一つの事実
――気付けば俺は、屋敷の廊下を歩いていた。
俺はすぐさま夢の中だと思い、意識を集中させる。やや早足で歩くレンは、なぜか抜き身の剣を握り締め一人屋敷を歩いている。
外からは、雨音が聞こえている。音は結構激しいのだが、白い光が窓から入って来るのを見ると、夕立か何かだろうかと推測する。
そういえば雨が降っている状況は珍しいなと思いつつ、俺は廊下を注視。どこか寂寥感のある屋敷。おそらく前日見た夢の後くらいなのではないかと思う。
レン自身だが……怒っているのだろうか? その足取りがずいぶんと強く、まるで廊下を踏みつぶすような勢いであり――
ふいに玄関扉が見えた瞬間、今度は走り出した。何か心の内を抑えきれないといった感じにも見え……一体何事かと、傍観者的に思う。
やがて玄関に辿り着き――扉は開いていた。僅かながら雨が吹き込んだ扉の先には、土砂降りの雨と、白い光。
そして――玄関から少し離れ、ずぶ濡れになりながら屋敷を離れようと歩くラキの姿。訓練服ではあったが、彼もまた剣を握っている。
レンはその後姿を見て、迷わず外へと足を踏み出す。途端に衣服に雨が染み込み――剣の切っ先をラキへと向ける。
「――何故だ!」
レンが告げる。そこでラキは足を止める。
「何故だ!」
再度レンが告げる。ラキは雨に打たれ、声に反応せず動かない。
いや、無視するというのならそのまま歩きだしてもおかしくないはずだ。それをしないというのは、少なからず反応しているということなのか?
ラキの無反応にレンは苛立ったのか剣を強く握りしめる。耳には激しい雨音だけが入り、さらに陽の光も強くなり、この世にレンとラキしかいないような錯覚に陥る。
そんな風に思った直後、さらにレンは声を発した。
「何故――エルザを殺した!」
雨音だけが耳に嫌に響く――そして俺は、内心で驚愕する。
エルザを……殺した?
その言葉に反応したのか、ラキはゆっくりと振り向いた。ずぶ濡れの彼はひどく肩を落とした様子で、瞳も虚無が宿ったように深く沈んだものとなっている。
それは――少なくとも夢の中で見たことの無い、無感情の瞳。いや、現実でラキと出会った時も、こうした瞳は見たことがない。
一体、これは……考える間にレンは一歩近づく。
「それ以上踏み込めば、僕はレンでも斬るよ」
雨の中で、ラキの声がひどく明瞭に聞こえた。対するレンは聞こえなかったのか――いや、無視しさらに足を前に踏み出す。
次に生じたのはレンの咆哮。それと共に剣を薙ぐ。
力一辺倒の斬撃――俺はこの攻撃の行方を半ば悟りながら、ラキが剣を振る姿を捉えた。
剣が衝突する。一瞬だけ動きが止まり双方せめぎ合い、
結果、ラキがレンを弾き飛ばす。
「ぐっ!」
レンは呻き、どうにか体勢を立て直しながらラキを睨む。
「――何故だ!」
「知る必要はないよ」
冷たいラキの声。その姿は、幽玄という言葉がひどく似合う。
「悪いけど、僕は今日限りで屋敷に来ることは無い。レンとも……これで、今生の別れかもしれない」
「――ふざけるな! 答えろ!」
叫ぶレン。それとは対照的にラキは目を細め、なおも冷淡に語る。
「追ってきたいのならそうすればいい。けど、僕は答えられない」
「――何故だ!」
レンはなおも叫び――走った。ラキを押し留めるために、決死の一撃を放つ。
その時、俺はレンの視点からラキが何事か呟く姿を捉える。おそらくレンに対し何か言ったのだと思うが……きっと、レンは怒りで聞きとることも、気付くこともなかっただろうと思う。
渾身の一撃が、ラキの体を捉える。けれど彼はそれを容易く受け止め、
「無駄だよ」
