正体不明
「おや、気付かれたか」
さっぱりとした、太めの声。振り返ると不精ひげに加え黒い髪までボサボサの鎧を着た傭兵が一人。年齢は、三十前後といったところだろうか。
「さすが勇者レン一行ってところか……これは、後々の課題だな」
「……あんたは?」
俺は口を開きつつ相手へと向き直る。今の今まで気配を見せなかったというのは、魔法でも使っていたのか、それとも――
「悪いが、問答する気はないんでね」
問い掛けに応じないまま彼は、突然腕を軽く振った。一体何をするのかと、俺は剣の柄に手を掛けながら相手を注視し、
刹那、今度は背後から殺気を感じ取った。
「っ――!?」
何が起こったのか。俺は背後からの気配を頼りに横に逃れる。そして回避した直後、発する気配の大きさとしては微細なもので、並の戦士なら見抜けない程度のレベルなのでは――と、直感した。
「おお、それをよけんのか。さすがだな」
正面の男は感嘆の声を上げる――同時、俺は剣を抜き、さらに他の三人も剣を抜く音を生じさせた。
「とはいえ、恐ろしいだろ? 発する殺気はほんの僅かな上、剣を抜くような音もまともに聞こえないというのは」
男性が面白おかしく語る――そう、音すら発しなかったのは明白であり、それを感じ取れなかったら俺は背後から斬られていた可能性もあり、
「……え?」
フレッドの呻く声。見ると、彼は剣を両手で握り縦に振り下ろした体勢のまま硬直していた。
剣を放った彼自身、何が起こったのか理解していないような様子……ジオやルーティ、さらにフィクハが剣を向けている状況なのだが、フレッドはフィクハを一瞥して、戸惑った顔を見せる。
「お、俺は……」
「喋る必要もないなぁ」
男の声。同時にフレッドの口が突如止まる。
「しかし、どうやらまずい展開になってしまった。これじゃあ俺も叱られるのは覚悟しないと」
ボヤくように告げると、男はさらに腕を振る。直後、フレッドの体が動き男へ歩もうとする。
そこへ、ジオが背後から斬りかかった。思わず声を上げそうになったが、それよりも早く彼の剣はフレッドへ到達しそうになり、
「おっと」
男が小さな声を上げた――直後、フレッドは唐突に半回転して、真正面からの斬撃に対し、切り払って防いだ。
「ぐっ――!?」
次の瞬間、声を上げたのはフレッド。腕を振ったことによって痛みでも走ったのか……顔を大きくしかめた。
おそらく、フレッドは男によって無理矢理体を操作されている。そして命令はフレッド自身の身体能力を無視するように動かすことが可能であり、このまま戦闘に入ればフレッド自身相当体を痛めつけられることとなるだろう。
「な、何を……!?」
さらにフレッドは声を上げようとした。しかし、
「だから、お前は喋るな」
男が命令すると、フレッドは口をつぐんだ。その瞳は限りない戸惑いで満ち……望んだことでないのは明白だった。
そこで、俺は狙いを男に変えることにする――フィクハもまた同時に動き出し、操作している相手へと剣を薙ごうとする。
「まあ待て。場合によっては周辺に被害が及ぶぞ?」
男は言うと同時に左手をかざした。そこにはフレッドと同様黒い腕輪が身に着けられており、
刹那、俺の心の中に嫌な予感が生まれた。もしこのまま攻撃したとしたら――
「そういうことだ」
心でも読むかのように発言する男……つまり、もし来られたらフレッドが使ったように魔族の力を爆発させると言いたいのだ。
「戻れ」
そして男は端的に告げると――フレッドが見たこともない俊敏さで俺とフィクハの間を通り、男の隣へと到達した。
その間、彼の瞳には戸惑う色しか見受けられない……口を開こうにも男に止められ、なおかつ体の動きは一切掌握されている。なぜこんな真似ができるのか、本人も理解できていないに違いない。
「俺はフレッドを回収しに来ただけだ。そちらとしては不服だろうが、ここはお開きといかないか?」
「……させると思うのか?」
ジオが言う――同時に、陰に隠れていた騎士が道へと出現する。
セシルの屋敷へ進む道以外にも、俺達が通って来た道のりに人間が現れる……相手にとっては囲まれた状況だが、男は表情を崩さない。
「……気付いていたが、ここまで気配を殺すとなると中々の精鋭を揃えたわけだな。で、勇者レンと勇者フィクハの後ろにいる二人は騎士だな? おそらくフレッドの目をくらませるために変装した、といったところか」
男は冷静に分析しつつ、表情を――破顔に変える。
「フレッドの見せた能力が気に掛かり、干渉したというわけか。確かに大会が終わった後色々と不可解な行動をやっちまったからな。仕方ないか」
面倒そうに言葉を吐く彼からは、困った表情は一切見られず、むしろ現状がごくごく当たり前のようなものだと感じている節もあった。
一方のフレッドは事態に頭がおいついていかないのか、言葉は発さずとも首をしきりに動かし騎士達を眺めている。
「ここで戦うのはまずいんじゃないか?」
そして男は決然と告げた――直後、フィクハが剣を逆手に持って地面に突き刺そうとする――
「おっと、それをやったら力を解放するぜ?」
しかし、男からの警告――途端、フィクハは行動を中断する。
「大地の魔力に干渉して結界でも作ろうという魂胆なんだろうが、それをする前にこっちが魔力を開放して周囲を無茶苦茶にしちまえば、回避は可能だ」
「……何もかもお見通しというわけね」
フィクハは限りない警戒を込めながら呟くと、剣の切っ先を男へ向けた。
――現状、取り囲みこちらが有利の状況だが、フレッドは操られ、なおかつ男は力を解放する動きを見せ牽制している。
俺達の戦力を考えれば、現状を打破できそうなものなのだが……力量がまったくわからないため、下手に行動することは周囲にある屋敷などに被害が及ぶ可能性もある。だからこそ二の足を踏んでしまう。
「もう一度言うか……そっちとしては不服だろうが、この場はとりあえず終了ということにしないか? そっちもフレッドの口から少しは事情を聞けたんだろ? なら十分じゃないか」
「……お前を捕縛すれば、さらに情報を得られそうだな」
ジオが言う。しかし男は左腕を小さく振ることで応じた。下手なことをすれば力を開放するという所作で間違いない。
「ま、そういうわけだ……混乱がないようこういう場所に誘い込んだのはいいが、俺みたいな力を暴走させることに何の躊躇もない人間のことを考慮するべきだったな。そうであったら俺ごと捕まえられたかもしれないのに」
そんな風に告げた彼は――今度は右腕を振った。直後、男とフレッドの足元が発光し始める。これはおそらく、転移魔法。
「くっ……!」
ジオが呻き、周囲の騎士が逃がすまいと走る。けれど、俺は感覚的に誰もが間に合わないと悟った。
そこで――突如フレッドの口が動いた。喋ることができるようになったのか。
「お、お前は」
「これから教えてやるよ。洗礼を受けたお前のことを含めてな」
そして、二人の短い会話が聞こえ――やがてその姿が、光に包まれる。
まぶしいくらいのものであったそれに、俺は目を細めながらどうにか注視し……やがて収まった時、フレッド達の姿は完全に消えていた。
「失敗、か」
そしてジオは言いながら俺達の前に歩み出た。
「正体は掴めなかったが、厄介な相手のようだな」
その言葉に俺とフィクハは一様に頷き――こうして、消化不良ながら調査については完了せざるを得なくなってしまった。