出ることが多かった。放浪癖と呼んでも差し支えないものだったのだけれど、私達の暮らしにそれほど影響もなかったため、皆がティルデ様を笑いながら送り出していた。けれど、ある日――」
「戦争が起きた、と」
俺が告げると、レイナは頷いた。
「村人達も魔王が戦争を仕掛けてきたということで恐れ慄き、無事であることを祈るしかなかった」
「けれど戻って来たんですよね?」
リミナが確認の問い。それにレイナは「ええ」と同意し、
「戦争が発生して半年くらいしてから、ティルデ様は戻ってきた。けれど様子もおかしく、さらに知り合いの貴族のために、戦わなければならないと仰り、なおかつこの土地から出ないよう警告し、すぐさま旅立たれた」
そう語るレイナの顔は、ひどく深刻だった。
「……後から聞いた話だけれど、ティルデ様は旅の途上でご懐妊されたそう。相手もどのような方であるかわかっており……何も語らなかったけど、おそらくこの屋敷に迎え入れる気だったのかもしれない。しかし」
「戦争で……?」
俺が問うと、レイナはコクリと頷いた。
「戦争で生まれたお子様と、旦那様は……そのことについてティルデ様は亡くなったとしか語らなかった。けれど心の内では、その方々の敵討ちのつもりだったのかもしれない」
内容は、ひどく残酷なもの……同時に思うのは、そこから戦争を経て英雄アレスと出会ったのだろうということ。
「幸い、この村は戦火に巻き込まれることはなく、英雄アレスが魔王を倒し、戦争は終結した……村の方々は安堵の息を漏らし、ティルデ様の帰りを待った。そしておよそ数か月後、戻ってきた」
そこまで語ると、彼女は息をつく。
「……同時に、村にアレス様がやって来た」
「戦争という過程を経て、二人は出会ったというわけですね」
リミナの言葉に、レイナは頷いた。
「それから……アレス様はここに逗留されつつ、ティルデ様と共に旅に出た。戦乱の爪痕が残る場所を見て回りたいという思いから。そんなことが何度か繰り返され、やがて――」
一拍置いたレイナは、俺達を一瞥した後述べた。
「……エルザ様が、お生まれになった」