開始前の約束
――ノウェルのこれまでにない実況と共に、いよいよ試合が始まろうとしている。俺はゆっくりと呼吸を重ね、緊張をほぐすように努める。
いよいよ……ここまで来るとさすがに体も緊張が生まれる。それをどうにか抑えながら俺は闘技場へ入る時をじっと待つ。
そういえば、リミナ達は今どうしているのだろうか。固唾を飲んで見守っているのか、それとも俺が勝つと信じて疑わず余裕の観戦……は、ないか。さすがに。
『――それでは、登場して頂きましょう!』
実況の声が響く。続いて名が呼ばれ、俺は意を決するかのような心情で歩み始めた。
この道を辿るのも、これで最後になる――開催期間は短く感傷に浸るようなことはなかったが、それでもなんだか、複雑な気持ちとなった。
その道をくぐり、俺はとうとう闘技場へと出る。ラキの姿も真正面に見え、歓声が俺達を包む。
カインやセシル、そしてアクアを倒した俺に対し、マクロイドを破ったラキ……下馬評はアクアを倒した俺の方が上かもしれない。けれど、俺は思う。
目の前にいる相手は、この闘技大会で最も強いのではないか。
静かに歩き始める。ラキはこちらに呼応するかのように進み始める。
その一歩一歩で、俺はラキと出会った時のことを思い出す。最初は遺跡。そして勇者の試練や戦士の演習場。
会う度に俺は強くなっていったと思う。けれど俺は勝てなかったし、彼は余裕の態度で退き、勝負はつかなかった……その相手と今こうして、闘技大会という形ながら決着をつけようとしている。
中央に到達する。向かい合うラキは俺に対し感服した様子で、口を開いた。
「本当に……この舞台に立つとは。そう考えていたけれど、どこか信じられない気持もある」
「……どっちなんだ?」
聞き返すと、ラキは笑う。あの夢の中で幾度も見た、無邪気なもの。
「僕は、役目を与えられこの闘技大会に参加した。けれど、今この時……こうして決勝で戦うとなれば、好きにやらさせてもらうと表明していた」
「シュウさんに、か?」
「ああ、そうだ。もしレンと戦うことになれば……そういう仮定の話をしていた」
語り、ラキは肩をすくめる。
「シュウさんは、半信半疑だったよ……今回は僕らを阻むために戦士達が集った。僕らはそれをすり抜けるような形で策を施したわけだけど……決勝の相手は、おそらくアクアになるだろうというのがシュウさんの予想だった」
「この闘技場にいる人々の大半は、そう思っていただろうな」
「だね。けど、決勝戦はこうなった」
両手を広げ語るラキ……改めて、予想なんかされなかったカードだと思う。
闘技場は賭けの対象になっているはずだが、こんな組み合わせ大穴もいいところであり、本命に賭けた人の中には呆然となっている人だっているかもしれない……などと考えつつ、俺はラキに質問する。
「お前達の目的は、何だ?」
「それは闘技大会の話? それとも根本的な話? けど、どっちにしろ答えられないな」
「……そうか」
ま、この辺りは予想通り……考えていると、ラキは言及する。
「さて、色々と訊きたいことはあるだろうけど……実を言うと、僕としてもレンに色々と問い質したいことがある」
「……質問を聞くだけならいいが?」
「そう? なら話させてもらうけど……なぜ、こうまで僕を追って勇者になった?」
――その問い掛けは、決して答えられるものではない。そもそもラキは、俺が勇者レンとは違う存在だとわかっていない。
ただし、それを悟られないように応じることはできる。
「それは……お前もよくわかっているんじゃないか?」
俺は夢を思い出しながら問い返す。リミナがイヤホンでこの会話を聞いているだろうが……バレないか戦々恐々としていることだろう。
「よくわかっている、か……やっぱり、そういうことなんだよね」
ラキは言う……俺は再度夢の情景を頭の中で巡らせながら、小さく肩をすくめた。
「……けど」
「けど?」
彼の言葉に対し、俺は一拍置く。これが勇者レン自身の目的と合致しているかどうかはわからない。だが、訊きたいことではあるはずだ。
「お前から、まだ何一つ聞いていない」
こちらの言葉に、ラキは目を細める。
「つまり、理由を聞きたいからこうして追ってきた?」
「そういうことだ……けど、お前の言動を考えるに、それがどうやら目的と直結しているらしいな」
「まあ、そうだね」
あっさりと同意するラキ……というか、このくらいは容易に想像できるので、答えても良いと思っているのだろう。
「……なら、こうしないか?」
俺はそこで、提案を行う。対するラキは斜に構え俺の言葉を待つ。
「ここで勝負をして……勝ったら、何か一つ質問に答える。俺が負けたら、ラキの質問にきちんと答える」
「けど、僕は話せないことがたくさんあるわけだけど?」
「なら、答えられる質問を繰り返すまでだ」
俺の言葉にラキは「そうか」と答えた。
――そう、要は決勝の舞台でラキと対峙する以上、彼から直接情報を取ればいいという話だった。けど頑なに目的を話そうとしない以上、大した情報は手に入らないかもしれない。
けれど――もし勝ったのなら、もうラキに自分のことを話してもいいだろう。俺はシュウと同様『星渡り』という魔法によってこの世界に来た存在。それを表明して、尋ねる。これなら現状追及できない部分を訊くことができる。
つまり――英雄アレスと共に過ごした、あの屋敷のこともラキから聞ける。
ベルファトラスで勇者レンの知り合いを待つという選択肢もあるのだが、それはラキ達に目的の成就をさせる時間を与えることにもなり、よくないだろう。だからこそ勝って、目の前の相手から詳細を訊く……これが一番、手っ取り早い手段だと思った。
まあ、別に本当のことを話さなくとも記憶喪失になったとでも言えばいいのかもしれないが……事情を知るシュウがいる以上、ここを誤魔化すと厄介な話となるだろう。よって正直に話そうと決めたわけだ……代わりに、信じてもらえるのかという懸念は存在するのだが。
「……ま、こうして戦う以上何かしらあった方がいいかな」
ラキが応じる……これで、交渉成立だ。
「約束は守れよ」
「こっちのセリフだよ……さて」
ラキが、剣の柄に手を掛ける。
「そろそろ始めようじゃないか」
「……ああ、そうだな」
俺は同意し剣を抜こうと柄に手を置く。けれど双方抜かず――そのまま、目を合わせた。
ラキの瞳は、ひどく澄んでいてとても魔族の力を持っているようには見えない……いや、むしろそうした力を持っていながらそれに侵食されていない、と考えればいいのだろうか。
そう考えると、余程ラキの力が優れているのか……それとも、この技術を施したと思しきシュウの腕がよかったか――あるいは、その両方か。
「手の内はこっちも見せたからね」
柄を握り締めながら語る……何が言いたいのか、俺にも理解できた。
「レンとは正面から堂々と当たりたい……僕は、最初から全力でいかせてもらうよ」
「――こっちのセリフだ」
言い返すような心持で俺は答えた。刹那、ラキは笑い、俺は腰を落とす。
同時に剣を抜く。張りつめた空気が一瞬にして俺達を取り巻き、そして、
『――決勝戦、始め!』
それまでのテンションとは異なる、凛とした実況の声が耳に届き――俺達は、戦闘を開始した。