一言。それと同時に弾き返したラキは、ここで反撃を行う。
レンはすぐさま防御――そしてつんざくような金属音が耳に入り、
刹那、レンの握る剣の刀身にヒビが入る。
「っ……!」
それにレンは気付いたか後退しようとした。けれどラキは見逃さず、一転して踏み込む。そして、
レンが防御した瞬間、刃が砕かれ――ラキの剣が、レンに到達した。
「ぐっ……!」
同時に剣戟によって吹き飛ぶ。そのまま地面に倒れ込み、レンは一転して泥だらけとなる。
傷自体それほど大きくはないようだったが、動きが鈍る程度には負傷したはず。けれどレンは痛みを忘れているかのように即座に立ち上がり、
「ラキ!」
「次来たら、今度は首を狙う」
冷酷な言葉。その瞬間、レンの言葉が止まった。
ラキの目は、確実に殺意がこもっていた。それに対しレンは半身から砕かれた剣を握り締め、佇む。
雨の中で二人は対峙する。それほど長い時間ではなかったはずだが、まるで時が止まったかのように……きっとレンにとっては永遠とも呼べる長い時間だったかもしれない。
そして――先ほどの打ち合いから考えれば一目瞭然なことが一つ。この時点で、レンとラキは圧倒的な差が開いている。
「……悪いね」
ラキは呟くと背を向けた。途端レンはラキの名を呼ぶが、それに意を介さず彼はゆっくりと歩を進め始める。
レンは動かない……いや、動けないのかもしれない。ラキが屋敷を離れて行く様を見ながら立ちつくし、やがて――
「……なんで、だよ」
力を失くし、両膝をついた。
「何でお前が、エルザを……」
震えた声で呟き、レンはラキの消えた道を眺める。そして折れた剣を地面に叩きつけ。
「――何故だぁぁぁぁぁ!」
絶叫。その声は少しずつやみ始めた雨に阻まれ、消える。
答える者は誰もいない――そして、
「……ラキ」
憎しみを込めた声が、レンの口から漏れた。
「これが、お前の望んだことなのか……?」
ラキの消えた道を見据え、レンは告げる。
答えなんて出るはずもない。けれど発さずにはいられない激情。俺は傍観者的に見ているしかないため、レンの心境がどの程度なのか推し量ることしかできない。けれど、
無念さだけは、しかと伝わってくる。加え一つ推察する。
これがあったから、レンは勇者として旅を始めた……きっとレンが成そうとしていたのは、復讐なのだと思った。
エルザを殺した、ラキに対する復讐……理由を知ってみればありきたりだと思うのと同時に、その憎悪がどれほどのものだったのかを想像し……何も言えなくなった。
やがて、雨が途切れ始める。レンは動かずその場に座り込み、呆然とラキが消えた道へと視線を送り続ける。
「……ラキ」
やがて名を呼ぶ、友人だったはずの名。しかし、今は――
「お前を……絶対に……」
そう呟いた直後、俺の意識は急速に途切れる。次いで気付いた時見えたのは、屋敷の天井。
「目覚めた、か」
俺は言葉を発し、静かに起き上がる。ようやくレンが旅立った理由を知った……けれど、内容に反し心はずいぶんと落ち着いていた。
なおかつ、さらに思案する。なぜラキがエルザを殺したのか……いや、夢の中で直接殺した現場を見ることはできなかった。だからレンの勘違いなどという可能性もゼロではないが、
断定的に言えるのは、エルザが既に故人だということ。
それに、まだ疑問もあった。エルザを殺したのだとしても、不可解な事もある……というより、疑問点が存在する。それを解決するには、まだ情報が足りないと思う。
とはいえ……決勝の日にこれを知ったのは、大きいとは思った。
「……起きよう」
呟き、ベッドから下りる。そして極めて冷静な思考の中、俺は準備を始めた。